カッコイイは、正義だ。

震えるような季節が訪れる。
震えていた季節を遠ざける。
イルミネーションに1人心奪われながら家路を急ぐ季節が、再び訪れた。

高校3年の冬。
俺は急いでいた。信号無視を重ね、駿府公園の横を自転車で飛ばしていた。高校まであと少し。校舎の一部はなんとか見える。このまま突っ走れば、ギリギリセーフ。しかし、長谷通りの交差点には青い制服を着た婦人警官が笛を吹いていた。
「チッ!今日も遅刻かよ。」
俺は舌打ちをし、交差点直前で自転車を停めた。昨日も遅刻をして、担任から注意を受けている。さすがに2日連続での遅刻では、何を言われるかわからない。それならいっそのこと欠席をしようと、学校を目前にして進路を変えた。

 とにかく南へ走った。家に引き返しても母親に不審がられるだけだ。俺には学校をサボる時、決まって行く場所があったのだ。150号線を超え、潮風に導かれるように海岸へ向かった。階段の入口に自転車を停め、砂浜を静かに歩く。どこから流れ着いたのか、流木が散乱している。俺にはお気に入りの流木があった。いつもはそれを枕にして砂浜で昼寝をする。照りつける太陽と涼しい海風。眠りの世界に入るにはこれ以上の素晴らしい環境はない。波打ち際近くのその流木のある場所が、俺の指定席だった。

小説「デビルライン」の一節を少し改変した。

そう、あの日も俺は海を見ていた。海なんて、サラリーマンになった今でも、しょっちゅう見に行く。特別なことではない。
だけど、あの日見ていた海の景色を、22歳の俺は見ていなかった。本当の自分を捨てて、世の大多数の流れに染まるように生きようとしていた俺は、学生服のまま砂浜に寝そべっていたアイツではなかった。どこかで道を間違えたみたいだ。

毎年、誕生日を迎えるごとに、心に残るフレーズを残してきた。
「『この男と同じ時代に生きられたことを、誇りに思う。』そんな男でいたい。」
「もう俺だけの夢じゃない」
「UNDERGROUND FOREVER」
「事実だけが伝説を創る」

今年はどんなフレーズを生み出そうか。そんなことをずっと考えていたけれど、何も思いつかない。自分の頭で物事を考えない男に成り下がっていたのだ。

ここの読者は優しい。フォロワーは優しい。本当に素敵な仲間だ。
でも、そんな素敵じゃない奴等ばかりの世界に放り込まれて、俺は自分で何かをプロダクトすればするほど傷つくようになった。そして、傷つくことがイヤで、自分でプロダクトしない人間になってしまっていた。

今ならまだ遅くないよな?Davyに戻れるよな?
俺は今、どこからやり直そうか真剣に悩んでいる。この1年、手に入れたものもたくさんあったけれど、失ったものがあまりにも大きすぎて、どうしていいか、というよりどうしたいのかすら見えなくなっている。

でも、これだけは言わせてほしい。決して無駄な時間を過ごしてはいなかったってことを。サボってきたから失ったわけじゃないってことを。

夢中だったんだ。目の前のことに。
夢の中っていうのは、辺り一帯を霧が包んでいて、周りがよく見えないんだ。
「夢中」とは「霧中」なんだ。
せっかく光が差したと思っても、それは逃げ水のように追っても追っても近づけない。俺の所から遠ざかっている。
目の前の坂を上りきったと思っても、そこは頂上ではなく、その向こうには大きな山がそびえ立つ。
「井の中の蛙、大海を知らず」とはよく言われるが、本当に大海を知る必要があるのだろうか。世の中で定められたものさしでしか物事を測ってはいけないのだろうか。

カッコ悪い話ではあるが、俺はカッコいい男になろうとしてきた。誰に決められるわけでもなく、俺だけが自分の基準でカッコいいと思える男になろうとしてきた。誰にも邪魔させるつもりはない。
やってきたことは間違ってはいなかった。現に、カッコいいと思える暮らしができているし、新卒1年目で金が無いながらも、なかなかクォリティの高い生活ができているのではないかと思う。「芸能人の私生活に迫る」みたいなコーナーを俺で作ったとしたら、なかなかいい作品に仕上がるんじゃないか。
だけど、目的が悪かった。ヨコシマな気持ちが入っていた、いや、ヨコシマな気持ちだけでやってきたのかもしれない。だから、空虚なんだ。何も残らない。認めてほしい人に認めてもらえなければ・・・などとつまらぬ考えで走ってしまったのだ。

・・・だとしても、俺は胸を張って言っていたい。

「カッコイイは、正義だ。」と。

「神々は破滅させたい人間をまず“前途有望”と名づける」

10年前の俺は、間違いなく「前途有望」と名付けられた。年寄りは俺を評して「末は博士か大臣か」などと冗談めかして言ったものだ。俺はその期待に応えようと必死だった。その期待に応えるために、年頃の人間が経験していなければならない青春も欲望もほとんどを捨て去った。捨て去ったつもりだった。でも、ほんのかすかに残っていた欲望が、もしかしたら俺の運命を変えてしまったのかもしれない。「前途有望」と呼ばれた過去はどこに消えたのか。気が付けば、世間様の中に埋もれてしまった。同世代の連中がしてきたような経験も知識も全くないまま。ガラパゴスもいいところだ。

前途有望でなくなったことは、誰よりも俺自身が最も早く気付いていた。このままでは自分の存在意義すら危うくなると悟った俺は、虚像をでっち上げることにした。俺がギリギリまで手を伸ばしたその1ミリ先にある自分を作り出し、うまい具合に投影することに成功した。それがfqtであり、Davyだった。世間に嘘をついて暮らしたいわけじゃない。思い描いた通りの自分になりたかっただけなんだ。fqtの影を追い、Davyの影を追い、ひたすら追っかけ続けることで追いつくことができたように思う。

いつのまにか、すりかわっていた。自分とDavyが。Davyとして人に会う時が本当の自分。本名で人と会う時は創り出した自分。会社では当然後者。だから、開いているようで、ずっと心を閉ざしている。自分の本心は言わない。サラリーマンとしての処世術かもしれない。危ない橋は渡らない。

会社にいる時だけそうであればいい。セパレートできればいい。でも、だんだん侵食してきているのを感じる。押し寄せるんだ。仮面を被った俺の姿が。魂を乗っ取られているのかもしれない。怖いんだ。このまま自分を失っていくのが。

・・・こうやって書くと、いかにも暗い生活になっているように受け取られるかもしれないが、意外とそうでもなかったりする。
もちろん、今も幻影と闘っている。見えない敵との戦いだ。「カッコイイ自分になろう」と始めた行動も、その目的は別にあったのかもしれない。だけど、その習慣すらも今の俺に馴染んできて、そのことすらを楽しめている。ナルシストに聞こえるかもしれないが、意外とカッコつけてる自分に酔って楽しんでいるところがある。「まだ20代前半なのに、高級ホテルのBARに1人で行ってる俺」「残業した後でも、バイクでアクアライン暴走して、海ほたるで夜の海見つめている俺」「有楽町の某百貨店でカッコいいジャケットを買って、それを着こなしている俺」「夜景のキレイな場所で、美しいバラードに合う歌詞を考えつく俺」時々、俺自身が惚れそうになる俺がいて、そんな俺に恋している瞬間がある。しかも、これらを自慢するわけじゃなく、さも日常生活の何気ないシーンであるかのようにしゃべるところがまたいい。ホントは頑張って背伸びしているだけなのに、あたかも俺のビューティフル・ライフのように、そんなオーラを身にまとっているところがいい。なかなかうまくプロデュースできたな、なんて思う時さえある。

今年1年、恋をレバレッジに背伸びをして、色んな「○○な俺」が手に入ったけど、23歳の1年はそうじゃないレバレッジでも「○○な俺」をたくさん作り出せたらいい。いくら素敵な人間になったところで、手に入らないものは手に入らない。むしろ、素敵な人間になることにより、プライドが邪魔して欲望を実現できないことすらある。それでも、もし俺の使命が一生をかけて自分が素敵だと思える姿を創りあげることだとしたら、世の中の大多数が考える幸せに背いてでもやってみたいような気がする。

俺がこれから進もうとしている道は、間違っているかもしれない。間違えたら、また戻ってやり直せばいい。今の俺はどこまで戻り、何を継承したらいいか見出せずに悩んでいるが。それもまた素敵な人生かもしれない。

