「収入で男を選ぶ」最も賢い選び方

Yahooのトップページの下の方に「あなたへのおすすめ」記事が出てくるコーナーがある。女性向けの恋愛・結婚コラムが出てくることがあり興味本位で読むのだが、ほとんど既出のコンテンツで中身が浅すぎる。そして、自己矛盾。ある時は「ガツガツ系の男の人が魅力的」と書いてあり、ある時は「草食系男子の方が魅力的」と書いてある。全文読まなくてもインデックスさえ拾っていけば内容が大体わかる。そんな記事を読んで真に受ける女性がいるのかいないのかわからないが、アンチテーゼとして本気で分析する恋愛・結婚コラムを書いてみようと思った。

「男はカネ」そこまで露骨な表現でなくとも、同年代(20代半ば~30代前半)の女性からは特によく聞かれる言葉だ。できる限り多くの収入がある男性が魅力的だというのは不思議なことではなく、我々男性側にとっても「愛」「優しさ」「性的魅力」といったファジーな建前でごまかされるよりは、目指すべき指標があるというのはわかりやすい話だ。だが、女性陣の話を聞いてみると、おそらく彼女たちが求めているのは額面収入だけで測れるものではないにも関わらず、「年収」だけで見てしまっているような気がする。そこで、究極の「収入で男を選ぶ」最も賢い選び方を伝授したいと思う。

①世間を知る

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https://doda.jp/guide/heikin/age/
「転職サービスDODA」による、男性の年齢別年収を基にデータを算出してみた。
同サイトに登録している「正社員」のホワイトカラー系職種のデータのようである。
http://heikinnenshu.jp/tokushu/tedori.html
こちらには、年収別の手取金額が示されている。扶養や各種控除適用前なので個人差はあるが、大まかな目安として考えていただきたい。これもだまされやすいところだが、年収○○円というのは、あくまで税引前の額面年収であって、実際に使える金額は税金や社会保険控除後の手取り金額なので、実質的な議論をしたければ手取り金額に注目する必要がある。
上記データを基に、表を作成した。額面年収(以下、「年収」)が500万円、700万円、1000万円の人の手取り年収(以下、「手取」)が、各年齢の平均年収よりどれだけ多いか(少ないか)を示している。乖離率(平均より○%かけ離れた数値か)を算出している。よく「年収○○○万円以上ないとダメ」という強気の女性(自分では謙虚だと思っているケースが多い)がいるが、世間の平均はこのくらいのものだと認識していただきたい。加えて、こちらは転職サイトに登録するようなホワイトカラー系の職種を対象としているため、現場作業等ブルーカラー系を含めた全体の平均はこれより更に低いと考えて頂いた方が良いだろう。

②「年齢」を考慮

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では、手取のみ見れば良いのか、と言えばそういう訳ではない。それだけでは、「金の卵」を見逃す可能性がある。日本はまだまだ年功序列的な給与テーブルとなっているため、若い時の年収は低く、年齢が上がるにつれ増えていく。年収金額にばかり気をとられていると、年齢が上の人ばかりが対象となる。
しかしながら、若い人の方がメリットが大きい。同じ年収でも、「これから稼ぐ金額の総額」が多いからだ。つまり、女性側にとって見れば、生涯賃金の多くを自分のために費やせるということ。よって、同じ年収ならば、若い人を狙った方が賢いと思われる。
簡単な計算をお見せしよう。(定年:60歳、定年まで毎年年収が2%ずつ増加として計算)
X:35歳、年収700万円 生涯賃金残額:2億3,570万円
Y:27歳、年収500万円 生涯賃金残額:2億4,017万円
投資の話の時にも書いたが時間は資産だ。このように年収が200万円違う男の人でも、若い人を選べば、自分(女性)と一緒にいる期間の間に稼ぐ金額は多いというわけだ。
そういった観点から、傾斜配点をつけてポイントを出したのが上表だ。このポイントが高ければ高いほど魅力的である。先の例でも、年収700万円35歳のXはCランクだが、年収500万でも27歳のYはBランクとなっている。「年齢が若い割には、たくさん稼いでいる」人が良いと結論づけられる。

③最も大事な指標は「時給

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近頃は「働き方改革」が話題となっているが、残業時間が多いと様々な局面で弊害がある。
・時間に余裕がなくなる
・家事ができない
・気持ちにゆとりがなくなる
・睡眠不足
・自己研鑽ができない
・文化的水準が低くなる 等
女性にとっては、よく働いてよく稼ぐ男性は魅力的かもしれないが、あまりに残業時間が多いと自分と過ごす時間が取れなかったり、余裕が無い対応をされたり、得することはないだろう。

そして、何より、年収が高くとも残業時間の多い労働者は「時給」(その人の労働価値)は低い。
上表を見てみよう。
A:年収500万円、残業一切なし
B:年収1,000万円、残業月80時間(過労死ライン)
2人の時給の手取額を比べてみると、もちろんBの方が高いわけだが、その差はたったの「481円」。額面年収ベースでは2倍の開きがあるが、手取時給に換算すると、こんなものだ。

その時給481円を、高いと見るか、安いと見るか。
月間の残業時間が80時間というのは、1日あたりに直すと4時間。仮に定時が18時の企業なら、退社時間は毎日22時。ここから、通勤時間1時間掛けて家に帰ったら23時。子供は寝ている。家事もほとんどできない。妻と話す時間もロクに無い。そのような生活で果たして幸せだろうか。
家事を時給換算するのはなかなか難しいが、例えば下記の家事代行サービス企業では、労働者を時給1,450円で雇っているらしい。
https://casy.co.jp/staff_entry#merit
(企業利益分を排除するため、あえて従業員の時給を採用した)
時給481円を稼ぐために、時給1,450円の仕事を他人に任せるか。
このように考えると、残業時間が少なく自ら家事をする男の人の方が、相対的に得だと言えるだろう。額面年収が高くとも、残業時間(サービス残業、接待等含む)が多い男の人は、私が女性だったら敬遠したい対象である。

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参考までに、同じ1,000万円稼ぐにしても、夫のみが残業月80時間で稼ぐよりも、夫婦2人で500万円(先程と条件を揃えるために残業時間各40時間とする)稼ぐ方が時給は遥かに良い。

ちなみに、私は「年収○○○万円以上の男じゃないとダメ」と言う女性を少しばかり軽蔑している。
それは、金よりもっと大事なものがあるという意味ももちろんあるが、木を見て森を見ずというか、分析があまりにも甘すぎるからである。

仮に私が29歳女性で「30歳までに結婚したい!」と思ったら、「①残業があまり無い」「②転勤が無い」「③年収500万円以上の20代」を選ぶだろう。おそらくそのあたりのガツガツしていない男性は、「最も美味しいポジション」を知っていると思われるから。

※当記事はあくまで一定の条件に基づくシミュレーション・分析およびその考察であり、特定人物を批評あるいは特定の価値観を推奨するものではありません。


「適齢期」を検証してみる

「あんたもいい歳だから、そろそろ○○しなさい」
そう言われると反発したくなるだろう。ただ、そのセリフには「みんな(周囲)がそうだから」という理由で言われるだけであり、客観的な根拠が含まれているだろうか疑問である。

私も24歳で結婚を決めた(入籍日は25歳)が、東京にいると「早くない!?」「なんで!?」と驚かれることは少なくない。だが、地元に戻ってみると、高校の友人は多少の時期の前後はあるが結婚に向けての話を進めており、中学以前の同級生に至っては子供がいることも珍しくない。一方、勤務先に目を向けてみると、30代後半や40近くなって結婚しようとしている人も一定数おり、一体「適齢期」とは何なのか、よくわからなくなってきた。

そこで、今回は周囲の環境や感情によるバイアス等を抜きに、客観的な根拠を持って「適齢期」が本当は何歳なのか、出産(子の誕生)や住宅購入を含め検証したいと思う。
なお、予め断っておくが、本記事では人生観や特定人物の生き様について論評するものではなく、あくまで「何歳くらいまでにそれを行えば金銭的に得なのか」ということを解明する目的で記載するものである。(もちろん我が家においても必ずしも記載のような人生を送れているわけではない)

また、前提条件として、主人公は男性であり、主に主人公の収入によって生計を立てているというもので記載する。

(クリックで拡大)
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【1】出産(子の誕生)
昨今の情勢から言って、子供の大学卒業までが「養育期間」である。つまり、約22歳まで教育費の支出が発生する。今や「役職定年」という言葉は死語であろうが、給料上昇カーブとしては、55歳を過ぎると下落傾向にある企業が多いだろう。したがって、自分が55歳の時までに子供が22歳である必要がある。
 これらを勘案すると、子供の誕生は遅くとも33歳、妻が妊娠する時期が32歳までであればベストである。母体保護の観点から、第一子はそれ以前であればさらに望ましいだろう。複数の子供を予定している場合には、先程の理屈から言えば、誕生は38歳、妊娠は37歳まで。
よって、出産(妊娠)適齢期は、~32歳(第一子)~37歳(末子)という結論に至る。

【2】家の購入
 多くの人が利用している住宅ローン「フラット35」はタイトル通り、35年掛けて返済することとなる。定年退職時(60歳とする)までに完済するように借りるには、25歳から返済を開始する、つまり25歳に住宅を購入することがベスト。しかしながら、25歳といえば、大卒だと社会人3年目。頭金が貯まっていないケースもある。そこで、返済期間を30年に短縮して考えると、30歳から返済を開始するようになれば良い。返済期間をさらに短くすると月々の返済が厳しくなるケースがある。
 よって、住宅購入適齢期は25歳~30歳。家の建築や物件探しの期間を1年間かかるものとすると、24歳~29歳には住宅購入に向けてのアクションを開始しなければならない。

