今、いじめと闘っている君たちへ

最近テレビを全くと言っていいほど見なくなったが、大津のいじめ問題については本当に心を痛めている。詳細については各報道を参照していただきたいが、悲しいというか残念というか、あってはならないことだと思っている。冷静に考えれば、多くの皆さんが同じ思いを共有していることだろう。

俺は昔からいじめ問題には関心があり、たびたびブログでも言及している。高校生時代は不真面目な記事ばかり書いていた気がするが、これだけは真面目に書いていた。

2008.09.19 いじめのこと
http://fqt.blog65.fc2.com/blog-entry-270.html

そして、著書にも書いた。
裏切りといじめ
http://ameblo.jp/17smap/entry-10448581888.html

いじめは良くないということは、誰でも言うだろう。語るだろう。
だけど、道徳的に良くないと思っているだけの人は本質的なメッセージを出せていない。
先日の野田首相のコメントを見ればわかる。

首相、声詰まらせ「あなたは一人ではない」 いじめ問題
http://t.asahi.com/788k

野田首相を個人的に批判するつもりはない。代表として出したが、新聞の社説みたいなものでもおそらく同じようなコメントが出てくるだろう。
いくら「1人ではない」「相談してほしい」などと言った所で、実際の現場の声は以下の通りだ。

「どうせ何もしてくれない」 大津いじめで生徒が「学校不信」: J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2012/07/26140834.html

俺がいじめにあっていた当時も同じだった。
「どうせ相談したって何もしてくれやしないよ。返って被害が拡大するだけだ。相談するだけ時間のムダ。」
まだ純粋だった小学校低学年の時の俺にこう思わせたのだから、よっぽどのことだ。

もちろん、全国には当時の俺よりはるかに酷いいじめを受けている人がたくさんいるはずだ。そんな方々にしてみたら、俺の経験など「その程度ならいいよ」と思われてしまうだろう。だから、俺はその方々の気持ちを本当に細部まで理解できるかといったら、それはできないだろう。でも、少しだけなら理解することができる。20世紀という相当昔に起こった出来事ですら、今でも覚えているのだから。少しでも俺の言葉に耳を傾けていただけたら幸いだ。

まず、これだけは言いたい。「無理して相談しようとしなくていい。」
相談しろと周りの人々は言う。あのね、そんなこと無理だから。気軽に「相談してください」なんて言うようなヤツは、単なる傍観者。親身になって話を聞いてくれたとしても、実際に何かしてくれるなんて思ったら大間違い。もちろん、それは悪意じゃないよ。相談された人も、どうして良いかわからないんだ。で、仮に動いてくれたとしても、ちゃんと考えずにノウハウ持たずに動くから、結局火に油を注ぐ結果になるだけ。下手したら、「お前にもいじめられる原因がある」とか言われかねない。だから、相談して事態が良い方向に動くと思ったら、大間違い。経験談として、それだけは言っておきます。

それから、これは特に励ます立場の人へのメッセージかな?「あなたは1人じゃない」とか言うような人間は、少なくとも俺は信用しない。
いじめられてる人間が誰かに「あなたは1人じゃない。周りに味方は必ずいます。」なんて言われた所で、「そうか、俺は1人じゃないんだ・・・」なんて、思うわけないだろ!バカか!?
いじめというのは、被害者と加害者で構成されてると思ったら大間違い。被害者vs直接的加害者+間接的加害者の構図。傍観者なんてものは、間接的加害者。いじめを受けてる人間からは、そう見えるんだよ。何回も書くけど、俺も当時は直接的加害者は2人だったものの、親も教師も周りのクラスメートも全員敵だと思っていた。周りが全て敵に見える。そんな状況で「あなたは1人じゃない」なんて言われた所で、心に響くわけがない。

だから、言います。いじめられてる人へ。あなたは1人です。今、孤独な状況です。誰も助けてはくれません。1人で戦うしかないのです。
じゃ、今これを語るDavyの立場は?少なくとも、敵じゃない。でも、直接的な見方にもなってあげられない。通りすがりの人だと思ってください。

