不器用・苦労論

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ロードムービー 主役はいつも
ドジで不器用な男と決まってる
誤魔化せずケンカして仕事も干され
夢をかじって生きた

もし俺にも天使がいたら
無茶な生き様に呆れているだろう
でもいつか死ぬ間際 その時でいいから
俺に微笑んでおくれ


布袋寅泰「Dreaming in the Midnight City」

夜、ベランダからきらびやかな街を見ながら聴く曲。
俺の人生を歌ってくれているんじゃないかとさえ思える曲。
高校時代から好きだった。

この曲の意味を深く理解できるようになるまでには時間がかかった。
最近、少しずつ実感を持って歌えるようになっている。

歌を歌うということは、口先だけ合わせてメロディーがあっていれば良いわけではない。それでは聴く者は感動しない。そのアーティストの背景があるからこそ、言葉以上の意味を持って伝わるのであり、感動できる。だから、歌なんか上手くなくていい。人生を懸けてその詞を表現できることが大事なのだ。

俺は、自分自身をアーティストだと思って生きてきた。俺がプロダクトするものは全て芸術であり、誰にもとって代わることのできない存在だと思っていた。でも、ここ数ヶ月、そのことをすっかり忘れていた。単なるビジネスマンに成り下がるどころか、ビジネスマンにもアーティストにもなれない中途半端なポリシーで生きている自分がそこにいた。本来の俺じゃなかった。オールバックも精神からの発露ではなく、単なるポーズだった。

なぜ、こうなってしまったのか?おそらく、俺の専売特許である「セパレート」が上手くできていなかったんだと思う。別に、いつもDavyでいる必要はない。逆に、何もDavyをやめることもない。その場その場に応じて切り替えれば良かっただけなのだ。その切り替えが上手くいかないために、何をやっても中途半端なヤツに成り下がっていたのだ。

かといって、そんなことを今さら責めるつもりもない。もっと責めるべきものがある。
自分が「不器用」だということを忘れていたことだ。
人一倍助走しないと飛び立てないことを忘れていた。飛び立ててもうまくコントロールしないと真っ直ぐ飛べないことを忘れていた。
それと、もう1つ。「不器用」こそが俺の勲章だということを忘れていた。

いとも簡単に成功できる自分を夢見ていた。戦略を駆使すれば器用に乗り越えられると思っていた。政経での成功の中で、夏以降の記憶しか呼び戻さなかった。1学期に苦労したからこそ、夏以降の成功があったのに。それがあったからこそ、成功を語れたのにね。

さっきのアーティストの話に戻そう。感動的な歌は、その方の背景にある。アーティストが過去に苦労していれば苦労しているほど、歌は輝きを増す。デビューまもなく大ヒットした歌手なんて、これっぽっちも魅力がない。ずっと第一線で売れ続けてる歌手なんて、興味がない。

矢沢永吉の広島時代。キャロルの頃。オーストラリア事件。そんな話があるから、トラベリン・バスが説得力を持つ。
布袋寅泰の高校中退の話。BOØWY初期の苦労。ソロになってからの寂しさ。頭蓋骨骨折。それがあるから、LONELY★WILDを「俺たちのテーマソング」にできる。
彼らだけじゃない。感動的な歌を歌うアーティストには、必ず売れてない苦労した時代がある。
俺が、尾崎豊の後期(「核」以降)の曲が好きなのは、彼がもがき苦しみながら生みだした言霊だからだ。「太陽の瞳」はお気に入りの1曲である。

こんな仕事は 早く終わらせてしまいたい
まるでぼくを殺すために 働くようだ
それでなければ 自由を求める
籠の中に閉じ込められてる
 
夢も現実も消えてしまえばいい
僕はたった一人だ 見知らぬ人々が
僕の知らない僕を見てる

器用な人間からは、こんな言葉は出てこない。
不器用だったからこそ、人一倍悩んだ。
不器用だったからこそ、人一倍遠回りした。
不器用だったからこそ、人一倍ぶつかった。
そうやって、何とか思いを言葉にしようと1つ1つ紡ぎ出していった。

昔、広島カープにいたある選手がこんなようなことを言っていた。
「江夏さんは道路の右端を歩いて側溝に落ち、今度は左側を歩いて側溝に落ち、そうやって道路の真ん中を歩くようになった。だから、人の気持ちがわかる。(山本)浩二さんは最初から道路の真ん中を歩いていた。人の気持ちなんかわかりゃしないよ。」

江夏豊という人は阪神にいた時は、大型エースだった。もちろん、先発完投型。「野球は1人でできる」みたいな発言をしたとかしないとか。でも、故障して投げられなくなってしまった。相当苦労した。移籍後、「投手分業制」を説いたノムさんによってリリーフエースとして再生した。「江夏の21球」は、一度ダメになってからの苦労がなかったら生まれていなかった。

有吉さんだってそうだ。俺は、猿岩石のファンだった。生まれて初めて借りたCDは「白い雲のように」。それからどん底まで落ちて、給料0円になった。そして、数年前復活してきた。俺は、今の有吉が好きだ。最高に面白いし、背景がとても素敵だ。

そんなことを朝から考えてたら、今の境遇に涙が出てきた。俺はなんて幸せで貴重な経験をさせてもらっているのだろう、と。今は、俺の背景を美しくするために、どうしても必要な苦労だったのかもしれない。金メッキの輝きでない、本物の純金として輝くために、奥行きの深い人間になるために必要な経験なんだと思う。だとしたら、この苦労を真正面から受け入れてやろうじゃないの。もっともっと苦労してやるよ。もっともっともがき苦しんでやる。

俺は、高校時代からずっと悩んでいた。言葉だけが先行して、中身が伴わない。もちろん、若いが故に、経験がないからこその悩みなのだが、fqtとして文章を書いていていつも悩まされていた。その悩みが、歳をとるにつれ、少しずつ解決されている。

今思えば、単発的ではあるものの、大学時代を通してあまり一般的ではない経験をたくさんできた。政治の最先端にも行けたし、報道レジスタンスの最先端にも行けた。色んな著名人にも会えた。本当に世界が広がった。本を読むだけでは得られない「現場感覚」を少しずつ体得していけた。

50歳になった時、味わい深い言葉をプロダクトできる、いいオヤジになっていることが、今の願いだ。

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