マゾヒスト大学生が日本を滅ぼす

Twitterのタイムラインを見ていると、色々考えさせられることがある。全く関係ない2人のツイートから色々考えた。

(@kankimura氏)
・因みに私は講義をする時には必ず冒頭で「結果は評価しますが、努力は評価しません」と言うのですが、学生さんからは毎回ブーイングの嵐です。そして、このブーイングは毎年、強くなっているような気がしています。
・昨今の大学の出席重視も、こういう傾向に対する迎合だと考えています。講義に出席せずとも単位を取れる学生に無理に講義に出席させるのは、当該学生に時間の浪費を強いているだけ。こんなのが大学の努力とみなされる風潮は明らかにおかしいと思う。

(@scofield0407氏)

・がっちりアカデミー見ないやつは人生損してると思う

この2人のツイートに全く共通点はない。しかし、常々俺が抱えていた疑問とこの2人のツイートは密接に関連するのだ。

以前、明大で行われた「ITタウンミーティング」というものに参加した。大学の通信・情報に関する設備や体制について学生が何人か集まり提言をしていくという会だ。その時に、こんな意見を述べた人がいた。

「情報の授業は大学を出てからも、もちろん在学中も必要不可欠なものである。だから、必修にして欲しい。」

俺はこの発言に疑問を感じた。前半部分は同意できるものである。異論はない。しかし、後半部分だ。なぜ、わざわざ大学側から強制力をかけてもらうことを求めるのだろうか。必要だと感じたのであれば、各々が気付いて履修すれば良い話である。「誰かに強制されないとできない」弱さが露呈した感じである。

もちろん、俺はここで異論を述べた。もちろん、卒業要件単位のカテゴリーの中でプライオリティーの高いカテゴリーに入れてもらいたいと思う。例えば、一般教養の授業のカテゴリーの中に入れるとか。現状では、フリーゾーン扱いであるのだから。これにより、情報の授業を履修しやすくなる。しかしながら、強制力を働かせる必修に組み込むことは大反対であると。なぜ、選択の自由を学生自らの手で奪おうとするのか。そこに甚だ疑問を感じると述べた。

また、政治の議論で、教育政策の議論をする時にも、このような傾向はある。「○○は必修にすべきだ」「○○を身につけさせるべきだ」などと、盛んに言われる。そういった場面でも、俺は必ず異論を唱える。現場を見ていない、と。あなたがた政治家だったり政治家志望の人たちだったり、特に教育関係者たちは、さぞ学生時代は優秀な成績だったのでしょう。どんな科目でも軽々こなす優等生だったんでしょう。しかし、世の中はそんな人たちばかりではない。1つの事柄を身に付けるだけでも優秀な生徒の数倍も数十倍も時間と労力がかかってしまい、高成績を取るどころか、単位を認めてもらえる水準まで持って行くだけでも一苦労だ。そんな人が多い中で、負担を増やしてどうするのだろうか、と。

ここで脱線して持論を述べるとするならば、ゆとり世代まっただ中の俺ですが、ゆとり教育には賛成である。反対していた時期もあったが、今は賛成である。しかし、やり方が下手だったと思う。主要5教科、というより既存教科の時間を減らし、総合学習に力を入れるべきだと考える。俺らが小5の時にできた「総合」。今あるかどうかわからないが。この科目は各学校の裁量で何でもできた。英語に取り組む学校もあったようであるし、合唱やスポーツに取り組む学校もあったようだ。地域の方々とお話するような所もあったそうだ。俺がいた学校でのこの時間は、いわゆる「調べ学習」が多かった。最も興味深かったのは、中3の時の総合学習。将来の夢について調べて、自分のビジョンを皆の前でプレゼンするといったものだった。当時の俺は、裁判官について調べ、好評だった。小5から使いなれていたPowerPointを駆使し、人前でしゃべる。会社に入ってからも役立つであろう能力である。そういったものは、こういった場で磨かれた。こういった総合学習をやれば、その科目が目指していた「生きるチカラ」を身に付ける良い機会となったのではないか。

話を戻そう。先程のITの議論と政治家たちの議論。彼らに共通しているのが、「マゾヒズム」である。つまり、「M」な人間が多いということである。何かに抑圧され、外部からの強制力が働いていることを喜びとし、全体にもそれを求めるという、俺から見たら何とも不思議な種族である。学校教育でそういったものを求め、そこで成功した人間たちの本音である。であるが故に、彼らは「与えられる」課題には強い。しかし、自ら課題を見つけ、それを解決していく力は弱い。今の官僚は特にそうだ。自分自身で何かをプロダクトする力が欠けているのだ。

「与えられる」状態を快感とするために、大学の講義でも、出席をとることを求め、努力の過程を求める。講義に出席せずに、単位を取得していく人間を「ズルイ」と考える。そして、特に目的がないのに、全ての科目で好成績をあげることを望む。多分、@kankimura氏(この方は神戸大学の教授らしい)のツイートでの「学生のブーイング」は、一部の前の方の席に座っている学生からのものであると思う。後ろの席に座っていて私語をしている連中は、その方がありがたいのだから。これが、いわゆる「真面目」と呼ばれる大学生の実態である。

