「なんかホントにあっさりしてるというか、野心が無いというか・・・」
28歳、ホワイトカラーのサラリーマンとなったDavyさんに寄せられるバブル世代上司のコメントだ。「出世欲?何それ、美味しいの!?」と言わんばかりに、まだ夕陽の色を取り込みつつある日本銀行を背に、オフィスのゲートに社員証をかざす日々。一般職の妻より早く帰り食事の支度をする「できた旦那」。吉高由里子の定時で帰るドラマが話題になっているが、リアルで実現している人間はなかなかいないだろう。「ゆとり世代だな・・・」バブル入社組のそんな声が聞こえてきそうだ。
でもね・・・最初からこんな人生じゃなかったんだよ。
話を12年前に戻そう。
2007年。Davyさんは当時高校2年生。
アメリカではサブプライムローン問題が少しずつ騒がれていたようだが、日本の新聞では片隅に取り上げられていただろうか。まだリーマンショックが起こる前だ。小泉長期政権が終わり、第一次安倍政権の足元がぐらつき始めた頃だったか。「景気回復」の文字は至る所で見られたが、なんとなく世の中に懐疑的なムードが漂っていた頃だった。
俺が通っていた母校は、全員どこかしらの部活動に加入しなければならないルールだった。「部活全入制」と呼ばれていた。
地元では伝統ある学校として知られていた憧れのトップ校。まだ中学生だった頃の俺はそんなルールに疑問を持つことなく、キラキラした高校生活の中でどの部活動に加入しようか、学校案内とにらめっこをしながら考えていた。
だが、実際に入学してみると様子が思っていたものと違うことに気づいた。まず、学校案内に書かれていた部活動のうちいくつかが活動休止中。人数が集まらないため入れません、とのことだった。「郷土研究部」に入ろうと思っていたのだが(笑)
さらに、それじゃあと思って入ってみた新聞部は、新聞を作る部活動なのにパソコンが部で1つしか用意されていない&ネットにつながっていない。そもそも、まともに活動する態勢ができていないのだ。
違和感のオンパレードはやむことはなかったのだが、決定打はこれだ。
多くの部活で先輩後輩間でのいじめ(いわゆる「かわいがり」)が横行しているという現実。1年生は2・3年生に自分の意見を主張することは許されておらず、部活動本来の活動とは関係ない文化祭の席確保が強要されていたり、下級生があいさつをしても上級生が無視するのが伝統だったりする部活動もあった。また、学年間の序列は絶対で、例えばクラス対抗の催し物等でも質の優劣に関わらず下級生のクラスは上級生のクラスの順位を超えることはない。何か通常と違うことをしようとすると、有形無形の力で「生意気だ!」とクレームを入れてくる。他にも・・・書ききれないわ。
静岡を代表する頭脳集団・エリート軍団が、学年の違いだけでくだらない序列を作ってマウンティングしている状況。呆れていたし、悲しくなった。自分が憧れて入学した高校がここまで腐敗しているとは。
正義感に燃えていた俺は、そのマウンティングの温床となっている「部活動」を破壊するために立ち上がったのだった。自治会長(一般の学校で言う「生徒会長」)選挙に立候補することにした。
マニフェストはただ1つ。「部活動全員強制入部制度(部活全入制)撤廃」。部活をやるやらないは個人の選択を尊重し、部活動をカースト制度として利用するのではなく、純粋に競技を楽しむための団体にしましょう、と。
わかりやすい政敵として当制度を狙い撃ちしたわけだが、真の目的は学年の違いだけを根拠とする差別的な文化を破壊することだった。そのため、選挙運動の際には制度論の話よりも、人権についての言及を多くし、感情論での対立を煽ったのだ。
結果としては会長に選出されたものの、やはり3年生からは大きな反発があった。私と同学年の人たちに関しては、賛否が半々。日頃の迫害に嫌気が差している1年生からは最も多く支持が集まった。だが、この対立は生徒のみに留まらなかった。教師も参戦してきたのだ。反対派の急先鋒が当時の自治会の顧問。今となっては名前も忘れ全てを記憶しているわけではないが、俺に対して相当人格攻撃も含めた誹謗中傷を浴びせてきた。当時の俺は気が短く、すぐに席を立った。粘り強く交渉を進めるより、自分の支持勢力を拡大することに努めた。今思えば、あの時の自分は政治家ではなく活動家だった。その反省は、今社会人として仕事を進める上でかなり生かされている。
