孤独の行方

日常に支配されていると、大事なものが見えなくなってくる。
ベルトコンベア上の流れ作業のような日々を過ごしていると、プライベートにおける愛や情念までおざなりなものになってくる。
1人になる時間が与えられ、時の流れを敏感に感じ取った。久しぶりに読書をした。

文章ならスマートフォンの画面上でいつも読んでいる。情報という意味においては、通信で伝えられるものの方が速達性に優れ、きめ細やかなものかもしれない。情報を得るだけなら、横になってテレビを見ている方がはるかに楽である。
だが、本を読むということは、情報を手に入れること以上に意味があるように思えた。本を読んでいる時は、時がゆっくりながれる。自分がいかに生き急ぎ、いかに現状に甘え、いかにこの瞬間を中身のないものにしようとしていたのか、感じる。

俺はリハビリをしなければいけない。「書く」ことから逃げているような気がする。昨年1年間は軽く出張をしていた。それはそれで良い。だが、本来あるべき姿に戻らなければ、全てを失うことになる。孤独と向き合う時間も、必要かもしれない。


謹賀新年2015

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2015年 元旦

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1年間の開店休業状態を経て、ようやくこの舞台に戻ってきた。
本格復帰するかはともかく、ここでDavyとして自分を表現できることを誇りに思う。

2014年、時代は変わった。
Davyであることから離れた1年だったように思う。
手に入れたものは大きい。俺の心の中での友人ポートフォリオは、その構成比率が様変わりした。
俺は「当たり前」になりつつあることだが、毎日若くてキレイなOLさんたちとランチに行ける!って思うと、スゴイことだなと改めて思う。
その中で心から信頼できる大好きなパートナーができたことは、最高の収穫だった。どんな形であれ、これからも大切にしていきたいことには変わりはない。

「大好きだよ」って言える距離にいつまでもいたい。
「ありがとう」って言える気持ちでいつでも接していたい。
そして彼女の花がいつまでも可憐であるように「キレイだね」「カワイイね」って言っていたい。

さすがに昨年の色んな出来事をここで全て明らかにするわけにはいかないが、皆さまの予想通り、色々ありました。
順調に物事が進まないのがDavyという男です。

でも、全てが順調なんて俺らしくない。
四苦八苦しながら、この手でちゃんと掴み取って、自分なりに咀嚼したものを皆様に還元する。
苦労してないヤツには味わえないよ。

こんな男のドタバタ劇を見守ってください。


24歳を迎えるにあたって

「あのテレビに映ってるの、何だっけ?」
振り向いて尋ねてみると、答えが返ってくる生活。
今までの俺は想像していなかった。

約23年半、俺は1人で荷物を背負い、あてもなく目の前の道をさまよってきた。
真夜中にアクセルを踏み込み、きらびやかに光る夜の街を駆け抜ける日々に酔いしれていた。
幻想の中にきらめく憧れの自分の姿を、目の前の景色に映し出すことで、いつか夢見た自分になれた気がしていた。

だが、パラダイムは自分ですら気付かないうちにシフトしていた。
いつの日か、俺が走る横で一緒に走る人が現れた。

・・・と言えば随分聞こえはいいが、横から「カッコつけの文章はやめろ!」との声が飛んできたので、やめようと思う。
そう、あれから俺は「俺」であることを捨てる瞬間があった。会社でも、家でも。

かつてないほど女性に助けられた1年だった。
後ろで眠る魔女には、随分教育してもらった。夢だけ見ていれば良かった俺に「裸の王様」でいることをやめさせた。
1人で歩いてきた頃の俺は、気に入らないことがあっても目を背ければ良かった。別の道を進めば良かった。
だが、これから長い人生を歩むことになる時に、器を大きくしておかないと自分が辛くなると教えてくれたのが彼女だった。
俺が描いた理想に「偽善者」のレッテルを貼ったのも彼女だ。本当の優しさを考えるきっかけをくれた。
最高の教育者であり、俺が今後素敵な紳士として生きていくためには不可欠な存在だ。

日付が変わる前に書き終わりたいが、時間が足りない。
愛の言葉はここで語るのは控えておくとするか。

とても書ききれないが、今年もたくさんの愛に包まれて無事に歳をとることができた。
愛すべき全てに感謝して、24歳の1年を生きたいと思う。

プロとして何ができるか。自分がプロだったら何をすべきか。
「カッコつけ」の言葉が、自分の芯となる日がいつか訪れますように。


AMラジオのような存在

春の季節の美しさに心を奪われているうちに、5月になってしまった。
サラリーマン生活2年目はそれまでの俺と比べると、艶やかで輝かしいものであることは間違いない。会社の人も見ている手前、詳細について言及するつもりはないが、当初描いていたものとは大きく異なるものになったことは間違いない。

