プレー器用、生き方不器用

俺スタイル
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中学生の頃見たスポーツ雑誌に、プレー(この場合はスポーツのプレースタイルだろう)の軸と生き方の軸とで器用ー不器用のマトリクス表が書かれていた。自分はどちらだろう?と自問自答してきた人生だが、だんだん自分で自分のことがわかってきた気がする。

そして、わかればわかるほど、今日も眠れない。どうも今月は不眠の日が続く。

プレー・・・今回はビジネス上の実務能力(≠知識の深さや業務レベル)のことで良いだろう。

これは周囲から「器用だよね」と言われる局面が度々ある。資料作成、プレゼン、データ集計、会議でのファシリテーション、ロジ周り、関連部署とのコネクション作り、諜報活動、業務効率化に向けた企画・調整・・・。もちろん私よりレベルが高い人は山のようにいるし、私にも至らぬ点は多々ある。ただ、(Davyのキャラにしては意外にも!?)周囲から言って頂けることは「無難にソツなくこなす」「安定感がある」「任せておけば何とかする」といったものが多いようだ。自分ではレベルの低さに不安や歯がゆさを感じているものだが、これは「器用」と位置づけても悪くない気がする。

一応、ビジネスマンとしてはこんな感じか(写真はあくまでイメージです)

生き方・・・今回は人間関係構築(業務外)、人生の選択、メンタリティ、恋愛力としよう。

これは周囲から言葉でハッキリ示されるものではないが、少なくとも「器用だね」なんて言葉は一度も聞いたことがない(笑)
類似の言葉では「考えすぎ」「えっ、なぜそっちを選ぶ?」「何もしない」系は聞くこともそれなりにあるだろうか。そういえば、仕事の手法や働き方についてはとやかく言われないのだが、上司に「その自己肯定感の低さは何とかしないといけませんね」と言われたことがあったような。今思えば妻はよく私と結婚したものだ、と感心するのだが、よくよく考えれば妻は私の経済力や家庭人としての振る舞いには関心があるものの、Davy Fujinamiには一切関心が無く、このサイトもTwitterも存在は知っていても一度も見たことがないという徹底ぶりだ。大変恐れ入りました。

生き方に関してはこんな感じだろうか。

検討、検討、また検討。「まだ構想が浮かんでいない」とパスしたイベントの多いこと。
10年以上前の合コンだったか。とりあえずうまくいきそうな感じの方と連絡先を交換して、本来はすぐ2人で食事に行くとか誘えば良いものの、「俺はあの娘のために曲を書かなければならない。それが出来上がってからにする」とペンディングし、2週間経っても「歌詞が(頭に)降りてこない。これは旅に出なければならない」と言って某友人に「いい加減にしろ、いいから早く送れ!」と背中を押される羽目に、、、(結果は言わずもがな)。
ちなみに、ふとしたきっかけでこのエピソードを思い出し最近仲良くしてくださる女性の方々にお話をしたら、表情には出さないが・・・あれは確実に「なんやコイツ」って思われただろうな。さすがに「いやいや、そんな時間空けたら冷めるから、翌日でも翌週でもさっさと誘うべきでしょ」とおっしゃっていたような。男性の後輩にも「そうは言っても翌日じゃトークプランが出来上がっていないのよね。トークテーマを20個くらい用意してから・・・」と話したら、「あのー、番組でも始める気ですか??」とあきれられていたような。

策士、策に溺れる。策士(作詞)家だけに。

この記事にある10項目、すべてあてはまるほど。俺は不器用のキングかもしれない。

⑨石橋をたたき過ぎて壊す

まさにこの言葉がピッタリだ!ある意味、仕事の「確実性」とコインの裏表の関係なのでどちらかだけ維持することは不可能ではあるが、ホームランは狙わず確実にバントでランナーを進める。ランナーがいなければ四球での出塁を狙い、見逃し三振が多いこと。バットを出しても軽く当てる右打ちを徹底しているため、2塁まで進むことはまず無い。
確かに手堅いのだが、華やかさや面白さとは無縁。前例主義をとるわけではないが、改革者スタンスや切り込み隊長の顔を見せる時も、あくまでビジネス用。張りぼてだね。もっとも、ビジネスの場合は(銀行系企業のサラリーマンとしての)正解がわかっているので、ひたすらその「正解」を演じていれば良いだけでシンプルなのであるが。(ある意味、その「正解」を自分で作った台本通りに演じるだけなのでうまくいっているのかもしれない)