カッコイイは、やっぱり正義だ。

男には、隠れ家が必要だ。

最近の趣味。1人でBARに行くこと。
重い扉を開け、カウンター席に座り、自分が注文した酒をバーテンダーが目の前で作ってくれるのを尊敬の眼差しで眺めている。
何をするわけでもなく、酒と空間に酔いながら考え事をする。たまにバーテンダーの方とお話する。
手持無沙汰になるので、食事を注文する。BARでの食事は腹を満たせるものではないが、その1つ1つが美味しい。
1時間少々過ごし、カードで会計し、店を出る。店を出てもすぐには電車に乗らず、しばらく街を散歩する。
夜風がとても冷たくなってくる季節。身体だけでなく、心まで冷やしてくれる。
怒り、憎しみ、苦しみ、悔しさ・・・。そんなものに対し「いいじゃないか」と語りかけてくる俺がいる。
クールダウンが済んだら電車に乗って帰宅する。そんなスタイルだ。

そして、俺は今日もBARへ行った。行くしかなかった。
普通の感情では受け止めきれないことがあった。きっかけだけを捉えれば4文字で片付く話ではあるが、そこから派生する悩みは広く、深い。

入社して8ヶ月。それまでとは明らかに景色が変わった。
自分のためだけに生きてきた俺が、久しぶりに他者の目を意識して生きるようになった。「評価してほしい」その一心で走り続けてきた気がする。
最も大きかったのは、船舶免許取得だ。口では「自分の趣味のため」とか言っているが、真相は違う。自らが操縦する船に乗せたいと思う人がいた。少ない給料を何とかやりくりし、学科試験の勉強を独学ですることで、何とか費用を圧縮し、悪戦苦闘しながらも免許取得までこぎつけた。

カッコイイ俺でいたかった。ファッションにもお金をかけた。それまではあまり手を出してこなかった「万単位」の服や小物を多く手に入れた。
髪型だって崩した。レジスタンスのタトゥーを刻む代わりに象徴として作っていたオールバック。オールバック時代は数年の歴史に過ぎないが、それに類似する髪型を通算すると、高校入学当初、つまりfqtが生まれた時からずっと貫いてきたもの。それを崩す決断をした。その方が受け入れられるとするならば、やぶさかではない、と。

BARに行く、夜景を見に行く、平日アフター5のツーリング。
これらは、ライフスタイルをカッコ良くするためにやってきたこと。残念ながら容姿が優れているわけではない俺は、生活感からカッコ良さを演出しなくてはならなかった。セルフプロデュースというと大袈裟になってしまうかもしれないが、背景に流れるストリームみたいなものをカッコ良くしたかった。ナルシストだったのかもしれない。

これらの努力が無駄だったと宣告された時、やり場のない複雑な感情に駆られることとなった。茫然自失という言葉が最もふさわしいのだろうか。仕事は手につかなくなり、デスクで1人考え込んでいた。今日だけの話じゃない。今月、似たような話が他にもあったので、さらに考えさせられることとなったのだ。
「何がいけなかったのか」自らの行動を1つ1つ振り返り、仮説を立てて検証した。思い当たる所は複数あるが、ほとんどが自分では解決できない問題ばかりだ。直しようがない、あるいは直すには時間と費用とリスクが大きすぎる。どうしようもできない話だ。

BARでもずっとそんなことを考えていた。Aでもダメ、その逆のBでもダメ。もともと俺の人生において達成不可能な話じゃないか、と。周りの連中は簡単に空を飛べている。「ならば、俺も!」と意気込んできたのだが、そもそも俺には翼がなかったのだ。それに気付いていなかった。いや、気付こうとしなかった。「夢は叶う」と教えられてきたから、愚直なまでにそれを信じてしまったのだ。今思えば、それまでにも気付くチャンスはいくらでもあった。深く心に刺さるような話もあった。だが、それすらもレジスタンスしようとし、受け入れてこなかった。「絶望とは、行き止まりを知らせる標識のようなもの」と早く理解していれば、今回のような事態は避けられたはずだ。

そうじゃないかもしれない。怖いもの見たさというか、リスクを好んでしまったのかもしれない。日常に刺激が欲しくて、あえて茨の道を選んでしまったのかもしれない。繊細かつ鈍感という訳のわからない性格は、事故を引き起こす最大の原因だ。もっとも、今回の事故は俺のハンドルミスによるものではなく、偶然のもらい事故だったのだが。リスクをとったわけではない。第三者が代わりに俺のリスクをとってしまって、結果的に俺が被害を受けるという、何とも言いがたい屈辱だったわけだ。

話を戻そう。BARでヤケ酒を飲んでいた俺は、いつもよりもペースを早めてしまい、アルコールを消化しきれなくなってしまったのだ。タクシー帰宅の後、すぐにベッドで倒れるハメに。1時くらいに目を覚まし、そこから眠れずにこの記事を書いている。

バーテンダーとこんな話をしていた。1人でBARに行く意味について。その方も1人でBARに行くことが好きらしく、仲間と居酒屋で飲んだ後ですら1人で飲み直すというくらいである。初めて会う方だけど、感性が似ていて嬉しかった。なんだろう、自分を整理できる場所というか。自宅に帰ると他にやることができてしまい、思索にふけることは不可能。誰かと飲みに行っても、その人との会話が中心になってしまい、自分を整理することとは程遠くなってしまう。今までは、その役目を夜景を見に行くことに託していた。昨日みたいに。海ほたるまでバイクを飛ばし、波打ち際近くまで降りていき、夜の暗い海を眺めながら考え事をする。俺にはそんな時間が必要なんだ。夜景を見るのも良いが、季節が深まるにつれ、気温の問題で難しくなる。そこで、BARが使えるというわけだ。

BARといっても、席数が1ケタの所は緊張する。40席以上ある所だと騒がしい。20席くらいがちょうどいい。カウンターと少しばかりのテーブル席。音楽は控えめでいい。酒も食事も高くていい。美味しければ。

BARって、1人で行くと全くすることがない。携帯いじるのも無粋だし、本を読むには暗すぎる。バーテンダーの方としゃべるのもいいが、ずっとしゃべっているのも他の客の迷惑になる。必然的に、考えるしかなくなる。また、考えるには良すぎるくらい良い環境なのだ。暗い店内。上品なテイスト。カウンター越しに並ぶボトルが空間を演出する。騒音もほとんどなく、かといって静寂に包まれているわけでもない。そこにアルコールが手伝うと完璧だ。大好きな空間だ。

女の子を誘って2人で行くことも夢見ていた。だけど、その必要はない。いや、それをしてはいけない気がする。男が戦闘服を脱ぐ、唯一の隠れ家なんだから。場所すら知られない方がいい。俺が俺であるために、俺が俺であることをやめないために、自分の弱さと付き合える大切な時間なんだから。

当初の目的は達成できなかったが、俺は俺でカッコイイ男で居続けようと思う。8ヶ月を無駄だと思うのは俺だって嫌だ。これまで5年なり3年なりという時を無駄にしてきたのだから。あの娘が俺に変わるきっかけを与えてくれたと感謝して、ここから先は俺1人で歩いて行こうと思う。思えば、あの娘がいなかったら、今の俺はいなかったかもしれない。海ほたるというノンアルコールBARを見つけることもできなかったし、もちろん船舶免許だって取れていないし、何より自分にとって大事な隠れ家を作ることもしようとしてこなかったのかもしれない。間違いなく、俺を成長させてくれた。俺を「大人の男」にしてくれた。そういう意味では、感謝だよね。皮肉じゃなく、マジで。

でも、失ったものだってある。「あの娘が見ているかもしれない」と思うと、不用意な発言はできなかった。ブログが滞っていた最大の原因。仕事の忙しさだけでなく、脳内まで忙しかったのだ。だけど、これからは時間も余裕もある。仕事も少しずつ慣れてきて、ゆとりを持ってできるようになった。23歳の誕生日には復活祭ができるかな?なんて考えていたりもする。こちらで忙しくて疎遠になってしまった人もいるし。そういう人と再会したい。読者の皆様とも随分疎遠になってしまったしね。長い長い旅行から帰ってきたから、これからはまた親密な関係になれたらな、って勝手ながら思っている。

