なぜ「木更津」なのか!?(立地選択の理由その1)

マイホーム計画はいいが、「どこに住むのか!?」というのは最大の関心事だろう。
地方に住んでいて親の住んでいる家を建て替えるというのであれば話は早いが、俺も妻も地方出身の東京勤務。お互い頼るものはない。裏を返せば、選択の自由はいくらでもあるわけだ。

まず、俺の希望を整理してみよう。
①満員電車はイヤだ!
②狭い家はイヤだ!
③都心から遠いのはイヤだ!
④道路事情が悪いのはイヤだ!
⑤海から遠いのはイヤだ!

「もうイヤさ もうイヤさ もうイヤさ Baby!ひと夏だけの思い出なんて・・・」
と「BABY ACTION」が聴こえてきそうだが、東京での生活は楽しくもあるがイヤなものもいっぱいある。妻は俺に輪をかけて「わがままジュリエット」なのだが(笑)

上の条件を叶えてくれそうなのが「木更津」だった。

①満員電車はイヤだ!

鉄道の混雑率を今さら比較するのももう飽きたが、朝の通勤ラッシュ時における都心に向かう電車は全て混んでいる。どのくらいの混雑率かといえば、猪瀬元都知事がカバンに無理やり5,000万円を押し込んだくらいの混雑率である(笑)。これから夏にかけては特に「くさい」「湿ってる」「汚い」。朝もヒドイが、金曜の夜はもっとヒドイ。何が楽しくてあんな空間にいるのか。混雑が嫌いでTDRに行きたがらない俺は耐えられない。

では、ギュウギュウに混んでいる電車を避けるためにはどうすればいいか。答えは簡単。

「電車に乗らなければいい」

そこで考えたのが「高速バス」。立ったままの乗車が法律上、認められないため、必然的に座席(補助席含む)に座らなければならない。また、路線バスとは異なり、全席2×2のクロスシート(トイレ付)でゆったり座れる。最近の高速バスはWi-fi付のものもあるため、タブレットを持ち込んで映画を見ていても良い。もちろん、ゆっくり寝ていても良い。もちろん、特急電車やグリーン車でもこういったことは可能だが、会社からの交通費支給は「普通乗車券」の定期券分しか認められない。高速バスなら全額支給の範囲内で可能というわけだ。

木更津金田BTからなら、東京駅まで40分。自宅からクルマでBT近くの駐車場まで乗り付けて、そこから高速バスに乗るスタイルだ。「飲んで帰れないじゃないか!」という声が聞こえてきそうだが、酒はそんなに好きじゃない。特に妻と付き合い出してからは、俺単独で飲むことはほとんどない。仕事上での数少ない飲み会とかは別にして、彼女に何かあった時、クルマやバイクで迎えにいけないという事態は避けたい。ただ、それだけだ。

会社の場所も東京駅から近いため、東京駅発着のバスは好都合というわけだ。
自宅からのドアtoドアを考えても1時間~1時間半の間には収まるだろう。

②狭い家はイヤだ!

東京に来る前から思っていたこと。広い家に住みたい。
実家も静岡の中心部で狭かったため、庭付き一戸建てというのは俺の理想なのだ。妻は田舎が広いため、同じく狭い家は望まなかった。

だが、前回の記事で書いたが、とにかくカネがない。土地にカネを遣いたくもない。
ここで、皆様に相場観を養っていただこう。参考にしたのは下記サイト。
http://www.tochidai.info/
おそらく住宅地と商業地が一緒になっているであろうが、坪単価を見てみよう。

銀座とか日本橋とかで有名です。
東京都中央区:1791万0371円/坪
今住んでいるところだと・・・
東京都江東区:160万0958円/坪

少し23区外の郊外に目を向けてみましょうか。
東京都国立市:115万7776円/坪
神奈川県川崎市中原区:157万4729円/坪
神奈川県横浜市青葉区:103万1562円/坪
埼玉県さいたま市大宮区:168万9649円/坪
埼玉県川口市:79万0236円/坪
千葉県船橋市:59万4007円/坪
千葉県千葉市美浜区:52万8785円/坪

さて、木更津ベース対象区域の地価を見てみよう。
千葉県木更津市:11万0265円/坪
千葉県袖ヶ浦市:12万3164円/坪

なんということでしょう!東京都下・横浜の10分の1以下で、千葉県北西部と比べても5分の1である。
江東区で30坪の土地を買う場合、単純計算で160×30=4,800万円となる。この時点で予算オーバー。
同じことを木更津市で当てはめると、11×30=330万円。雲泥の差。
それに、土地の一区画(ロット)が江東区と木更津市では大違い。そもそも都心では90坪の土地などまともには出回らない。
広い土地を買うなら、郊外に出るしかないのだ。

とはいえ、ここまでは前回(5年前)の木更津ベースプロジェクト発足の際にわかっていたこと。
俺の目論見は当たっていたのか、木更津の地価は上昇し始めている。

木更津、君津が上位独占 住宅駆け込みで需要増 公示地価上昇率
http://www.chibanippo.co.jp/news/economics/184647

また、同じようなことを考える方々も増加している。

東京駅まで高速バスで40分 「木更津市に住む」という選択
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/178207

あの時は土地を買える状況じゃなかったが、この事に気付いていただけに非常に悔しい。
その分、三井アウトレットパークが出来たり、イオンモールが出来たり、街の開発は進んで住みやすくなったわけだが。
うーん、悔しい!