もし、久しぶりに俺に会う旧友がいるとするならば、彼らはこうつぶやくだろう。
「あいつは、変わってしまった・・・。」
俺が立ち回るフィールドは変わった。東京の中心部を「庭」とし、いつもオシャレな飲食店で食事をし、身につけるものも高級百貨店で買ったものが多くなった。都会に「染まってる」。食事だって、以前は1人で入れる店ばかり探していたものの、今は特定の誰かではない女性を連れて雰囲気の良いレストランやBARへ行けるようになった。大学時代の俺とは違う。今まで周りにいた人が離れていくのもある程度は仕方のないことだとは思わなくはない。

だが、それはあまりに一面的な捉え方であり、表面しか見ていないと言わざるを得ない。人間、本質的な部分はなかなか変わる事ができないものである。
話の運び方、ゼロベースで常識度外視で考える発想法、ある種の「鈍くささ」みたいなものはほとんど変わっていない。その証拠に、俺のように古くからブログを書き続けてきた友人の記事と俺の記事を比較すればわかる。彼らの文章は高尚であり、クセがあまりない。飲みやすいワインと例えるべきか、FMラジオと例えるべきか。テレビ番組のような運びではない。読んでいて身近に感じられる部分はあるため、ラジオのような文章なんだろう。とはいえ、FMラジオだ。FMラジオは比較的音質が良いこともあってか、音楽中心の番組構成であることが多い。喫茶店のBGMにでもできそうなくらい、オシャレな音楽を中心に、トークは「添え物」のような形で展開されている。

一方で、Davyの文章・トークはどうだろうか。明らかにAMラジオである。良く言えば親近感に溢れ、悪く言えば品が無い。AMラジオでも音楽は流れるが、あくまでトーク主体の構成。そのトークもFMのようなサラッとしたものではなく、結構踏み込んだ発言の番組が多い。まるで、友人の会話を盗み聞きしているようだ。俺の存在そのものがAMラジオであることは、俺と触れ合う時間が一定以上あれば誰でも気付くことである。会社でも人事部より発言について注意を受けているくらいである。

そもそも俺のトークの構成は、真面目なフレーズとふざけたギャグの緩急がきめ細かく織り交ぜられており、それ故にモノローグが長い時間続いてもそれなりにカタチにはなる。真面目なフレーズの中にも、例え話を多用することが多く、その例えたものについての説明をすることで物事の本質を感覚的にわかってもらおうとしているのだ。そのために、過激な例え話を使うこともあり、そのことが批判の対象になることもある。そこでお叱りを受けてしまうのだが、そもそも話の中で掴むべきなのは俺が何を伝えたいかという「本質」であり、そこで使った話などは枝葉末節にすぎない。多少オーバーな表現や虚偽などが含まれていたからといって、いちいち騒ぎ立てる類のものではなく、そのようなことに目を奪われているようでは話の本質を見失うと強く警告しなければならない。

つまり、この文章で何が言いたいのかと言えば、人は何らかのきっかけにより言動自体は変わるかもしれないが、本質は変わらないということだ。優しくなったように見えて、やっぱり俺は気難しい。それでも俺は、AMラジオのような存在でいようと思う。こうして文章を通じてでも、直接リアルタイムに会う関係においてでも、相手にとって親近感を覚える存在でいたいし、その人の味方であり続けたい。大人になるにしたがって表面的な人間関係になる人が多いように思うが、あえてその逆を行ってやろうじゃないか。ささやかな覚悟である。


大人になった最強暴威

「あ~。もう8年か。ウソだろ!?」
2月26日を迎えた正直な感想だ。9年目に突入するにあたって、コメントを残しておこうと思う。

2006年2月26日20時55分45秒。”アイツ”は誕生した。
初記事「ガッツで挑戦!」がリリースされた。中学3年生。15歳。
経緯は過去の記事を見てくれればいい。とにかく、俺が前身のfqtになってから8年が経過したのだ。

2007年(高校1年生)
fPS誕生から1周年!

http://fqt.davystyle.com/210

2008年(高校2年生)
ブログ誕生2周年!!

http://fqt.davystyle.com/356

2009年(高校3年生)
勝負師 ~ブログ3周年を記念して~

http://fqt.davystyle.com/454

そして、昨年はこんな記事を書いたんだな。

2013年(大学4年生)
弟が託した最期の言葉

http://davystyle.com/archives/1877

このリンクを載せるために過去の記事を読んでいたんだけど、アルバムみたいだよね。イキがってた時代もあった。高3の時は総括に入っていたのかな。当たり前かもしれないけど「ちゃんと生きていたんだな」って温かいものを感じる。

昨日ファンの方が「Davyさん追って6年になります!」ってコメントくれた。嬉しさと申し訳なさと、何より「スゴイな~」って心から思えた。カッコ悪い姿ばかり見せてきたと思う。ダメ人間っぷりを発揮していたかもしれない。本当に自分勝手だし、ヒステリックだし、訳のわからないこと言うし、こんな俺によくついてきてくれたな、と思う。彼女の人生において6年という長い期間、俺という男が存在できたということが何よりの誇りです。しかも、ただ6年間ブログ見てました!じゃなく、本当に俺のことを理解して下さって、正しい方向に導いてくださる。多分、一生のうちにこういう人に出逢えずにこの世を去る人も多いだろう中で、そんな人にめぐり会えたというのは本当に幸せなことだ。それはどんなにカネを積んだって手に入らない幸せ。「幸せにランクなんかない」とはいえ、これは非常にレベルの高い幸せ。続けていて良かったと心から思う。