【3】結婚・結婚に伴う交際
 上記を参考にして、逆算してみる。
 妻が妊娠する時期が32歳となれば、それ以前である必要がある。とはいえ、結婚してすぐに妊娠というわけにもいかず、親族への挨拶・役所や金融機関への手続き・職場も含めた周囲の環境への慣れ、何よりも結婚生活の安定までの期間等を勘案すると、妊娠までに3年程度の期間は必要である。すると、結婚(入籍)は29歳までに済ませる必要がある。
 先程の住宅購入に向けてのアクションのことを考えると、結婚してから2人で新居を考えるケースが多いと考えられるため、29歳というのは最終リミットである。29歳での結婚で、結婚と同時に住宅購入するようなイメージだ。
 そこから、相手と出会い交際する時期を逆算してみる。自分や相手の両親への挨拶、結婚に向けての環境整備、何よりも相手と結婚すると意志を固めることができる期間を考えると、出会ってから入籍日までは2年程度の期間は持ちたいところ。もし相手がいなければ探すところからスタートさせる必要があるため、入籍日の少なくとも3年前からは動き始めなくてはならない。
 よって、交際相手を探し始めるのは遅くとも26歳までにする必要があり、27歳までに交際をスタートさせる必要がある。そして、結婚(入籍日)を29歳までに済ませるべきという結論に至る。

【まとめ;期限】
26歳:交際相手検索開始
27歳:交際開始
29歳:結婚、住宅購入決定
30歳:住宅購入(入居)
32歳:第一子妊娠
33歳:第一子誕生
37歳:末子妊娠
38歳:末子誕生
55歳:第一子大学卒業
60歳:定年、住宅ローン完済、末子大学卒業

以上が、金銭的な面だけを考慮した「適齢期(タイムリミット)」の結果である。
もちろん、これ通りに行う人生が素晴らしいとは言い切れず、個々の事情に応じて変動があるものではあるが、論理的に導き出した1つの目安ということでご理解頂ければ幸いである。


新しい働き方

今時、「新人類」という言葉が再び日の目を見ることがあるとすれば、間違いなく俺は「新人類」のレッテルを貼られるだろう。
今はそれが「ゆとり世代」という言葉に置き換わっているだけなのかもしれないが。

確かに、俺は「新しい働き方」というものを模索しているのかもしれない。
会社と自分の関係。主従関係でもなく、敵対する存在でもない。
相互に利用し合い、その事により相互にメリットを得られる対等な関係に持ち込みたいのかもしれない。
本来はそうであるべきだ。少なくとも、労働契約においてはそのようになっている。労働者は自分の時間を切り売りして労働力を会社に提供し、会社はその見返りとして報酬を労働者に支払う。契約において上下や優劣は存在しない。ところが歴史を振り返ってみると、労使関係はどうしても使用者優位にありがちだ。労働者保護の規制が強められた現代でも、その傾向にあることは間違いないだろう。仕方ないことではあるが、俺は少しでもそんな風潮に抗ってみたい。自分の心の中ではそうじゃないんだって言い張りたい。そう思うが故に、常人では信じがたい行動に出ることもある。

リアルで俺に付き合いのある人からよく言われることとして、「上の役職の人にビビらない」ということがある。大学時代の政治家の方々との交流が俺を鍛えてくれたのかもしれない。とはいえ、別にナメているわけでも、反発しているわけでもない。経営学を少しかじった者として、割り切って考えているからだ。

会社に限らず、組織というものは指示命令系統がある。船頭ばかりが多くても、船は進まない。そこで、特定の人に役職を与え、指示命令系統を体系づけることで、職務を円滑に遂行できるようなシステムにしている。役職を持っている人は、部下にあたる人に対して指示命令できる一方で、彼らのパフォーマンスに関しても責任を持たなければならない。だから、上司に注意を受けたからといって、その上司を恨んだり憎んだりすることは筋違いであり、それが彼らの仕事なのだ。一方で、その注意というものは、人間的にダメだとレッテルを貼られているものではなく、職務の遂行においてベターな選択肢を提示されている、あるいは今後起こりうるリスクを減らそうとして頂いているものに過ぎない。逆に言えば、人格攻撃や職務とは関係のないクレームの類については聞く必要はないし、目に余るようであれば何らかの対抗措置を取ればいい。というのも、役職というものは、会社の職務の遂行のための指示命令系統の1つの役割に過ぎず、人間的な上下や優劣とは全く関係ないからである。上司を尊敬するかどうかは、役職ではなく、1人の人間としてリスペクトするかどうか。少なくとも、今の俺は自分の上司にあたる方を、役職を持っているからという理由ではなく、1人の人生の先輩としてリスペクトしている。僭越ながら、1人の人間として魅力のある方々だと思っているし、面白いなと思って見ている節がある。

もちろん、ゴマをするようなマネもしない。媚びるのが嫌いな性分である以上に、システム的に意味が無いから。1人の人間としてのリスペクト。これだけで十分だと思っている。

残業するかしないかという観点においても、自分なりに信条がある。基本的には就業規則で定められた7時間半とそれに付随する時間(通勤時間など)のみを、会社側に労働力として提供していると考えている。平日5日の7時間半を提供することにより、自分の生活を支えられるだけの報酬を頂いていると考えている。ただし、それを超過して労働しないと会社側や共に働く仲間に迷惑をかける場合、残業することで翌日以降の業務が円滑になる場合などにおいては、自分の判断と上司の指示の下で残業するようにしている。

俺にとって、会社や上司はクライアントなんだ。彼らの要望する仕事を請け負い、作品を提供する。決して「使われている」なんて思っちゃいない。クライアントの要望に応えるだけ。いかに早く仕上げるか、いかに精度の高いものを仕上げるか。まだまだ知識も技術も備わっていないが、それを可能な限り求め続けていくのが、俺の「会社での」仕事だと思っている。それが俺なりの「愛社精神」だ。

なぜ、わざわざ会社と自分の関係を明確に規定する必要があるのか。俺の場合、その事によって、自分のライフワークと会社での仕事をセパレートしたいからだ。
俺の主な収入源は、会社に労働力を提供することで発生する、会社員としての給料だ。だが、俺の本業(ライフワーク)は、アーティストであり、作家だ。
俺はアーティストとして生き続けるために、あえてこちらを主な収入源としての仕事に選ばなかった。

昼間、同僚と話していてそのヒントを得た。自分が言ったセリフから。

「カネで動くようなヤツは、最低だ。」

収入を得るということは、クライアントに評価される必要がある。クライアントの要望に従う必要が出てくる。要望に応えてはじめて報酬を得られる。
もし仮にアーティストが本業だとすれば、継続的に収入を得るためには、クライアントが望む作品に変えてプロダクトせざるを得なくなる。たまたま自分の描きたい作品と世の中のニーズが一致している場合はいい。自分の描きたいものを描くことで、収入を得られるとすればそんなに幸せなことはない。ところが、一致しない場合、2つの道のうちどちらかを選ぶことになる。自分の描きたいものを優先することで、収入を得られなくなるリスクを覚悟するか。収入を得るために、自分の描きたいものを捻じ曲げるべきか。このジレンマに苦悩し、自ら生命を絶ったアーティストを俺は何人も見てきた。自分もそうなるんじゃないかって、日々怯えながら活動を続けていくとしたら、自分の職業が嫌いになるんじゃないかと思ってね。誇りを持てなくなると思うんだ。

だから、俺はアーティスト活動はカネの絡まない立場でやっていたい。収入やスポンサーを気にせず、自分の創りたい作品を、自分の思うがままにプロダクトしていきたい。たとえそれが他人に全く評価されないものでも構わない。「書きたいから、書く。」それでいい。

会社員としての仕事については、俺の思想信条とは全く別の所でやっていることだから、評価を受けることについては問題ない。クライアントの要望に応えることについても、心理的な抵抗はない。したがって、そちらを主な収入源にしても全く問題ないというわけだ。一方で、アーティストとしての評価を個々人が勝手にすることは問題ないとしても、それにより俺の生活のレベルがアップダウンすることは避けたい。生活レベルを下げたくない一心で、書きたくないものを書いたり、書きたいものを封印せざるを得ない状態にはしたくない。そうなったら、それこそ「カネに使われる」状態となる。カネで動くようなアーティストは、風上にも置けない。

万が一、会社がアーティストやめろと言ってきたら?それが仕事に支障をきたすようであれば、そうならないように改善する。しかし、それとは全く関係のない立場で強要されるとしたら、俺は会社の方を切るだろう。俺は「カネを使う」人間であっても、「カネに使われる」人間じゃないってことさ。たとえ貧しくなってでも、守らなきゃならないものってあるじゃない?