妻が邪魔しに来たので、今日はこの辺で。続きは後日書くことにしよう。


ベースプロジェクト、再び。

「X DAY」は突然、訪れた。
今勤務している会社の統合により、現行の社宅制度は廃止されるような風向きらしい。
今まで一般の会社では考えられないような補助が出ていただけに、今住んでいるマンションに住み続けるのは相当な負担になる。

通知を受けてすぐ、妻にLINEを送った。
「家買う車買う」
すると、妻から返事が。
「買いましょ」

ベースプロジェクト、再び動き始めた。
しかも、当時の「木更津ベースプロジェクト」とは異なり、独身貴族プロジェクトではなく、幸せいっぱい(?)の家族計画だ。

とはいえ、俺もまだ入社4年目、25歳。
とても裕福とはいえない程度の給料だ。年収ベースで見ればそこら辺の同年代よりは若干もらっているかもしれないが、業界の特性上、賞与が高く出ているだけなので、月給は派遣社員並みのものである。かといって、妻の給与を合算しようとは思わない。雇用形態の問題もあるが、そもそも生活費は俺の給料、旅行等の余暇や入院等の急な出費、貯金は妻の給料が主に・・・というのは結婚の時に決めたものだ。
よって、どこかの企業のCMではないが、「東京に一戸建てを持とう!」は無理です(笑)
それに、この高騰している最中で、新築マンションを買う気も毛頭ない。
俺は実家が狭かったからというのと、妻は田舎育ちなので、広い庭付き一戸建てに憧れている。
となると、必然的に「木更津ベースプロジェクト」が復活してくる。

地域やどういったものを建てるか、ということは後日話すとして、現状の資金関係だけ整理しよう。

経営統合後の月給アップを考えたとしても、家賃(住宅ローン)に充てられる額は、どんなに頑張っても月9.5万円。
今の自己負担分家賃の2倍くらい。
フラット35のシミュレーションサイト(金利1.54%、35年返済、9割超)でやってみると、借入可能額は3,082万円。
月10万、9割未満の金利1.100%まで頑張ったとしても3,484万円。あのサイトはボーナス払い等を考慮していない+用意できそうな頭金等を考えても、諸費用込で最大4,500万までに抑えなければならない。かなり厳しい。

というのも、郊外に行く代わりに土地の広さだけは妥協したくなくて、2人とも最低75坪、理想は90坪くらいを検討している。建ぺい率50-60%程度の地域と見込まれるため、実際の建物スペースはそこまで大きくなく、クルマ2台、バイク1台の駐車場と広めの庭に費やされるものと考えられるが、それにしても都心の狭小住宅よりは広い家が建つため建築コストもバカにならない。すると、必然的に膨大な広告費(CM、モデルハウス等)を費やしている大手ハウスメーカーは選択肢から消え、ローコストから無名の工務店・設計事務所等を検討することになる。むしろ、これは喜ばしいことで、高いカネをかけて一生に一度の買い物をするというのに、決して少なくない割合が大企業様の宣伝費にあてられるのは納得がいかなかったし、それよりも名が知れていなくて構わない(その分情報収集も難しいが)ので、技術力があるプロの方々と0から創っていきたいと考えている。「安っぽい」って言われてもいい。外観はどうでも、高性能な家が建てばそれでいい。そう思って、パートナー探しの旅に出ることにした。

ここでは、現在進行形として、ベースプロジェクトの詳細を綴っていきたい。


後ろの扉は開いていた

今年のGWは例年以上に充実していた。
前半3連休は妻と山梨県・白州へ行き、サントリー白州蒸留所の工場見学をしてきた。
毎年長期休暇には、いや毎週末、中央自動車道は混んでいる。レンタカーでも借りて行けば安上がりではあるが、事前に指定席を取って特急「あずさ」で向かい、現地でクルマを調達することにした。
自然を堪能できたことだし、有名な蕎麦屋にも行けたことだし、良かったと思う。

月曜日の出勤を挟み、中盤は友人と遊園地に行ったり、高校時代の友人に会ったりして、それはそれは充実した日々を過ごした。
Facebookとかやっていれば、写真でもアップしただろうが(笑)
(※Davy FujinamiはFacebookはやっていません。もし同名のアカウントがある場合、それは偽物かと思われます。ご注意ください。)

