「きっかけ」について

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4月に入ってからの日曜日は、天気に恵まれない。雨か、晴れの日でも強風で、とてもバイクで遠出をする気にはなれない。一応、自分の中で基準は定めており、風速10m/sを超えた日には出さないようにしている。一般道でも海沿いの幹線道路の走行に若干不安定感が生じるレベル。強風注意報が出るとか出ないとか。レインボーブリッジに関して言えば、風速8m/sの時ですら恐怖を感じたが。意外と平日の夕方が落ち着いた日が多かったので、アフター5にバイクを飛ばすこともあった。

とはいえ、全く外出しないわけにもいかない。今さらながら、1人暮らしというのは、黙って寝ていて食事が運ばれてくるわけではない。初任給が出て初めての週末である日曜日、雨上がりの湿った道を走る憂鬱さを抱えながら、地下から重い鉄馬を引っ張り出してきた。

夕飯は軽く済ますか、とフードコートに入り、おなじみのはなまるうどんに足を運んだ。店頭で「健康保険証提示でサラダうどん50円引」との看板があった。珍しい取り組みに興味を示さずにはいられなかった。就活中、カード会社やその類似会社を受けたので、「カード提示で割引」の仕組みはなんとなくはわかっている。だが、おそらくこの取り組みは、それらとは一線を画すものだろう。各種健康保険組合からいくらかのカネが出ているわけではないということは、容易に想像がつく。

「きっかけ」が欲しいんだ。割引をするためのきっかけ。

人は、「理想の自分」に憧れ、今の自分から変わりたい、変わらなきゃ!って心のどこかでは思っている。誰だって、座して死を待つような生き方はしたくない。子供の頃に憧れたヒーローや青春時代に見たドラマの主人公に少しでも近づきたい。だけど、現実はそうもいかない。校舎の窓ガラス壊して回ったり、盗んだバイクで走りだしたりなんて、できるわけがない。組織の中に澱む見えない空気に支配され、誰も何も言わないのに、勝手な思い込みで自分を縛り付ける。ホントはもっと笑えるはずなのに、氷の仮面を貫くことをなぜか自分に強要してしまう。

学生時代、先生の話なんてロクに聞いてやしなかった。とはいえ、断片的に記憶に残っている話がある。中学時代に聞いた言葉か。
「人は日々成長していくんじゃない。節目節目で成長していくんだ。」
当時はほとんど意味などわからなかったが、今なら少しわかる気がする。「きっかけ」なんだ。俺は戦隊もののヒーローじゃないから、毎日変身することはできない。だけど、何かアクシデントがあった時、周りの環境が一段と変わった時、俺の中の何かがほんの少しだけど変わるような気がする。それを進化と呼ぶか、退化と呼ぶか。判断は皆さんにお任せしよう。とにかく俺は、俺じゃない俺を手に入れる。そして、その俺が本物の俺になる。俺はそうやって生きてきた。

「きっかけ」・・・漢字で書くと「切っ掛け」

語源を調べると、諸説あるようだが、「切る」(やりきる、話しきる)+「掛ける」(やりかける、話しかける)の説が有力のようだ。つまり、これまでやっていたものを断ち切り、新たなスタートに向かう瞬間を表した言葉。それが転じたんだろう。辞書には「物事を始めるための手がかりや機会。また、物事が始まる原因や動機。」と書いてあるが。とにかく、きっかけは、物事を始めることとリンクしているようだ。

きっかけには2種類ある。外的要因と内的要因。外的要因はわかりやすい。入学のタイミング、入社のタイミング、新生活を始めるタイミング・・・。我々が生活していく上での節目で作られやすい。バイトを始めたのをきっかけに早起きしてみようだとか、高校に入学したのをきっかけにサッカーを始めてみるだとか。人が変わるわかりやすいタイミングだ。
もう1つの内的要因。自発的要因と言い換えられる。自ら(内からの)動機づけ。これが難しい。でも、内的要因からのきっかけ作りが上手い人は、充実した人生を送れる。それは間違いない。

なぜ、俺はバイクを買ったか。正直な話、東京のど真ん中にいてバイクなど必要ない。クルマが必要だと言うなら、百歩譲ってまだわかるが。天候に左右されやすく、初期費用も維持費も決して安いとは言えず、危険な乗り物に、誰が喜んで手を出すか。俺だって、もちろん近所のハーレーショップを見た時のあの感動が忘れられないからバイク好きになったのだが、何もバイクそのものが欲しいだけで買ったわけじゃないんだ。

生活を変えたかった。バイクを買ったことをきっかけに、外に出る自分が欲しかった。
大学4年の頃なんて、単位をほぼ取り終えているし、バイト以外で外に出る必要もない。家にいる方が快適だし、身体も心も楽だ。必要な買い物さえ出ればいい。そんな怠惰な毎日に成り下がりそうだった。現に、免許取得からバイク購入まではそんな日々だったかもしれない。

でも、それじゃ何も変わらない。人に会うこともしない、外に出て景色を見ることもしない。心が動かされるわけないじゃないか。アーティストとして一番やってはいけないこととは、「何もしない」ことだ。作品は生まれないし、いい文章だって書けやしない。とにかく、動かなくてはならないのだ。