彼女ほどではないが、俺の周りにこういう方がいてくださるというのは心強い。一昨年、俺が判断を誤った時にはすかさずコメントで「それは違うよ、Davy」と言ってくれた人がいた。そうやって、見えない所で俺を支えてくれている人もいる。感謝感激ですよ。

古くからの同志も素敵だが、新しく出会う人もまた素敵だ。今日、会社の同僚に「今日は俺の第二の誕生日なんだ!」って8周年を迎えた話をしたら、非常に温かいコメントが返ってきた。彼女もまた俺のことをよくわかってくれて、適切に叱ってくれる同僚。普段はテキトーな感じでからかっているけど、この人が同じ職場にいるというのは、俺に与えられた最高の幸せなんだと思う。本当に運がいい。本人にはこんなこと絶対言わないけど(笑)

才能もないし、カネもないし、恋には恵まれない。だけど、愛に溢れた人間関係をもっているというのは、俺にとって一番の財産だし、きっとそのことが最も幸せなことなんじゃないかと思う。普段はなかなか気付けないし、「もっと!」を要求してしまうんだけれど。どうやってこの恩を返したらいいかわからない。それでもきっと、第三ステージのテーマの一つでもある「愛の出し惜しみをしない」というのを心掛けていけば、俺が今以上に心を開けばきっとその人たちを幸せにすることができるんじゃないか。

「歳をとる」ってなんだろう?きっとそれは、財産を増やしていくことなのかもしれないね。
社会人になりたての若手の間ではよく「大学時代に戻りたい」とか聞くけど、俺は絶対昔には戻りたくない。歳をとる度に、人生が充実していくような気がしてならないからだ。「できること」が増えたし、「使えるカネ」も増えた。友達の数も増えた。今この瞬間こそが最高なんだ。そう思ったら、もっと先へ進みたくてしょうがない。もっとはるか向こうにある未来を見てみたい。

「弟」は今年の命日の前日にもY氏を通じてメッセージを送ってきた。ここでは書かないけど、俺はちゃんと受け止めた。
迷ってる。そして、後退しているんじゃないかとビビってる。
それでも、少しずつ足を前に出すことで、微々たるものかもしれないけど何かが変わるんじゃないかと信じている。
たとえ結果としては悪いものでも、俺の中での何かが変わってくれるんじゃないかと。

9年目に入るにあたって、心掛けたいことがある。
「カッコ悪さを受け入れよう」
だんだんとヒーローになれない自分に気付いてくる。いつかはヒーローになれると妄想して歩いてきたけれど、自分はヒーローにはなれないんじゃないかと悟る瞬間がある。でも、それでもいいじゃないか。不器用でも前に進むのが俺の長所だったはずだ。これからは、醜態さらして歩くくらいの覚悟でやっていかないと、キレイなものばかり追っているようじゃ大事なものを失う気がする。

9年目もよろしくお願いします。


2014謹賀新年

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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今年は申し訳ないが、年賀状をお送りしていない。
昨年2月に愛犬を亡くし半分喪中みたいな所があるというのを言い訳にさせてもらっているが、年末は忙殺されて用意ができなかったというのが本当のところだ。
正式な挨拶はこちらでさせていただく。

この文章は年が変わる前に書いているので、2013年を少し振り返ってみよう。

一言で言えば「激動」の年だった。年初と年末では、まるで違う人生を生きているかのように、全く外部環境が変わった。
もっともわかりやすい所を言えば、「学生」から「社会人」になった。本当の意味で「大人」になったわけだ。
当然、使えるカネの量も質も違う。自由度は増し、今まで手が届かなかったものに手が届くようになった。
それから、周りの人間関係。公私ともに、関わる方々の年齢層の幅は広がり、男女比率も男性偏重から徐々に解放(?)されていった。

サビついていた歯車が少しずつ動き出す瞬間。久しぶりに訪れた春に、俺はこんな決意をした。
「失われた青春を、取り戻す。」
俺は、普通の人が送ってきたであろう「青春」を過ごしてはこなかった。15歳までは静高に行くことだけに、高校時代はfqtとしてのビッグバンに、大学時代は自分の好奇心の赴くままに、全てを懸けてきた。胸がときめくような経験は、そんなにしてこなかった。大学4年の時には、自分はそういうものがない星の下に生まれたのだと思い、1人で生きていく決意すらした。