そして、6日金曜日は有休を頂いたので、これまた高校時代の友人に会った後、家事を少しやって、久々にレコーディングをした。
歌詞や音源は用意していたものの、なかなかそれを曲にするチャンスがなかったため、妻がいない時間にやってしまおうと思ったわけだ。
あと、歌詞も音源も気に入っていながら、あまりに歌が下手だったために気に入らなかったあの曲のRe-Recordingもした。
近々、Podcastも再開できればいいなーと思っている。スペシャルゲストでも呼ぼうかと思って、一応話は進めている(快諾とまではいかないが)。

さて、以前に比べ、同年代、あるいはそれなりに近い年代の異性の友人が結構できたことから、以前のDavyとは違うテイストになりつつある。
以前(大学以前)は、いわゆるDavyファミリーは男ほぼ100%な状態であったが、最近では、特に会社では女性の同僚が多いことから自然と関わる機会も増えている。そんな中で、色々思うことがある。恋愛の話をしよう。

かつてDavyはすごく奥手だった。女性に(可愛いか否かを問わず)話し掛けるのはものすごく緊張して、幼い頃は顔を真っ赤にしながら、少し大きくなってからはどこかカッコつけていないと「収まり」が悪かった。せっかく好きな女の子ができて、友人に相談しても、あまりにDavyが臆病なことから半ば呆れられていたこともそう遠い話ではない。正直に言うと、今でも若干緊張する。話し始めてしまえば慣れたものだが。

男性諸君、それも俺と同じ奥手な男性は同じような思いを抱いていたことだろう。女性は、少しでも可愛い人に対しては「彼氏いるだろうな」「仮に彼氏いなくても俺なんか相手にしてくれないだろうな」「変なヤツって思われて笑われたり嫌われたりしないかな」なんて思っていたものだ。せっかく話を始めても「こんな話じゃつまらないって思っていないかな」「どんな話題を話せばいいんだろう」と不安になり、不安が緊張を呼んで喋れなくなり、変な間があいてしまうことも。いや、そもそもちょっとしたごはんに誘おうにも「断られないかな」「自分が相手のことを好きってバレないかな」「OKしてくれても内心はイヤなんだろうな」とか考えだしたら止まらないスパイラル。俺もそうだった。

ただ、実際に女性の話を聞いてみると、どうも考え過ぎだったということがわかってきた。ある仲の良い(それも結構可愛い)女性の同僚に昔上の段落のようなことを思っていたんだけど、実際どうなの?と聞いてみると、「えーなんでよ。もったいない。もっとリラックスしてくれていいのに。」と言われて拍子抜けしたものだ。それに、彼女自身も困っているようだった。年頃の女の子だから恋愛もしたいし、結婚もしたい。それなのに、出会う男性は常識がなかったり、先のこと全然考えてなかったり、まともに連絡も取れなかったり。「最低限の常識がある普通の人」に出会いたいのだと。
(ちなみに、上記の話は特定の人のことを挙げているわけではありません。そんなことをすると誰のことを書いただ何だと詮索が始まるので、私が聞いた5人以上の複数人の人の話を全てごっちゃに混ぜて書いています。悪しからず。)

そうなんだ。学生の頃はスポーツができたり、顔がカッコ良かったり、そういう人がモテていて、そういう人しか彼女を作ることができないものだと思っていたが、実際に求められているのは「普通の人」のようだ。それもよく雑誌とかに書いている「年収○○万円以上の人」とかではなく、ちゃんと安定した職に就いていて、きちんと挨拶ができて、物事の順番とかを守って、相手のことを思いやれる優しい人で、自分のことも相手のことも興味を持って話せる人という、特に難しくない要求だった。そして、意外と門戸を広く開けて待ってくれている。多少のミスは補い合ったり一緒に頑張ろうとしてくれるし、ちゃんと前向きに笑顔を絶やさずいることができれば、きっと出会いが待っているんだということを、俺はこの歳になってやっと知ることになった。

顔とかスポーツの能力とかはそんなに気にしないらしい。一時の遊びなら気にされるが、結婚を見据えたような長期的な付き合いではあまり重要視されないみたい。最も、意外と「身長」にはこだわる人が多いんだなーというのは「ああ・・・」と思ったわけだが(笑)

そう考えると、過去に開けようともしてこなかった扉、意外と開いていたのかもな。もしかしたら、違う選択肢もあったかも。
自信が無かった時代、開けたい扉ではなく「開けやすそうな扉」に手を触れてきた時代もあった。でも、本当は、開けたい扉を開けるべきだったのかもね。
今の記憶のままで過去に戻れるとしたら、俺はどうしていたんだろう。

とはいえ、そもそも後ろの扉が開いていたことを知れたのは、俺が結婚したことで違う角度から物事を見られるようになったからであって、別にあのまま扉を開けた所でおそらく開かなかったのかもしれない。今だからできる答え合わせ。

そんなことを思いながら、俺は「できそうなこと」じゃなくて「やりたいこと」の扉を開けないとな!って思った。
扉を開けてもし違ったら「失礼しました」って言ってダッシュで逃げたらいいだけ。
「結婚して丸くなった」なんて言わせない。「テイスト変わったけど、やっぱりアイツはDavyだ」という路線で行きたい。

