リリースできないマーメイド・ストーリー

俺スタイル
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前回の投稿から1年以上経過した。
その間、全くサイトに触れていなかったわけではない。何度も臆病な主人公に旅に出てもらうつもりだった。X上での行き違いから少しほとぼりを冷ましてから・・・という思惑はなかったわけではないが、下書きには書きかけてはやめ、書きかけてはまたやめ、と綴ったストーリーが存在する。

望めば何でも手に入り独占できる。年齢を重ね、知識や経験を重ね、扱うことのできる金銭が増えてくれば、そういったものは確かに増えてくる。たまにしか買わないものや、偶然出会ったサービスではプレミアムなものを選択する機会は増えてきた。もちろん、それは手に入れたかった未来であり、手に入った後それがイメージ以下のものであれば、忘れ去られる過去になる。

一方、ショーケースに入った非売品に想いを寄せる日々もまた尊いものだ。
今手にしているものを捨ててまで強引に手に入れようとすれば、100万分の1の確率で手に入ったのかもしれない。だが、それでは世間を騒がせている闇バイトと同じことだ。
可憐なマーメイドは大海を自由に泳ぎ回っているからこそ美しいのであって、無理矢理陸上に連れて帰り家の水槽に閉じ込めたところで輝きを保てるだろうか。

俺は日常から抜け出しマーメイドと戯れる非日常が大好きだ。
とても甘くて、とても儚くて、かき氷のように早く食べないと崩れてしまう芸術品。もし時を止める魔法が使えるのなら、そんな非日常空間で間違いなく使うだろう。流星群の中ですら流れ星を見つけることができなかった俺だけど、もう願いは既に叶えることができているのだから、星に願いを託す必要はなかったのかもしれない。

“エスケープ癖が抜けない”と言ったら、鼻で笑われるだろうか。
学生の時からそうだった。授業を抜け出し、冬の冷たい風に支配される中、穏やかな陽射しに見守られる海岸で空を見上げている自由があった。ボロボロに傷ついた季節、修学旅行の団体行動から抜け出し、雲一つない神戸の空に想いを載せた誇りがあった。

現実をないがしろにしたいわけじゃない。もっとも、特に今は現実世界をより良いものにするために、常識の枠から片足ずつ踏み出して新しい時代を作り上げようとしている。大切なものは、何一つ破壊しちゃいない。

それでも、まるでいつもの通勤電車とは真逆の方面に向かう電車に乗り込むように、可愛くて、儚くて、健気で、ファンタジーな空間に迷い込みたくなる瞬間がある。パステルカラーで彩られたその世界があるから、こっちの世界では鮮やかな原色で大きな夢を描いてみようという気になれる。

生きていくって、そういうことなんだと思う。その人のサイズやスタイルを全く無視して、既製の枠に当てはめようと躍起になって、枠からはみ出した部分をひたすら叩いていく世界は果たして人々が追い求める理想郷なのだろうか。自分と異なるスタイルを見た時に、「そんな生き方もいいよね」と寄り添う優しさがある方が、共感できる余白がある方が、あなたの人生が充実するのではないだろうか。人と人との関係に、顔の見えない誰かが作ったラベルを貼ってあれこれ詮索することはクリエイティブな生き様とは言えない。そんなベルトコンベアな人生ではなく、自分の足で歩いてほしい。

きっと「十七歳の地図」を描いたfqtは、かつて自分で書いた「Imaginary Lover」の歌詞カードを見ながら、今の俺を見て言うだろうな。

「おかえり。どんなに大人になっても自由の翼を身に着けていてくれてありがとう。
なりたかった俺に、いや、なれると思ってすらいなかった俺になってくれて、最高にカッコいいお前に会えてよかった!」って。

あの本を出した時から倍の歳を重ねて。
34になったDavyは、まだ夢の途上です。

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