俺が決めて何が悪い!?


「皆で話し合って決めましょう」と学校で教えられる。大人の社会でも、○○会議にかけて役員全員で話し合って決めるなんてことはよくある話だ。
一方で、「誰かが責任もって決めるべきだ」という声もある。会社の中には、オーナー社長でワンマン経営の所もある。

日本のリーダーについて。
物事を話し合って決めようとすると、「リーダーシップの欠如」「決断できない政治」と叩かれる。
リーダーが自分で決めようとすると、「議論が足りない、熟議が大事だ」「独裁政治」と叩かれる。

今日のテーマ曲。
BOØWY 「WATCH YOUR BOY」
http://files.davystyle.com/watchyourboy.mp3

[audio:http://files.davystyle.com/watchyourboy.mp3]

俺は、幼少時代から、今も変わることなく、「独裁者」だと思われる傾向にある。高校時代には、「独善的」だと某担任に学級通信か通知表か何かに書かれたことはあるし、生徒からも「剛腕」だとバッシングを受けたりもした。「あいつは何でも自分1人で決める」「副会長がかわいそう」というセリフは、耳にタコができるほど噂話として耳にしている。

ルーツなど大袈裟なものを辿らなくても、プロフィールを見ればこういう人間だということはおわかりだろう。
B型=自己中心的、マイペース
一人っ子=わがまま、小皇帝
確かに、幼少時代を考えてみても、人の上に立つことは多かったし、その立場を利用して好き放題主張してきた側面はある。自分のプライベートな生活でもそうだ。要所要所で、事前の徹底したリサーチやそれまでに蓄積してきたデータや勘をもとに、常に自分の最大限コントロールできる環境にして決断を下してきた。自分のことについては、両親にすら決定権を認めない。有名な話で言えば、今の江東ベースを選ぶ所から、受験する学校の選択から、家電製品の決定に至るまで、もちろん特定の制限がある場面もあったが、最大限自分のコントローラーは自分でホールドしていたつもりだ。

今週、俺は副会長と旅行に出かける。そして、某友人Aも別の友人と一緒に別の旅行に出かける。
共に男友達2人での旅行だが、この旅行の計画には大きな違いがある。
俺と副会長の旅行の場合、行先から宿の確保から交通経路の決定、それらの手続きまで、全て俺が決断し、実行してきた。事前に希望の条件を確認した上での話だが、全て決定権は俺が有していた。俺が全て組んだ上で、プレゼン資料を作り、副会長にYesかNoか問うのみ。(Noという選択は無いも同然だが)おかげでスムーズに決まり、あとは出発日を迎えるのみだ。
一方で、友人Aの旅行の場合、(俺が聞いた情報のみで書くと)2人でよく話し合い、最終的には役割分担して計画を立てることにしたそうだ。ところが、出発間近になっても、「まだ計画ちゃんと立てられてない」と伺った。彼が特別ズボラというわけではないが、なんとなくわかる気がした。
このように、「話し合いで決める」というのは、一見良い方法のように思えるが、実は責任の所在が不明確なため相互依存し、なかなか決まらないことが多いのだ。今の政治や一部上場企業を見ていても同じである。
1人が全てを自分だけで決断することは、一見乱暴のように見えるが、責任の所在が明確なので頼るものがなく、スムーズに決定することにつながる。今の中国の強さはこれだ。共産党一党独裁なので決定がスムーズであり、ドラスティックなことができる。

夫婦関係でもそうだろう。意外と「亭主関白」「かかあ天下」の家庭の方がなんだかんだ言いながらうまく行ってるケースが多いのではないだろうか。責任が一点に集中しているため、権力をもつものがスムーズな決断、ドラスティックな改革を行える。ビジネスの商談に行っても、中小企業相手の方が早く話がまとまるのと同じことで。

そして、先の旅行の話ではもう1つ重要な点がある。実は、1人に決定権を与えるだけでは、スムーズに物事が動いていかないのだ。
「決断慣れ」をしている必要がある。
自分で何でも決めていく人は、決断のプロセスに慣れている。情報収集の手順から判断する上で気を付けるべきポイントまで、感覚で理解している。ただ首を縦振っただけでは「良い決断」とは言えない。自分独りよがりの決断だけしているようでは、周りは信頼してくれなくなり、二度と決断する権利を与えられない。総合的に判断して、自分にも相手にも社会的にもメリットがある最善の方法をとることで、「あいつに任せておけば安心」という信頼感を得ることになり、次もチャンスが与えられるのだ。「自分さえ良ければそれでいい」という考え方は、持続可能な生き方ではない。