5年前に計画したベースプロジェクト。次回はブラッシュアップした俺のビジョンを聴いてもらおうじゃないか。


この場所で、もう一度。

9ヶ月ぶりに書いていた記事を捨てて、1からやり直す。
久しぶりの挨拶は、後回しにさせてほしい。

この場所に戻ってくる意味を、改めて実感することができた。
俺はこの場所で、陽の当たらない場所で君たちにメッセージを送り続けていきたい。

「いじめ」について取り上げられた番組を見た時、自分の小学生時代を思い出して涙が止まらなかった。
小学2年生の時、俺はいじめにあっていた。
クラス中から無視され、発言すると否定され、校庭を歩いていると後ろから傘で突き飛ばされ、自分のカバンをトイレの便器に流された。
親に相談してもまともに取りあってもらえず、教師も頼りなく、1人で抱え込んでいた。
学校に「行かない」という選択肢すら許されなかった。それを許してくれる親ではなかったし、当時の俺は優等生だったため、周囲の期待を裏切るようなことは許されなかった。

社会人になってからも似たようなことは起きた。言質をとられたくないので詳細に書くようなことはしないが、前回の記事の続きの話はここにたどりつく。いじめに近いようなものを受け(正確に言えば、小学2年生当時と境遇が似ていたためフラッシュバックで悩まされた)、人生で初めて心療内科という所に通い、結果的に職場を追われることになった。これが、今言える範囲での真実だ。

カッコ悪い人生だ。大人としても、男としても、情けない。俺は弱い人間だ。
結婚もしたが(この経緯もまた後日)、正直、世間一般で言われるような華々しい新婚生活ではない。お互いが目をハートにして相手を見つめるような生活とは程遠いということだ。いざこざやトラブルだって絶えない。
真っ直ぐ主流を歩きたくても、路地裏を彷徨い続けている。所詮はUNDERGROUNDな人間なんだ。

「幸せだとは言わないが、不幸ぶるのはガラじゃない。」

そうなんだ。だからといって、ふさぎ込んでいるわけじゃない。
胸に刻んだ「UNDERGROUND FOREVER」。俺はずっと亜流でありながらも、胸を張って生き続ける。そんな「何をやってもうまくいかず、陽の当たらない場所しか歩けない男」の生き様を見て、知って、感じ取ってほしいと思って、ここで言霊を発信し続けていたんだ。
そう思った時、この場所に帰ってきたいって、本気で思えた。

日々の生活に追われて、ブログという場を通じて語ることを怠っていた。せっかくブログを始めて10周年を迎えたというのに、何一つしてこなかった。
ここで何かを語る意味を見失いかけていたのかな、と思う。今さら誰も見ていないだろうし。

だけど、そうじゃない。高校卒業の時にもらった、見知らぬ誰かからのメッセージ。
俺の生き様を見て、いじめられていた自分の励みになったという、嬉しい言葉。
今日、もう一度読み返した。そして、思い出した。今やらなきゃならないことを、必死でやろうって。

俺の素晴らしい優秀な友人たちのように、仕事でもバリバリ成果をあげ、理想の結婚をし、世間一般の憧れとなるような王道を歩ける人間はいい。そんな友人たちを紹介する度に妻は、「なんであなたの友達は、背が高くてイケメンでしっかりした人たちばかりなの?なんであなたと友達になってくれたの??」ってイヤミを言うくらい。その度に俺は彼らにやっかみを感じ、僻み、卑屈になっているわけだが(笑)彼らは称賛される生き方だ。

でも、俺は違う。頭だって良くないし、説明するの下手だし、仕事においても家庭においてもその他のことにおいても器用にこなせるわけじゃない。人とだってうまく付き合えるわけじゃない。立食パーティーみたいなところで、進んで話しかけていくことができないくらい、いわゆる「コミュ障」ってヤツだ。また、王道を歩くのが好きじゃない。ステータスを得ることがいつの日からか嫌いになってしまった。

俺ができるのは、そういう俺と似たような境遇、つまり何をやってもうまくいかなかったり落ち込んだりしている連中に、そんなヤツでも人生捨てたもんじゃないってことを伝えることかな。「バカだな」「不器用だな」って俺の事笑いながら、「こんなヤツに比べたらまだまだ自分、やれるよな」って思ってもらえたら最高だ。だから俺は上から語りたくはない。下から変に持ち上げるような語り方もしたくない。同じ目線を気取っていたくもない。勝手に、自分が思ったことだけを、正直に語っていく。俺は俺の生き方で、偽善者としてやらせてもらう。それが俺にとって「生きる」意味だから。このサイトでは、「UNDERGROUND」な連中と、ちょっとしたパーティーを開けたらそれでいい。

決して王道になることなく、UNDERGROUNDな世界で、永遠に。
11年目も一緒に楽しんでいきたい。

この場所で、もう一度。


さようならとは言わせない

過ぎゆく日々は、終焉が見えた時に初めてその尊さが感じられる。
いつだってそうだった。そんな経験を繰り返してきた。だから、ひょっとしたら「終わり」というものに鈍感になっている自分がいたかもしれない。
でも、今回は違うんだ。