俺がこの8ヶ月で学んできたことも、少しずつこちらでフィードバックしたい。俺は毒すら薬に変える男だ。もちろん、立ち直るまでには少々時間はかかりそうだし、そういう意味ではまた違う旅に出なければならないかもしれないが、約束する。必ず新しい俺スタイルを創ってみせる。そして、それをこの場で皆さんに提示する。「ショック受けたから、このサイトもやめます」なんて、そんな裏切り、もう俺にはできない。たとえ俺がどんなに留守にしたって、たとえ俺がどんなに言葉と裏腹な行動をとったって、いつだって帰ってきた時に「おかえり!」って言ってくれる連中がいるから。こんな勝手な男についてきてくれる人がいる。たとえ姿が見えなくても、俺はわかっている。アクセス履歴見ればわかる。事情を知らないヤツは「ファンって何?」「ブログなんて誰が見てるの?」「Podcastなんて聴いてる人いないんじゃない?」とか寝ぼけたこと抜かすけど、俺はちゃんとわかってる。昨日も、バイクで走りながら考えていた。「俺は俺を支えてくれる人のために、何ができるんだろう?」って。直接会っているわけじゃないからできることは制限されてはいるものの。こういう情報媒体としてできること、それも俺のような一般人にできることは、「経験のシェア」だろう。今はそれをどのような形にするのがいいか、考えている最中だ。

とりあえず今日は、これだけは言わせてくれ。
「男には、隠れ家が必要だ。」

広報マンのち作家、時々ライダー。

このブログにもすっかりカビが生えてしまった。それくらい放っておいた。
「書きたい」という気持ちすら起きなかったからね。何かを発信するのが怖かった。
でも、そんな夜とはもうおさらばできそうだ。どちらに転ぶにせよ。

サラリーマンになって半年。今だから書けること。今だからこそ振り返りたいこと。
IPPEIさんがくれたヒントをもとにちょっと書いてみようか。

キャリアデザインという茶番
http://ippeintel.com/archives/1508

俺は彼とは違って、「真面目」にシューカツなるものをした方だ。
プレエントリーだけなら150社、説明会など企業に足を運んだのは70社程度。
これを多いと見るか少ないと見るかは読者の皆様におまかせするが、俺としては頑張ったつもりでいる。

ただ、彼の言うキャリアデザインなどを考えて動いたわけではない。動機は至って「不真面目」そのものだった。
出世みたいなものに興味を失っていた俺は、当面の生活の糧を確保したかった。東京の都心で1人暮らしを続けたかったし、ライブやコンサートに通う生活を捨てたくなかった。ただ都会で暮らせればいいというものではなく、ボロアパートには住みたくなかったし、やがては自分の家を建てたかった。めちゃめちゃ金持ちでなくて構わないから、ちょっとした独身貴族もどきのような生活を送りたかった。転勤やら何やらで東京を離れたくなかったし、ハードワークでプライベートを犠牲にしなければならないような会社はゴメンだった。

結果を言おう。叶いすぎるくらい夢は叶った。
まず、都会のマンションの高層階に住み続けられるほどの住宅手当が出る。会社は日本橋のど真ん中。帰りに丸の内のBARで飲んで帰ることもできるし、六本木までも苦労せずに行ける。給料は決して高いとは言えないが、帰ろうと思えば定時の17時すぎに帰ることのできる環境。有休だって、好きな時期にとることができる。仕事内容だって、1年目から広報チックなことをやらせてもらえるし、大変だけどちゃんと担当させてもらえる。会社の連中も、いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもない。実力さえつければ、外資からお声が掛かって収入アップなんてことも、そう遠くに聞く話ではない。

何も自分が成功したと自慢したいわけではない。成功とはかけ離れている。毎日ミスはするし、思い通りに物事は動かないし。ある程度の水準の生活はできても、相変わらずモテないし。少しずつ使うお金の金額は増え続けているが、一向に成果は上がらない。むしろ、1人で物思いにふけりながらBARで一杯飲むための支出の方が多いんじゃないか。

彼の記事に載っていたような「キャリアデザイン」みたいなものは、同じく俺も好きではない。
ただ、将来の自分に対して、なんとなくの「なりたい像」みたいなものは持っているといいと思う。

俺はカッコイイ50代を目指している。俺が思うカッコイイおじさんは、多趣味かつ奥深い。
色んなことに挑戦してきて、子どものような目をして楽しんでいる。ラジコンでも農業でもボランティアでもいい。仕事以外に熱中できる「何か」を持っていて、周りから少し「変わってる」と言われるくらい何かに対して熱く語れる人。「夢」というほど大げさじゃなくてもいいけど、将来に対して楽しみを持っている人。俺はそんな大人になりたい。

大人になってから何かを始めるというのも十分素敵なことだけれど、若いうちから何かに取り組んでいて50代くらいになったら熟練した腕を持っているというのが望ましい。俺はそのためにアメリカンバイクに乗り、船舶免許を取得し、オーダーメイドスーツを作っている。「若い頃からやっていた何か」が欲しい。その上で、50代になってから新しいことに挑戦したい。なんでもいい。カッコ悪くたっていい。ハーモニカでもいいし、ペン習字だっていい。人生と言う名のフィールドを余すことなく使って楽しめるオヤジがいい。そんなヤツになりたいから、20代前半の今から仕込んでおくんだ。

「キャリアデザイン」のダメな所は、「今見たもの」の中から、将来を限定してしまおうとするところ。人は自分が見たもの、触れたことのあるものからしか選べない。それなら、筆をもってデザインしようとするよりも、見たことのない色の絵の具を探しにいった方がいい。サークルとかゼミとかじゃなくてさ。朝めちゃめちゃ早起きして、いつもと違う方向の電車に乗って、1人で勝手に「ぶらり途中下車の旅」をするとか。なぜか手芸用品店に入って材料を揃え、部屋で音楽を聴きながら編み物をするとか。特に興味のないジャンルの裁判の傍聴に行くとか。そうやって、「無駄なこと」を積み重ねていくことで、世界は広がると思うんだ。

これは、俺も自分に対して反省しているんだけど、会社に入ってから「無駄なこと」をあまりしなくなった。「あまり」というからには、他のサラリーマンよりはよっぽどしているんだけど。ただ、以前と比べて格段に減った。

「無駄なこと」をしなくなると、文章が書けなくなる。トークできなくなる。どんどん小さい人間になっていく。
だから、俺は「無駄なこと」を思い切ってしたんだ。8万円もかけて。

小型船舶免許を取りにいったんだ。結果的に取得できた。
船なんか普段乗らないよ。借りることもできるけど、高いからそうそう乗れない。だけど、面白いじゃない?日本橋の金融マンが船舶免許とったなんて。彼女もいないのに、誰を乗せるの?って話だよな。
この感覚だよ。学生時代、なぜかデートコースに詳しいDavyさんだった時のように。「何に使うの?」って言われるこの感覚。これが俺なんだよ。

8万出して飲み食いしてたっていうんじゃ、話にならない。そこにはドラマもストーリーもない。
乗らないのに船舶免許をとったという所に意味があるんだ。使えるポイントとしたら、ただ1つ。話のネタになるだけ。

無駄ついでに、もう1つ。
この前、友人何人かと飲みに行った時、「一緒に劇団始めようぜ!」なんて話になった。
誰も演劇に興味があるわけでもないのに。でも、話は相当盛り上がって、誰が何をやるか、どんなストーリーにしようか、なんてそんな話にまでなった。ちなみに俺は、演出家。
半分本気、半分冗談。

しかしながら、演出家になるのも案外面白いかも、なんてひそかにほくそ笑んだ。日本橋で金融のマーケットの中枢にいた人間が、ある日突然脱サラして一文無しの所から仲間と一緒に劇団を立ち上げる。誰も興味が無いのに。誰も経験がないのに。このキャリアにおける「無駄」が何かくすぐったいような気持ちにさせてくれる。

それに、この話がいいのはもう1つ。会社を辞めてもやっていけるような気にさせてくれるところだ。
会社という所は恐ろしい所で、そこにいる時間が長いだけに、会社の中だけが全てだという気にさせられてしまう。世界が限定されてしまう。そこからドロップアウトしたら、人としてやっていけないんじゃないかなんて、そんな恐怖に駆られるようになる。
でも、ホントはそうじゃない。ただ目の前に見える道は明るく照らされているからわかりやすいだけで、見知らぬ所にごまんと道は存在する。今よりもっといい道かもしれないし、とんでもないぬかるみ道かもしれない。だけど、これだけは言える。生き方は、1つじゃない。
「俺は会社辞めても劇団があるもんね!」なんて思えば、少しは気が大きくなるだろう。少しは楽になるだろう。