俺は、夢を見せたいんだ。サラリーマンに絶望して欲しくない。アーティスト志望のヤツって、フリーターや無職が多い。だからこそ、社会の底辺みたいなレッテルを貼られてしまうことがある。でも、そうじゃない生き方もあるってことを、世の中に提示したいんだ。二足のわらじでいいじゃないか、と。サラリーマンやってたって、アーティスト活動は続けられる。むしろ、フリーターより収入が高く生活が保証されていることを利用して、従来とは違う作品をプロダクトできるかもしれない。プロだろうがアマだろうが、自分が考えたり思いついたりしたことをカタチにしてプロダクトできる人間は、皆アーティスト。肩書きは、自分で決めるものだろ?サラリーマンがアーティストやるとどうなるか。俺は自分の人生をもってそんな実験を重ね、世の中に訴えかけたい。だから、例えば就職したくないけど就活しなきゃならない若者とかいたら、俺の姿を追っていてほしい。俺も君らと一緒だったから。「社会に飲み込まれるのはゴメンだ!」って叫びながら、それでも食っていかなきゃならなかったし、アーティスト続けるためにも価値あるものを追っていたかったから、とりあえず就職した。俺の背中を見ていてくれ。

今日、そんなこと考えながら過ごしていたら、なぜこれまで彼女を作らなかった(作れなかった)のか、なんとなくわかった気がする。同じなんだ。俺に対する評価を相手がどう持とうかは自由だ。そこに関しては関心が無い。だけど、告白に対するジャッジメントというものは、俺自身の生活に直接フィードバックしていくものだ。他人の評価で人生左右されたくなかったんだろうな。他人の評価で自分の人生が決定づけられるくらいなら、1人でいた方がマシって思っていたんだ。だからこそ、最後の一歩を踏み出せなかった。結果を聞くのが怖いから。ガン宣告を受けたくない患者の気持ちに通じるものがある。

最後の壁はそこだ。俺自身の問題。
でも、俺はジャッジメントを避けて生きる人生が、正しいことだとは思わない。変わらなくちゃいけない部分。傷つくべき時にきちんと傷ついておかないと、新たな境地は開けない。

「リスクをとらなければ現状維持すら不可能」(本田直之)

そして、時は来た。最後の壁を崩してもいい、真正面から傷ついてもいいと覚悟できるくらいの人に出逢えた。あとは、雲の切れ間を狙うだけだ。
これまでとは違った作風のストーリーも描ける男になりたいんだ。このブログは、俺の日記やエッセイのようでいて、実は1つの物語。現実世界で起こっている、実に興味深い小説。主人公がリアルタイムで書いているという点では、これまでにない斬新な切り口だろう。

人生はドラマや映画みたいなもの。死ぬ間際、監督の最後の「カット!」がかかった時、「面白かったな」「いい夢見たな」って言えるかどうか。人生に勝敗が存在するとしたら、そこにあるんだと思う。常識人ぶって、自分のやりたいことや興味あることを犠牲にして、「普通の人」として生きていく人生は俺はイヤだ。奇抜で斬新でアバンギャルドで・・・それでいて、ちょっとロマンチックな、そんなストーリーがいい。

人生は旅だから。18で実家を飛び出し、今は東京で働いているけれど、俺にとっては長い長い旅行の道中でたまたま職を見つけて働いているに過ぎない。高3の時、自分でホテル1週間とって大宮の予備校に通うために合宿したあの時と今の生活は気持ちとしては全く変わらない。何かを探しに長い長い旅に出ているだけなんだ。「旅行に行きたい」って気持ちが静岡にいた時ほど無いのは、きっと今が旅行の最中だからなんじゃないかな。


正義とは何か ~かえぴょん脱退で思うこと~

今週になって、寒さが一段と増してきた。
月曜日の祝日には爆弾低気圧による大雪。火曜日からは晴天が続いているが、早朝の気温は零度近く、街行く人々は白い煙を吐きながら歩いている。

厳しい寒さは、俺たちの心にまで凍てつかせたようだ。
俺の大好きなアイドルグループ、SUPER☆GiRLS(スパガ)のメンバー、稼農楓さんがグループから脱退した。
かえぴょん、KPと呼ばれて親しまれてきた彼女の脱退は衝撃的なものだ。SUPER☆GiRLSには、「マイドル!SUPER☆GiRLS」という携帯・スマートフォンから登録できるファンサイトがある。ライブに行ったり、イベントに参加したり、CD等を買うとキーコードがもらえ、ポイントを貯めていく。いわば、ポイントカードのようなもので、無料であるため、スパガファンはたいていこのサイトに登録している。このサイトに登録する際に、推しメンを1人決めなくてはならないことになっている。ファンは、その時に決めた推しメンのサポートプロデューサー(SP)になり、この人数がいわゆるメンバーのファンの人数である。俺みたいにファン(SP)のランクが上がってくると、推しメンを2人まで設定することができるため、各メンバーのSPの数とグループ全体のファンの人数は一致しないのだが、メンバーの人気を測る指標の1つであり、AKBでいう順位のようなものだ。

かえぴょんの順位はといえば、1位のあみた(前島亜美・約6700人)に次ぐ2位(約5200人)であり、その影響力は大きい。ライブ会場に行けばわかるが、かえぴょんのうちわや自作グッズを持つ人は多く、結構女の子のファンが多かったように思う。まぁ、ここだけの話、KP推しのファンはマナーの悪いのが多いのだが(笑)それも、今となっては思い出となってしまうのが寂しい。

人気だけじゃない。ふんわりとした雰囲気の女子大生で、ピアノも弾けるし、メンバーの中でも女子力が高いと言われていた存在だ。イメージで言うなら、キレイなお姉さん。だけど、食に関してはかなり色々言われていて、よく食べる噂があった。俺の推しメンになったことはないが、SUPER☆GiRLSにとって非常に重要な存在であり、今回脱退するにしても、過去の活躍を消し去ることはできない存在だ。好きだった。シリアスという言葉の対極にあるような笑顔を見るために、俺は足を運んでいたような気がする。だからこそ、守ってやりたかった。正月にあの記事を書いたのも、何としてでも守ってあげたかったからだ。

今、傷ついた天使に伝えたいこと

http://davystyle.com/archives/1802

叶わなかった。気持ちが届いたかは別にして、俺が望まない結末を迎えてしまった。

1年前のえりりん(秋田恵里)の卒業の時は、笑顔で送り出せた。あれも確か日本青年館だったな。2階席の一番後ろから、ファンの皆の緑色のペンライトで照らされたステージを見ていた。あの時もメンバーは泣いていた。涙声のMAX!乙女心。そして、えりりんのセリフも入った唯一の完全バージョンでやった笑顔の羽根。

今回は、見送ってあげることすらできなかった。それが心残りだ。
だけど、この前の青年館。本人は不在だったが、1年前と同じ光景がそこにはあった。
メンバーの泣く姿。それも、通常のライブ成功時ではあり得ないような涙。悔しさが混じっているように思えてならなかった。
きっとこの時、決まっていたのだろう。だとしたら、なぜ最後だけでも本人をステージに上げなかったのか、これに関しては運営側を責めたい気持ちはある。

もう日本青年館ではライブをして欲しくない。それが正直な気持ちだ。

もし、週刊誌報道が事実だとしたら、道徳的には許されないことかもしれない。それを糾弾したくてあの記事を掲載したのであれば、それも1つの正義だろう。
だが、その事によって、1人の女の子がアイドル生命を絶たれる事態にまで発展してしまった。そこまで追い込んだ週刊文春を叩くのもまた正義ではないか。

時はさかのぼり、2001年。9.11、アメリカ同時多発テロ。
旅客機が超高層ビルに突っ込み多数の死傷者を出すという、前代未聞のテロ。こんなことがあっていいはずがない。アメリカはすぐさまアフガニスタンに対し、反撃を仕掛けた。
当時小学生だった俺はこう教わった。アメリカは正義のために、悪であるビンラディンを倒すために戦っている、と。
ところが、高校生になり国際情勢について学んでいると、アメリカが善で、イスラムが悪だと必ずしも言えないことがわかった。イスラム世界の人々も、アメリカに散々やられてきた歴史がある。彼らにとっては、悪であるアメリカを倒すために戦っているのかもしれない。それが、彼らの正義なんだろう。

先日、体罰についての記事を書いた。その時に、暴力についてハッキリとは否定も肯定もしなかった。
俺には、暴力に対して戦った歴史もあれば、暴力を用いて戦った歴史もあるからだ。
8年前の2人掛かりでの暴行事件。あれは、正義のために戦った。俺たちに濡れ衣を着せ、共犯者に仕立て上げようとした人間に対し、殴る蹴る等の暴行を加えた。
暴力を用いること自体は悪かもしれない。だが俺は、やってもいない事件の犯人にされることは正義に反すると思い、自分のためにも、同じく犯人にされ俺より更にヒドイ仕打ちを受けた友人のためにも、戦って制裁を加えることが正義だと信じていた。

人はそれぞれ、自分なりの正義を持っている。生まれ育った環境も違うし、現在置かれている境遇も違う。これまで学んできたこと、教えられてきたことも違う。
正義なんてものは、1つじゃない。世の中、善悪二元論で片付けられるほど単純なものじゃない。
「いいものはいい、悪いものは悪い」なんて、テメーの価値観の中での話であって、普遍的に良いもの、普遍的に悪いものなど存在しない。

また、置かれている状況によっても異なる。
日本がしてきた戦争。戦後に生まれた俺たちは、「もう二度と過ちを犯しませんから・・・」という記念碑の言葉のように、戦争をしてきた先祖が愚かだった、この国は間違ったことをしてきたと教わった。
では、昭和初期の頃に生きていた人間は全て悪だったのだろうか。自国の利益のためなら、他国のことなんて知ったことか!と非人道的な考えのもとにあの戦争をしたのだろうか。
俺は違うと思う。彼らには彼らの正義があった。もちろん、全て正しかったとは言わない。あの戦争で犠牲になって生命を奪われた人、夢や希望を奪われた人がたくさんいたことは忘れてはならないし、二度とそのようなことになってはならないと思う。だが、彼らの正義を聞かずに、まるで臭いものにフタをするように、善悪二元論で片付けてしまっていいものだろうか。

