2021、それは2020の延長戦

雑談
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昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。
2021年1月1日

喪中のため「おめでとうございます」は言えない。いや、会社に行けばつい言ってしまうのかもしれないが。

2020年は世の中が大きく変わった1年だった。いや、世の中がかつてないほど止まった1年だった。
言うまでもない、新型コロナウィルス感染拡大に伴う感染予防対策の数々。
人々は出掛ける時には必ずマスクをし、行く先々で手を洗い、他人と密着するどころか距離を空けないことは許されない。
忘年会はおろか、身近な人とのランチでさえ制限がかかるような状況である。
映画の世界でも表現されたことはあまり無いだろう。

オフィスワーカーはテレワークの名の下に、PCを自宅に持ち帰り、家から出ずに仕事をするようになった。
私も自宅からでも十分遂行可能な職種のため、緊急事態下の5月は1日も出社せずヒゲが伸びたいだけ伸びた。
人とのコミュニケーションは基本的に画面を介するもので、意思の疎通もなかなか思うようにはいかない。

個人的には飛躍の1年だった。収入面でも色々あったがそれなりに増えたし、仕事もピンチの時ほど燃える性格なので、思った以上の力が発揮できたのかもしれない。
自分のことだけでなく、同僚や後輩の面倒を見ることも多かった。「人を育てる」難しさややりがいを再認識した1年だった。

・・・だが、世の中的にも自分的にも不完全燃焼の気がしてならない。やりたいことをやりたい時に思うようにできないのは意外とストレスである。
その上、季節を感じられない。テレビの向こうからはそれとなく季節の移ろいを感じなくもないが、ほとんど自宅から出ない生活では体感をすることも少ない。
ジャンプをする前に大きく屈んでいるような感覚だ。鬱屈したもの、やり残したことがどこかにあるような気がしてならない。
そもそも、オリンピック・パラリンピックの「TOKYO 2020」が1年延期で「2020」をもう一度やろうとしているくらいだ。

年末年始感が例年に比べほとんど無いなら、いっそ2021は2020の延長戦でいいんじゃないか。
2020がまだ続いている。2020でやり切れなかったことを、2021で実現してみせる。

2020年は別れの1年でもあった。祖母や義父との別れもそうだが、愛車との別れもあった。
写真は売却直前に撮ってもらったもの。オイル漏れがひどかったが、それなりの値段で買い取ってもらった。
船の会員は解約し、バイクは手放し、自分が自分でなくなるような気がしている。いや、両方とも面倒になって家にこもるようになったのも自分だ。
でも、人は失ったものがあると何かで埋めようとする生き物だ。その埋めようとした何かが、きっと新しい自分との出会いなのだろう。
2020年代はこれから始まる。俺の「2020」はまだ終わらない。

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