3回「魅せる」

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5日連続か。なかなか最近にしては続いたもんだ。
今日(4日)、石川遼の特集やってたな。夕食時の放送ということもあって、俺も見ていた。石川遼に関しては、デビュー当時は否定的な見方をしていた。あまりにも優等生すぎて気持ち悪いとすら思っていた。でも、だんだん彼の人間性を見ていくうちに、好感を持つようになっていった。ギャラリーに怒鳴る場面、クラブを叩きつけそうになる場面、AKBのことを好きだという場面。ひょっとしたら嫌われるんじゃないかと思うような場面を見るにつれ、面白いヤツだと思うようになっていった。

有名人の場合はもちろん、一般人の場合でも、実像と虚像との狭間で苦しむ時がある。本来の自分と違う虚像が作られてしまうことがある。遼君の場合、あまりにも「いい人」「好青年」のイメージが作られすぎている。それはかなり危険なことだと思うし、かわいそうだと思う。一瞬たりとも気が抜けないんだから。心から同情する。だから、彼の人間らしい姿を見るとホッとするのだ。

Davyはまさに逆コースをたどってきた。「悪人」の虚像があまりにも大きくなりすぎて、多くの人の憎悪の対象となっていた。結構、俺としてもその虚像を面白がっていたが、さすがに飽きてきたので、無色透明な人間になった。人によっては、落ちぶれたという見方をする場合もあるだろう。

あの番組で、たけしさんがこんなようなことを言っていた。
人は3つのエンターテイメントを提供する。まずは、上っていく様、ヒーローになっていく様子を魅せること。そして、その人間が、落ちていく様を魅せること。最後に、その人間が復活する様を魅せること。

なるほどな、と。となると、俺がやるべきことは、最後の1つ。落ちる所までは落ちた。きちんと落ちた。自分で登った山だ。自分の意思で下山できた。今度は、もう1度登る様を魅せるんだ!今はそう誓っている。

21にもなったから思うんだけど、思春期を過ごした環境って、ホントに大事だと思うんですよ。どんな境遇で過ごしたかで、かなり人格が変わってくる。
友情とかいい仲間に囲まれて過ごしたヒーローは、爽やかな青年になっていく。まさに正統派の生き方。駆け引きとか裏読みとかせずに、真っ向勝負で向かっていく。疑うことを知らない。
一方で、嫌われ者として過ごし、能力が無い中を生き抜いてきた人間は、道を真っ直ぐ走らなくなる。逆張り、裏読み、駆け引きの繰り返し。まるで、人ごみの中を右へ左へすり抜けていくような生き方。神出鬼没どころの騒ぎではない。居場所すら掴めない、まさにどぶネズミのような生き方になる。
どっちがいいとか悪いとかの話じゃない。ただ、それだけ、思春期の頃の環境は大事ですよ、というお話。

まぁ、俺としては、両方の役をやれたから結構満足してる。正統派ヒーローの役もやれたし、悪役カラスの役もやれたし。後者の方がしっくりくるんだけどね。ただ、最近は「沈黙」のコントロールができるようになったから、どちらにもならないのかなとも思っている。

では、今日はこの曲で。

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