この国では、多くの先進国では、殺人を犯した人にさえ、裁判など弁明する機会を与えられる。もし俺が被害者の立場に立つならば、殺人をしたヤツの話なんか聞くことはない、さっさとそいつを死刑にしろ!と思う。
だが、同じ殺人という行為でも、それを犯した背景も違うし、実際にその行為に及んでしまった理由もある。それは、話を聞いてみないとわからない。
正義なんてものは、人の数と同じだけ、いやそれ以上に存在するものなんだ。

だからこそ、正義と正義がぶつかることもある。その結果、悲惨な事態に発展してしまうこともある。

俺は言いたい。お前の正義は最大限尊重してやる。それを否定する権利は俺にはない。
だが、その正義は俺の正義とは違う。俺には俺の正義がある。だから、俺の人生の邪魔だけはするな。俺の正義を侵すことは許さない、と。

自分の正義を他人に強要しない。自分の正義の実現のために、他人の人生の邪魔をしない。
それが、俺たちが社会の中でお互い気持ちよく穏便に生きていくための、最低限の苦肉の策ではないだろうか。

今回の文春の記者、および編集長は、自らの正義の実現のために、1人のアイドルを殺害した。そして、俺たちの夢や希望を奪った。あいつらの正義を押し付けるためだけに。
俺は許さない。永遠に忘れない。全身全霊をかけて、週刊文春という雑誌を嫌うことくらいしかできないが、最大限自分にできることをしてやる。

悪魔に魂 売り渡し 逃げ通せると思うなよ
神に祈ってももう遅い 喰らいついたら最後 お前はNo Future
貫く痛みに身悶えて 罪の深さを思い知れ
涙流しても許さない 喰らいついたら最後 お前はNo Future

だが、彼らが俺とは違う正義を持つ自由だけは尊重してやる。それを心の中で留めておくだけなら、俺は認めてやる。
今回、俺が出した結論だ。

俺は決めている。自分とは違う正義が、俺のテリトリーを侵す場合には、全力でその排除に向けて戦う。
よそで勝手にやってくれる分には、不快に思いつつも、それには一切関知しない。
例の会長時代の政策も、俺のテリトリーを侵したから、全力で排除しようとした。

SUPER☆GiRLSはこれから10人体制になる。今回の騒動で、しばらく彼女たちには逆風が襲い掛かるだろう。
だけど、SUPER☆GiRLSは10人だけじゃない。バックには、俺たち熱いファンがいる。前からどんなに冷たい寒風が吹き荒れようとも、後ろから暖かい春風を吹かせて温めてやる。
彼女たちが俺たちを見捨てない限り、俺たちも彼女たちを見捨てない。

この男も、筆による暴力に苦しんだ。
20年以上前の曲だが、聴いていただければと思う。

長渕剛 豚


就活の時、俺はどうしたか

先日、大雪の日、かつての戦友と再会した。俺が1を言えば10をわかってくれるような、素晴らしい友人である。
そんな彼にした就活時代の話を今一度整理しておこうと思う。

今日はそんなに面白い話ではないかな?(笑)
BGMからいくか。

きっと For You! / iDOL Street w-Street NAGOYA

SUPER☆GiRLSの妹分、ストリート生の名古屋チームの曲。こういうバラード系はNAGOYAにピッタリだな。俺はスト生の5チームの中ではNAGOYA推しだからね。外見だけで言っても、最も俺好み。意地悪な言い方すると、「ハズレ」がいない(笑)スト生では現状ではちさるん(伊藤千咲美)推しなんですよ(●°▽°●)
正直、SAPPOROなぎち(大関凪)と迷ってる・・・。

今度、彼女たちのイベントにも行こうと思ってる。

iDOL Streetストリート生 定期公演@TwinBox AKIHABARA
全国ストリート生ステージバトル 1st STAGE 『ストリーーーーーグ』

http://idolstreet.jp/news/20130111.html

ストリート生5チームがリーグ戦のように対戦して、優勝を決めるライブ。
NEWS  iDOL Street
①1/21(月) 名古屋 vs 大阪
③2/3(日) 名古屋 vs 福岡
★2/11(祝月) GEM(ジェムスター)
⑥2/25(月) 東京 vs 大阪
⑦3/4(月) 札幌 vs 東京
⑩3/25(月) 名古屋 vs 札幌

なんとか上記日程くらいは行けたらいいなと思ってる。ホントは札幌vs福岡(3/18)あたりも見たいんだけどね。ただ3/20に静岡でHOTEIさんのライブがあるから、このあたりの週で帰省しようと思って。3/23には渋公でSUPER☆GiRLSのライブだから、3/22までには東京に戻っていたい。となると、3/18にアキバに出るといわゆる「不自然な日程」になっちゃうんだよね。御両親にはアイドル好きは隠しているから、できれば不自然な動きは避けたいところ。幸いSUPER☆GiRLSのライブの時には東京モーターサイクルショーがあるだろうから、これを理由に早めに戻ってこれる。隠れキリシタンみたいで、大変ですわ。

じゃ、実家にいる時に例えばTVにSUPER☆GiRLSが出る場合、どうしているか?リスクを考え、東京で録画だよね。で、実家では何となくチャンネルを変えておく。彼女たちが出るシーンになっても、表情は変えずに真顔で見てる状態。心の中でmix打ちながら(笑)気を遣ってるんですよ。前にも言ったかもしれないけど、最後に家で女の子の話をしたのは小1の時。1997年。15年間一切封印。もちろん、このサイトの存在だって知らないだろうし、それを前提にやってる。たった一人の息子だから、孝行息子でいてやりたい。イメージを壊したくないんだ。

——————(きりとりかたそ)——————

使ってみた(笑)スパガファンなら、元ネタはわかるはず。

さて、前置きが長くなったので、本題に入ろう。就活のアドバイスとかで彼に話した話の概要。
1月中旬のこの時期は、説明会の予約に奔走してたね。あと、早い所ではエントリーシート書いたり。
となると、もうこの時期には既にプレエントリー、つまり受けようと思っている(興味を持っている)企業の選定は終わらせておかなければならないわけだ。早い業界では2月には本格的な選考がスタートするわけだから。

ただ、困ったもので、多くの文系学生にとっては、行きたい業種もやりたい仕事も漠然としたものしか描けていない。俺もその1人だった。そして、世の中に対する漠然とした不安・不信感。企業選びも悩む。しかしながら、学生時代とは違い、社会人は自分で稼いでメシを食っていかなければならない存在。夢とかプライドとか多少犠牲にしてでもやらなくてはならないこともある。また、この就職難の時代。10社20社受けただけでは、到底内定なんか得られない。一部の例外的な天才を除き。

ポイントを整理しよう。
・やりたい仕事が無いor漠然としている
・やりたくない仕事が存在する
・夢や希望を持ち続けたい
・まずは食うに困らない仕事を見つけないと
・将来性のある企業がいい
・できれば給料もたくさん欲しい
・就活はしたくないが、数多く受けないと受からない
・大企業の方が安定していそう

理想は尽きないが、全てを叶える手段もないのが事実。そこで、優先順位をつけるわけだ。
俺の場合・・・
・激務はイヤだ
・当面10年間の必要生活費(※後述)をくれる企業
・転勤はしたくない。東京にいたい。
・規模は小さくていいから、入社・出世競争が激しくない所
・営業はできれば避けたい
・年収は平均以上欲しいが、そこまで高くなくてもいい
・内定もらうためには、多くの会社を受けるのはやむを得ない
・会社の知名度は無くていい

自分の希望がハッキリしてくれば、ある程度絞れる。これは、就活だけじゃなく全てにおいてそうだが、「自分の本当に欲しいものは何か」を明確にすることからスタートする

拓郎さんも言っているだろう。「君の欲しいモノは、なんですか?」と。

流星 吉田拓郎

戦略を立てるには、まずはターゲティング。ターゲットを明確にすることでやるべきことが見えてくる。

例えば、前述した「生活経費」の話。大学生の今でも1人暮らしをしているから、毎月いくらかかるのかわかってる。恥を忍んで、ざっくりした家計を公開しよう。万円単位(四捨五入)までだが。

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若干多めに見積もった感じだが、これでいこう。もちろん、社会人になれば税金や各種保険料の支払いも必要だから、手取りで最低でも21.5万もらえる所じゃないと困るわけだ。
とはいえ、多くの企業の初任給は20万円。当然のごとく、手取りはそれよりはるかに少ない。つまり、多くの会社では俺は暮らしていけないというわけだ。

節約して支出を抑えるという方法もある。例えば家賃。江東区の某中高層マンションの中高層階だが、もう少し郊外に行けば似たようなグレードでも1万円程度は浮く。物件のグレードを落とせば、もう1.5万は浮く。そして、食費。4万かかる月など現状でもたまにしかないのだが、自炊中心の生活に切り替えれば1万は減らせる。また、娯楽費。主にライブ代だ。1回のライブの平均が約7500円。だいたい月2回行く予定で、これにCDやDVD買ったり、PC周辺機器を買えば2万ちょっとかかる。ライブを月1回に減らせば約1万は浮く。

