こんなに気持ちよく記事が書けたのは何年振りだろうか。それも小説風のフィクションの形で。
ここ数年「書きたい」と思ってもなかなか筆が最後まで進まず苦しんでいたが、今朝は夢の中から「お告げ」があり、寝ている場合ではなくなった。ブラインドの隙間からは夜明け前の空を感じられるくらいの暗さだったが、エアコンとPCのスイッチを同時に入れ、目を閉じて浮かんでくる景色の通りキーボードを叩いてみた。気が付けば4時間くらい経過して始業時刻頃となり、ちょうどその頃書き終えたため、今度は会社貸与のPCを立ち上げテレワークを開始した。こんな朝の過ごし方を同僚に話すと「作家みたい!」と高揚を含んだ声で伝えてくれたので、少し誇らしい気分になったものだ。
それで思い出した。社会人1年目の頃のことを。東京の高層マンションで1人暮らししていた頃のことだ。
会社と家の往復だけの味気ない日常に嫌気が差し、朝3時くらいにバイクで家を飛び出して海ほたるで1人海を見ながら佇んでいたこともあった。朝焼け空を遥か彼方に感じる時間に、お台場海浜公園を散歩してから出勤したこともあった。もちろんバイクを走らせる行為自体も気持ち良いのだが、それ以上にそんなライフスタイルを送れていることで確かなゆとりと優越感を得られていたのかもしれない。
先日、クローゼットの奥にしまいこんでいたワインレッドの革ジャケットを発見した。中のシャツが派手であれば面白いと思い複数のバラが大きく描かれているシャツを購入したところ、これがたまらなく良い。クロムハーツのネックレスが手に入れば言うことなしだが、それは次の楽しみにとっておこう。
よくファッションの話になると「似合う/似合わない」で着るものを決めがちになる。そして、リアル店舗はどこも似たようなデザインのものであふれかえり、どうしても買いたいと思わせるようなものは少ない。結果的に「なりたい自分」とはかけ離れた姿が鏡に映し出され、コロナ禍で外出頻度が減っていたことも言い訳に、毒にも薬にもならない人生が待ち受ける羽目になっていた。
でも、ここに来て状況が変わった。桜の開花を待ちわびている街は少しずつ開放的な姿を見せ、何年かぶりに心地よい風が吹き抜ける世界に変わりつつある。レンズの曇りを気にせずサングラスをかけたまま、肩で風切って闊歩できる時代が再び訪れたのだ。
Davyは、少しばかりの寂しさを滲ませる笑顔を見せながら、孤高の中でやさぐれた立ち振る舞いをしているくらいがちょうどいい。
そろそろ新しい相棒を迎えて、旅に出ようではないか。
誰に認められたいわけでもなく、俺がなりたかった俺になるために。
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