社外の友達と酒飲みに行ったら、愚痴じゃなくて、夢を語ろう。
あり得ない話でもいい。でっち上げでもいい。
きっと、道は1つじゃないってわかったら、楽になれるから。

もちろん、会社の仕事は一生懸命にやる。少しでもいいパフォーマンスをあげられるように頑張る。
でも、そこで1番を目指さなくたっていい。会社の出世には、実力や結果だけじゃなく、色んな要素が絡んでいるものだから、気にしたってしょうがない。
それよりも、定時で帰って、仕事以外に熱中できる何かをしよう。会社とは全く関係のない部分で、何か面白いストーリーを描いてみたい。
で、たまには「なりたい像」のための仕込みをしてみよう。50代になった時に、どの分野で熟練した腕を持っていたいか。今から少しずつ極めていけば、まだ25年以上もある。プロ野球選手でも、25年やってきた選手なんてそうそういない。

やりたいこと、やろう。
くだらないこと、やろう。
それが、自分の人生の「キャリアデザイン」につながってくるはずだから。

「ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
楽しい事をたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に
おもしろい事をたくさんしたい」

倍返しリーマンがリアルに新生活準備について考えてみる

「倍返し」というキーワードさえ入れれば、アクセス集まるんじゃないか(笑)
・・・それは冗談として。
ウチのファミリー(※Davy語録参照)の1人が来春社会人デビューすることが決まったので、その祝福の意味も込めて大学卒業までの半年で何をすべきだったか、何をしておいて良かったか、自分の経験を交えながら書いてみようと思う。

俺自身、4月に今の会社に就職して、もがきながらも何とか頑張ってもうすぐ半年になる。新入社員ではあるものの、当の本人にも周囲にもそんな意識は全くなく、半沢直樹の倍返しではないが、少々社内で吠えてしまっていることもあったりなかったり。「出世には興味ない」というスタンスでいるからこそできることなのかもしれないが。別にカッコいい話じゃない。昔のクセが抜けないだけだ。

大学4年間は最高のモラトリアムとはいえ、会社に入ったら絶望的な日々が待っているかといえば、そんなことはない。むしろ、ある面では、入社後の方が楽しい生活は送れている気がする。むしろ、私生活のクォリティという意味においては、かなりバージョンアップしている。仕送りとかではなく、自分のチカラで稼いだ金だ。自由に使えるカネが増えた。学生時代と違って、社会的な信用もある。本当の意味で「大人」ってやつになったのかもしれない。その立場を利用して、オシャレで、ドラマティックで、ロマンティックなプライベートを作れているのではなかろうか。オーバーかもしれないが、そんな男を目指している。

とはいえ、大学時代と比べて、「自分の時間」という意味においては比べ物にならないくらい貧しくなった。まとまった時間がとれない。たまの休日も1日は身体の休養にあてなくては続かない。大学時代にやっておくべきことは、「時間がかかるもの」なのかもしれない。

時間がかかるものといえば、身辺整理。特に金融機関が絡むものは時間がかかる。例えば、口座開設やカード発行には1ヶ月近くかかる場合がある。また、店頭に行く場合は、平日の昼間でなければならないことが多い。役所関連もこれに同じ。サラリーマンやっていると、平日昼間に銀行で1時間も待っているわけにはいかない。かといって、そんなもののために有給休暇を使いたくない。時間のかかることは、学生時代に済ませておくのが賢明。俺自身も、2月くらいにまとめてやった。

①銀行口座の開設

会社での給与振込の際に、会社によっては金融機関を指定される場合がある。早めに確認しておき、口座開設の手続きをしよう。
あと、外部との金銭のやり取りをするケースも学生時代に比べて増えてくる。3大メガバンクのうち、どれか1つには口座を開設しておこう。
資産運用に関する口座もあるといい。俺のオススメは住信SBIネット銀行。理由は後述。

Davyマネー術 ~銀行編~ (今年1月の記事)
http://davystyle.com/archives/1840

②証券口座の開設

来年(2014年)から少額投資非課税制度「NISA(ニーサ)」がスタートする。
簡単に説明すると、年間100万円までの投資によって得られた分配金・売却益などの利益においては、税金がかからないという制度だ。
我々は銀行に預金しておくだけでも、常に税金をとられている。銀行に預金すれば利息がつく。大変少額ではあるが、一応「利益」であることには変わりない。その利益に対しての税率は20%である。ちなみに、現在は株式などに投資して得られた分配金(配当金)・売却益などに関してかかる税金の率は10%。この軽減税率が適用されるのは今年まで。来年からは本則の20%に戻る。しかしながら、NISA口座を利用すれば、上記のような場合には税金はとられずに済むのだ。

資産運用の必要性については、今さら語るほどでもない。「貯金」も立派な資産運用だ。将来のリスクやイベントに備えて、まとまった金を作る必要があることに誰も異を唱えないだろう。問題は、これをどうやって貯める(増やす)かである。
長年、我が国はデフレであった。デフレというのは、モノの値段が下がり続ける状態。こういう時には、現金が一番強い。極端なことを言うと、今日100円のハンバーガーが、明日には50円になるのがデフレ。もし100円現金を持ち続けているとするならば、今日は1個しか買えないが、明日になれば2個買える。こういった「現金最強社会」がデフレだったのだ。
しかしながら、日本の金融政策は変わりつつある。インフレの社会にしようとしている。物価目標を+2%にしようとしている。現金が弱い社会になる。まだインフレターゲットの効果は出ていないが、それとは別に円安で輸入価格が上がっていることを受けて、様々な商品が値上がりしているだろう。インフレは、今日100円のハンバーガーが、明日には200円になる社会。100円の現金を持ち続けているとするならば、今日はハンバーガーを1つ買えるが、明日になると買えなくなってしまう。現金を持ち続けているとかなり損をする。

もし、100円の現金を石油関連に投資する投資信託に投資したとしよう。仮に「石油証券」とでも名付けよう。石油の価格と連動して、この証券の価値(値段)はアップダウンする。ガソリンスタンドで今日100円/Lが、明日200円/Lになってしまったとする。現金100円の価値は、今日は1L買えるものだが、明日になると0.5Lしか買えないものとなってしまう。だが、この証券を買っておけば、今日の価格は100円で、明日になるとこの証券の価格も200円に上がっている。同じ1Lを買える価値のものだ。まぁ、実際にはここまできちんとは連動しないものではあるが、現金のままにしておくことが、実は大きなリスクだということはわかってもらえるだろう。

そんな時に、利益に対して税金のかからない制度ができた。使わない手はない。
どの金融商品を買うべきか、という話は別にして、証券(株式、債券、REIT、投資信託など)に投資する際には、証券口座を開かなくてはならない。この時に併せてNISAの手続きもしよう。実際、証券投資に関する利益にかかる税金に関しては確定申告が必要だったりするが、特定口座(源泉徴収あり)というものを開けば、税金関係の処理は証券会社が勝手にやってくれる。

とりあえず、証券会社(銀行でも最近は金融商品の取扱があるが、選べる種類が少ない)に口座を開く。手続きに時間がかかるだけに、早めに動こう。

オススメは、SBI証券。ネット銀行の住信SBIネット銀行と連動したサービスが使えるから便利だし、手数料安いし、商品の種類も多い。

俺は、毎月給料から3万円分、「投信積立」の制度を使って投資信託を買い付けている。給料の大半は住信SBIネット銀行に振り込まれるので、そこから毎月3万円を貯金するつもりで投資信託を買っている。5銘柄に分散投資をしている。中には損失を出した商品もあるが、すぐには使わない長期的なものなので、短期的には構わない。