以上をまとめれば、21.5-4.5=17
月17万。これが限界。月給20万で手取りがこのくらいかもう少し少ないくらいだ。

そこで目を付けたのが、住宅手当。家賃補助と呼んだり借り上げ住宅制度をとっている所もある。寮や社宅を用意している所もあるが、できれば住居は自分で選びたい。
ここで2万以上補助があれば何とか計算できる領域になる。以上のことから、各企業の初任給の額と住宅手当の詳細を調べることにしたのだ。俺の場合、Accessを使って表にまとめ、基準に達していない企業はどんどん切り捨てた。住宅手当の額を調べるのは相当骨が折れたが、友人の協力や様々な情報源を元に、徹底的に調べ上げた。

次に、仕事内容で分類。やりたいことが明確でなかった俺は、「やりたくないこと」を除外する方式をとった。メーカーの営業はイヤだ。流通系やサービス系も行きたくない。金融系か公社・団体系、インフラ系に絞り込んだ。他の業種の企業も少しは見たが、やりたくないものはやりたくない。長く働ける業種に就きたかった。

金融でも、銀行や証券会社はイヤだった。銀行は平均年収は高いが、最初の4~5年はかなり低い。上記の「生活経費」に達していない企業がほとんどだった。出世競争も厳しいし、激務。転勤は避けられない。営業要素も少なくない。証券会社はいわゆるブラック。離職率が高い営業に回されることは必至。保険会社も転勤は多いし、面倒な案件を扱うことも多い。興味があったのは、カード業界だった。もちろん、カードにも営業はあるが、俺のアジェンダと一致していた。現金のいらない世の中を作ろうというスローガンは、共感できるものがあった。それに、会社にもよるが、そこまで転勤が多いわけでもなさそう。都合が良かった。

ウマがあったのは、運用(アセット・マネジメント)業界と短資業界。金融の中でもかなりアンダーグラウンド。小規模なので、会社は東京にしかおいていない会社がほとんどだった。とはいえ、マーケットの中心にいる分、小さいながらも収益力は高い。もちろん、給料も平均を超えている。現に、選考に最後の方まで残った会社を見てみると、この2つの業界で占められていた。結局、4月からは運用業界に行くことになったし。

ただ、就活前からこれらの業界を知っていたかといえば、そうでもなかった。最初は名の知れた所の説明を聞いて、芋づる式に色んな業界に視野を広げていったという見方が正しいように思う。結局は、多くの企業を回った方が勉強にもなるし、選球眼が身につく。ダメな企業がわかる。ダメな所は、会社の建物に入った瞬間からダメなオーラを感じる。説明会に参加して「やっぱり!」となる。俺は5月末に内定を頂き就活を終えたが、改めて数を数えてみると、プレエントリーした企業は約150社、説明会に足を運んだ企業は約70社。このくらい回って、初めて見えた。不器用な人間は苦労する。他人より苦労した分、身についたものは大きいが。

反論する輩もいるだろうが、俺は断言する。就活は、数だ。
いかに多くの会社に足を運ぶか。合同説明会なんてものは行かなくていい。学校で主催するものも行く必要はない。本社に足を運ぶことが大事。なぜなら、説明を聞くことだけが目的じゃないからだ。会社の建物を見て、中の雰囲気を感じることこそが重要だからだ。中には、外部会場を借りて説明会を行う企業もあるだろう。それでもいい。どんな会場を借りたのか、それを見ることも意味がある。なぜ、この企業はこの会場を借りたのか。その理由も考えよう。意味がある。

例えば、東京メトロ。俺らの時には、ベルサール半蔵門という、住友不動産のビルに入っている貸ホールで行われた。
東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅から地下直結の会場だ。
なぜ、そこを選んだのか推測した。半蔵門駅はメトロ半蔵門線しか通っていない。JRの駅から歩くには距離がある。この駅を使わない人でも、せいぜいメトロ有楽町線の麹町駅から歩く人くらいだろう。となると、必然的に東京メトロの路線を使わざるを得ない。会社の説明をするのに、自社の商品を使ってもらえればわかりやすい。そして、半蔵門駅から地下直結。仮に悪天候でも、濡れずに、傘をささずに会場に入ることができる。おそらく、これらの理由からこの会場を選んだと推測できる。
半蔵門線沿線在住の俺にとっては、この上ない好条件だったのだが。

1月下旬から3月上旬の6週間は、週5日~6日、毎日2~3社×2時間というハードスケジュールだった。夜はエントリーシート書いたり、WEBテスト受けたり。その6週間でかなり鍛えられたと思う。才能が無かったからできたんだと思う。俺には才能がない。能力が低い。性格も曲がってる。人と話すことが得意じゃないし、媚びたりできない。だから、とにかく数撃たないとダメだとわかってた。もし、中途半端に人がよくて、中途半端に才能があったら、怠惰になって努力しなかったんじゃないか。そう思うと、才能が無かったことに感謝できる。

バイトもほぼ休まなかった。朝6時起きは変わらず。2時間ちゃんと働いて、仕事が終わったらその足で会社訪問に向かって。夜までずっと外を歩く生活。カネ無かったし、親にこれ以上負担かけるわけにもいかないし。交通費を節約するために、初乗り料金くらいなら電車に乗らず、歩いて向かった。できるだけ定期内で済ますようにした。日本橋や茅場町や東京駅周辺だったら、定期内の神田で降りて、そこから歩いた。永田町だったら、四ツ谷から歩いた。湾岸地区なら、バスの一日乗車券を買い、乗継に乗継を重ね何とか500円以上かけなかった。スーツも安いもの、カバンも4000円程度のもので何とかした。コートを買うカネもなかったから、中に着込んでしのいだ。待ち時間、就活生はよく喫茶店に入るんだけど、そのカネも惜しくて、俺は公園や商業施設のベンチで時を過ごした。皇居と丸ビルには世話になった。昼飯代も惜しくて、浜松町の公園で、コンビニで買ったおにぎり2つ食べて何とかしたこともあった。

おかげで、ほとんど就活にはカネはかからなかった。通常の生活費の範囲で収まった。貧しかったけど、どうやったらカネを使わずに済むか、そんな工夫を考えるのは楽しかったな。色んなヤツと夢を語り合って、特に某Yには世話になった。人前で涙を見せない主義だけど、亀戸の定食屋で不覚にも泣いてしまったことも忘れない。悔し涙じゃないよ。嬉し涙。俺には素晴らしい仲間がいるってことに無性に感動を覚えたから。いい思い出です。

今年、俺の友人でも何人か就活だけど、逃げずに頑張ってほしいね。だけど、あいつらは幸せだぜ。情報持ってるんだから。俺も、専用サイトを当時作ったし。

DavyJob

http://job.davystyle.com/

このサイトは素晴らしい。俺の就活専用Twitterアカウントのツイートが、毎日、日付別に保存されている。カレンダーをクリックすれば、その日のツイートが出てくる。就活のことでも、こうやってあとから語ると、忘れていることもあったり、思い出は変化してしまうものじゃない?正確な情報が伝わらない。そんなことはとっくにわかっていたから、日々のツイートをその時その瞬間に記録しておくようにシステムを組んだんだ。2011年の夏の分からある。どの時期に、俺がどう考えていたのか、恥ずかしいけど間違いもたくさん犯してきた。それも含めて、リアルタイムで追えるようにしてある。

そして、エントリーシートのバックアップ。各企業別に、エントリーシートで課せられた課題やそれに対する俺が提出した文章も全て掲載してある。もちろん、それを出して通ったか落ちたかも書いてある。想定問答集として活用していただければいい。また、幸いにも俺はESに関してはかなり通過率が高かったため、文章例として利用してくれても一向に構わない。

俺が受けた企業の一覧表をExcelにしたものもある。それも、最終版のみならず、各時期に応じて保存してあるため、志望企業の移り変わりも確認できる。当然のごとく、初任給や住宅手当に関する詳細も記載してある。なかなか手に入らない情報も書いてある場合もある。

他には、説明会に参加した時のメモを記事にして書いてあることもある。これに関しては数社しかやらなかったが。

では、早速、クリックして見ていただきたい。もちろん、スマートフォンにも対応している。

・・・と言いたいところだが、残念ながらパスワードがかかっている。普段は顔の見えないユーザーを大切にする俺だが、ここだけは申し訳ない。個人情報も記載してあるため、不特定多数に公開することは難しい。おそらく企業にとっては就活生に知られると不都合であろう情報まで書いてある。もちろん、守秘義務に反するような情報漏洩はしていないが。それだけ貴重かつ危ない情報が書いてあるということだ。

とはいえ、全く俺と面識がない人を排除するつもりもない。もしご覧になりたければ、申し訳ないが、素性を明かしていただきたい。当然、個人のプライバシーは守る。

Mail to Davy
http://davystyle.com/mail
https://mailform.mface.jp/frms/davy/bdnpghftlzlh
どちらでもお好きなフォームからどうぞ。

本人確認さえ取れれば、パスワードをお教えします。お気軽にどうぞ。

ちなみに、俺は現状の就活制度が正しいとは思っていない。改善すべき点は多々あるとは思っている。
ただ、資本主義社会では、カネがないと生活できない。カネを持ってなくて、夢だけ叫んでいても意味がない。また、そのカネも、自分で生み出したものでなくてはならない。
当然、就活して企業に就職しなくてもカネを稼ぐ方法はいくらでもあるが、ある程度の学歴さえあれば、これほど手っ取り早くパフォーマンスを得られるイベントもない。未経験でも重宝される機会は他にはない。それに、この国は正社員はかなり優遇されている。保険制度にしても何にしても。だったら、多少プライドを犠牲にしても、飛び込んでみる価値はある。本当にやりたいことが見つけるまでひたすら蓄財を続け、カネと能力・経験と自信が満たされた所で飛び出したらいいだけだ。理想なき仕事は最悪だが、理想だけじゃメシは食えない。

