手に入れるべきは「欠落」


一芸を極めたいならば、ある種の「欠落」が必要である。

会社で周囲から優秀と崇められ、昼夜問わず働き出世街道に乗ることは素晴らしい。
しかしそのためには、家庭での生活、趣味に打ち込む時間、友人関係等々、犠牲になるべくしてなるものは計り知れない。

家事育児介護を完璧にこなし、配偶者、親、子供、親戚すべてに評価されている人がいたとしよう。
おそらく、彼(彼女)は職業人としてのキャリアや打ち込むべき芸術等とは程遠い生活を送っているだろう。

ライターも同じだ。物を書くというのは、自分の人生を削り出しそれを育んでいく営みのことなのだ。
仕事に打ち込んでいるうちは、誰かを驚嘆させる作品など書けやしない。そんなエネルギーがあれば、それを仕事に投じているはずだ。
家族との時間を大事にしているうちは、誰かの生き様に共感する作品など書けやしない。家族との会話はリアルそのものであり、ロマンや幻想などとは程遠い世界にいるからだ。

巷に溢れている本が、なぜ私の心を動かさないのか。
それは、作家自身が己の人生を削り出して創り上げた作品ではないからだ。
商業ベースに乗せられた書籍が、どうして私の心を奪うことができようか。

私は、自分の本名をこの世に残したいのではない。
私の作品は作者不詳で構わない。もちろん、私の友人知人に評価されようだとは思わない。

たまたま私の作品に触れあった誰かの「闇」に寄り添いたいのだ。あなたの孤独に付き合いたいのだ。
生き様を削り取り紡ぎだした作品は、祈りに似たものであって欲しい。救いであって欲しい。

今歩き出したこの道は、多くの「欠落」を原動力として走らなければならない。
今度の作品は尖ったものではなく、欠落している箇所が必要なのだ。
そうやって作品の中に生まれた欠落の結晶は、読者それぞれの解釈で埋めれば良いのだから。

今は真実を語るのはやめておこう。


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