社会人になり、自分で生計を立てるようになり、普通のサラリーマンと同じく平日週5日朝から会社に通うようになった。夕方まで拘束されるし、冗談じゃない。だけど、今俺はとても充実している。会社から疲れて帰ってきたって、夜バイクで湾岸高速を飛ばす。友達と飲みに行く。ショッピングにだって行く。サビついた歯車が動き出したんだ。すると、どうでしょう。自分の心にまで変化が出てきた。最高に輝いていた時の自分が、帰ってきてくれたかのようだ。カムバックして一躍高支持率をキープするようになった安倍首相のように。彼は本当にどん底に落ちた人間の希望だ。再チャレンジの星だ。

高校時代、失脚してから俺は自分の姿を安倍首相に重ねていた。高い志はありながら、体調と不運と準備不足で失脚してしまうという共通項。前任者が大人気長期政権だったため、自分のカラーを強く打ち出そうとして空回りしてしまった所とか。だから、嬉しかったんだ。昨秋の自民党総裁選で安倍総裁が返り咲いた時。そして、衆院選で大勝して総理大臣の座に舞い戻った時。俺ももしかしたら復活できるかも!って、一筋の光が見えていたんだ。そういう意味でも、俺は安倍首相、安倍政権に「頑張れ!」って心の中でずっとエールを贈っていた。もちろん、今も。そして、俺も、昔の輝きを少しだけかもしれないけど取り戻しつつある。「昔の輝き」と言っても、古いものを戻したわけじゃない。新しい光だ。どっかの会社名のような(笑)

もう1つ回り出した歯車があるけど、今はその話はやめておこう。心に刻んだ「第三の男」のエンブレムは、もう剥がしてもいいんじゃないか。

特に、こういった何かをプロダクトする職業の人間にとって最も必要な能力の1つに、「きっかけ作りの上手さ」すなわち「チャンスメイク能力」というものがある。よく「文章上手いですね」という大変嬉しい言葉を頂くが、実は俺は文章があまり上手くない。引きだしがそれなりにあることと、チャンスメイク能力が少しあっただけだ。言い換えるならば、他の人が気付かないような所で立ち止まり、他の人が気付くような所をスルーしてしまう力というべきだろうか。今日のこの記事だって、題材はうどん屋の1枚の看板。そこからここまで話が派生した。普通の人なら見逃してしまうような所で、色々考えを膨らめていただけの話。もしかしたら、会社には仕事をしに行っているのではなく、ブログのヒントをもらいに行っているのかもしれない。会社に行くようになって、色んな発見がまた1つ増えた。変わった所での好奇心が強いのかもしれない。

俺ら若い連中のほとんどはカネがない。能力もノウハウもない。つまらない。
だけど、大きな大きな資産を持っている。「時間」と「健康」と「好奇心」だ。
時間に関してはたっぷりある。1日1日は短いし、1年もあっという間に感じるようになったけど、平均寿命まで生きるとしたらイヤになるくらい果てしなく長い長い道のりだ。そして、学生時代よりだいぶ衰えてきたとはいえ、病院に通うほどの大きな障害を持った人はそこまでいないだろう。そして、好奇心。わからないからこそ、「知りたい」「興味がある」「面白そう」という気持ちがある。俺だってそう。仕事に関して言えば、証券アナリストを取れと言われるとその知識に関して吸収したいと思えるほどの好奇心は生まれないが、今どこの国が好調だとか、今どの産業が面白いことしているかだとか、そういったことに関してなら興味がある。何もわからないけど。だからこそ、新鮮な気持ちで知ろうと思えるってことは、案外悪くないんじゃないかと思っている。

俺が友人にも将来の恋人にも1番求めている能力かもしれない。好奇心があること。
色んなものに興味が湧けば、それだけで人生が楽しくなるってことを、誰よりも俺自身が1番知っているから。そして、自分や自分の興味を持っているものに興味を持ってもらえるとすごく嬉しい。そして、そんな素敵なヤツのことを知りたいと思って、俺もその人に対して興味を持つ。この連鎖があるから、話が弾む。ありきたりかもしれない毎日をマンネリ化させないための方法は、「好奇心を持つこと」「興味をもつこと」だと思っている。

そういう意味では、都営浅草線は面白い。京急車両、都営車両、京成車両、北総(千葉ニュータウン鉄道)車両、芝山車両・・・それも各社何種類もの車両が来る路線。「あ!C-Flyerだ!」「あ!BLUE SKY TRAINだ!」毎日、そんな発見がある。浅草橋での乗換は面倒だし、そこまで浅草線空いてないし、半蔵門1本に乗り換えようとも思ったけど、そんな毎日を楽しんでいる。

思うようにいかないこと、辛いこと、苦しいこと、退屈なこと・・・いっぱいあるけど、最近はこの一言で片付けている。

「まぁ、いいんじゃない?」

ネガティブなことを語っても仕方ない。どうせ語るなら、楽しいこと語った方が楽しいだろ?
明日も、憂鬱な一日を楽しみましょうか。

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