いくら崇高な理想を掲げても、それを実行するための手段とノウハウを持ち合わせていなければ、所詮は夢物語に終わるってことは、散々痛いほど学んだ。前の記事で書いた経験が、俺をそうさせた。余談だが、もし俺が政治家になる際には、無所属では出馬しない。各種業界団体の推薦と有力議員・会派の推薦を取り付けられる状況になった場合で、彼らにそれなりの見返りを約束した上で出馬する。しがらみが無いことが必ずしも良い事だとは思わない。しがらみをうまく利用して、自分の本当に通したいものを厳選して通すことが大事だと学んだ。

少し汚れたかな?(笑)
大丈夫、ちゃんと理想は持ってる。その理想を実現するために、最適な手段を考えているだけだ。叶わない大きな夢も素敵だが、小さな夢を1つずつ叶えていくこともまた素敵ってことさ。


ポジショニングとは何か ~正しい目標を定める~

静岡にいるのも今日で終わりだ。珍しくそこそこ長い帰省で心身ともにリフレッシュできた気がする。
何といっても食事!ちゃんとしたものを食べさせてくれるのが実家にいる醍醐味の1つ。母親の料理は、世間一般に美味しいと言われるかどうかは別として、俺にとって幼少の頃から慣れ親しんできた味であり、落ち着く。誰にとっても「おふくろの味」があると思うが、そういったもんだ。嬉しいことで。
また、外食も美味い。静岡市民はどこだかの統計によれば、そば好きが多いようで。俺もその1人だ。ちなみに、静岡市はマグロの消費量が日本一というデータもあるが。これもあてはまる。

さて、昨夜は友人2人と会ってきた。毎度おなじみYMN氏、そして京の都で自由を謳歌しているmur氏。どちらも静高時代の友人である。
俺が高校時代にテーマソングにしていたうちの1曲をお聞きいただくか。

http://files.davystyle.com/scorpio.mp3

scorpio.mp3

「憂鬱にまみれた反逆者たちよ 共に目指そう魂のエルドラド
 ついてきたいヤツだけついて来い 最高の夢を見せてやるぜ!」

こんな感じだったな~。懐かしい。
俺らは大して優秀じゃなかったな。大して努力もしないし。まぁ、先生方から怒られてばかりの悪ガキどもでしたよ。
でも、やる時はちゃんとやる奴等。受験だってそれなりの大学に一発でキメるし、就職だって世間一般よりはよっぽど稼ぐであろう企業に内定している。履歴書だけ見れば文句ない。もちろん、ズバ抜けて素晴らしくもないんだが、やる時はそこそこやる連中。俺の周りにはそんなヤツが多い。

静高時代の連中は結構仲がいい。俺の周りだけじゃなく、他のグループでも卒業から4年が経とうとしている今でもよく会っているという話を聞く。同窓会のような形でなく、現在進行形の友人として。実際、現役だった頃は静高生を叩いていたが、なんだかんだ言って人間的にはしっかりしている連中。これは俺の評価というよりも、違うジャンルの人々と付き合った某友人の話なんだが。もちろん、能力は高いしそれなりに実績や肩書きもある連中だから、プライドはお高いんだけど。とはいえ、もう同じフィールドで戦わなくても良いので、そのプライドという牙もわざわざ見せる必要はない。

しかしながら、似た者同士が集まる静高という環境は大変だ。東京のように学校が多い地域だと、同じような成績でも行く学校は分散すると思うのだが、田舎は学校の数が少ない上に私立もまともな学校が少ないので、中学の成績で行く学校が決められる。よって、似たような連中が集まる。特に一般の公立中学出身者にとっては、それまでと世界が違う。中学まではトップクラス。チヤホヤされ、とにかく高得点を挙げることが第一。文武両道でスポーツもできるのが当たり前。「出木杉君」ポジションでいれば済むケースが多い。(俺みたいにスポーツが残念な状況なら勉強だけというケースもあるが)。ところが、静高は周りは同じことをしてきた奴等ばかり。また違うポジションを確立しなければならない。そうでなければ、あの学校では埋もれてしまう。

皆さんの学生時代(現役の人は今のクラス)を思い出してほしい。1つのクラスには色んなポジションを守っているヤツがいる。明るくて陽気なヤツ、妙に皆の噂を知っているヤツ、お菓子を配ってくれるヤツ、パシリとして扱われるヤツ、やたら身体が大きい体育会系のヤツ、教室の隅でいつも本を読んでいるヤツ・・・。各ポジションによって華々しさやその役割が違ってくるが、学生生活を送る上で最も大事なことは、自分のポジションをハッキリさせること。それがすなわち、自分のカラーになる。

俺はクラスの中心の人気者も、クラスの隅の暗いヤツも、優等生も、落ちこぼれも、ほとんどのポジションを経験できた人間だ。そして、クラスを俯瞰的に見ていた立場だからよくわかる。明るく華やかなヤツが必ずしも友達が多く楽しい学校生活を送れるわけでもなければ、教室の隅で大人しく本を読んでいるヤツがみじめな学校生活を送っているわけでもない。きちんと自分のポジションが確立されている人間は、どんなポジションであれその時々に応じて周りが必要としてくる。例えば、俺の中学の時の友人に、言葉を発しない男がいた。別に障害があるわけではない。ただしゃべるのが好きではなく、口を開けた所は食べる時以外見たことがない。携帯でメールをするわけでもない。そんなヤツだが、そいつの周りにはいつもたくさんの友達がいた。いじめられてたわけじゃない。むしろ、一緒にいたずらをしていた方だ。いつも周りに楽しく一緒に遊ぶ仲間がいた。言葉を交わさずとも、コミュニケーションがとれていたのである。俺らも、遊ぶ時には彼を本気で必要としていた。そういうポジションでいてくれるヤツは、彼しかいなかったからである。そんな稀有なポジションが新鮮で面白かった。

彼がそこまで計算していたかは別として、自分の居場所は自分で作るべきだということを彼から教わった。そして、静高に入ってから、「ポジション効果」の実験をしてみた。
入学してありがたいことに友達ができ、昼休みはいつも同じメンバーと弁当を食べていた。ある時、いつも弁当を1人で食べているヤツがいることに気付いた。悲壮感は出ていない。むしろ、堂々としている。しかし、彼とコミュニケーションをとろうとする者はいなかった。弁当を食べ終わってから、俺は1人で彼に話しかけにいった。なかなか会話のできる面白いヤツだとわかった。俺、思ったんだ。「ああ、俺と一緒だな」って。長縄(大縄跳び)が苦手なんだ。タイミングがつかめていないだけなんだな、と。だとしたら、もったいない。

そこで、明くる日、俺たちは彼を囲んで弁当を食べたんだ。そしたら、彼はあっという間に話題をかっさらっていく人物になり、クラスで中心格のいじられキャラになった。「俺のポジションとるなよ・・・」なんて思いつつも、嬉しかったね。ちゃんと立ち位置さえハッキリすれば、こんなに活躍ができるものかとわかったから。勘違いして欲しくないが、別に俺が仕掛けたものじゃない。彼が自分で掴み取ったポジションだ。俺も「してやった」なんてこれっぽっちも思っちゃいない。俺は単なる傍観者。

現秘書だってそう。本人読んでるだろうから、あまり言いたくないけど(笑)
中学も一緒だったが、ほとんど関わりがなかった。体育のチーム分けでサッカーやる時同じチームになったくらいで。高校になってほぼ初対面のようなものだが、なんか昔の俺に近いものを感じた。石橋を、叩いて叩いて、結局渡らないタイプ。あの学校では「俺が俺が」のタイプが多い中で、珍しくブレーキタイプ。こりゃ組んだら面白いぞと思った。
それまで高1の時の俺は、例えて言うならピン芸人。ソロ歌手。故に自分でアクセル・ブレーキ・ハンドルを全て操作しなければならなかった。今思えば、精神的に相当キツかった。プレッシャーを一身に背負うから大変。中2・中3の時には秘書と同志がいたから楽だったが、高校に入って俺の後方を守ってくれるヤツが欲しかった。

彼とタッグを組んだことで、俺のポジションにも変化が生じた。今まではおとぼけキャラポジションだったが、重鎮ポジションができた。悪く言えば、横暴なジャイアンポジション(笑)
秘書を「かわいそうな天使」ポジションに置くことで、俺自身が「自分勝手な悪魔」ポジションを守ることができた。これが俺の「デビル」の始まりだ。

俺の話は置いといて、彼は地味な性格ではあったが、濃いキャラになった。当時静高にいた連中で、俺たちのことを知らないヤツはいない。彼が放っていた色は「白」だった。普通なら、人々の記憶に残らず忘れ去られる存在。白のキャンバスに白の絵の具で絵を描いても目立ちはしない。だが、彼は自分で「白色」のポジションを固め、絶えず「黒色」の横に存在した。自らのポジションを理解し、適材適所で動いていたから、黒の前で目立つ、いわば「輝きを放つホワイト」になったのだ。もし彼が、俺の秘書役になることを頑なに拒んでいたら、風景の中で消え去る色で終わったはずなのだ。このように、同じ色を放つにしても、自分のポジションをきちんと選ぶことにより輝くことはいくらでも可能なのだ。俺はそれを彼から教わった。

(口では俺のおかげでテメーは・・・といつも言っておりますが、本当は彼自身の努力の賜物です)