だけど、俺だってもう「普通の人」に成り下がった今、普通の人が掴めるであろう幸せを掴みたい。そう思った俺は、「今からでも青春、できるよな?」と自分に問いかけ、まるで高齢になってから定時制高校に通う人みたいに、恥を忍んで歩き出すことにしたんだ。某アニメの主人公とは逆の「身体は大人、頭脳は子供」みたいな状態で、右も左もわからない中、経験豊富な友人にアドバイスを求めながら、ゆっくりゆっくり歩いてきた。懐かしかった。キラキラした眼をして、「あの娘に振り向いてほしい」と必死になっていたあの頃を思い出した。と同時に、物事を始めるのに早い遅いなんてない、青春時代とは年齢が決められているものではなく、自分で決めて走り始めた時がスタートなんだと思えるようになった。不安だったんだ。「いい歳して、世間知らずもいいところだ。こんな俺で大丈夫なのか?」と自信を失っていた。かつて「俺についてこい!」と肩で風切って歩いていた男が、周囲に弱音しか漏らさなくなった。身につけた優しさは弱さにすり替わり、1人でBARに行く頻度は次第に増えていった。

その後の話は割愛する。現在進行形の中で、まだ語りたくはない。ただ、1つ言えることがあるとすれば、「失われた青春」は取り戻すどころか、かつてないほど良い形で新たな1ページを築くことができた気がする。最高の記念日を過ごすことができた。俺が勝手に大切な人だと思っている人とともに。心から感謝したい。俺の人生にまた1つ、可憐な花が咲いた。

2013年は本当に素敵な出会いがたくさんあった。俺の宝物が、また1つ、また1つ、どんどん増えた。人付き合いは下手くそな俺だけど、本当は大好きなんだ。人と関わるのが。だけど、不器用だしプライドが高いから素直に心を開けない。時には意図しないところで傷つけてしまう。もっと素直になっていいのかな?自問自答しながら歩き続けている。

2014年は、カッコ悪い俺ももっと知って欲しい。プライドに負けない素直さが欲しい。
ロジックだとか体裁だとかそんなんじゃなく、自分に正直でいたい。
それが俺の2014年の目標であり、夢です。

本年もよろしくお願いいたします。


カッコ悪いも、正義だ。

「闇を愉しむ男」の裏側の話をしよう。
ここ何日か、悪夢を見てうなされている。自室で1人、大声をあげることも珍しくない。前の記事で「夢中とは霧中」と書いたが、霧につつまれた世界は本当に危ない。騒いだってわめいたって、どうにもならないことは自分が一番よくわかっている。それでも、そうでもしないと持たない所まで来ているのかもしれない。華やかな歓楽街の裏路地は汚いものなのさ。

俺はたまに昔の自分に会いに行く。懐かしんでいるわけじゃない。過去の栄光に酔いしれるわけでもない。
相談しに行くんだ。「お前だったら、どうする?」と。俺の原点は間違いなく、15歳の時のあのビッグバンにあるのだから。

かつて学校中に行き渡る学校誌のようなものに寄稿した。高1の時の話だ。
幼馴染も親戚も読んだという恐ろしい文章だ。顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたことを覚えている。カッコ悪い文章なんだ。品も技巧もない、何を言っているのか全くわからない文章。一言で言えば、落ち着きがない。ショッピングセンターで駄々をこねるガキのセリフみたいな文章だ。
だけど、なんかキラキラしているんだよな。なぜかはわからないけれど、輝いてみえる。何度も何度も読み返したくなる文章。当時、読んだ人が他の誰かに「読んでみて」と紹介したなんて話をよく聞いたが、わかるような気がする。

どんな意見でも、言いきっている意見は爽やかだ。キレイなもんじゃない。枯れ葉のようなもんだ。だけどそれは、冬の澄んだ雲一つない青空を舞っている枯れ葉なんだ。削る前のダイヤモンド。傷だらけのダイヤモンド。

 このように、俺も日々「SHINJOY」を探し求めている。ただ、そんなに簡単には見つからない。いつも失敗ばかりである。だからこそ、人生は楽しい。「16の若造が何言ってるんだ」って言われるかもしれないが、これが俺の16年間生きてきた中で発見した答えである。今日、いじめ問題で多くの学生が自殺をしている。俺は、そんな人たちに伝えたい。たとえ、全打席三振でも生きていれば必ず良い事がある。その中で、少しでも自分自身を向上させることができたら、人生はもっと楽しくなる。だから、1日でも長く生きる努力をしようって。そして、俺はいつまでも「自己中」を貫きたい。俺は殺されても絶対に自分の信念を曲げるつもりはない。そのために、俺が俺であるために、勝ち続けなければならないんだ。

「批判覚悟でこうやってズバッと言い切れた時代があったんだよな~」なんて、懐かしむのと同時にうらやましく感じている。今の俺は、金メッキなんだよね。一見キレイで輝いているんだけど、中身はもろいというか、薄っぺらいというか。ファイティングポーズだけとって、実際は何も闘ってはいない。及第点を目指すだけの仕事を、さも必死に何かをつかみにいっているフリだけをしている。たった少しスパイスを加えただけのことを、さも大きなレジスタンスをしたかのように胸を張っている。

ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃ NO NO
救われない これが俺達の明日ならば
尾崎豊「Bow!」

人目も気にせず尾崎豊を熱唱していた時代。何もわかっちゃいなかった。カッコ悪かった。だけど、人を惹きつける何かがあった。
今の俺は、何かを求めにいっていない。求めることはカッコ悪いと言わんばかりの暮らしをしている。それが、今の俺がカッコイイ理由であり、同時にカッコ悪い理由でもある。

もっと汚くていいんじゃないか。そんなにキレイじゃなくてもいいだろう。高校時代、ほとんどの科目で偏差値40に満たなかった俺を頭が悪いヤツだと思っていた人間はいたかい?そうじゃないだろう。偏差値80近い武器がたった1つあっただけで、それだけで輝けただろう。同じじゃないのかな?

中学の時の全科目満点でトップランナーとして生きた時代。高校になって衰えて生きる道を模索して、それでようやく衰えたとしても輝ける道を見つけた。大学時代は、とにかく色んなものに首を突っ込んでみることで、他人とは違う輝きを創りだすことができた。どんな自分になっても、輝ける方法は必ずあるんだって、そう信じてここまでやってきて、それを証明し続けることができたじゃないか。今度だって、できないはずはないんだ。自分の人生、これでいいんだ!って言い切るだけの自信があれば。まだ遅くはないだろう。

そのためには、カッコ悪い自分になることだ。カッコ悪い行動をしてみることだ。恥をかき、泥まみれの格好になり、くだらないことをたくさんしてみることだ。

カッコ悪いも、また正義なんだから。


カッコイイは、正義だ。

震えるような季節が訪れる。
震えていた季節を遠ざける。
イルミネーションに1人心奪われながら家路を急ぐ季節が、再び訪れた。

高校3年の冬。
俺は急いでいた。信号無視を重ね、駿府公園の横を自転車で飛ばしていた。高校まであと少し。校舎の一部はなんとか見える。このまま突っ走れば、ギリギリセーフ。しかし、長谷通りの交差点には青い制服を着た婦人警官が笛を吹いていた。
「チッ!今日も遅刻かよ。」
俺は舌打ちをし、交差点直前で自転車を停めた。昨日も遅刻をして、担任から注意を受けている。さすがに2日連続での遅刻では、何を言われるかわからない。それならいっそのこと欠席をしようと、学校を目前にして進路を変えた。

 とにかく南へ走った。家に引き返しても母親に不審がられるだけだ。俺には学校をサボる時、決まって行く場所があったのだ。150号線を超え、潮風に導かれるように海岸へ向かった。階段の入口に自転車を停め、砂浜を静かに歩く。どこから流れ着いたのか、流木が散乱している。俺にはお気に入りの流木があった。いつもはそれを枕にして砂浜で昼寝をする。照りつける太陽と涼しい海風。眠りの世界に入るにはこれ以上の素晴らしい環境はない。波打ち際近くのその流木のある場所が、俺の指定席だった。

小説「デビルライン」の一節を少し改変した。

そう、あの日も俺は海を見ていた。海なんて、サラリーマンになった今でも、しょっちゅう見に行く。特別なことではない。
だけど、あの日見ていた海の景色を、22歳の俺は見ていなかった。本当の自分を捨てて、世の大多数の流れに染まるように生きようとしていた俺は、学生服のまま砂浜に寝そべっていたアイツではなかった。どこかで道を間違えたみたいだ。

毎年、誕生日を迎えるごとに、心に残るフレーズを残してきた。
「『この男と同じ時代に生きられたことを、誇りに思う。』そんな男でいたい。」
「もう俺だけの夢じゃない」
「UNDERGROUND FOREVER」
「事実だけが伝説を創る」

今年はどんなフレーズを生み出そうか。そんなことをずっと考えていたけれど、何も思いつかない。自分の頭で物事を考えない男に成り下がっていたのだ。

ここの読者は優しい。フォロワーは優しい。本当に素敵な仲間だ。
でも、そんな素敵じゃない奴等ばかりの世界に放り込まれて、俺は自分で何かをプロダクトすればするほど傷つくようになった。そして、傷つくことがイヤで、自分でプロダクトしない人間になってしまっていた。

今ならまだ遅くないよな?Davyに戻れるよな?
俺は今、どこからやり直そうか真剣に悩んでいる。この1年、手に入れたものもたくさんあったけれど、失ったものがあまりにも大きすぎて、どうしていいか、というよりどうしたいのかすら見えなくなっている。

でも、これだけは言わせてほしい。決して無駄な時間を過ごしてはいなかったってことを。サボってきたから失ったわけじゃないってことを。

夢中だったんだ。目の前のことに。
夢の中っていうのは、辺り一帯を霧が包んでいて、周りがよく見えないんだ。
「夢中」とは「霧中」なんだ。
せっかく光が差したと思っても、それは逃げ水のように追っても追っても近づけない。俺の所から遠ざかっている。
目の前の坂を上りきったと思っても、そこは頂上ではなく、その向こうには大きな山がそびえ立つ。
「井の中の蛙、大海を知らず」とはよく言われるが、本当に大海を知る必要があるのだろうか。世の中で定められたものさしでしか物事を測ってはいけないのだろうか。

