君は水平線を見たことがあるか

流行は日々変化していくものだ。

2000年代後半、芸能人がこぞって自分のブログを持つようなムーブメントがあった。当時私が書いていたものからすれば、それはとてもとても短く、ちょっとした写真と行間たっぷりの短い文章。時にはひとことで終わってしまう味気ないものばかり。中身よりも、充実感よりも、更新頻度が大事だったのだろう。私はそれに逆らうように、長編作品ばかり書いていた。

その後、Twitterブームが来た。140文字という限られたスペースで表現することを求められた。かと思えば、インスタグラムという写真だけで文字はおまけとなるようなSNSが流行しだした。動画も同じ。Youtubeでの長い映像よりも、VineやTiktokのような短い作品が好まれるようになっていった。

時代はすぐに答えを出すことを求め、濃さよりも手軽さが尊ばれるものとなった。

某有名衣料品店を覗いてもそうだ。ファストファッションなるその店の衣料品は、昔はダサいと言われたが質の良いものが多かった。お札1枚出せばシャツでも靴下でも手軽だが重宝するものが手に入り、10年経った今でも満足に着ることができる。ところが、昨今売られているものは生地が薄くなり、「極暖」と言われようがちっとも暖かくなく、数年で着れなくなってしまう。時代はよりインスタントなものを求めるようになったのだろうか。

だが、どんなに時代が変わろうが、変わらないものがある。それが、水平線だ。海の真ん中に出ると、空と海面の境界線に吸い込まれていきそうな世界が見える。

水平線が見える空間というのは、孤独であり、自由である。どんなに文明が発達しようとも、どんなに世間が答えを早く出すことを求めたとしても、水平線の前では人は平等だ。無力とすらいえる。狭い世界の中でマウンティングして勝ち誇った気になっていても、大きな海原のど真ん中では何も意味がない。どんなに絶望のどん底に突き落とされて、死に場所を探すために船を進めたとしても、大きな海原のど真ん中では死に様を見せることも感じることもできない。水平線の前に、人は皆平等なのだ。そして、この場所で全てがリセットされるのだ。

27歳の地図は描けなかった。いや、描く必要すらなかった。

昨年何かを決意した私は何一つ成長していなかった。自分の人生に鮮やかな色を塗ることばかりを求め、小さなパレットの中で人によく思われるための色を探していただけだった。もうパフォーマーとしてのDavyは終わったことにさえ気付かず。

今日で28歳になる。私は何も決意しない。情熱には意味がなく、冷めた視線も意味がない。ただ、あるがままに。あるべき姿を目指して。

私の周りの素敵な人に、さらに素敵な日常を共有していくために。

水平線の先に見える街は、きっと平凡だけれども心温まる街なのかもしれないね。