ネオン街の悪夢


道がそこにあれば、ひたすら真っ直ぐ歩いてきた。
真っ直ぐ歩く以外に、歩き方を知らない。

人がそこにいれば、ひたすら相手を理解しようとし、心を開いてきた。
相手に尽くす以外に、人付き合いの方法を知らない。

誰かの笑顔を見るためならば、自分の身を削ることすら厭わなかった。
笑顔の連鎖こそが最も重きをおくべき価値であり、それ以外の価値などゼロに等しいと信じてきた。

どうやら、俺は水に絵を描いてきたようだ。
俺が筆を落としていたのは、紙ではなく水面だったようだ。

描きたい絵が描けない。
インクは水にただひたすら流れていく。

どんなに素晴らしい色を用いた所で、色と色とが混ざり合い、配色の汚い模様が浮かび上がるだけだ。
絶望の言葉すら、流れる水の果てに消え去っていく。

この詩を書くまで、俺は報われない境遇を嘆いていた。
飲み過ぎたアルコールにより眠りの世界にいざなわれたのだが、連れて行かれた先は悪夢の世界だった。
うなされて目が覚めた。
どうしようもできずに、パソコンの前でキーを叩くことで自分と向き合おうとしている。

仲間に裏切られたとばかり思っていた。
でも、そうじゃない。
裏切っていたのは、俺の方だったんだ。

俺はかつての自分を裏切った。
これまで築き上げてきた信条や世界観を裏切った。
全てを捨て去ることで新たに手に入るものがあるならと、喜んで俗世間に踏み込んでいた。
もはや、アーティストなどと呼べない状態にまで成り下がっていた。
現実世界に生きることに没頭するあまり、作品をプロダクトしてこようとしなかった。
「忙しい」と自分に言い訳をし、現実世界が充実しているなら・・・と、アーティストとしての自分に目を背けてきた。

天罰が下ったんだと思う。

いや、目を覚まさせるための雷だったか。

今のやり方のままの人生は、早々に無理が来る。
思想家である人間が、思考停止した人間と共存できるはずがあるだろうか。
ありふれた言い方をすれば、本当の自分じゃない。

世界中の人間が俺のような愛に溢れた人間ならば、どうして「心の病」なるものが生まれようか。
意地悪な言い方をすれば、卑怯な人間だらけの世界だからこそ、不調和が起きる。
薄っぺらい人間を演じているだけなのか、本当に薄っぺらい人間なのか。
不器用な正直者がバカを見る世界に成り下がってしまっている現代社会。
警鐘を鳴らしたいのはやまやまだが、その鐘の音すら雑踏の中にかき消される。

大学4年間で学んだことなのに、環境の変化によりすっかり忘れてしまっていた。

俺にとって、悲しすぎる結末となってしまったが、必要なショックだったのだと信じている。
俺は博愛主義者ではいけない。目の前の人間皆を愛すればいいかというと、そうではない。
俺が本当に目を向ける対象は、自分の信念を貫くあまりに、社会からドロップアウトせざるを得なくなったサムライたちだ。
そう、17の時の俺のように。
世の中が小さすぎてサイズが合わずに苦しんでいる人間がいる。
彼らの声なき叫びに耳を傾け、彼らの心に響く言葉を届けるのが俺の使命だったはずだ。
1人で戦うことしかできなかった俺に、「1人でいい」と言ってくれたロックンローラーのように。
孤独なんかじゃない。孤高の世界を誇っていいんだと、立ち上がる勇気をくれた記憶。
あの時の言葉があったから、今の俺は堂々と言えるんだ。
「言いたいヤツには言わせておけ。俺は俺のやり方を貫く。」と。

俺にできる唯一の感謝は、自分自身も誰かの支えとなれるような言葉をプロダクトすること。
それも、「支えてあげよう」ではなく、「俺はこうして生きている」と自分が輝いている姿を見せること。
一生を懸けてやっていきたいことなんだ。

ゴメンな。己の俗世間での欲望を満たすことに夢中で、サムライたちの雄叫びに耳を傾けることを忘れていた。
短い間のキャンペーンを、恒久化しようとしていた自分がいた。
あまりに楽しすぎて。
でも、あまりに虚しすぎて、戻ってきちゃった。
何も残せていないんだ。
俺はただ単に、欲望を「消費」していただけなんだ。

空白の時間を埋めるように、これからはアーティストとして生きていたい。

とはいえ、少しは大人になったかな、と思えたのは、周囲の変化こそが自分の変化の兆候だと気付けたことだ。
かつての俺なら、「裏切られた!」とわめいていただろう。
自分の周りは自分を表す鏡だから。
取り返しがつかなくなる前に気付けて良かったと思っている。

水面に絵を描くのは、もうやめにしよう。
やっぱり、俺の言葉は「作品」として残るカタチが最高なんだから。


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