デビル・スタンダード

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今日から我が家でもBSを見られるようになった。スカパーのアンテナ無料キャンペーンで、とりあえず1年間スカパーに入ることを条件に、アンテナをタダでもらえ、取り付けてもらえるとのことだ。2010年8月末以降、TV離れしている生活を送っている俺にとって逆行しているかもしれないが。世田谷ベースとかちゃんと大画面TVで見たかったし、お試し期間中の今は数十チャンネルも見れてなかなか面白い。1年後に解約すれば、CSは見られなくなるが、BSはそのまま見られる。アンテナ代と工事費よりは安いので、良い選択だったんじゃないかと思っている。

アンテナついでに、話を1つ。俺が最近ハマっているドラマ「相棒」のシーズン10・15話に「アンテナ」という話がある。犯人ではないのだが、1人のひきこもりの青年が描かれた話である。9年間もひきこもっている理由を問いただしても「忘れた」と答える青年に、杉下右京(水谷豊)はこう語りかける。

右京「忘れたという類のものではないのでしょう。
   原因はきっと、アンテナの感度なのですから」
相原「アンテナの感度?」
右京「親や教師が、たとえあなたのためを思って放った言葉でも、
   そこに少しでも親や教師自身のための気持ちが入っていると、
   あなたは高感度でそれを受信してしまう。
   つまり、あなたが人と話をすること自体、
   あなたが傷付いてしまうこととイコールになってしまう」

このストーリー自体はそれほど面白いものではなかったが、ここのシーンについては俺が今まで悩んでいた何かに光を照らしてもらえたような気持ちになれた。

他人が悩まないことを悩み、考えなくて良いことまで考えてしまう。
周りが気付いていることに気付かず、気にすべき所を気にしない。

15歳の時に俺の人生を変えてくれた男、尾崎豊。彼の世界に共感できたのは、同じ症状を抱えていたからだろう。「盗んだバイクで走り出す」「校舎の窓ガラス壊してまわった」イメージばかりが先行しているが、決して「暴れん坊」な男じゃない。尾崎豊のアルバム6枚のうち、前半3枚(十七歳の地図、回帰線、壊れた扉から)と、後半3枚(街路樹、誕生、放熱への証)で毛色が違うことは既に何度も語っているだろう。わかりやすく有名な曲が多く含まれている前半3枚ばかり注目されているが、尾崎豊の真骨頂は後半3枚なのだ。良く言えば「アーティスト」、悪く言えば「普通の人として生きる権利を放棄させられた人種」が抱えるジレンマみたいなものが、どの曲にも表れている。

アーティストとは、どんな人種なのか。芸術的なものを生み出す、現代風の言葉を選べば「クリエイティブ」で「ユニーク」な人種なのだろう。それだけ聞けば、美しくスタイリッシュでカッコイイものだろう。だが、それを生み出す源泉はどこにあるのだろうか。普通の暮らしをしている人間が、天から与えられた才能だけを活かして生み出せるものだろうか。答えはイエスでありノーである。確かに、同じ人間だ。似たような暮らしをし、似たような悩みに直面し、他と何ら変わらない部分は少なくない。だからこそ、多くの人の感性に訴えかけるような作品を生み出すことができる。共有できる何かが、そこには存在する。間違いない。だが、1つだけ決定的に違う要素がある。「アンテナの感度」だ。他人が受信しないようなものまで受信してしまい、多くの人が受信するようなものに気付けない。言葉にできない要因で傷つく。自分でも感覚ではわかっているし、何とかそれを言葉にして説明しようとするが、適当なフレーズが見つからない。伝えられないから、理解されない。そして、勝手に袋小路に入り込んでしまう。アーティスト人生とは、孤独との闘いだ。著名な文豪が自殺に駆り立てられるのも、一般的な常識に当てはめれば不可解なものだが、こういった事情を鑑みれば少しは理解できるのではなかろうか。