時間のかかるものといえば、免許取得。
普通自動車免許は持っていないとマズイだろう。仕事によっては必須の場合もあるし、そもそも身分証明書として常に携帯しておく必要のあるものだ。一般的には、大学1、2年生あたりで取得しておくべきものではあるが、まだだという場合には借金してでも大至急自動車学校に行くべきだ。
バイクに関してはその必要性に応じて異なるが、原付に乗る予定があるのであれば、普通自動二輪(いわゆる中型、400cc)の免許は取っておくべきだと思う。なぜか。俺は原付が大嫌いだからだ。危ない。クルマを運転していても思う。道路の隅をあんなにチンタラ(制限速度は30km/hだし、頑張っても60km/h以上出す者はいない)走られたら迷惑極まりない。そもそも、1時間の教習だけで原付に乗れるシステムも問題だが。
ちなみに、自分の話をすると、大学4年の時に短期バイトで40万貯めて、大型二輪免許を取得した。買ったのは400の中古だけど。それでも、人を後ろに乗せて走ったりとかしているし、行動の範囲が広がった。

あとは、会社人としての準備。

・スーツの新調
最低3着は必要だ。学生服と違って、毎日同じものを着るわけにはいかない。
就活の時に使ったリクルートスーツに関しては、よっぽどでない限り数に含めない。理由は単純。就活生と社会人では「魅せ方」が違うからだ。
就活生は「いかにダサく見せるか」。典型的な日本企業なら「自分は組織に順応しますよ」「個人ではなく会社の一員になりますよ」ということをアピールしてきたはずだ。だが、いざ会社に入れば違う。「いかにカッコ良く魅せるか」。自分の個性を最大限に発揮し、会社の若い女性社員に少なくとも「ダサい」と思われないような格好をしなければならない。コンセプトやクライアントが違うのだから、リクルートスーツとベルサーチのスーツを同じものとして考えるのはおかしい。

俺は幸い学生時代に政治活動をしておりスーツを着る機会が多かったこともあって、それなりのスーツは既に2着あった。とはいえ、核となるスーツが欲しくて、オーダーメイドで作ってもらうことにした。せっかくなので、銀座の老舗でお願いした。

銀座山形屋
http://www.ginyama.co.jp/

同僚は麻布テーラーへ行ったとか。
http://www.azabutailor.com/

目論見通り、光沢感のある生地で、裏もワインレッドにしてもらったスーツは、俺の個性を発揮するのに十分役立った。親に就職祝で与えてもらった高い時計や財布も「日本橋の金融マン」を演じるのに十分いいアイテムになってくれた。貧乏人が無理して背伸びしているだけなんですが(笑)

・ネクタイを揃える
スーツはさすがに週5日だからといって、いきなり5着買うわけにはいかないが、ネクタイならそれは可能。毎日同じものをしているのはカッコ悪いし、ネクタイは最も個性が出る所だから、お気に入りの色・デザインのものを身につけるべきだ。これも女性社員の目を気にしてのものではありますが。実際にネクタイを褒められて相当いい気分になったし(笑)

・カバンの購入
ビジネスバッグ。これは黒でA4が入るものであればいいと思う。俺の場合は、荷物が急に重くなったり、仕事帰りにバイクに乗ることもあるから、3Wayタイプ(手持ち・肩掛け・リュックサック)のものにしているが。カバンに関しては、スーツケースを買った時もお世話になった、Davy御用達の店があるので、そちらで。

エース 日比谷店
http://www.acegene.jp/list/flagship/

・革靴の購入
靴に関しては、2足はあった方がいい。そして、歩きやすいもの。量販店のような靴だと、たいてい革が硬いのか疲れてしまう。
俺はこれを履いている。機能紹介。
http://www.asics.co.jp/walking/pedalamen/functions

・名刺入れの購入
意外と忘れがちなポイント。だが、会社に入れば「持っていて当たり前」と最初から見なされるもの。ペタッとした薄いものよりも、中でセパレートできる少々厚いものの方が便利だ。

あとは、やっておくべきことはたくさんある。あえて1つ、他の人が言わないことを言うとするならば、労働法関連に軽く目を通しておくことかな。条文を覚える必要はないが、「こんな項目があったな」くらいのことは知っておくと自分の身を守ることになる。会社が自分を簡単にはクビにできないことがわかれば、少しは会社で動きやすくなる。会社に入ったら、就業規則、給与規定、育児介護休業規定、社宅規程など片っ端から規程関係に目を通すべきだが、労働法の知識が少しあるとそれらを読むのも少し楽になるかな、と。あと、顔が割れないうちに、給与(収入)のカーブ(見通し)についてや、各種手当・福利厚生などを積極的に担当者に質問すること。意外とイヤな顔はされない。むしろ、仕事で一番必要なのは「確認」だから、その能力があると見なしてくれるかもしれない。

これらの準備は、日常生活を送りながら楽しみながらやったらいい。引っ越す必要がある人は、転居先の情報収集をするのもいいだろう。
あと半年、できることは精一杯やってみてほしい。この半年に限っては、親に借金してでも、色んなことをやるべきだ。カネは働き始めて返せばいい。だけど、サラリーマンになってから時間を借りることはできない。

振り返って書いてはみたが、不足もあるかもしれない。その時はまた追加しようじゃないか。

飛べない鳥は美しい

自分の不器用さにつくづく嫌になる。
船舶免許の実技試験、落ちた。
いや、まだ結果を言われたわけじゃないけど、大幅減点項目を2つもやらかしてしまった。
いいんだ、覚悟はできている。
少ない貯金をはたいて、何とか学科試験に独学で臨むことで費用を軽減し、船舶免許をとる算段をつけたはずだったのに。
再試験を受けるとなると、また費用がかかる。頭が痛い。
それ以上に、免許を手にするまでの期間が大幅に延びることが痛い。

なぜ、船舶免許を取ろうと思ったのか。理由は単純なものだった。
ある人を喜ばせたかった。一緒にクルージングしたいと思った。俺の操縦で。
逃げだってことはわかってる。もう俺も中学の時ほどバカじゃない。自分のスキルを上げた所で与えるインパクトは微々たるもの。
でも、それでも、信じられるカードが欲しくて、何かにすがりたくて、花火を打ち上げてみたのかもしれない。

きっかけは、恋だった。それが、いつしか生き様に変わっていた。
常に新しいことに挑戦し続ける男の姿。闘う姿勢を崩さないヤツ。そんな男に憧れて、そんな憧れを原動力にして突っ走ってきた。

ここにきて、急に弱気の自分が入りそうで、それがイヤで、こうして気持ちを整理している。
バイク免許の時もそうだった。初めの頃、スラロームも一本橋もうまくいかず追加教習決定で、教習所に行くのがイヤでイヤでたまらなかった。
送迎バスに揺られながら、このまま教習所に着かなければいいと何度思ったことか。
帰りのバスの中で、「もう辞めよう、俺には無理だよ。」って何度うなだれていたことか。
何とか免許を手にして、バイクを買ってからも、最初の頃は乗るのがイヤだった。
地下駐車場から出すのも苦労していたし、練習で首都高を走っても事故寸前の連続で、常に死と隣り合わせだった。
本当に振り上げた拳をどうしたら下ろせるものかと毎日悩んでいた。今思えば。

今では、ヒマさえあれば走り出したいし、誰か後ろに乗せて走るのが最高だと感じられるようになったんだけどね。

同じなのかな。きっと慣れるまでの苦労なのかな。
俺、人一倍不器用だから。何をやるにも普通の人の倍、苦労するハメになる。
何をするにも最初からうまくいかない。「当たり前じゃないか」と声が聴こえてきそうだが、多分君たちの想像以上に初期段階の俺はダメ人間なのだ。
聞いたことを1回や2回では覚えられない。覚えたとしても、すぐ忘れる。
かといって、努力家タイプでもないからタチが悪い。

俺の中学から静高へ行ったメンバーを見れば象徴的だ。
俺以外の人間は、勉強もできればスポーツもできる。華があって、性格も明るく、社交的な人間ばかりだ。
俺だけなんだ。勉強しかできなかったのは。才能が無かったから、一点集中で突破するしかなかったんだ。
勉強だって最初からできたわけじゃない。物覚えが悪いから、反復継続して叩き込むしかなかった。
周りにはいとも簡単にできるような顔をしていたけどさ。