大学を卒業し、今の会社に入って2年4ヶ月。入社当初はサラリーマン生活というものに慣れず、「俺は一生つまらない人生のまま終わってしまうんじゃないか」と涙した日もあった。広告関係の部署に配属され、上司や先輩に怒られながら、少しずつ仕事というものを学んでいった。2年目に入り組織が変わった頃からは、周囲に教えることも多くなり、ほんの少しだけ大きな顔して仕事できるようになった。入社当時から興味を持っていた資産クラス「J-REIT(不動産投資信託)」の知識もどんどん身につけ、2年目にして「J-REITならあいつに任せておけばいい」と周囲から認めてもらえるまでになった。人事異動などで頼りになる上司や先輩がいなくなったこともあり、僭越ながら役職はないけど俺自身が部を面倒みることもあった。そうやって、小さな信頼を積み重ねてここまできた。全てが順調かに思え、楽しくリラックスした日々を送っていた。

だが、幸せな日々は長くは続かなかった。
俺自身に人事異動が言い渡されたのだ。

「銀行に行ってこい」

聞いた瞬間、全身の力が抜け、震えが止まらなくなり、吐き気を催すまでに至った。

某メガバンク本社への出向だ。来月から銀行員になれという。
「栄転じゃないか」と言う人もいる。でも、俺はそうは思わない。

とにかく過酷な環境らしい。残業時間が今の3倍近いと聞く。少なくともアフター5を充実させるなどという今みたいな生活は今後一切できなくなる。
また、上意下達の縦社会。ドラマ半沢直樹を見た人ならおわかりかとは思うが、とにかくドロドロした世界だと聞く。過去にはウチからの出向者も何人かいるが、ほとんど疲弊して帰ってきている。恐ろしいことこの上ない。

ましてや、企業再編報道も飛び交う中、任期満了後に帰ってくる場所さえ危うい。帰ってきても浦島太郎状態になりかねない。不安で不安でしょうがない。

何よりも、今まで一緒に仕事してきた仲間を失いたくない。通常の人事異動とは違い会社を離れることになるので、関係者にはご挨拶させていただいたが、改めて自分に関わってくれた人の多さに気付かされた。
俺は仕事をする上で「人を大事にする」ということを重視している。仕事のやり取りを必要最小限だけするのではなく、他愛ないことを雑談したり相談したり、時にはランチや飲みの席をご一緒したり。老若男女立場役職に関わらず、人と仲良くすることを最重視してきた。
自分が知識も能力もないのは俺自身が一番よくわかっている。1人でできることなんかたかが知れている。だから、部署関係なく色んな人と仲良く話せる状況を作り、そういった方々のお力を少しずつ拝借する形でスムーズに仕事を進めてきた。たまに「Davyくんは仕事が早い」なんて褒めてくれるひともいるが、これは俺の力でもなんでもなく関係者が力を貸してくれているからに他ならない。だからこそ、そんな愛情溢れる大事な大事な仲間と離れることがこの上ないくらい辛いんだ。

仕事に厳しく近づきにくいとされている他部署のマネージャーに「あなたがいなくなると本当に困るわね」と言ってもらえた時は、涙が出そうになった。周りの人はその人のことを怖いだの融通がきかないだの言うけれど、俺はその人のことが好きだったし、正確な資料を作る上では誰よりも知識がある人だから、信頼していたし頼りにしていた。その人からそんな温かい言葉を頂けるなんて思ってもいなかったから、「ああ、こんな俺でも彼女に認めてもらえるだけの仕事ができていたんだな」って思えて本当に嬉しかった。

また、入社時から俺を支えてくれていた1つ上の女性の先輩。1人ぼっちだった俺に声を掛けてくれた先輩。公私共に本当にお世話になった。大好きだった。変な意味でなく、俺を男にしてくれたのはこの先輩だ。詳細はここでは書かないが、本当に可愛がってくれた。俺が泣いた時は一緒に泣いてくれたし、仕事面もそれ以外も心の支えになってくれた大事な人だ。でも、この先輩の仕事は今度行く先と関わりのあるものだから、今度は向こうから支えようと思う。