当時の感情その他に関しては、当時書いた本に譲るとしよう。17歳の少年が書いた本だ。温かい目で一読していただきたい。
http://17smap.davystyle.com/10
こうしてわずか2ヶ月という短さで会長の座を後任に譲り渡すこととなったのだが、あの経験は成功・失敗両面から今の自分の基礎を作ってくれたと思っている。
成功体験という観点から見れば、自分の投じた一石によって文化を変えることができた。残念ながら制度自体を変えることはできなかったが、いわゆる「特例」が次々と認められるようになった。書類上はどこかの部活に所属している体はとるものの、実際の活動・会費納入は行わなくて良い、という裏ルールができた。また、諸悪の根源であったカースト制度の色も薄めることができ、あくまでも意識的なものに過ぎないが学年間のフラット化が進むような事象を数々目撃することができた。もちろんこれは俺の成果というよりも、皆さんの意識が変わってくれたことによるものだ。
失敗体験という観点から見れば、政治を知らなさ過ぎた。そこで会長を退任した後の俺は目の色を変えて政治・経済を勉強することとなり、受験生時代の模擬試験では3年生の夏頃より県内では1位近辺のトップクラス、全国でも2ケタ順位までもっていくことができた。また、机上の知識のみならず、現実の政治の動きも大学時代の道州制協議会を通じて学ぶこととなり、国政地方を問わず議員・政治活動家の方々との交流を深めることで政治の実態に迫ることができた。社会人となった今は政治に直接携わる機会はなくなったが、社内で物事を進めていく上では政治力みたいなものが十分役立っていると確信している。
これらは、学校に用意してもらった部活動におとなしく加入し活動していたところで、得られただろうか。いじめられている子が学校に行く/行かないの議論にも通じることだが、「何があっても学校に行く」とか「部活動に熱中して輝かしい学生時代を送る」とか、ステレオタイプの青春ドラマに必ずしも乗っかる必要はないのではないか。学生時代の本質は、いかに「学ぶ」か、だ。学校に行かなくたって(行けなくたって)きちんと勉強すればいい。部活動に加入しないからこそ作れる人間関係や学べることも決して少なくない。常々言っているが、大事なのは「どこで学ぶか」ではなく、「何を学ぶか」だ。求めるものが部活動にあるのであれば、部活動を一生懸命やればいい。甲子園を目指すのも美しい青春だと思う。でも、そうでない人生があったっていい。他人と違う道を進むことを恐れるな!今、学生に伝えたいことだ。
あれから12年。先日、当時の自治会副会長と西新宿にあるホテルのレストランで再会した。当時目立ちたがり屋ではなかった彼だが、「部活全入制撤廃」の政策に共感し副会長に就任してくれた。
当時の話になり、俺たちは笑いが止まらなかった。
「あんまり言いたくはないけどさ、あの時俺が言ったこと、正しかっただろ?」
ブラック部活という言葉が出てきたり、ブラック校則が問題視されてきたり、当時現役高校生だった俺が指摘してきた問題が次々に社会問題化されている。「部活動は休みを設ける等無理のない範囲でやりましょう」「生徒1人1人の人格・個性を尊重しましょう」今さら文科省や教育委員会が出しているガイドラインは12年前に既に俺が指摘してきたものばかりだ。まあ、いい時代になったと思いますよ。社会人も学生も、根性論ではなく論理的に物事がジャッジされる時代となったわけだから。
今、異端児と言われている学生がこの記事を読んでいたとしたら、自信をもってほしい。君は間違っていない。
いつか時代が君の考えに追いついてくるはずだ。だけど、それは黙っていて訪れる未来ではない。
1人でも多くの人に自分の意見を主張し、多数派を形成する。暗黙の了解に流されるのではなく、声なき声に耳を傾け、自分の周辺から世界を変えていくんだ。
失敗してもいい。その経験は必ず君の財産になるはずだ。
12年前の自分に会えるとしたら、伝えてあげたい。君が望む未来はすぐそこにある、と。
かつてのデビルが、今はエンジェルとなり、今日も自分の正しさを証明しようと思う。
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