ところが、仕事を離れた人間関係や恋愛に関しては「人間くさい」部分で勝負しなければならない。良くも悪くも「本音」を上手に見せるのが下手なので、「こういう振る舞いをしたら相手がどういった反応となるだろうか」をパターン別に分析してしまうので、何をするにも時間が掛かる。一旦自分なりのパターンを作ってしまえば、あとはそれ通りに演じるだけなので良いのだが、初対面の人や経験していないこと等、自分の中で「正解」を持っていないものはことごとく弱い。

例えば、恋愛における「積極性」は自分の中では「軽薄さ」「チャラさ」と結びついてしまって、それはDavyが最も避けていたもの。かといって、「一途」になれるほどの根性やエネルギーがあるわけでもなく、積極的に動いたとされる2014年あたりも「卵を一つの籠に盛るな」理論でなんとか乗り切ってきただけだ(資産運用業に入って「ありがとう!」を感じた場面の1つ)。あの時はせいぜいマトリクスに落とし込むくらいでその後はあまり意識しなかったが、うまいこと相関係数がマイナスに働いていたものだと今更ながら感心した。そういう意味では、同時に複数人に声を掛けるにしても正反対くらい違うタイプに声を掛けなきゃダメだな。手当たり次第のナンパでは再現性に欠ける。

本来は全く趣旨の違う記事を書こうと思ったのだが、ここまで書き進めてみてわかったことがある。
アウェーだな。。。と思うものがあったら、ホームに持ち込めばいいんだ。感性のまま動くもの(=不器用フィールド)が苦手であれば、論理で動くもの(=器用フィールド)で一旦アレンジを加えてから現場に出ればいい。プレハブ工法のように一旦ホームである程度材料が出来上がった状態にしてから現場に持ち込んで組み立てても良いはずだ。いや、待てよ。それだと先程の「トークテーマを20個作ってから・・・」になって準備時間が掛かりすぎて本末転倒。このあたりは更なる研究要か。

こういうことをグダグダ言う人間は「内向的」な人間のようだ。相当当たっている気がする。

この生き方を「素晴らしい!」という気はない。
また、「俺はこれでいいんだ、邪魔するな。」という気もない。
できればもっと社交的でいたいし、直感を信じて行動できたらどんなに楽しいのだろうかと思う。
もしこんな生き方に憧れる奇特な人がいたら「やめとけ」と言いますよ。

それでも・・・不器用だからこそ、ちゃんと1人1人と真摯に向き合ってきたというか。時間をかけてじっくり相手の話を聞き、その人が幸せになるように何かベストが模索し、できることは全て提供してきた。たとえ、誰に何と言われても。自分には自信がないが、それだけは自信もって言える。
きっと、小説「デビルライン」のダブル主人公の1人、Mr.Dとはこんな会話ができるはずだ。

 「でも、お前、よくやったな。俺が見込んだだけはある。男として一番大事なものをお前は身体を張って守りきったんだ。」
 「一番大事なもの?」
雅治は訊く。
 「男にとって一番大事なもの、それは『プライド』だ。別にお高くとまることを言うんじゃない。そんなちっぽけなもんじゃない。何というか、絶対に譲れない一線というか。」
 「はぁ・・・」
 「今回のお前は、大事な仲間を守ったんだ。それも、他人の評価も何もかも犠牲にしてな。そして、身体を張って訴え続けた。お前の気持ちは、その田村君だけじゃない、他のお前を信じてついてきてくれる連中にも伝わっているはずだ。」
 「だといいんですけど。」
 「仲間を守るためにそんだけ熱くなっている男を見て、心を動かされないヤツがいるとしたら、そんなヤツは人間として最低だ。もし、お前の仲間がそんな浅いちっぽけな連中なら、今すぐ付き合いをやめた方がいい。でも、きっと、そんな奴らばかりじゃないはずだ。雅治、お前は今までもそうやってハートとハートのぶつかり合いで人間関係を作ってきたわけだろ?だったら、大丈夫だ。心配するな。」

第3章8「2つの絶滅危惧種」より

 

亀戸に住んでいた頃、初めて大型バイクに憧れたあの日。いつか乗ってみたいと夢見たハーレー。
これだけ色々思うことがあるならば、原点に戻っても良いかもしれない。

いつの日か、本当に愛して欲しかった人から、疑いのない愛と信頼が注がれますように。

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