これが、俺らが普段の生活で生かせる「ポジショニング効果」。
経営用語の基礎知識では以下のように書いてある。

ポジショニング Positioning
ターゲットとする市場において、競合から自社を差別化し、優位な地位を占めるための考え方。一般にポジショニングとは、自社の製品やサービスを差別化し、顧客に認知してもらうための考え方です。

1点目は、競合製品との対比で、自社製品の差別化のポイントを顧客にどのように理解させて、購買決定を促すかという観点です。
2点目は、自社の製品ラインにおける当該製品の位置づけを明確にするという観点です。

ポジショニングには、ポジショニングマップを作成するステップと、ポジションを確立するための戦略を実行するステップがあります。
 まず、製品特性や顧客ニーズ、独自性などを考慮しながら、ポジショニングマップの軸を決めます。例えば、自社の強みが低コストなのか、それとも高いブランドイメージなのかといったことを見極めることが重要です。次に、それらの軸の最適な組み合わせを選定します。2つの軸を選んで2次元のマップを描き、そこに自社および他社製品を位置づけることが通常行われます。
 狙うべきポジションが明らかになったら、そのポジションを確立するために、マーケティングの4P(製品、価格、プロモーション、販売チャネル)を駆使したマーケティング・ミックスの戦略を策定する必要があります。ターゲットの特性に合った価格づけやチャネル選択が必要ですし、ターゲットに対して製品のコンセプトを正しく伝達することが重要となります。

position

上の図のビール業界が良い例だ。ビール市場は寡占市場であり、商品によってそんなに価格に差があるものではない。価格としては横並び状態だ。
そこで、いかにして他社の製品ではなく、自社の製品を選んでもらうか。それには差別化が必要なのである。

俺が「大衆迎合」を批判するのは、そもそも万人に受けるポジションなど存在しないからである。甘口が好きな人もいれば、辛口が好きな人もいる。年上の女性が好きな人もいれば、年下の女性が好きな人もいる。好みや需要はその時々に応じて様々なのであって、どの嗜好にも差しさわりがないように・・・とすること自体が間違っている。そういうやり方では、本当のファンは掴めない。

「甘口が好きな人に嫌われてもいいから、辛口の商品を出すんだ!」となれば、辛口好きの人は飛びついてくる。他社が甘口好きの人に避けられることを恐れて辛口市場に手を出さなければ、辛口のファンは全て自分のところに集められる。独占市場だ。「どんな人にも対応します」というものは、たいてい「どんな人にもピッタリとはフィットしない」ので、濃いファンはつかない。また、類似商品も多いゾーンなので、少しの波で一気にさらわれてしまう。

先日、SUPER☆GiRLSのかえぴょんについて書いた記事で、「相手が1人でもいいから、その人の心に「深く刺さる」アーティストでいてほしい。」と書いた。「深く刺さる」ためには、明確なポジショニングが必要。「紅白を目指さなくていい」と書いたのは、大衆に受けたいアーティストなどざらにいるから、そこの市場狙っても濃いファンはつかないよ、ということ。他とは違う所を目指さないと。

今回の「音楽でつながろう! Music Ribbon キャンペーン」は面白い。
http://supergirls.jp/musicribbon/

『「音楽でつながろう!」をテーマに、SUPER☆GiRLSのメンバーが日本全国の様々な場所で、イベントを開催し、『音楽』=『夢・勇気・笑顔・元気』を届けるキャンペーン』で、『イベント開催に伴い、SUPER☆GiRLSが結成するきっかけになった「avexアイドルオーディション2010」の最終審査の審査員でもあった、小室哲哉・作詞作曲による、新曲「Celebration ~Music Ribbon ver.~」のオリジナルCDを無料配布致します。』とのこと。あの小室さんが作詞作曲という最高級の曲を、全国を飛び回り無料で配布するなんて、なかなか斬新な企画。昨今の商業主義的な音楽業界へのアンチテーゼにもとれて、面白いと思う。これだけなら大赤字だと思うが、例のFREEという本に書いてあった手法も活かしてじわりじわりと客を集めるのだろう。

1つ案として面白いのは、「私たちはTVには出ません!ひたすら全国各地を飛び回ります!」というもの。
政治の世界を見ればわかる。「風」が吹いても、絶対に崩せない地域。今回で言えば岩手4区の小沢さんの所、2009年で言えば鳥取や山口の「保守王国」。メディアが起こす風は確かに強力だが一過性で脆弱なものだ。風で受かった人間は、風が吹かない次の選挙ではたいてい落ちる。やっぱり、川上から地元を隈なく回る「どぶ板戦術」。これを徹底して継続している候補者の選挙区は強い。小沢さんなんかもかつてはやっていたんでしょう。地元に強力な支持団体があれば、多少のピンチになっても勝たせてくれる。

スパガもやればいい。きっと各地で濃いファンが定着するはず。だって、俺自身、スパガを好きになったきっかけはメディアじゃないんだよ。たまたま中央線に乗ってた時に目に入った、飯田橋のビルボード。あれがきっかけで存在を知り、初めてライブに足を運んだことでとりこになったんだ。紅白に出なかろうが、少々の問題が起きようが、俺の方をちゃんと向いてくれているから離れない。彼女らのポジションも好きだしね。従来のオタクくさい粘着質な空気がまとわりついているアイドルのイメージではなく、スタイリッシュにアーティストとしてやっていながらも身近な存在でいてくれるアイドルというポジション。最近はそんな粘着質な連中も若干入り込んできてはいるが(笑)他と比べたスパガの魅力は、「スマート」な所だと思う。

昨夜静高の連中と会っていて思ったのは、多分俺たちは3年間できちんと自分のポジションを確立できた連中なんだってこと。だから、どんな時に誰が必要か、なんとなくわかる。だから、卒業から4年経とうとしている今でも、会う意味がある。今も、それぞれの自分だけのポジションを、必死にこなしているからね。俺ももちろん、彼らを必要としている。「ギブ&テイク」などない。それぞれが自分にできる範囲のことをやる。自分のことであろうと他人のことであろうと。アジェンダが一致する範囲において、協力する。

俺のこのDavyStyle.comのポジションもなんとなくだけどわかってるよ。個人ブログでこんなに長文を書く所は他にはない(笑)そして、難しいことをわかりやすく伝えるパイプ役。人気ブロガーじゃないけど、作家という自負を持って一定の水準のものを提供しているつもり。Facebookとかと違って、匿名でも自由に閲覧できるし、俺に直接問い合わせるルートも確保してある。

Mail to Davy
http://davystyle.com/mail
https://mailform.mface.jp/frms/davy/bdnpghftlzlh

こんなメールフォームもできたしね。SSLに対応している(セキュリティが強固)ため、安心してお使いいただける。かなり本格的なものを先日取り入れた。相談事、質問、お仕事依頼、単なる会話でも何でも良いので、お寄せいただければと思います。不人気ブロガーですので、1件1件時間も労力も十分に割いて対応できる環境にありますし、させていただこうと思っております。やっぱり嬉しいんでね、メッセージもらえると。
不人気ブロガーというか、このサイト借りてるサーバーはあまり強くないから、ちょっとアクせス集中するとすぐダウンしてしまう。俺が大規模改修をやろうと思っても、小刻みにやらないとすぐ落ちるくらいだからな。

明日は書かないから、今日はいつも以上に長く。「こんな誰も読まない記事長々と書くヒマあったら、俺の論文を手伝え!」と某友人に怒られそうなので、今日はこの辺にしておきましょうか。

 


今、傷ついた天使に伝えたいこと

新春早々、気がかりなことがある。
SUPER☆GiRLSのかえぴょん(稼農楓)のことだ。
他のメンバーは紅白に出場できなかった悔しさを噛み締めながらも、それぞれの正月を過ごし、その様子をTwitterやブログ、メール等で教えてくれる。
かえぴょんだけが更新が無いのだ。

そんな中、残念なニュースが入ってきた。どこかの週刊誌に、昨年秋に取り上げられた騒動の延長戦のような記事が出て、写真まで掲載されたようである。詳細についてはここでは言及しない。
俺個人の感想を言うならば、大変衝撃的なものであったし、残念な話だとは思う。決して「いいこと」ではない話である。
もちろん、記事の真偽についてはわからない。仮に事実だとしても、どこまで本当のことなのかはわかりかねる。詮索するつもりもなければ、詳細を知りたいとも思わない。

ただ、アイドルという職業の特性上、そのような話題が出るのは好ましくはない。そのため、他のグループでは、こういった類の話が出ると、解雇や卒業にまで追い込まれるケースがある。
スパガでは前例が無いので、どのように対処するか不明だ。最初のアルバムが出てすぐの頃からスパガファンである俺は、彼女たちを好きになってもう2年になる。俺の勝手な意見を述べさせてもらうとするならば、こんな事など無かったことにして、堂々と変わりなくかえぴょんにはスパガとして、アイドルとして続けてもらいたい。

少し、俺の過去を話そう。このブログの古くからの読者は耳にタコができるほど聞いたかもしれないが、新規の方のため軽く触れておく。

2007年秋。もう5年以上前のことか。当時俺は高校2年生。
諸事情により自治会長(生徒会長)になった俺は、激しいバッシングと闘っていた。

俺の政策に反対する上級生を中心とした連中から、リアル・ネットを問わず、誹謗中傷を受けていた。
ブログのコメント欄は荒れ放題。学校では、ある事ない事を書かれた怪文書とも呼べるようなビラを全校中にまかれた。
自分で言うのもおかしな話だが、それまでの俺は人気者だった。チヤホヤしてくれる人が多かった。
しかし、この事をきっかけに多くの人が俺のもとを去った。心に大きな傷を負った俺は、シャッター商店街のように荒れ果て、寂れた存在となった。

12月初旬のある日。俺たちの学校は、修学旅行で奈良に来ていた。
本当は班行動をして寺社を回らなければならないのだが、俺は1人で脱走を図り、神戸・三ノ宮へ向かった。

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冬の訪れを告げるかのごとく、冷たい空気が神戸の街を支配していた。
でも、俺の目の前に現れる景色は優しかった。
文字通り、雲1つない青空。穏やかに微笑んでいる太陽。
メリケンパークの石段に座り、ボーッと海を眺めている俺は、仏様のような澄んだ心を手に入れた。

清らかな心で、それまでの自分を振り返ってみた。
確かに、周囲の人の数は減った。指で数えられるくらいまで減った。
でも、残った連中は、俺を本気で信じてくれる熱い連中だってことに気付いた。なんとなくのブームで俺に関わっていた連中とは、空気感が違っていた。

友達を失った。その代わり、親友だけが残った。
自分が本当に大切にすべき人は誰なのか、やっとわかった。

それまでの俺は、天下を取ることだけを考えていた。
No.1の存在になりたい。俺が全てを支配していくんだ。俺はスターになるんだ。
それもいい。だけど、目的達成したところで、幸せかい?