ここからは、闘い方。ここで負けたらいかんよ。これは、ピンチでもあるけど、パワーアップするためのチャンスでもあるんだ。ここできちんと戦い抜くことができれば、強くなれる。ヒーローになれる。そんなビッグチャンスでもある。
学校に行かなくたっていいじゃないか。それは「逃げ」じゃない。学校生活よりも価値のあるものを選択すればいいんだ。人生は短いんだ。時間は有限だよ。学校に行って、くだらないいじめなんか受けてるヒマなんかないんだ。

大学ってね、いじめは無いんだ。いや、サークル内とかあるかもしれないけど、いじめを受け続けなくて大丈夫な環境なんだ。なぜかって?自分が属したいコミュニティを自由に選べるし、コミュニティに属さなくてもいい自由もあるんだ。授業の選び方さえ間違わなければ、毎日同じ人と顔を合わせなくて済む。多くの場合、周りの連中の顔と名前がわからない状況で講義を受けることになる。顔も名前も知らない初対面の人間をいじめることってあるかい?俺なんて、大学で顔と名前を知っている人間なんか10人もいないよ。毎日のように大学に行ってるけどさ。1人で行動してるし、誰とも交わらないからなんだけどね。それでも、充実した大学生活を送れている。そんな世界もあるんだってこと、知っておいてください。

小学校・中学校・高校でも、似たような環境を自分で作り出してしまえばいいんだ。何も決められた学校に行かなくても、勉強する方法はいくらでもある。義務教育の場合、事情さえ理解してもらえれば、学校に通わずとも卒業することもできる。学校に行かない分、その分、学校に行ってる連中よりも充実した時間を過ごせばいい。本をたくさん読んだっていいじゃない?天気の良い日は散歩に出かけたっていいじゃない?天気の良い日に、座ってくだらん授業受けてる連中よりも、よっぽど充実した人生送れるよ。

もちろん、学校に通い続けるという選択もいい。俺はこの選択をしてきた。茨の道だけどね。いじめと直接的に戦わなきゃならない。
最も効果的なのは、いじめに対していちいち反応しないこと。いじめてる連中なんて、虫けらと一緒さ。動くものに対して反応するんだ。例えば、キチガイの人に街で出くわした時とか怖いじゃない?そんな時、自分の存在、オーラを消すでしょ?彼らも動くものに対して反応するんだから。それと同じ。何をされても「やめて」とか言わない。泣かない。表情変えない。シカトし続ける。すると、いじめてる連中もつまんなくなるから、その行為をやめる。俺は恥ずかしいことにいじめをする側にも回ってしまったことがあるから、わかる。いじめられてる連中の反応を面白がる傾向にある。泣けばもっと泣かせようとするし、痛がればもっと痛がらせて反応を見ようとする。もっともつまらないのが、全く反応してくれなくてこちらを無きものにしようとするパターン。なんかムカつく。しばらくは挑発するんだけど、それでも反応が無い場合、面白くないからターゲットを変更する。こういうことなんだ。

いじめにも波がある。嵐のような日もあれば、穏やかな日もある。ちゃんとやられた被害を記憶しておくんだ。ノートに書き留めておいてもいいし、Twitterに書き込んでもいい。証拠を作っておくんだ。仮に法廷闘争に持ち込んだ場合、有力な証拠を作るためにね。ちゃんとストックがあれば勝てるよ。