カッコ悪い話ではあるが、俺はカッコいい男になろうとしてきた。誰に決められるわけでもなく、俺だけが自分の基準でカッコいいと思える男になろうとしてきた。誰にも邪魔させるつもりはない。
やってきたことは間違ってはいなかった。現に、カッコいいと思える暮らしができているし、新卒1年目で金が無いながらも、なかなかクォリティの高い生活ができているのではないかと思う。「芸能人の私生活に迫る」みたいなコーナーを俺で作ったとしたら、なかなかいい作品に仕上がるんじゃないか。
だけど、目的が悪かった。ヨコシマな気持ちが入っていた、いや、ヨコシマな気持ちだけでやってきたのかもしれない。だから、空虚なんだ。何も残らない。認めてほしい人に認めてもらえなければ・・・などとつまらぬ考えで走ってしまったのだ。

・・・だとしても、俺は胸を張って言っていたい。

「カッコイイは、正義だ。」と。

「神々は破滅させたい人間をまず“前途有望”と名づける」

10年前の俺は、間違いなく「前途有望」と名付けられた。年寄りは俺を評して「末は博士か大臣か」などと冗談めかして言ったものだ。俺はその期待に応えようと必死だった。その期待に応えるために、年頃の人間が経験していなければならない青春も欲望もほとんどを捨て去った。捨て去ったつもりだった。でも、ほんのかすかに残っていた欲望が、もしかしたら俺の運命を変えてしまったのかもしれない。「前途有望」と呼ばれた過去はどこに消えたのか。気が付けば、世間様の中に埋もれてしまった。同世代の連中がしてきたような経験も知識も全くないまま。ガラパゴスもいいところだ。

前途有望でなくなったことは、誰よりも俺自身が最も早く気付いていた。このままでは自分の存在意義すら危うくなると悟った俺は、虚像をでっち上げることにした。俺がギリギリまで手を伸ばしたその1ミリ先にある自分を作り出し、うまい具合に投影することに成功した。それがfqtであり、Davyだった。世間に嘘をついて暮らしたいわけじゃない。思い描いた通りの自分になりたかっただけなんだ。fqtの影を追い、Davyの影を追い、ひたすら追っかけ続けることで追いつくことができたように思う。

いつのまにか、すりかわっていた。自分とDavyが。Davyとして人に会う時が本当の自分。本名で人と会う時は創り出した自分。会社では当然後者。だから、開いているようで、ずっと心を閉ざしている。自分の本心は言わない。サラリーマンとしての処世術かもしれない。危ない橋は渡らない。

会社にいる時だけそうであればいい。セパレートできればいい。でも、だんだん侵食してきているのを感じる。押し寄せるんだ。仮面を被った俺の姿が。魂を乗っ取られているのかもしれない。怖いんだ。このまま自分を失っていくのが。

・・・こうやって書くと、いかにも暗い生活になっているように受け取られるかもしれないが、意外とそうでもなかったりする。
もちろん、今も幻影と闘っている。見えない敵との戦いだ。「カッコイイ自分になろう」と始めた行動も、その目的は別にあったのかもしれない。だけど、その習慣すらも今の俺に馴染んできて、そのことすらを楽しめている。ナルシストに聞こえるかもしれないが、意外とカッコつけてる自分に酔って楽しんでいるところがある。「まだ20代前半なのに、高級ホテルのBARに1人で行ってる俺」「残業した後でも、バイクでアクアライン暴走して、海ほたるで夜の海見つめている俺」「有楽町の某百貨店でカッコいいジャケットを買って、それを着こなしている俺」「夜景のキレイな場所で、美しいバラードに合う歌詞を考えつく俺」時々、俺自身が惚れそうになる俺がいて、そんな俺に恋している瞬間がある。しかも、これらを自慢するわけじゃなく、さも日常生活の何気ないシーンであるかのようにしゃべるところがまたいい。ホントは頑張って背伸びしているだけなのに、あたかも俺のビューティフル・ライフのように、そんなオーラを身にまとっているところがいい。なかなかうまくプロデュースできたな、なんて思う時さえある。

今年1年、恋をレバレッジに背伸びをして、色んな「○○な俺」が手に入ったけど、23歳の1年はそうじゃないレバレッジでも「○○な俺」をたくさん作り出せたらいい。いくら素敵な人間になったところで、手に入らないものは手に入らない。むしろ、素敵な人間になることにより、プライドが邪魔して欲望を実現できないことすらある。それでも、もし俺の使命が一生をかけて自分が素敵だと思える姿を創りあげることだとしたら、世の中の大多数が考える幸せに背いてでもやってみたいような気がする。