日常レベルに落として考えれば、俺のこの1週間はアンテナの感度がかなり繊細な状態にあったと思う。淡水魚がいきなり海水に放り込まれた状態。それまで自分の理解者だけで固めていた人間関係が、急にそうでない環境になった。ちゃんと説明をしないと後々大変なことになる環境になった。そして、その説明をするにもかなりの勇気が必要な環境になった。

別に、こんな状況にあるのは俺だけじゃない。俺の仲間もそんな状態だろう。ただ、1つだけ違うとするならば、他の方々はある程度環境に適応し、環境に合わせて自分を変えられる。ところが、俺は自分の形を変えてしまうと耐えられず爆発してしまうタイプ。長い付き合いのある人はよく御存知だろう。どれだけ多くの「事件」を起こしご迷惑をお掛けしたか(笑)だから、俺ができるのはせいぜいスピードを落とすことくらいで、全く違う役を演じることができないのだ。ウソがつけない。好きでないものを好きとは言えないし、キレイでないものをキレイとは言えない。とは言え、直接感情を言葉にすることすらできない。好きであっても、好きとは言えない。キレイであっても、キレイと言えない。純粋だけど、素直ではないかもしれない。素直であったとしても、正直ではないのかもしれない。未だによくわかっていない。よく「どうやって文章書いているんですか」と質問されるが、俺にもよくわからない。いわば「天から降ってくる」状態だ。何者かによって支配されている感覚に陥る時がある。今もそう。

週の前半は悩み、苦しんだ。自分を抑え込もうとしていたから。どこまで許されるのかがわからなかった。無理をすると、当然身体にも異変が生じる。毎度のことながら胃腸系は完全に壊れ、拒食症に近い症状に陥った。身体を休ませるよう早く寝るなど心掛けたが、そうすると今度は精神の健康に異常が生じる。「俺は会社と家の往復だけで、人生が終わるのか」と絶望的な気持ちになった。水曜日だったか、会社のトイレ(個室)で泣いていた。「今日で辞めたい」とすら思った。「こんなの俺じゃねーよ!」と心の中で泣き叫んでいた。

風向きが変わったのは、水曜日の夕方。バイクのタイヤ交換のために、少しばかり街を流した時だ。スピードメーターの針が、少しずつ起き上がってくる。針と連動するように、俺の気分も起き上がってくる。アウトインアウトでコーナーを抜け、帰宅ラッシュとは逆方向でガラ空きの道路を飛ばす。オービスなんか気にしている場合じゃない。ビルの向こうに太陽が身を隠す瞬間。俺は最高のフリーダムを手に入れた。「誰が何と言おうと、俺は俺でいようじゃねーか」。そんな夕暮れだった。

「あの会社で何とかやっていけそうだ」と自信が芽生えたのは金曜日の夜。前夜にバイク店から修理が完了したとの電話があったため、仕事が終わった後取りに行こうと思った。同僚たちは初週を乗り切ったということで飲み会に行こうとしていたが、「俺はいいよ」と言っていた。まぁ、結局は折衷案として俺だけはバイクを取りに行ってから、そのままバイクで八重洲に向かい遅れて参加するというものになったのだが。もちろん、アルコールは飲んでいませんよ!(笑)
結論から言えば、行って良かった。待っててくれたのが嬉しかった。正直、断る時に「俺がいない方がやりやすいだろう。ここは身を引くべきだな。」とか思っていたものだから。このサイトの事も含め、俺なんかに興味を持ってくれたのが嬉しかったし、ここがホームになる日もそう遠くない気もしてきた。電車が人身事故とかで見合わせになった時、彼らをバイクの後ろに乗せて送り届ける日も来るのかもしれない。それくらいしたって構わないと思えるくらいになれたのが、何よりも幸せ。面と向かっては言いづらいが、感謝を表明したい。おそらく今日あたり飽きて(忘れて)このサイトを見なくなっていることは明白だろうから、こっちなら安心して書けますわ(笑)あれは話のネタで出ただけで、継続して読んでもらいたいとかそんなことはこれっぽっちも思っちゃいない。俺の友人ですら読まないヤツがいるくらいだし、顔も名前も知らない人が継続して読んでくれているケースもある。このサイトについては、コンテンツに本当に興味がある人だけが来ればいい。そこが、俺がFacebookとかやらない&mixi日記をプラットフォームにしない理由かもしれない。友達に読んでもらうために書いているんじゃないってわけだ。ミュージシャンが、自分の友達に聞かせるためだけにCDを出すか!?って話よ。