最近は、大学生でも親に依存して生きているヤツが多い。経済的には自立していないからやむを得ないとしても(それでもバイト等して依存比率を減らすべきだが)、身の回りの生活に関わることまで親にやってもらわないと何もできない赤ん坊みたいなヤツが多い。特に実家暮らしに多いのだが、家計管理が全くできない(考えていない)。自分が今後いくら稼ぎ、それをどのくらい生活費で消え、どのくらいを貯蓄に回し、その貯蓄をどう生かすのか。また、どのような保険に加入し、どのように老後に備えるのか。そもそも、生活費にいくらかかるのかわかってないヤツが多い。開いた口がふさがらないとはまさにこの事だ。今の家にどのくらい住めるのか、その後は住まいをどうするのか、その住まいを手に入れるにはどのくらい費用がかかるのか、それを助ける制度はあるのか否か。このくらいのことは考えて然るべきだと思うのだが、何とも情けない。

俺がこういう人間になったのは、血液型や一人っ子ということだけではない。周りの人間がアテにならないと感じたからだ。心配性なので、なるべく早い段階で多くの情報をホールドしていないと不安になる性格。それなのに、周りは誰1人対策をとろうとしない。そもそも情報を持っていない。頼りにできないなら、自分でやるしかない。この繰り返しで、こういう人間になったのだと思う。また、こだわりが強い性格なので、自分で100%納得しないと気が済まないし、他人が決めたものをそのまま飲み込むわけにはいかない性格。通常よりも情報収集を多くしないと合わない。これも繰り返しになるが、「両親が頼りにならない」ことが、俺に対する最高の教育だったんだと思う。そして、決断権を与えてくれたことにも感謝したい。

多分、俺が思うに、皆さんの親はしっかりしすぎているんだと思う。何も言わなくても自分の住むマンションを決めてくれ契約してくれて、生活に必要なものは揃えてくれて、クルマで送迎してくれて、何も負担しなくても食事は出してくれて、掃除や洗濯もしてくれて・・・。俺ら「ゆとり世代」だけではなく、今の日本のリーダー層も、御膳立てしてもらって育てられたのだと思う。だから、自分で決断することに慣れていなくて、「皆で話し合って決めましょう」になっているのではないか。誰か1人に責任を負わせるのはいけないことだと思い、また責任を負うのが怖いから。

楽だよね。皆で話し合って決めていれば、自分が叩かれることもないし、突飛な意見を出す必要もない。誰かが出してくれた意見に「そうだそうだ」と合いの手を打っていれば終わる。何か問題が起きても、「私だけのせいじゃない」と言っていれば済む。何も決めなくても、誰かがやってくれる。誰かが1人で決断しようとしていたら、「独裁者だ!」と批判してればいい。俺の会社の内定者が特別おかしいのではなく、これが今の日本の縮図なんです。学校教育も家庭教育も悪いよ。(まぁ、もっとも俺の家庭でも「皆で決めましょう」タイプの教育だったがね、このおじさんが聞かないだけ)

高校生もいいんじゃないの?塾までは親が車で送迎してくれる。受験に行く際にも、親が切符も旅館も手配してくれる。親が志望校まで決めてくれる。親が自分の住む所まで決めてくれて、引越の作業も全部やってくれる。銀行口座も昔子供名義で作ったヤツをそのままくれる。就職の世話までしてくれる。就活塾に通うお金も出してくれる。受ける企業も決めてくれる。社会人になっても、家庭に一銭もカネを入れなくても、住む所もメシも世話してくれる。どんな保険に入ったらいいかも教えてくれる。お見合い相手を紹介してくれて、結婚相手も決めてくれる。黙ってりゃ、遺産が入ってくる・・・。

俺はそういうの、批判しないよ。いいと思う。いいじゃない?親が全部やってくれて、誰かに決断任せておけば全て解決するんだから。何も考えることないよ。自分のことだけ考えて生きてたらいい。自分のことすら、誰かに決断を任せて、流れで生きていればいい。そういう人生、アリだな。

ただ、俺はしないけどね。俺の美学の中ではありえないし、カッコ悪い。俺は自分の人生は全て自分で決断しないと気が済まない性格だし、「うまくやったぜ!」って達成感味わいたい。自分のことだけじゃなく、親や友人のことだって、俺が面倒見てやりたい。俺が世話してやりたい。仲間を守るのが、最低限のプライドだからさ。

君は、どっちの生き方を選ぶのかな?独裁者と話し合って決めるリーダー、どっちがいい??

※旅行の話での友人Aを批判する文章ではありません。あくまで例として挙げただけ。念のため。どちらかというと、日経の就活記事の「面接が連続すると近場でも交通費が大変。親が車で送迎してくれると助かる」(関西大4年の男子学生)への批判です。※


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