「生きていく」ことにもう少しリアルだっただけだ。

俺スタイル
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あの「立志」から15年も経つのか。実は、あの人のTwitterを見る前にはそのことすら気付いていなかった。
fqtを生み、Davy昇華し、リアルな自分との融合を経て今に至る。俺がここまでの人間になれたのはあのビッグバンのおかげ。そして、これだけの人間に成り下がって今の自分がある。15年経つからには、今年はその総括からは逃れられない年となるだろう。

2006年1月7日(土)。当時15歳だったDavy少年が母親とともに神奈川県茅ケ崎市に向かい、起こった出来事だ。

当時15歳だった自分が書いた文章だ。大勢の人が集まる講堂でスピーチした内容だ。
大真面目に裁判官を目指し精進していた日々のこと。揺らがない程強い思いだったとまでは言えないかもしれない。中学時代、総合学習の授業でこれを取り上げることで、「モテたい」という意欲は確かにあった!そういう意味では今とは変わらない(笑)
でも、今ほどは計算高く無く、小賢しくなく、世の中に対して投じるアプローチみたいなものを純粋に信じていたんだと思う。
その後、「夢」は変わっていった。弁護士の方が自由にできるかも、ホリエモンに憧れて経営者を目指した頃もあった、やっぱり子供の頃の夢に戻って鉄道関係を目指そうか、大規模商業施設に感銘を受けデベロッパーになろうか、いややっぱり政治の道も・・・。「世の中を変えたいんだ!」という熱い思いと、「いつかは女の子にモテるようになるんだ!」という本能的な欲求と。フラフラしているように見えるが、一瞬一瞬は本気だった。本気で目指すことによって、その分野の知識をそれぞれで吸収することができ、それが今職場で「お前は仕事以外は詳しいな」と言われる雑談力となっている。無駄ではなかった、と思いたい。

前述の記事で出てきた「この人」は違った。

久しぶりにネットで超長文を読むということをしたのだが(笑)、読み終わった後の感想は「変わってねーなー!」だった。
ほぼ唯一、俺にとって「頭が上がらない」人。歳は2つしか変わらないのに、彼を相手に優越感を感じることは全くない。普段職場では年代が違う人にもほぼタメ口に近いような感じでいるこの俺が、である。
当時17歳の彼が思い描いていた世界と、今の彼が追い求めている世界はきっと大きく変わらないんだと思う。確かに、彼も当時語っていた「夢」とは違う職業についている。でも、それは夢に敗れたからではなく、人生経験を積んで色んな選択肢が見えてくる中で、最善のストーンに足を掛けてきたからではないか。

正直言って、うらやましい。皮肉を言う気にならないくらい、うらやましい。
俺だってもっと純粋に夢を見ていたかった。世の中に対してのアプローチだって、真っ直ぐ投げれば真っ直ぐの球が返ってくると思っていたかった。

ただ、彼と俺が違うのは、俺は「生きていく」ことにもう少しリアルだっただけだ。
カネにならないことはできなかったし、カネの使い方はとことん効率的でありたかったし、女性関係をもう少しマシなものにしたかった。
あの立志論文を書く前に演じていた「真面目な優等生」のイメージからどうしても脱却したかった。
幼稚な発想かもしれないが、その幼稚なモンスターをなだめるためには、青臭いことを封印しなければならなかったのだ。

そして、俺は違う解を見つけた。俺にとっての世の中を良くしていくことって、別に社会構造みたいなシステムを変えにいく必要がなかったのだ。
目の前に困っている人がいたらその人に寄り添って、最適なソリューションを考えてあげる。案を出して終わり、じゃなくて、実行のプロセスまで伴走してあげる。
「目の前」に現れない困っている人に対しては、俺が他の人が示さないロールモデルを演じて、その役を一生懸命表現する。

実際に仕事を前に進める経験をしてみてわかったんだ。一番物事を動かしている人って、トップではなく、現場で案を設計している人間なんだって。
トップには決定権はある。だが、その決定権は部下から上がってきたいくつかの案をチョイスしたり可否を判断するだけの役割だ。
その選択肢をどう作るのか、それは末端の人間がデザインする。その人間が進めたい方向のものを例えば3つ案を作れば、トップがそのうちどれを選択しようがデザインをした人間の思い通りになる。
だったら俺は、デザイナーとして強かな人間であればいい。小さいながらも、ピンポイントで確実に世の中を良くしていくためには、最も適したアプローチであることに気付いたんだ。

政治家も官僚も、大きな網を作ることはできるが、どうしても網の目から漏れてしまう人が出てくる。
その網の目から漏れてしまう人が自分が本当に救いたい人だったら・・・俺は何のために努力をしているのか?
俺はピンポイントで、その時に自分でやるべきだと思ったことをする。そこで成功例を1つ、更にもう1つ・・・どんどん作っていき、その方法を輸出すればいい。その方法だったら、実効性を保ったまま1人でも多くの人に広げられる。この多様化した現代社会で、たった1つの手法で大きな網を掛けて多くの人が救われるなんて幻想だ。今般のコロナへの対処にしても、政府が救える人なんてほんの一握りだ。どうやったって、誰かが死ぬ。多くの人に批判される。「少年よ、大志を抱け!」ではなく、小さな成功をいくつも作っていく方がはるかにリアルなのではないか。

・・・と考えているから、予想以上に小さな人間になってしまったね。ごめんよ、15歳の俺。
「●●歳の地図」はもう書けない気がするけど、今日もこうして生きていく。

憧れの人をもって、俺は本当に幸せだ。「真っ直ぐ生きられたら、どうなっていたのか?」もう少し夢を見させて頂くこととするか。

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