正月の実家にいる時くらいは頑張って記事を書いてみましょうか。
実家のある静岡県静岡市駿河区は、この時期特有の嵐のような風の毎日である。空は晴天、穏やかなんだけどね。他の地域に比べれば、海に近いのかな。一応、駿河湾まで自転車で20分くらい飛ばせば、海岸に着く。海岸といっても、ビーチと呼べるようなオシャレなもんじゃない。安倍川の上流にダムができてからは、川の水量も残念なほど少なくなり、土砂が海まで運ばれないので、砂浜が形成されない。父の知人のオーシャンビューの御宅は、台風の日などは波しぶきが家屋にかかるほどである。
我が家はといえば、市街地にほど近い住宅地の一角。国1を超えたの葵区側には中層マンションが林立するようになったが、駿河区側は依然として低層住宅が広がっている。2階建てが主流であり、3階建ての家は目立つほどだ。俺の部屋は3階にあるため、景色は美しい。西側には山々を望むことができ、南側もかつては日本平まで見えたほどだ。だが、その代償なのか、強い寒風が家屋を叩きつける。
18歳(高校卒業)までこちらにいたんだけど、通学、特に下校の際に自転車を漕ぐのはこの季節は相当キツかった。西に進む俺に対峙するのは、まもなく西に沈む太陽。ちょうど真っ直ぐ前にそれがある。そして、嵐のような寒風。自転車をこいでもちっとも前に進まない。おまけに前が見えない。よく事故を起こさなかったと、今でも思っている。
さて、箱根駅伝も終わった。小さい頃の俺は、箱根駅伝を通じて大学名を学んでいた。
そのせいで、小中学生の時から私立大学の学校名はそれなりに知っていたが、国公立を全く知らなかった。さすがに東大は知っていたが、お恥ずかしいことに「京大」なる学校があることを知ったのは中2になるかならないかの時期である。名古屋大や北大など、高校に入る寸前だったような気がする。
懐かしい写真が出てきた。撮影日は2009年2月21日。
池袋のサンシャインシティホテルの29階の当時泊まっていた部屋から撮影したもの。
今思えば、神戸のオークラの次に泊まった「いいホテル」かな(笑)
俺はこのホテルに4泊していた。受験だったんだ。早稲田を受ける時の。
古くからの人はまたまた御存知だろうが、俺は早稲田大学を4学部受験し、全て不合格。
たまたまセンター利用で明治と中央が受かり、俺は明治大学を選んだ。
箱根駅伝見ながら、4年前に願書書いてた日のこと思い出したよ。ちょうどこのくらいの時期だった。
俺は早い受験番号が欲しくて、願書受付開始の5日には銀行へ走っていた。だから、この時期なんだ。
ちっとも勉強しないヤツだったけど、必死に努力していたよな。
この言葉、矛盾かい?いや、ホントの話。
勉強なんか大っ嫌いさ。教科書を開けると眠くなる。高校の試験なんて、どうでもいい。
でも、進学校に進んだプライド。それも、この地区では誰もが憧れるトップ高。そして、かつて俺を縛り付けていた「優等生」ブランド。
何よりも、俺自身の夢。最高のステータスを手に入れて、今まで俺をバカにしてきた連中、見返してやるんだ!って。
ヤンキーになりきれない不良の、出来の悪い反撃。
どの科目も壊滅的だった俺は、「選択と集中」でリソースを1点に集約した。それが「政治経済」という科目。多くの私立文系受験者が「世界史」「日本史」に流れる中、誰も見向きもしないこの科目。ここなら、てっぺん狙えるんじゃねえか。
目論み通り。3年の春から、しかもどん底の順位からのスタートだったが、夏の大宮での個人合宿の成果もあってか、夏休みを終える頃には静高No.1に。それはすなわち、静岡県No.1。模試の結果にもご丁寧に県内トップだと刻まれていた。全国でも順位が3ケタになることはなく、2ケタ状態のまま堅持した。偏差値70台は当たり前。静高内の試験では偏差値91.3。出した俺がビックリだ。
英語国語はお粗末な状態ではあったが、なんとか早稲田の合格圏にまで達することができた。それでいて4つも落ちたんだから、皮肉なもんだ。
日東駒専も危ないと言われていた壊滅的な成績で、何とかMARCHでは2発2中で合格を手にすることができた。そして、明治を選んだ。
それから4年。単位も全て取り終え、今は卒業式を待つだけだ。
ある意味「仕方なく」選んだ今の大学。でも、俺は自信持って高校生の俺に言える。
お前は、頑張ったから、報われなかったんだ。
報われなかったから、幸せになれたんだ。
おめでとう。
大学生活を通して、教えてもらった。
思い描いた先に、必ずしも理想郷が広がっているわけじゃない、と。
一見残念に思えるような所に、天国が待っていてくれるんだ、と。
早稲田行ったらもっと幸せになっていたかって?それはないね。
正直、不満を抱えながらの志望校選びだったから。親と予備校の教師のメンツ立てるために「早稲田!」って言っていたようなもんだから。最終的には、俺自身がそのゲームにハマってしまったことは否めないんだけどさ。
俺はただ、東京に出たかった。
都会のど真ん中で暮らしてみたかっただけなんだ。
「死にたいくらいに憧れた 花の都・大東京」だろ?
高校生の頃、カネ貯めては高速バスで東京に繰り出していた俺だからさ。年に何回も、受験間際の時でも。
大学進学は、体のいい口実に過ぎなかった。
だから、嬉しかったよ。大学3年になってからは。
日本一都会的なキャンパスに通うことができるんだからさ。そりゃ高校生志望度ランキングでも1位になるわけだ。
和泉(明大前)時代は地獄を散々見たけどさ(笑)
受験を控えてる高校生に一言。
自分の気持ちに正直になれよ。
報われず、幸せを掴んだ男からの戯言でした!
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