そんな俺が、なんでここまで頑張れたんだろう?
1つは、不器用でダメな俺が這い上がっていく姿を見てもらうことで、誰かがそれによって元気になってくれればいいな、と。「あんなヤツにもできるんだから、俺にもできるよ。」って。俺はそういう役回りでいい。何でもできるスーパーマンでいようとは思わない。
あとは、振り上げた拳の下ろし方を知らないこと。俺は何やるにもすぐ周りに宣言してしまう。途中でやめたらカッコ悪い。だから、退路が無くて最後まで走り切るしかない。「追い込んでる」というとカッコいいけど、実際には「追い込まれてる」んだよね。今だってそう。辞めたいよ。辛いし、できそうにないし、終わりが見えないし。でも、言ってしまった以上、やるしかないんだよな。

思えば、こうやって文章を長々と書いているけど、この文章書く能力だって、最初からあったわけじゃない。小学生の時、原稿用紙半分も書けなくて泣きべそかいていたのを今でも覚えている。パソコンだって、今では比較的自在に使いこなしてはいるものの、小学生の時のタイピング競争ではちっとも周りの連中に勝てなくて悔しい思いをしていたんだよな。

「絶望からのレジスタンス」。毎回これなんですよ。
吐き気がするほどの絶望感を味わう。どん底まで追い込まれる。その状態がイヤだから、気持ち悪いから、なんとか抗おうとする。でも、力尽きる。その繰り返して、自分なりのやり方を見つけ、気付いた時にはクリアしている。

カッコ悪い俺でいようと思う。何やってもダメで、クリアするまで絶望に抗い続けるダサい俺でいようと思う。カッコ良く飛んでる姿をあの娘に見せよう、なんて俺には無理だ。カッコ悪く地面でいつまでも助走している飛べない鳥でいようじゃないか。

on the STAGE

この前の土曜日(8/10)、俺は代々木第一体育館に行った。
2年連続のa-nation(IDOL nation)。
http://idol-nation.net/

単なるコンサートではない。お祭りというか、最高のフェスなのだ。
代々木第一体育館は離れた席でも見やすいこともあり、俺の大好きな会場だ。
昨年は相当ステージに近い席。
そして、今年は・・・

最前列!!

チケット発券日、会社近くのコンビニで発券したのだが、席番を見た時に思わず「よっしゃー!!」とガッツポーズをしてしまった。周りにいた同僚はポカンとしていたが(笑)

とはいえ、俺の中でのライブ熱というか、アイドル熱というものは、大学時代に比べると冷めていた。
アイドルではない女の子を追っていた??・・・それもあるかもしれない。
他に楽しいことがたくさんあった??・・・それは否定する気はない。
でも、そんな日々とは裏腹に、俺自身が放つ輝きみたいなものは段々失われている気がしてならなかった。
スペックは段々魅力的になりつつあるのに、どうしてだろう?
例えば(これは本当に万が一の仮の話だが)、誰か好きな人が出来て、その人に自分を売り込みたいと思っても、「果たして、こんな俺でいいのかな・・・」なんて思ってしまうような自分に成り下がっていたような気がする。
だけど、何が足りないのかがわからない。
そんな思いを抱えながら向かったLIVEであった。

本当に暑かった。暑いとアイスだけではなく、色んなものが溶け出す。
普段冷え切っている心も、開演前から解けていた。
他のアイドルフェスとは違い、IDOL nationは比較的有名なグループが出てくるものだが、それでもオープニングアクトに出てくるような娘たちは知らない。
だけど、序盤から相当盛り上がった。曲調が初めて聴く俺にとっても馴染みやすかったのかな。

目的はもちろんチキパ&スパガ。チキパは最高に盛り上がる。こちらが声を枯らしてまで弾けられるアーティストって、なかなかいないんだよね。
もちろん、ロックは別だけど。ロック畑出身でありながら、ガールズロックは嫌いな俺にとって、ちょうどいいんだよね。チキパの曲って。
就活で苦しんでいる時に、本当に支えてもらったしね。何度も言うけど、「少し先に見える電柱までは頑張って走ろう」と思うみたいに、少し先のチキパのライブまで頑張ろうと思って、俺は就活を乗り切った。不器用だからさ。相当時間かかったんだよ。
俺はアホウドリなんだ。周りの鳥たちがどんどん空に飛び立っているのに、俺は飛べずにいつまでも地上で助走している。飛ぶまでに時間がかかるんだ。
そんな俺を支えてくれたのは、チキパのライブ。わずか200人程度しか入らない会場だったけど、それでも一生懸命コンプレックスや挫折を抱えながら頑張る小さい女の子を見ていたら、俺も頑張らなきゃ!って、そう思えたんだ。チキパ結成の日に立ち会った者として、今の彼女たちを誇らしく思う。

スパガはもちろん言うまでもない。家族みたいなもんだからさ。あえて語る必要もないよね。

アイドリングや9nine、東京女子流など「単独ライブに行くほどでもないが、少し興味を持っている」グループに会えるのもIDOL nationの魅力。そこまで詳しくないけど、結構好きだったりするんですよ。曲とかまったくわからないし、メンバーの名前は知っていてもなかなか顔と一致しないんですが(笑)

アイドリングは「職業:アイドル。」はちゃんと歌えるくらいは知ってる。結構昔の曲だし、相当有名な曲なんだけど。盛り上がりつつも、結構いい歌詞なんだよね。

そして、何より。「元カノ」に会えるのもIDOL nationの魅力。
第一部では、SKE48。そういえば、大学3年の時、SKE劇場のチケットが当たって18きっぷで名古屋まで遠征したもんだ。懐かしいな。
もちろんライブは最高に盛り上がったけど、終了後の夜が忘れられない。
昼間はとても暑かったけど、夜は心地よいくらいの風が吹く。キラキラ光るオアシス21に上り、テレビ塔を眺めていた。
火曜日だし、人もまばらで、静かながらも幻想的な景色。見知らぬ土地で、あてもなく歩いた。
何もなかった。1人で歩いていた。それでいいと思った。
俺はこれからもずっと1人で歩いていきたいと思った。
今とは随分状況が違うけれど、あの夜を思い出して懐かしくて懐かしすぎて、曲の途中、涙があふれてきた。
SKEには申し訳ないけど、曲で泣いたわけじゃない(笑)
これを書いている今でも、涙で画面がにじんで見える。
俺のふるさとだからさ。俺が帰りたくなったら帰れる場所。
静岡でも実家でもない。1人でさまよい歩いていた、あの頃の自分なんだ。

話を戻そう。SKEだ。
もちろん、ゆりあにもちゃんと会ってきた!
あの娘はいくつになっても可愛いな。いつまでも俺の理想です。
最近聴かなくなっているからこそ、「オキドキ」とか聴くとめちゃめちゃ懐かしい気分になる。

懐かしいといえば、AKB48。
上京してから、相当熱中していたからね。ファンクラブ会員だったし。
見逃した君たちへの時には週4か週5くらいでTDCに通ったもんさ。
「彼女」に会いに行くために(笑)
今回やった曲は正直、最近の曲ばかりでわからなかった。
でも、「会いたかった」は普遍だね。あの振り付けは無意識にできた。
もうわだかまりはないよ。旧友に再会するような気持ちで見ていられる。

俺の方に来たきたりえ(北原里英)と目が合った。髪型が昔と違っていたから、最初は誰かわからなかったけど、目を見た瞬間、誰かすぐにわかるとの同時にあの日の思い出が蘇ってきた。
俺が初めてシアターへ行った日。A5「恋愛禁止条例」公演だったかな。まだチームがシャッフルされる前だから、スター揃いのチームAだった。
3列目に座っていた俺は、その日買ったばかりのメガネを掛けながら「近いな~」なんて思いながら見ていた。
あの近さで俺の目を見つめてくる女の子がいた。それがきたりえだった。
一瞬で大好きになったよ。それまでは全然意識していなかったけど。
これだけ売れた今でも、ちゃんと1人1人を見ていた。彼女の長所は健在だった。
「ありがとう」と同時に、「ごめんね」と心の中でつぶやいた。

まるでタイムマシンに乗ったかのようなコンサートだった。
疑似恋愛に夢中だった大学時代に戻れた気がする。
恋してたんだよ。あの時も。普通じゃないカタチかもしれないけどさ。
たまには、疑似恋愛の世界に帰るのもいいね。
ステージの上の女神に恋しなきゃ、ライブはつまらないよ。

そして、もう1つ。なぜ俺がステージの上の女神に恋してたか、思い出したよ。
「私を見て!」と一生懸命に翼を広げて羽ばたいている。
キラキラと輝く天使のような弾けるような笑顔を振りまきながら。
俺に欠けていたものはこれだった。

