飛べない鳥は美しい

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自分の不器用さにつくづく嫌になる。
船舶免許の実技試験、落ちた。
いや、まだ結果を言われたわけじゃないけど、大幅減点項目を2つもやらかしてしまった。
いいんだ、覚悟はできている。
少ない貯金をはたいて、何とか学科試験に独学で臨むことで費用を軽減し、船舶免許をとる算段をつけたはずだったのに。
再試験を受けるとなると、また費用がかかる。頭が痛い。
それ以上に、免許を手にするまでの期間が大幅に延びることが痛い。

なぜ、船舶免許を取ろうと思ったのか。理由は単純なものだった。
ある人を喜ばせたかった。一緒にクルージングしたいと思った。俺の操縦で。
逃げだってことはわかってる。もう俺も中学の時ほどバカじゃない。自分のスキルを上げた所で与えるインパクトは微々たるもの。
でも、それでも、信じられるカードが欲しくて、何かにすがりたくて、花火を打ち上げてみたのかもしれない。

きっかけは、恋だった。それが、いつしか生き様に変わっていた。
常に新しいことに挑戦し続ける男の姿。闘う姿勢を崩さないヤツ。そんな男に憧れて、そんな憧れを原動力にして突っ走ってきた。

ここにきて、急に弱気の自分が入りそうで、それがイヤで、こうして気持ちを整理している。
バイク免許の時もそうだった。初めの頃、スラロームも一本橋もうまくいかず追加教習決定で、教習所に行くのがイヤでイヤでたまらなかった。
送迎バスに揺られながら、このまま教習所に着かなければいいと何度思ったことか。
帰りのバスの中で、「もう辞めよう、俺には無理だよ。」って何度うなだれていたことか。
何とか免許を手にして、バイクを買ってからも、最初の頃は乗るのがイヤだった。
地下駐車場から出すのも苦労していたし、練習で首都高を走っても事故寸前の連続で、常に死と隣り合わせだった。
本当に振り上げた拳をどうしたら下ろせるものかと毎日悩んでいた。今思えば。

今では、ヒマさえあれば走り出したいし、誰か後ろに乗せて走るのが最高だと感じられるようになったんだけどね。

同じなのかな。きっと慣れるまでの苦労なのかな。
俺、人一倍不器用だから。何をやるにも普通の人の倍、苦労するハメになる。
何をするにも最初からうまくいかない。「当たり前じゃないか」と声が聴こえてきそうだが、多分君たちの想像以上に初期段階の俺はダメ人間なのだ。
聞いたことを1回や2回では覚えられない。覚えたとしても、すぐ忘れる。
かといって、努力家タイプでもないからタチが悪い。

俺の中学から静高へ行ったメンバーを見れば象徴的だ。
俺以外の人間は、勉強もできればスポーツもできる。華があって、性格も明るく、社交的な人間ばかりだ。
俺だけなんだ。勉強しかできなかったのは。才能が無かったから、一点集中で突破するしかなかったんだ。
勉強だって最初からできたわけじゃない。物覚えが悪いから、反復継続して叩き込むしかなかった。
周りにはいとも簡単にできるような顔をしていたけどさ。

そんな俺が、なんでここまで頑張れたんだろう?
1つは、不器用でダメな俺が這い上がっていく姿を見てもらうことで、誰かがそれによって元気になってくれればいいな、と。「あんなヤツにもできるんだから、俺にもできるよ。」って。俺はそういう役回りでいい。何でもできるスーパーマンでいようとは思わない。
あとは、振り上げた拳の下ろし方を知らないこと。俺は何やるにもすぐ周りに宣言してしまう。途中でやめたらカッコ悪い。だから、退路が無くて最後まで走り切るしかない。「追い込んでる」というとカッコいいけど、実際には「追い込まれてる」んだよね。今だってそう。辞めたいよ。辛いし、できそうにないし、終わりが見えないし。でも、言ってしまった以上、やるしかないんだよな。

思えば、こうやって文章を長々と書いているけど、この文章書く能力だって、最初からあったわけじゃない。小学生の時、原稿用紙半分も書けなくて泣きべそかいていたのを今でも覚えている。パソコンだって、今では比較的自在に使いこなしてはいるものの、小学生の時のタイピング競争ではちっとも周りの連中に勝てなくて悔しい思いをしていたんだよな。

「絶望からのレジスタンス」。毎回これなんですよ。
吐き気がするほどの絶望感を味わう。どん底まで追い込まれる。その状態がイヤだから、気持ち悪いから、なんとか抗おうとする。でも、力尽きる。その繰り返して、自分なりのやり方を見つけ、気付いた時にはクリアしている。

カッコ悪い俺でいようと思う。何やってもダメで、クリアするまで絶望に抗い続けるダサい俺でいようと思う。カッコ良く飛んでる姿をあの娘に見せよう、なんて俺には無理だ。カッコ悪く地面でいつまでも助走している飛べない鳥でいようじゃないか。

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