そして何より。相棒との別れ。
1つ下の女の子。俺が一番大事にしていた後輩だ。
いや、後輩なんかじゃない。俺は対等の友達でいさせてもらった。
いつも一緒だった。仕事に関して言えば、俺が持っているものは全て彼女に伝授したつもりだ。今ではすごく頼もしい存在になり、むしろ俺の方が彼女を頼りにしているくらいだ。
昼休みに関してもほとんど一緒だったし、夜飲みにいくこともあった。周囲からは「付き合っているんじゃないか」と思われるくらい仲良くさせてもらっていた。向こうの方がしっかりしていることから、俺たちの会話は「夫婦漫才」と言われることもあったくらい。
似た者同士なんだ。体育会系嫌いで、心を完全に許さない相手と皆で騒ぐのは好きじゃなく、説明したいことは1から10まで言わないと気が済まなく、キレイ好き。かと言って、面倒くさがり屋で、友達がそんなに多い方でもなく、異性関係に関しても似たような認識を持っている。理想とするところも近く、俺にとって自分の分身がそこにいるんじゃないかと思えるくらい。
一生大事にしたい存在と巡り合えたことは奇跡なんだと思う。俺としては、お互いどんな立場になろうとずっと味方でいたいし、仲間でいたい。
とても素敵な本当に可愛い女の子だ。人としてちゃんとしているし、何より心がピュアだ。(入社してから俺が随分汚してしまったな。。。なんて考えると申し訳ない)
仕事面でも気配りができるし、リーダーシップもある。知識を吸収しようとする貪欲な姿勢は俺にはないものであり、一流のプレーヤーのみならず一流のマネージャーになれる素質がある。
プライベートでも良妻賢母になるだろう。美しくエレガントでありながら、肝っ玉母ちゃんのような頼りになる母性や強さもある。
気がかりなのは、こんなに才能に満ち溢れ真面目な人だから、あれもこれもやろうとして共倒れしないかということだ。それに関しては、俺は仕事を通じて取捨選択の方法を教えてきたつもりだ。あとはそれを実行する勇気を持つことのみ。今後の彼女の活躍に期待したい。

なーんて、偉そうに語ってきたけど、すごく寂しい。
あれからずっと涙が止まらないけど、ちゃんと任期満了してビッグになって帰ってこよう。

別れとはいうけれど、まだ俺たちは始まったばかりじゃないか。
この筋書きのないドラマにこれからどんなシナリオを作っていこうか。それを楽しもうと思う。

楽しめればきっと成功する。

新しい俺たちのストーリー、幕開けだ。


孤独の行方

日常に支配されていると、大事なものが見えなくなってくる。
ベルトコンベア上の流れ作業のような日々を過ごしていると、プライベートにおける愛や情念までおざなりなものになってくる。
1人になる時間が与えられ、時の流れを敏感に感じ取った。久しぶりに読書をした。

文章ならスマートフォンの画面上でいつも読んでいる。情報という意味においては、通信で伝えられるものの方が速達性に優れ、きめ細やかなものかもしれない。情報を得るだけなら、横になってテレビを見ている方がはるかに楽である。
だが、本を読むということは、情報を手に入れること以上に意味があるように思えた。本を読んでいる時は、時がゆっくりながれる。自分がいかに生き急ぎ、いかに現状に甘え、いかにこの瞬間を中身のないものにしようとしていたのか、感じる。

俺はリハビリをしなければいけない。「書く」ことから逃げているような気がする。昨年1年間は軽く出張をしていた。それはそれで良い。だが、本来あるべき姿に戻らなければ、全てを失うことになる。孤独と向き合う時間も、必要かもしれない。


謹賀新年2015

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2015年 元旦

R0000081

1年間の開店休業状態を経て、ようやくこの舞台に戻ってきた。
本格復帰するかはともかく、ここでDavyとして自分を表現できることを誇りに思う。

2014年、時代は変わった。
Davyであることから離れた1年だったように思う。
手に入れたものは大きい。俺の心の中での友人ポートフォリオは、その構成比率が様変わりした。
俺は「当たり前」になりつつあることだが、毎日若くてキレイなOLさんたちとランチに行ける!って思うと、スゴイことだなと改めて思う。
その中で心から信頼できる大好きなパートナーができたことは、最高の収穫だった。どんな形であれ、これからも大切にしていきたいことには変わりはない。

「大好きだよ」って言える距離にいつまでもいたい。
「ありがとう」って言える気持ちでいつでも接していたい。
そして彼女の花がいつまでも可憐であるように「キレイだね」「カワイイね」って言っていたい。

さすがに昨年の色んな出来事をここで全て明らかにするわけにはいかないが、皆さまの予想通り、色々ありました。
順調に物事が進まないのがDavyという男です。

でも、全てが順調なんて俺らしくない。
四苦八苦しながら、この手でちゃんと掴み取って、自分なりに咀嚼したものを皆様に還元する。
苦労してないヤツには味わえないよ。

こんな男のドタバタ劇を見守ってください。


24歳を迎えるにあたって

「あのテレビに映ってるの、何だっけ?」
振り向いて尋ねてみると、答えが返ってくる生活。
今までの俺は想像していなかった。

約23年半、俺は1人で荷物を背負い、あてもなく目の前の道をさまよってきた。
真夜中にアクセルを踏み込み、きらびやかに光る夜の街を駆け抜ける日々に酔いしれていた。
幻想の中にきらめく憧れの自分の姿を、目の前の景色に映し出すことで、いつか夢見た自分になれた気がしていた。

だが、パラダイムは自分ですら気付かないうちにシフトしていた。
いつの日か、俺が走る横で一緒に走る人が現れた。

・・・と言えば随分聞こえはいいが、横から「カッコつけの文章はやめろ!」との声が飛んできたので、やめようと思う。
そう、あれから俺は「俺」であることを捨てる瞬間があった。会社でも、家でも。

