「卒業おめでとう!」の意味

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卒業なんて、当たり前にできると思っていた。なんで、「おめでとう」なんて言われなきゃならんのか。仲間と別れる辛い儀式なのに。好きな女の子とも離れ離れになる最悪の日なのに・・・

小学生の時、そう思っていた。

卒業前って最高に楽しいんだよね。仲間との関係もかなり濃い時期だし、最高学年だから威張っていられるし、周りも色々気遣ってくれる。俺は、卒業前の3ヶ月が学校生活の中で1番好きだった。小学校の時も、中学校の時も。特に中学校の時は、今後なかなか体験できないであろう幸運な出来事が立て続けに起こったからね。俺が最も輝いた時期だと言っても過言ではない。

というか、普通にやってりゃ、卒業できるだろ?って思ってた。何をそんなに祝う必要があるのか、俺には理解できなかった。

でも、春の決まり文句、「卒業おめでとう!」の本当の意味を静高で初めてわかった。

1つ1つの戦いに勝利しなければ、「卒業」は訪れない。もっといえば、1日1日を必死に戦っていかなければ、明日はない。昨日と同じ明日なんていらない。勉強においては出来の悪い俺は、何科目もテストで赤点を連発した。化学なんて、最初のテストを除き、毎回赤点だったように思う。クラスでビリだったな。数学だって、高2の時は、0点か4点か8点しか取ったことはなかったように思う。古文だって、10点台だったと思う。ちゃんと単位を取ることができるのか、学期末にはヒヤヒヤしていた。

単位を取れなきゃ、卒業できない。単位取得の積み重ねが、「卒業」なのだ。そう考えると、「卒業」が非常に重要な意味があることに思えた。静高で「落ちこぼれ」になったからこそ、やっと気付けた。

それだけじゃない。

折れそうな心を何度も救ってくれた友人の存在が無ければ、辞めていたかもしれない。
授業料を払い続け、身の回りの世話をしてくれる家族がいなければ、通えなかった。
問題児を退学処分にしないでおいてくれた先生方の大きな心がなければ、辞めさせられていただろう。

「卒業」は俺1人だけのものじゃない。俺と、俺の仲間が築き上げた、最高の作品なのだ。

だから、「おめでとう」と言われた俺は、「ありがとう」と言った。
この「ありがとう」は、「おめでとうと言ってくれてありがとう」ではない。
「俺を卒業させてくれてありがとう」なのだ。

そして、今日、俺は静岡県自動車学校を卒業した。

2週間は短いようで長かった。投げ出したくなることもあった。それでも、何とか最短で卒業できた。これで、本免学科試験に受かれば免許が手に入る。

俺は、「辛くてもやり抜いた俺」に感動している。普通の人なら、「たかが車の免許」だろう。でも、俺は心の中にどうしようもない暴走寸前のモンスターを抱えながら生きている男だ。いつ暴れ出してもおかしくない。そんな男が、そのモンスターを黙らせて2週間耐えられるなんて、自分でも驚いている。

こんなバカな俺に、「卒業おめでとう!」と言ってやりたい。

そして、最高の「ありがとう!」を返してやりたい。

この調子で、二輪も取ってみようかな。

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