「俺を見ろ!!」と自信を持って振る舞えているだろうか。
人生、いつもステージの上にいるという自覚はあるだろうか。
自らの悲劇を喜劇のストーリーに変えて人々を楽しませることができているだろうか。

4年間で俺は何を学んできたんだ?
俺の大学生活は高校時代を否定するためにあったわけじゃない。
高校時代で実験したものの成果、空回りして生んでしまった失敗。そういったものを検証し、新たな自分なりの仮設を構築するための期間だったはずだ。
そして、俺はそれをやってきた。必死になって色んな世界に飛び込んできた。
今度は、誰も従えず、1人で。

思い出せて良かった。俺の人生、常にステージの上にある。
誰が何と言おうと、俺は俺だけのスターでいようぜ。
「サラリーマンはカッコ悪い」そんな価値観、覆すんだろ?
どこかのCMじゃないけど・・・

「丸くなるな、☆になれ。」

「当たり前」への危機感

「夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれにさまよう
青空に残された 私の心は夏模様」

DSC00793

8月に入り、最初の週末。これまでずっと「休み」だった8月は、もう来ない。
それでも、井上陽水の「少年時代」を聴くと思い出す。これまで当たり前のように受け取ってきた夏の思い出を。

この曲に出会ったのは小学6年生の頃だったか。俺が「変わろう」と決心した初めての季節。
西伊豆に向かうフェリーの中でこの曲を口ずさんでいた気がする。

夕方、仕事が終わって帰宅する際、徒歩2分の日本橋駅を使わずに、あえて徒歩15分の東京駅まで歩くことがある。
仕事が終わる頃でもまだまだ明るい都会の街並みを楽しむためだ。
そして、時々思う。「ずいぶん遠くまで来たな・・・」と。
日々の業務に忙殺されすっかり忘れていたが、俺は今、旅の途中だったんだ。

ガキの頃の俺は想像できていたのだろうか。東京のど真ん中で1人前の顔をして働いている自分の姿を。
学生時代の俺は、確かに才能はあったかもしれない。でも、自分の将来をきちんとイメージできたかと言えば、そこには疑問だらけだ。
ビッグマウスだった。果てしなく大きな夢を叫ぶことで、自分の存在を維持しようとしていたのかもしれない。
本当は何ができるか全く想像できない恐怖感がどこかにあった。それでも何かやってみたいと思って、真っ白な紙に夢をデザインしそれを破って丸め、またデザインし・・・ということを繰り返してきた。

立ち止まって後ろを振り返れば、今の俺は奇跡の結晶なんだ。
俺の周りには途中で道を踏み外したヤツも少なくない。そのまま行方がわからなくなってしまったヤツさえいる。
だけど俺は、たとえ道を踏み外しそうになっても、そこからちゃんと這い上がり、ここまでやって来れたんだ。

自慢したいわけじゃない。ただ、今の状態を「当たり前」だと思うことに、ものすごく危機感を感じているんだ。
人は「当たり前」だと思うことには感謝しなくなる。感謝しなくなると、幸せを感じられなくなる。
他人のマイナス点ばかりを探すようになり、自分自身ではネガティブなことばかり見つけるようになる。
だからこうして時々、自分の中での「当たり前」を「奇跡」だと思うようにしているんだ。
自分を支えてくれる仲間や境遇、運にすら感謝できる。
その事が俺にとって幸せなことなんだ。

そして、もう1つ。「奇跡」を「当たり前」と思うようになると、努力しなくなる。
「当たり前」に甘えてしまっていた自分に気付いたんだ。動かなくても、このままでいいと思っている自分がいた。
もし、今の状況が奇跡なんだとしたら、それは長く続かない。新たな奇跡を自分でプロダクトしなければ、現状維持すら不可能になってくる。

「当たり前」だと思っていたものは、日々腐っていく。身につけたはずの能力や自分のものにしたはずのフレーズも、メンテナンスを怠ると使えなくなっていってしまう。
最近、本棚にしまいっぱなしだった本を引っ張り出し、片っ端から読むようにしている。
俺はPodcastを毎月録れるくらい「語れる男」だったはずだ。それが最近、その手の話をしなくなったせいか、全く語れなくなってきている。

このブログ、つまり文章力だって衰えてきているのを感じる。大学時代のような作品を生み出せなくなってしまっている。
考えることをやめてしまったからなのか。それとも、考えていたとしてもそれをカタチにしようとしなくなってしまったからなのか。
確かに、人間関係は比べ物にならないくらい活性化している。それはありがたいし素晴らしいことだ。その代わり、孤独だった頃にできていた事ができなくなりつつある。

失ったものは、失った以上に取り返す。それが、俺のやり方だ。
思ったことはちゃんと記事に記録する。そんな俺でいようじゃないか。

帰り道ブルース

夏の夕暮れは寂しくない。
僕との別れを惜しむかのように、ずっと空が微笑んでいてくれるから。

夏の夕暮れは悲しくない。
後ろから抱きしめてくれるかのように、穏やかな風がそっと身を包んでくれるから。

そんな夏の夕暮れと戯れてみたくて、僕はいつもの電車には乗らず歩いて家に帰ることにした。

大通りを走り抜けるクルマを見つけた。
何をそんなに急いでいるんだろう。
何にそんなに追い立てられているんだろう。
誰を想ってハンドルを握っているんだろう。
何を感じてアクセルを踏んでいるんだろう。
アクセルを踏み続けなければいけないのだろうか。
ブレーキを踏んではいけないのだろうか。
ああ、僕がバイクに乗る時も、そんな風に見えているのかな。

裏路地の曲がり角に小さな楽器店を見つけた。
ショーケースには所狭しとハーモニカが並んでいた。
ハーモニカで何が奏でられるんだろう。
誰のためにハーモニカを吹けばいいんだろう。
ハーモニカを使って歌を作れないだろうか。
作った歌を誰に捧げたいんだろう。
作った歌で何を伝えたいんだろう。
そもそも僕の不器用な歌を聴いてくれるだろうか。
ああ、僕が歌詞を書く時も、同じことを思っていたんだよね。

橋を渡る前の交差点に古ぼけた喫茶店を見つけた。
窓際の席でコーヒーを飲む2人は何を語っているんだろう。
2人は愛を語り合えているのだろうか。
2人は愛の重さをわかっているのだろうか。
2人は愛には悲しみが訪れることを知っているのだろうか。
2人は自分たちの行く末を描けているのだろうか。
2人はお互いを身を挺してでも守る覚悟を持っているのだろうか。
2人はそれぞれが抱えた傷を癒す術を持っているのだろうか。
2人は中途半端な愛を軽蔑できる美学を持っているのだろうか。
ああ、僕が歩きながら悩んでいたことは、まさにこれだったんだよね。

鉄塔の向こうに沈み行く夕陽に問いかけたい。
2つの道があったなら、どちらを進めば良いものか。

鉄塔の向こうに沈み行く夕陽に届けたい。
迷いの末に描きあげた静かなバラードを。

鉄塔の向こうに沈み行く夕陽に誓いたい。
人生でたった一度の選択を、一生大事にしていくことを。

ああ、まもなく夕陽と月が交代する時間だ。
今日の夕食はクリームシチューがいいな。

僕も早く家に帰ろう。

ネオン街の悪夢

道がそこにあれば、ひたすら真っ直ぐ歩いてきた。
真っ直ぐ歩く以外に、歩き方を知らない。

人がそこにいれば、ひたすら相手を理解しようとし、心を開いてきた。
相手に尽くす以外に、人付き合いの方法を知らない。

誰かの笑顔を見るためならば、自分の身を削ることすら厭わなかった。
笑顔の連鎖こそが最も重きをおくべき価値であり、それ以外の価値などゼロに等しいと信じてきた。

どうやら、俺は水に絵を描いてきたようだ。
俺が筆を落としていたのは、紙ではなく水面だったようだ。

描きたい絵が描けない。
インクは水にただひたすら流れていく。

どんなに素晴らしい色を用いた所で、色と色とが混ざり合い、配色の汚い模様が浮かび上がるだけだ。
絶望の言葉すら、流れる水の果てに消え去っていく。

この詩を書くまで、俺は報われない境遇を嘆いていた。
飲み過ぎたアルコールにより眠りの世界にいざなわれたのだが、連れて行かれた先は悪夢の世界だった。
うなされて目が覚めた。
どうしようもできずに、パソコンの前でキーを叩くことで自分と向き合おうとしている。