かつてないほど女性に助けられた1年だった。
後ろで眠る魔女には、随分教育してもらった。夢だけ見ていれば良かった俺に「裸の王様」でいることをやめさせた。
1人で歩いてきた頃の俺は、気に入らないことがあっても目を背ければ良かった。別の道を進めば良かった。
だが、これから長い人生を歩むことになる時に、器を大きくしておかないと自分が辛くなると教えてくれたのが彼女だった。
俺が描いた理想に「偽善者」のレッテルを貼ったのも彼女だ。本当の優しさを考えるきっかけをくれた。
最高の教育者であり、俺が今後素敵な紳士として生きていくためには不可欠な存在だ。

日付が変わる前に書き終わりたいが、時間が足りない。
愛の言葉はここで語るのは控えておくとするか。

とても書ききれないが、今年もたくさんの愛に包まれて無事に歳をとることができた。
愛すべき全てに感謝して、24歳の1年を生きたいと思う。

プロとして何ができるか。自分がプロだったら何をすべきか。
「カッコつけ」の言葉が、自分の芯となる日がいつか訪れますように。


AMラジオのような存在

春の季節の美しさに心を奪われているうちに、5月になってしまった。
サラリーマン生活2年目はそれまでの俺と比べると、艶やかで輝かしいものであることは間違いない。会社の人も見ている手前、詳細について言及するつもりはないが、当初描いていたものとは大きく異なるものになったことは間違いない。

もし、久しぶりに俺に会う旧友がいるとするならば、彼らはこうつぶやくだろう。
「あいつは、変わってしまった・・・。」
俺が立ち回るフィールドは変わった。東京の中心部を「庭」とし、いつもオシャレな飲食店で食事をし、身につけるものも高級百貨店で買ったものが多くなった。都会に「染まってる」。食事だって、以前は1人で入れる店ばかり探していたものの、今は特定の誰かではない女性を連れて雰囲気の良いレストランやBARへ行けるようになった。大学時代の俺とは違う。今まで周りにいた人が離れていくのもある程度は仕方のないことだとは思わなくはない。

だが、それはあまりに一面的な捉え方であり、表面しか見ていないと言わざるを得ない。人間、本質的な部分はなかなか変わる事ができないものである。
話の運び方、ゼロベースで常識度外視で考える発想法、ある種の「鈍くささ」みたいなものはほとんど変わっていない。その証拠に、俺のように古くからブログを書き続けてきた友人の記事と俺の記事を比較すればわかる。彼らの文章は高尚であり、クセがあまりない。飲みやすいワインと例えるべきか、FMラジオと例えるべきか。テレビ番組のような運びではない。読んでいて身近に感じられる部分はあるため、ラジオのような文章なんだろう。とはいえ、FMラジオだ。FMラジオは比較的音質が良いこともあってか、音楽中心の番組構成であることが多い。喫茶店のBGMにでもできそうなくらい、オシャレな音楽を中心に、トークは「添え物」のような形で展開されている。

一方で、Davyの文章・トークはどうだろうか。明らかにAMラジオである。良く言えば親近感に溢れ、悪く言えば品が無い。AMラジオでも音楽は流れるが、あくまでトーク主体の構成。そのトークもFMのようなサラッとしたものではなく、結構踏み込んだ発言の番組が多い。まるで、友人の会話を盗み聞きしているようだ。俺の存在そのものがAMラジオであることは、俺と触れ合う時間が一定以上あれば誰でも気付くことである。会社でも人事部より発言について注意を受けているくらいである。

そもそも俺のトークの構成は、真面目なフレーズとふざけたギャグの緩急がきめ細かく織り交ぜられており、それ故にモノローグが長い時間続いてもそれなりにカタチにはなる。真面目なフレーズの中にも、例え話を多用することが多く、その例えたものについての説明をすることで物事の本質を感覚的にわかってもらおうとしているのだ。そのために、過激な例え話を使うこともあり、そのことが批判の対象になることもある。そこでお叱りを受けてしまうのだが、そもそも話の中で掴むべきなのは俺が何を伝えたいかという「本質」であり、そこで使った話などは枝葉末節にすぎない。多少オーバーな表現や虚偽などが含まれていたからといって、いちいち騒ぎ立てる類のものではなく、そのようなことに目を奪われているようでは話の本質を見失うと強く警告しなければならない。

つまり、この文章で何が言いたいのかと言えば、人は何らかのきっかけにより言動自体は変わるかもしれないが、本質は変わらないということだ。優しくなったように見えて、やっぱり俺は気難しい。それでも俺は、AMラジオのような存在でいようと思う。こうして文章を通じてでも、直接リアルタイムに会う関係においてでも、相手にとって親近感を覚える存在でいたいし、その人の味方であり続けたい。大人になるにしたがって表面的な人間関係になる人が多いように思うが、あえてその逆を行ってやろうじゃないか。ささやかな覚悟である。