対処法と同時に、今後の予防策も打たなければならない。いじめを受けてる人の中には、どのコミュニティに行ってもいじめられる人というのも一定数いて、そういう人の特徴はいじめられやすい体質にあるんだと思う。ナメられる。だから、イメージ戦略と報復。この2つを予防策として打たなければならない。
まず、イメージ戦略。「あいつは暴れたらどうしようもない」「あいつに関わるとめんどくさい」そう思わせることが大切。ここで1つ。「不平不満を表す時には、暴力をもってそれを示せ」。具体的には、対人ではなく対物の暴力。俺は特に小学校高学年~中学校前半はこれを行っていた。何か不平不満があると、机を蹴る、椅子を投げる、モノを壊す。一瞬でその場を凍り付かせる。そのことで、「あいつに何かすると事が大きくなる」と思わせることができた。高校でも多少やっていたかも。そして、言葉遣い。お坊ちゃん言葉はいじめの対象。ここはヤンキーの巻き舌を見習うこと。「ねえねえ、そういうの良くないよ。やめなよ~」なんて言ってるようなヤツはいじめに遭う。「お前、ナメとんのか!」と大声で一喝できるヤツはいじめに遭わずに済む。優等生になったら負けだ。この世界、ナメられたら終わりなんだ。歩き方含め、細心の注意を払うように。
そして、報復・仕返し。「あいつに手を出したら後が怖い」と思わせること。その際に注意すべき点は、自分の手を汚さないこと。直接的に何かをした地点で、こちらが悪者にされる。そうじゃなくて、周りからじわじわ固めていくんだ。相手に「居づらい環境」を提供してあげる。ちなみに、俺の場合、俺をいじめていた人間は、予備校に居づらくなり、比較的早い段階で辞めてしまいました(笑)

このように、いじめを乗り越えることができたら、君の人生は変わるはずだ。だから、諦めずに頑張ってほしい。人生の果実は、まだまだ先の方にある。ここで諦めてドロップアウトするにはもったいない。闘い方はいくらでもあるし、一瞬だけかもしれないけど逆転できるチャンスだってある。負けないでほしい。いじめごときで振り回されるほど、君の人生は安っぽいものじゃないはずだ。

高校時代のアレも、見方を変えればいじめの構造。多くの人は、「自業自得」と言うだろうけど、彼らのやったことは決して許されることじゃない。俺は今でも許してないよ。あいつらが不幸になるのを見届けるまで死ねないよ。あの時も「応援してるよ」と言ってくれる味方はいたけど、一緒に戦ってくれる人は皆無だった。やっぱり、俺は孤軍奮闘がお似合いなのかな?

でもな。いじめは無くなった方がいいに決まってる。もちろん、乗り越えれば強くなれる。そういう意味では、その人に人生にとって必ずしもマイナスな面ばかりじゃない。しかしながら、心にできた傷は、たとえ乗り越えることができたとしても一生消えることはない。俺だってそうだ。今も後遺症に苦しんでいる。友達のことは信頼はしてるけど、常に「俺は1人で戦っているんだ」という気持ちは消えないし、心のどこかでは信頼できていないのかもしれない。人と積極的に交わろうとしなかったり、彼女を作ろうとしなかったりするのも、こういう所から来ている。「どうせ、君にはわからないよ」って思いながら生きている。親に対しても。俺のことを心の底からわかってくれる女なんか現れるわけないと思っているし、わかったフリをされつつ裏切られるのがかなり迷惑。なら、わからないこと前提でいい。それなら、こちらも距離をおくから。・・・となると、友達として付き合うなら意味はあるけど、彼女や結婚相手にする意味はないだろ?俺自身、孤独は感じていないけどね。孤高のスターだと思っているから。

俺がこういう生き方を選んだのは、いじめから身を守るための自己防衛本能だと思う。俺はいいけど、世の中の人全てがこうなって欲しくはない。俺みたいなヤツを作らないためにも、いじめは絶対に無くすべきだ。人と人とは心の底から信頼し合っていて欲しいし、異性間でもより深く結びつくような関係でいてほしい。こんなひねくれた人間を生み出さないためにも、心からお願いしたい。幼少期や思春期に心に大きな傷を作らないまま、ピュアな大人になってほしい。

俺は、自分の心臓を止めるような生命の絶ち方はしなかったけど、ある意味では自殺した状態で生きているのかも。コミュニケーション障害を抱えて生きているということは、社会的に自殺したも同然だ。日常生活を送る上では支障はないけど、他の人と同じ生き方をできるわけじゃない。もちろん、今の俺は幸せだよ。俺自身は心の底からそう思っている。でも、見る人から見たら幸せじゃない生き方なのかもしれない。だったら、こんな人間を増やしちゃいけない。

色々長く書きすぎたな。とにかく、いじめに負けないで。傍観者と言われるかもしれないし、無責任だと思われるかもしれないけど、俺は俺なりのやり方で応援しています。いじめを受けた「先輩」として。

Buffer

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