ホワイト・レジスタンス ~13周年を記念して~

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「絶望からのレジスタンス」
10年前、白い壁紙に包まれた狭い空間から旅の暮らしが始まった。抗っては敗れ、抗っては敗れの繰り返しに疲れきっていた俺は、闘うことからも自由になりたかったのかもしれない。静岡の時よりもきらびやかに見える街の灯りを見つめながら、「ずいぶん遠くまで来たもんだ」とため息をついた。かすかに残っていた希望や情熱に火を灯しながら、訪れた絶望から這い上がれる日を夢に見ていた。

思えば、どの方向からも光が差していた Teenager 時代。2006年2月26日、憧れだけでfqtとして生きることを決めた。スタンドプレーも挫折も全てがダイナミックだった高校時代初期。見えない敵に敗れ、失意の中自分の正しさを証明しようとしてあがき続けた高校時代後期。Davy Fujinamiに改称して、本名での自分との融合を図ろうとした大学時代。友達は少なかったが、興味のあるものにどんどん手を出して貴重な経験を積ませてもらった。Fujinamiとして得たものを、Davyにフィードバックする。Davyとしてパフォーマンスしたことを、Fujinamiの経験にプラスする。いずれも実験的な試みだったけど、来るべき朝を迎えるための準備体操としては、なかなか面白いものだった。

そして、東京のど真ん中で広い海原に船を浮かべた。今度こそは同じ過ちを繰り返さぬようにと、胸に新しいビートを刻んで。今まで自分は大衆には受け入れられないと卑下していたが、Davyとしての経験は予想外に周りに受けた。Davyをリアルな世界に引きずり出してくれたのは、今の仲間がいたからだと思う。「顔の見えないあなた」から「目の前のあなた」に、自分の中でのフレーズが変わったような気がしている。あくまで、気がしている、だけなのだが。

ついに、もう一度日の目を見る出来事が訪れた。2011年から温め続けた「木更津ベースプロジェクト」は、新聞に大きく取り上げて頂けるだけのものに成長した。もちろん、俺の力だけじゃない。だが、ノアの方舟のように夢物語だの非現実的だのと嘲笑されてきたプロジェクトが、堂々と MAINSTREETを歩けるようになったのだ。どんな夢でも想い続けて、きちんと計算し実行すれば叶うということをこの経験から教えてもらったし、俺ができる恩返しはその経験を誰かに伝えることなのかもしれない。
また、仕事の面でも日の目を見る出来事が訪れた。某メガバンクグループのグループ広報誌に、私、そして私の仕事が取り上げられることとなった。こちらも挫折して3年、復活した姿を魅せられたのではないかと思っている。

今、レジスタンスの姿勢を見せているか、と問われたら答えは NO かもしれない。でも、丸くなったり冷めたりなんかしちゃいない。自分が掲げる正義のためだけに、静かに闘志を燃やしている。必要以上に抗うことはしないが、決して迎合したり屈したりすることなく、勝負どころをきちんと見極めて吠えるべき時は吠え噛みつくべき時は噛みついている。いわば、「ホワイト・レジスタンス」というべきか。

デビュー13周年の記念として。今の俺が奏でるメロディーを楽しんで頂ければ幸いだ。
そして、私の中に俺が帰ってくる瞬間を、あなたと共に楽しみたい。

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