大人になった最強暴威

「あ~。もう8年か。ウソだろ!?」
2月26日を迎えた正直な感想だ。9年目に突入するにあたって、コメントを残しておこうと思う。

2006年2月26日20時55分45秒。”アイツ”は誕生した。
初記事「ガッツで挑戦!」がリリースされた。中学3年生。15歳。
経緯は過去の記事を見てくれればいい。とにかく、俺が前身のfqtになってから8年が経過したのだ。

2007年(高校1年生)
fPS誕生から1周年!

http://fqt.davystyle.com/210

2008年(高校2年生)
ブログ誕生2周年!!

http://fqt.davystyle.com/356

2009年(高校3年生)
勝負師 ~ブログ3周年を記念して~

http://fqt.davystyle.com/454

そして、昨年はこんな記事を書いたんだな。

2013年(大学4年生)
弟が託した最期の言葉

http://davystyle.com/archives/1877

このリンクを載せるために過去の記事を読んでいたんだけど、アルバムみたいだよね。イキがってた時代もあった。高3の時は総括に入っていたのかな。当たり前かもしれないけど「ちゃんと生きていたんだな」って温かいものを感じる。

昨日ファンの方が「Davyさん追って6年になります!」ってコメントくれた。嬉しさと申し訳なさと、何より「スゴイな~」って心から思えた。カッコ悪い姿ばかり見せてきたと思う。ダメ人間っぷりを発揮していたかもしれない。本当に自分勝手だし、ヒステリックだし、訳のわからないこと言うし、こんな俺によくついてきてくれたな、と思う。彼女の人生において6年という長い期間、俺という男が存在できたということが何よりの誇りです。しかも、ただ6年間ブログ見てました!じゃなく、本当に俺のことを理解して下さって、正しい方向に導いてくださる。多分、一生のうちにこういう人に出逢えずにこの世を去る人も多いだろう中で、そんな人にめぐり会えたというのは本当に幸せなことだ。それはどんなにカネを積んだって手に入らない幸せ。「幸せにランクなんかない」とはいえ、これは非常にレベルの高い幸せ。続けていて良かったと心から思う。

彼女ほどではないが、俺の周りにこういう方がいてくださるというのは心強い。一昨年、俺が判断を誤った時にはすかさずコメントで「それは違うよ、Davy」と言ってくれた人がいた。そうやって、見えない所で俺を支えてくれている人もいる。感謝感激ですよ。

古くからの同志も素敵だが、新しく出会う人もまた素敵だ。今日、会社の同僚に「今日は俺の第二の誕生日なんだ!」って8周年を迎えた話をしたら、非常に温かいコメントが返ってきた。彼女もまた俺のことをよくわかってくれて、適切に叱ってくれる同僚。普段はテキトーな感じでからかっているけど、この人が同じ職場にいるというのは、俺に与えられた最高の幸せなんだと思う。本当に運がいい。本人にはこんなこと絶対言わないけど(笑)

才能もないし、カネもないし、恋には恵まれない。だけど、愛に溢れた人間関係をもっているというのは、俺にとって一番の財産だし、きっとそのことが最も幸せなことなんじゃないかと思う。普段はなかなか気付けないし、「もっと!」を要求してしまうんだけれど。どうやってこの恩を返したらいいかわからない。それでもきっと、第三ステージのテーマの一つでもある「愛の出し惜しみをしない」というのを心掛けていけば、俺が今以上に心を開けばきっとその人たちを幸せにすることができるんじゃないか。

「歳をとる」ってなんだろう?きっとそれは、財産を増やしていくことなのかもしれないね。
社会人になりたての若手の間ではよく「大学時代に戻りたい」とか聞くけど、俺は絶対昔には戻りたくない。歳をとる度に、人生が充実していくような気がしてならないからだ。「できること」が増えたし、「使えるカネ」も増えた。友達の数も増えた。今この瞬間こそが最高なんだ。そう思ったら、もっと先へ進みたくてしょうがない。もっとはるか向こうにある未来を見てみたい。

「弟」は今年の命日の前日にもY氏を通じてメッセージを送ってきた。ここでは書かないけど、俺はちゃんと受け止めた。
迷ってる。そして、後退しているんじゃないかとビビってる。
それでも、少しずつ足を前に出すことで、微々たるものかもしれないけど何かが変わるんじゃないかと信じている。
たとえ結果としては悪いものでも、俺の中での何かが変わってくれるんじゃないかと。

9年目に入るにあたって、心掛けたいことがある。
「カッコ悪さを受け入れよう」
だんだんとヒーローになれない自分に気付いてくる。いつかはヒーローになれると妄想して歩いてきたけれど、自分はヒーローにはなれないんじゃないかと悟る瞬間がある。でも、それでもいいじゃないか。不器用でも前に進むのが俺の長所だったはずだ。これからは、醜態さらして歩くくらいの覚悟でやっていかないと、キレイなものばかり追っているようじゃ大事なものを失う気がする。

9年目もよろしくお願いします。