俺がこれから進もうとしている道は、間違っているかもしれない。間違えたら、また戻ってやり直せばいい。今の俺はどこまで戻り、何を継承したらいいか見出せずに悩んでいるが。それもまた素敵な人生かもしれない。

カッコイイは、やっぱり正義だ。


男には、隠れ家が必要だ。

最近の趣味。1人でBARに行くこと。
重い扉を開け、カウンター席に座り、自分が注文した酒をバーテンダーが目の前で作ってくれるのを尊敬の眼差しで眺めている。
何をするわけでもなく、酒と空間に酔いながら考え事をする。たまにバーテンダーの方とお話する。
手持無沙汰になるので、食事を注文する。BARでの食事は腹を満たせるものではないが、その1つ1つが美味しい。
1時間少々過ごし、カードで会計し、店を出る。店を出てもすぐには電車に乗らず、しばらく街を散歩する。
夜風がとても冷たくなってくる季節。身体だけでなく、心まで冷やしてくれる。
怒り、憎しみ、苦しみ、悔しさ・・・。そんなものに対し「いいじゃないか」と語りかけてくる俺がいる。
クールダウンが済んだら電車に乗って帰宅する。そんなスタイルだ。

そして、俺は今日もBARへ行った。行くしかなかった。
普通の感情では受け止めきれないことがあった。きっかけだけを捉えれば4文字で片付く話ではあるが、そこから派生する悩みは広く、深い。

入社して8ヶ月。それまでとは明らかに景色が変わった。
自分のためだけに生きてきた俺が、久しぶりに他者の目を意識して生きるようになった。「評価してほしい」その一心で走り続けてきた気がする。
最も大きかったのは、船舶免許取得だ。口では「自分の趣味のため」とか言っているが、真相は違う。自らが操縦する船に乗せたいと思う人がいた。少ない給料を何とかやりくりし、学科試験の勉強を独学ですることで、何とか費用を圧縮し、悪戦苦闘しながらも免許取得までこぎつけた。

カッコイイ俺でいたかった。ファッションにもお金をかけた。それまではあまり手を出してこなかった「万単位」の服や小物を多く手に入れた。
髪型だって崩した。レジスタンスのタトゥーを刻む代わりに象徴として作っていたオールバック。オールバック時代は数年の歴史に過ぎないが、それに類似する髪型を通算すると、高校入学当初、つまりfqtが生まれた時からずっと貫いてきたもの。それを崩す決断をした。その方が受け入れられるとするならば、やぶさかではない、と。

BARに行く、夜景を見に行く、平日アフター5のツーリング。
これらは、ライフスタイルをカッコ良くするためにやってきたこと。残念ながら容姿が優れているわけではない俺は、生活感からカッコ良さを演出しなくてはならなかった。セルフプロデュースというと大袈裟になってしまうかもしれないが、背景に流れるストリームみたいなものをカッコ良くしたかった。ナルシストだったのかもしれない。

これらの努力が無駄だったと宣告された時、やり場のない複雑な感情に駆られることとなった。茫然自失という言葉が最もふさわしいのだろうか。仕事は手につかなくなり、デスクで1人考え込んでいた。今日だけの話じゃない。今月、似たような話が他にもあったので、さらに考えさせられることとなったのだ。
「何がいけなかったのか」自らの行動を1つ1つ振り返り、仮説を立てて検証した。思い当たる所は複数あるが、ほとんどが自分では解決できない問題ばかりだ。直しようがない、あるいは直すには時間と費用とリスクが大きすぎる。どうしようもできない話だ。

BARでもずっとそんなことを考えていた。Aでもダメ、その逆のBでもダメ。もともと俺の人生において達成不可能な話じゃないか、と。周りの連中は簡単に空を飛べている。「ならば、俺も!」と意気込んできたのだが、そもそも俺には翼がなかったのだ。それに気付いていなかった。いや、気付こうとしなかった。「夢は叶う」と教えられてきたから、愚直なまでにそれを信じてしまったのだ。今思えば、それまでにも気付くチャンスはいくらでもあった。深く心に刺さるような話もあった。だが、それすらもレジスタンスしようとし、受け入れてこなかった。「絶望とは、行き止まりを知らせる標識のようなもの」と早く理解していれば、今回のような事態は避けられたはずだ。

そうじゃないかもしれない。怖いもの見たさというか、リスクを好んでしまったのかもしれない。日常に刺激が欲しくて、あえて茨の道を選んでしまったのかもしれない。繊細かつ鈍感という訳のわからない性格は、事故を引き起こす最大の原因だ。もっとも、今回の事故は俺のハンドルミスによるものではなく、偶然のもらい事故だったのだが。リスクをとったわけではない。第三者が代わりに俺のリスクをとってしまって、結果的に俺が被害を受けるという、何とも言いがたい屈辱だったわけだ。

話を戻そう。BARでヤケ酒を飲んでいた俺は、いつもよりもペースを早めてしまい、アルコールを消化しきれなくなってしまったのだ。タクシー帰宅の後、すぐにベッドで倒れるハメに。1時くらいに目を覚まし、そこから眠れずにこの記事を書いている。