仲間に裏切られたとばかり思っていた。
でも、そうじゃない。
裏切っていたのは、俺の方だったんだ。

俺はかつての自分を裏切った。
これまで築き上げてきた信条や世界観を裏切った。
全てを捨て去ることで新たに手に入るものがあるならと、喜んで俗世間に踏み込んでいた。
もはや、アーティストなどと呼べない状態にまで成り下がっていた。
現実世界に生きることに没頭するあまり、作品をプロダクトしてこようとしなかった。
「忙しい」と自分に言い訳をし、現実世界が充実しているなら・・・と、アーティストとしての自分に目を背けてきた。

天罰が下ったんだと思う。

いや、目を覚まさせるための雷だったか。

今のやり方のままの人生は、早々に無理が来る。
思想家である人間が、思考停止した人間と共存できるはずがあるだろうか。
ありふれた言い方をすれば、本当の自分じゃない。

世界中の人間が俺のような愛に溢れた人間ならば、どうして「心の病」なるものが生まれようか。
意地悪な言い方をすれば、卑怯な人間だらけの世界だからこそ、不調和が起きる。
薄っぺらい人間を演じているだけなのか、本当に薄っぺらい人間なのか。
不器用な正直者がバカを見る世界に成り下がってしまっている現代社会。
警鐘を鳴らしたいのはやまやまだが、その鐘の音すら雑踏の中にかき消される。

大学4年間で学んだことなのに、環境の変化によりすっかり忘れてしまっていた。

俺にとって、悲しすぎる結末となってしまったが、必要なショックだったのだと信じている。
俺は博愛主義者ではいけない。目の前の人間皆を愛すればいいかというと、そうではない。
俺が本当に目を向ける対象は、自分の信念を貫くあまりに、社会からドロップアウトせざるを得なくなったサムライたちだ。
そう、17の時の俺のように。
世の中が小さすぎてサイズが合わずに苦しんでいる人間がいる。
彼らの声なき叫びに耳を傾け、彼らの心に響く言葉を届けるのが俺の使命だったはずだ。
1人で戦うことしかできなかった俺に、「1人でいい」と言ってくれたロックンローラーのように。
孤独なんかじゃない。孤高の世界を誇っていいんだと、立ち上がる勇気をくれた記憶。
あの時の言葉があったから、今の俺は堂々と言えるんだ。
「言いたいヤツには言わせておけ。俺は俺のやり方を貫く。」と。

俺にできる唯一の感謝は、自分自身も誰かの支えとなれるような言葉をプロダクトすること。
それも、「支えてあげよう」ではなく、「俺はこうして生きている」と自分が輝いている姿を見せること。
一生を懸けてやっていきたいことなんだ。

ゴメンな。己の俗世間での欲望を満たすことに夢中で、サムライたちの雄叫びに耳を傾けることを忘れていた。
短い間のキャンペーンを、恒久化しようとしていた自分がいた。
あまりに楽しすぎて。
でも、あまりに虚しすぎて、戻ってきちゃった。
何も残せていないんだ。
俺はただ単に、欲望を「消費」していただけなんだ。

空白の時間を埋めるように、これからはアーティストとして生きていたい。

とはいえ、少しは大人になったかな、と思えたのは、周囲の変化こそが自分の変化の兆候だと気付けたことだ。
かつての俺なら、「裏切られた!」とわめいていただろう。
自分の周りは自分を表す鏡だから。
取り返しがつかなくなる前に気付けて良かったと思っている。

水面に絵を描くのは、もうやめにしよう。
やっぱり、俺の言葉は「作品」として残るカタチが最高なんだから。

同じ海を見ていた

「ずいぶん、遠くまで来たな・・・」
360度どこを見渡しても青い景色が広がる世界。
目下に広がるのは穏やかな太陽に照らされた海。
水平線を境に俺のいる空間を包んでいる空。
また一機、大きな翼を持つ鉄の鳥が轟音を立てながら飛んでいく。

俺は鉄格子に腕組みしていた肘を置き、少しばかりため息をつく。
目の前の景色がやたらと青く見えるのは、サングラスのせいなのか。
それとも、本当に景色そのものが青いのか。

いずれにせよ、かつては見ることのできなかった景色を見ることができ、本来立てるはずがなかったステージに立っている自分を誇りに思う。
そして、自らが走ってきた道を振り返り、その道のりが意外にも相当長かったことに気付く。
たった3ヶ月半なのに。
まだ信じられないんだ。目の前に広がる景色が。
見えているのは幻想なのか。俺は復活したのか。それとも、新たなステージに入ったのか。
戸惑いの原因は、自分の置かれている境遇がまだ理解できていないからかもしれない。

2008年秋 高3の時。
高校をサボり海岸へ向かった俺は、リュックサックを枕代わりにして砂浜で寝そべっていた。
やがて来る冬の時代を前にして、最後の郷愁を楽しんでいた。
いや、その時既に冬に入っていたのかもしれない。
自分以外に愛情を向ける術を持ち合わせていなかった俺は、愛すべき対象を自らの思い出へと仕向けたんだ。
幼い頃、母親に読んでもらった童話の続きのストーリーを考えるように、俺は自らの思い出に「if」を作ったんだ。
とても美しい話だった。汚れた要素など何一つなく、「if」から始まるストーリーこそが俺がこの世で最も愛した憧れだった。
それからしばらくして、その時作った幻想は無残にも打ち砕かれるのだが。
打ち砕かれた直後、そのストーリーを永遠の夢にしたくて、俺は詞を書いた。
それが、「Imaginary Lover」だったんだ。

風の強い海岸で 君と待ち合わせ
「遅れてゴメン」と走る 真っ白の天使

白波が打ち寄せる 「波がキラキラと
光るね」君がつぶやく 眩しいのは君さ

クリスマス 彩る街 だけど本当は
隣にいる君の方が ずっと輝いてる

星空を見上げてみる 満天の夜空
こうやって会えるのは最後と チョット切なくなるね

僕はもうすぐ旅立つ 果てしなく遠くの戦場へ
もう2度と帰って来れないforever 涙が止まらなくなるよ

愛しいImaginary Lover 雪とともに消えるのか
桜散る季節になったら 夢の中に来ておくれ

当時からロックテイストが強かった俺には似つかわしくない、ピアノ旋律の美しいバラード。
音源化できないのが非常に残念だが、頭の中では曲はできている。

思い出を永遠の夢にしてからは、ひたすら理想の世界に生きた。
あとから振り返って誇りに思えないようなことはするべきではないと、固く心に誓った。

守りたかった。夢は夢のままでいいと、心の中で叫んでいた。
そして、俺は俺でいるんだと。たとえ誰にも評価されなくても、俺自身が一番大好きな俺でいようと思った。
理想の男を演じることにより、いつかその理想の男に追いついてやろうと。
自由を愛し、常にフェアな自分でいたい。
誰かに嘘をつくということは、自分にも嘘をつくということだ。
自分を偽ってまで、誰かに評価されようとは思わない。
たとえ自分が不利になる情報でも、きちんと開示しなければフェアではない。
そんな責任を自分に課すことで、1円にもならないプライドを守ろうとしているんだ。

もしかしたら、同じなのかもしれない。
高3の時に見ていた海と、今目の前に広がっている海は。
だとしたら、今度こそ、本当にやるべきことをしなければならない。
今回こそ、ラストゲームだ。
幻想の万年筆から、リアルな万年筆に持ち変える瞬間が来たようだ。
誰にも描けないストーリーを描いてみようじゃないか。

ただし、これだけは約束したい。
リアリストに成り下がるつもりはない。茨の道かもしれないが、ロマンチストのまま、最高に美しいストーリーを描いてみせる。
理想と現実のギャップに絶望?冗談じゃない。
現実は汚いもの?冗談じゃない。
理想を現実に投影するんだよ。今までだって、そうしてきたじゃないか。
無味乾燥なモノクロの世界を、カラフルで彩られた世界に変えてきたのが、俺の人生だ。
これが「アーティスト」なんだよ。作品は、自らの人生の中でプロダクトすればいい。

俺の中で起こりつつある変化。具体的に書けないのが何とも残念だ。
イメージでとらえてくれ。いつかきっと話す時が来る。必ず・・・。