一方、@scofield0407氏のツイート。これは何を意味するか。彼の番組を見ての単なる感想だと思うが、実はこのツイートに深い意味を見出すことができる。ショートカットを知らない大学生が多いという実態と重ね合わせてみれば理解できる。例えば、俺がよく取り上げているクレジットカードや電子マネーを使った錬金術。同じ商品を買うにしても、ポイントや割引を上手にゲットする人がいる一方で、何も考えずに定価で購入する人もいる。長いスパンで見た場合、後者は明らかに損をしている。そして、もっと深刻なのが、「損すること」に鈍感なのである。

Davy’s bot:クレジットカードは「ビックSuica(VISA)」を作りなさい。モバイルSuicaとEdyはここから払う。両方とも1.5%割引に出来るから。これもシステム化。

俺はこういうことをしているから、何を買っても1.5%引きで買うことができる。電車に乗ってもそうだ。そして、鉄道に関して言えば、その知識を利用して、本来払うべき金額よりも安く乗ることもできる。また、金額的には同じでも、始発電車にゆったり座れるなどの精神的、労力的な得もしている。更に言うならば、そんな「得になる」ことをシステム化してしまっているので、毎回わずらわしい苦労をすることもなく、勝手に不労所得が貯まって行くようになっているのだ。

だから、こんなことが言える。

Davy’s bot:「いかに苦労して壁を乗り越えるか」よりも、「いかに楽をして壁を乗り越えずにすむか」を考えろ。いちいち山を登るよりも、トンネルを作ってしまった方が楽。システム化、最高!

しかし、俺がせっかくこういう話をしても、興味深く食いついてくる人間はそんなに多くは無い。皆、「そんなにうまい話があるはずはない」と思いこんでいるからである。「学問に王道なし」という言葉が象徴するように、苦労をすることが正統派なんだ、苦労をすることが一番の近道なんだと思いこんでしまっている。

もちろん、俺にとっては好都合なんだが。多くの人間がこうやってだまされてくれているからこそ、自分たちが誰も知らない所で得をすることができるのであるから。そうはいっても、そういう人たちには「なんでだろう?」という疑問は持ったままではあるが。

Davy’s bot:「左右少しでも空いている扉からご乗車ください」超えられない壁でも、左右見渡せば必ず抜け道はあるはずだ。法律も同じ。左右見渡せば、抜け道は必ず存在する。

俺は昔から、俺の知らない所で俺より得をしているヤツがいるというのが許せなかった。だから、高校時代、クレジットカードや電子マネーについて深く研究した。奇しくも、2007年は「電子マネー元年」と言われた年だった。最先端の最初の波に乗ることができたのだ。こういう研究を3年以上続けているから、得なにおいを嗅ぎつけ、メリットをだまされずに享受することができる。つまり、俺の知識は付け焼刃で昨日今日身に着いたものではない。だから、強いのだ。

しかしながら、Suicaが導入されている我が明治大学でも、現金払いの人間が圧倒的に多い。昼休みになると、ゆうちょ銀行のATMの前に長い行列を作っている。知らないのか、学ぼうとしないのか。単に知らないだけなら学んだら済む話ではあるが、学ぼうとしない方が問題だ。つまり、苦労をすることによって、王道を行っている気分になっているのだ。

先程の授業の出席をとることを求めたり、やたらと無駄に好成績を取ろうとしたり、科目の必修化を求めたりする学生もこれと同じ。苦労が快感となっている。こういう人種を俺は「マゾヒスト大学生」と呼ぶ。

別に、これはその人の趣味趣向の問題で放っておいても良い話ではあるのだが、これが社会人になってからも続き、こういう文化が形成されてしまうことが問題なのだ。日本人はやたらと労働時間(通勤時間も含む)が長く、その割には大した成果を残せない。労働生産性が低い、つまりコストパフォーマンスが悪いのだ。このままでは国が滅ぶ。そして、先程の「苦労が快感」ということに関連して言えば、やたらと残業時間が長い。いや、残業をすることを快感と感じているのだ。裏を返せば、残業をしないと不安に感じるのか。そして、それを他人に押し付けてしまうために、定時で帰ると白い目で見られる。「残業は当たり前」という風潮になってしまっている。これが問題だ。

本来なら、17時までの勤務なら、17時までに仕事を終わらせるようにすべきである。それが、「残業のための残業」を生み出そうとするために、わざとペースを落としたりして、無理矢理残業をするようにしてしまっている。これでは、ワークライフバランスの観点から見てもかなり悪い。これが、労働生産性の低下に繋がっているのだ。

そして、有給休暇もきちんと使いこなせない。白い目で見られるから。そういう文化が形成されてしまっている。

こういった状況を打破するには、法律の整備もそうだが、それ以上に、こういった文化を作らせないことが重要だ。意識の問題。そのためには、大学生のうちから、日常生活の中でもコストパフォーマンスを高める努力をし、いかに楽をして儲けるかという発想に転換しないとダメだ。マゾヒスト大学生が日本を滅ぼす。Davyのような「不労所得」ばかりアテにする「怠け者」を増やすべきだ。

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