彼らと別れた後、俺は不在時の書留を受け取るために、郵便局へ行った。バイクを停め、入口に向かおうとすると、猫の鳴き声が聞こえてきた。足元を見ると、可愛い子猫が俺を見上げ、何かを訴えかけてくる。「どうしたの?」と声を掛けると、更に何かを訴えかけてくる。「お腹でも空いてるのかな」と思ったが、あいにくガムくらいしか持ち合わせていない。連れて帰ってあげたかったな。最近になって、無性に家に誰かがいる生活がしたくなったんだ。大学時代は1人暮らしの方が楽でいいと自由を謳歌していたのにね。とにかく、早く結婚したくなった。恋がしたいんじゃない。愛が欲しいのかもしれない。そして、愛を誰かと共有したいのかもしれない。俺が相手のために何ができるか、なんてことはわからないけれど。女性とお付き合いしたことが無いので、右も左もそういったことに関してはわからないのだが。ただ、俺と生活したら楽しいんじゃないか、とだけは思っている。現に、友人で元秘書(男ですが)はそう感じていたはずだ(と信じている)。

そこから、普通に家に帰らなかった。ハイウェイを飛ばしたかった。でも、その時間帯は帰宅のために渋滞が多発している時間帯。仕方なく、幹線道路を北へ北へ向かった。向島あたりまで行ったかな。途中で曲がり、隅田川沿いの道を南下する時、目の前にハイウェイが現れた。40km/h道路だが、針は60と80の間にあったような・・・。クルマも人もいない、俺のためだけに用意された道路かと思った。俺だけのハイウェイ。昔、抑圧の中で戦ったアイツが、こう囁いた。「自由は誰かに与えられるもんじゃない。自分で作っていくもんなんだ。」って。声なき声に、「そうだよな」とつぶやき、間近に見える光輝くスカイツリーを見上げていた。

矢沢永吉 「風の中のおまえ」

『虹を追いかけて 今日まで走ってきた
気が付けば 虹は消えて ズブぬれて

欲しいものはいつも 誰かの手の中で
輝いてた まぶしいほど くやしいほど

いつか夢をつかんでやる
風に叫んで 笑ってみせた
バイクにオマエ のせて走った
たそがれの街をふたり

夏がまた過ぎて すこしだけ歳取った
誰かの為 生きてくなんて オレらしくないかい?

つよがりだけで 走った
夕日が帰り道を照らす
きっとしあわせにすると
オマエ想い 涙こぼれた

泣かせておくれよ
このまま 今夜だけは
たそがれの街をふたり』

まだまだビビってるけどさ。めっちゃ不安なんだけど。
それでも、ビビりながら前へ進んでいこうと思う。
過去を隠すことはせず、その軌跡が創り上げた俺でいればいい。

カッコ悪い自分を隠そうとすることが、カッコ悪い。
俺はまな板の上の鯛。どう評価されるかは知ったこっちゃない。
迷惑をかけないことよりも、どう貢献できるかを考えたい。
1-0での勝利なんて、味気ないだろ?
俺は、51-49で勝ちたい。

スタンダードな生き方はできない。
したくもない。
俺だけのスタンダードがそこにあればいい。
それが、デビル・スタンダードなんじゃないかな。

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