バーテンダーとこんな話をしていた。1人でBARに行く意味について。その方も1人でBARに行くことが好きらしく、仲間と居酒屋で飲んだ後ですら1人で飲み直すというくらいである。初めて会う方だけど、感性が似ていて嬉しかった。なんだろう、自分を整理できる場所というか。自宅に帰ると他にやることができてしまい、思索にふけることは不可能。誰かと飲みに行っても、その人との会話が中心になってしまい、自分を整理することとは程遠くなってしまう。今までは、その役目を夜景を見に行くことに託していた。昨日みたいに。海ほたるまでバイクを飛ばし、波打ち際近くまで降りていき、夜の暗い海を眺めながら考え事をする。俺にはそんな時間が必要なんだ。夜景を見るのも良いが、季節が深まるにつれ、気温の問題で難しくなる。そこで、BARが使えるというわけだ。

BARといっても、席数が1ケタの所は緊張する。40席以上ある所だと騒がしい。20席くらいがちょうどいい。カウンターと少しばかりのテーブル席。音楽は控えめでいい。酒も食事も高くていい。美味しければ。

BARって、1人で行くと全くすることがない。携帯いじるのも無粋だし、本を読むには暗すぎる。バーテンダーの方としゃべるのもいいが、ずっとしゃべっているのも他の客の迷惑になる。必然的に、考えるしかなくなる。また、考えるには良すぎるくらい良い環境なのだ。暗い店内。上品なテイスト。カウンター越しに並ぶボトルが空間を演出する。騒音もほとんどなく、かといって静寂に包まれているわけでもない。そこにアルコールが手伝うと完璧だ。大好きな空間だ。

女の子を誘って2人で行くことも夢見ていた。だけど、その必要はない。いや、それをしてはいけない気がする。男が戦闘服を脱ぐ、唯一の隠れ家なんだから。場所すら知られない方がいい。俺が俺であるために、俺が俺であることをやめないために、自分の弱さと付き合える大切な時間なんだから。

当初の目的は達成できなかったが、俺は俺でカッコイイ男で居続けようと思う。8ヶ月を無駄だと思うのは俺だって嫌だ。これまで5年なり3年なりという時を無駄にしてきたのだから。あの娘が俺に変わるきっかけを与えてくれたと感謝して、ここから先は俺1人で歩いて行こうと思う。思えば、あの娘がいなかったら、今の俺はいなかったかもしれない。海ほたるというノンアルコールBARを見つけることもできなかったし、もちろん船舶免許だって取れていないし、何より自分にとって大事な隠れ家を作ることもしようとしてこなかったのかもしれない。間違いなく、俺を成長させてくれた。俺を「大人の男」にしてくれた。そういう意味では、感謝だよね。皮肉じゃなく、マジで。

でも、失ったものだってある。「あの娘が見ているかもしれない」と思うと、不用意な発言はできなかった。ブログが滞っていた最大の原因。仕事の忙しさだけでなく、脳内まで忙しかったのだ。だけど、これからは時間も余裕もある。仕事も少しずつ慣れてきて、ゆとりを持ってできるようになった。23歳の誕生日には復活祭ができるかな?なんて考えていたりもする。こちらで忙しくて疎遠になってしまった人もいるし。そういう人と再会したい。読者の皆様とも随分疎遠になってしまったしね。長い長い旅行から帰ってきたから、これからはまた親密な関係になれたらな、って勝手ながら思っている。

俺がこの8ヶ月で学んできたことも、少しずつこちらでフィードバックしたい。俺は毒すら薬に変える男だ。もちろん、立ち直るまでには少々時間はかかりそうだし、そういう意味ではまた違う旅に出なければならないかもしれないが、約束する。必ず新しい俺スタイルを創ってみせる。そして、それをこの場で皆さんに提示する。「ショック受けたから、このサイトもやめます」なんて、そんな裏切り、もう俺にはできない。たとえ俺がどんなに留守にしたって、たとえ俺がどんなに言葉と裏腹な行動をとったって、いつだって帰ってきた時に「おかえり!」って言ってくれる連中がいるから。こんな勝手な男についてきてくれる人がいる。たとえ姿が見えなくても、俺はわかっている。アクセス履歴見ればわかる。事情を知らないヤツは「ファンって何?」「ブログなんて誰が見てるの?」「Podcastなんて聴いてる人いないんじゃない?」とか寝ぼけたこと抜かすけど、俺はちゃんとわかってる。昨日も、バイクで走りながら考えていた。「俺は俺を支えてくれる人のために、何ができるんだろう?」って。直接会っているわけじゃないからできることは制限されてはいるものの。こういう情報媒体としてできること、それも俺のような一般人にできることは、「経験のシェア」だろう。今はそれをどのような形にするのがいいか、考えている最中だ。

とりあえず今日は、これだけは言わせてくれ。
「男には、隠れ家が必要だ。」