その時はじめて、俺が求めていたものは違うって気付いた。
その時はじめて、俺が本当にやるべきことは違うってわかった。

神戸の海で、権力の座を自ら譲り渡すことを、決意した。

話を戻す。
俺はスパガが大好きだ。彼女たちが活躍するのは嬉しいし、いつまでもその素晴らしいパフォーマンスと眩しい笑顔を見ていたい。
メンバーはよく、「紅白に出たい」「オリコンで1位とりたい」と目標を口にする。
もちろん、その夢は全力で応援したい。その気持ちに嘘はない。

だけど、俺はスパガに紅白に出るようなアイドルになって欲しいわけじゃない。
東京ドームを客で埋め尽くすようなコンサートの開けるアイドルになって欲しいわけじゃない。

ファン1人1人にとっての「かけがえのない存在」であって欲しい。
俺たちの荒れ果てた心に光を灯す、一輪の大きな花であって欲しい。

はるか遠くで点でしか見えないような、ステージから俺たちを「見下ろす」アイドルになってほしくない。
ギリギリまで手を伸ばした1ミリ先にいつもいてくれる、俺たちに近い存在であって欲しい。

アイドルも商売です。アーティストも商売です。ある程度数を売らなければ、やっていけません。
持続可能な状態を作り出すための「数」は、ある程度は必要だと思う。
でも、数を増やすことばかりに夢中になり、古くからのファンを置き去りにしているアーティストもたくさんいる。
俺も、「捨てられた」うちの1人です。

かえぴょんにしても、「数」を増やそうと思ったら、今回の事は致命傷になるかもしれない。
スパガがメジャーになればなるほど、その傷を叩く輩は増えていく。
その度に、逆にファンは減っていくかもしれない。

しかしながら、「数」ではなく、ファンの「質」、ファンとの「距離」に視点を置くならば、むしろ更に今後の可能性がある立場だと思う。
多少のスキャンダルで逃げ行くような、「にわかファン」は減っていく。これからの彼女についていくファンは、傷があっても関係なく応援していく「熱いヤツ」「濃いファン」だけが残る。

俺がアーティストとして大好きな布袋さん。伝説のバンドだったBOØWY時代に比べれば、もしかしたらファンは減っているかもしれない。彼もこれまで数々の傷を作ってきた。今でも叩く輩は多い。
そんな布袋さんのファンクラブ「Beat Crazy」に俺も入っているが、年1回行われるファンクラブ限定のライブ「B.C.ONLY」は、他のコンサートは比べ物にならないくらい熱く楽しいライブだ。
本当にHOTEIについていきたい連中だけが集まっている空間だからね。パフォーマンスも普段見られないような相当濃いものになるし、トークだってある意味HOTEIのイメージとは違う感じのものでもあったりする。
BOØWY時代の布袋よりも、今の布袋寅泰の方が好きだという人間も少なくないはず。特に濃いファンの中では。

濃いファンに支えられているアーティストは、メディアへの出演が無かろうが長続きする。
氷室京介にしろ、矢沢永吉にしろ、浜田省吾にしろ。浜省さんがテレビに出ている所なんて、ほとんど見たことない。それでも、コンサートは大の人気で多くの人が入っている。
それは、彼らが俺たちファンにとっての「かけがえのない存在」であり続けたからなんだ。俺たちの人生において、ある場面に出くわしたときにかかるBGMを奏で続けたからだ。
アーティストが地道に頑張って、今日もライブ会場で待っていてくれるから、俺たちも頑張れる。それが、日本経済の活力になっている。

1人でも多くの人に自分たちのことを知って欲しいのはわかる。
1人でも多くの人に自分たちの曲を聴いて欲しいのはわかる。

でも、それ以上に、相手が1人でもいいから、その人の心に「深く刺さる」アーティストでいてほしい。

飛行機でも、上昇する時に機首を上げ過ぎる(上昇角度が急である)と、バランスを崩し最悪の場合墜落する。急成長する会社は、脆弱である。
少しずつ、ゆっくり、味わうように高度を上げていけばいい。上を向かずとも、前を向いていれば、確実に成長できる。

・・・書き過ぎた?俺、スパガの中では勝ぴ(勝田梨乃)推しなんですけど(笑)
でも、かえぴょんは約束守ってくれたしね。
超絶夏まつり(例のお台場に2日間入り浸ったやつ)の時、ハイタッチ時に「いつかピアノの生演奏聴かせてね!」と言ったことがある。
1ヶ月後、超絶歌劇団の学園祭の時、約束を果たしてくれた。
また、この前のクリスマスライブでも、感動的な伴奏を聴かせてくれた。スパガにとっては無くてはならない存在。
「ありがとう」の気持ちも込めて、長々と書かせて頂きました。本人の目には触れないと思うけど、何かの事故でたまたま見てもらえたらな、とか思って書いてみた。

この歌を作った小室哲哉さんは、見抜いていたのかな?こんなこともあるだろうと思って、スパガの皆にメッセージを贈りたいと思ってこんなセリフを入れたのかもしれない。

『心無い人の声 気にしてたら壊れちゃう
 どうにかしてこの街で 生き抜いていかなきゃ』

まぁ、かえぴょんがどんな選択をするにしても、俺は本人の意思を尊重するつもりです。
俺だって、過去はそんなに誇れるわけじゃない。消したくなる過去もある。誰だってそうじゃないの?だから、どんな傷を持っていようが、彼女がこれからどうしていきたいかに注目するつもりです。


「学ぶ」とは何か ~現代版・学問のすすめ~

俺はごく稀に「ブレない男」だと評されることがある。
ミクロな視点で俺を追っている人間にはわかるかもしれないが、細かい部分ではブレが生じることもある。ただ、先のように評する人は強ち間違いではなく、大きな根幹の部分ではブレは生じない。
なぜか。
物事に対する定義づけがきちんとできているからだ。「○○とは何か」「○○はどうであるべきか」こういった自分の中での定義がきちんと決められているからこそ、重要な局面では原理原則に従って行動できる。このコラム内での「何か」シリーズは、DavyStyleの根幹に関わる主義主張を明示するものである。

俺は過去にも、「何か」シリーズを著してきた。

自己分析とは何か (2011.09.15)
http://davystyle.com/archives/1022

さて、本題に移ろう。

IPPEIさんが素晴らしい記事を書かれたので紹介したい。この記事に感化されて、今回筆をとるに至ったのである。

夢と希望の押し売り(大学卒業前に思うこと)
http://ippeintel.com/archives/1338

中でも、この部分について考えさせられた。(以下、引用)

 

さて、こんな話の枕は置いといて、今日のトピックはずばり「文系・理系・体育会系 ― カテゴライズ好きな僕たち」である。

文系って何してるの?
何のために、何を学んでるの?
というか、そもそも学んでるの?


これは僕が実際に耳にした、理系学生が文系学生に対して放った言葉である。このような言葉はあまりにも頻繁に聞くし、もはや「またか」という感じで以前ほどは何かを感じることもなくなったが、それでもやはり、このような言葉の蓄積が文系学生を「文系コンプレックス」に陥れているのかと思うと、ちょっと待てよと一石を投じたくなる。待てよというのは、このようなことを言う理系学生に対してではなくて、文系コンプレックスなるものを抱いている文系学生に対してである。そんなもの抱くことないじゃないかと。

(中略)

そんな背景もあって「何を学んでいるの?」というような問いに対して、曖昧な答えしか出せない文系は僕も含めて多いと思う。だけど、無理もない。曖昧な動機で進学しているから、自分でも一体何を学べばいいのかわからない。

確かに、この4年間このようなシチュエーションは多かった。その度に俺が思っていたことがある。

「学ぶ」だけなら、意味はない。

「勉強する」ことの意義を趣味として捉える、あるいは感情的なもので捉えるとしたら、それは有意義なものだろう。それは、認める。
しかしながら、他者の視点から自らの「学び」を見た時、勉強したことそれ自体が評価されるのだろうか。
言い換えるなら、学んだことそれ自体が何か社会に対して影響を及ぼすものであるのか。

難しい話になってしまったが、つまりは「学ぶ」という事実(経験)は威張れるものでも何でもないというわけだ。ただ知識を吸収しただけに過ぎず、それ自体が財やサービスを生み出すわけでもなく、社会的貢献にあたるものでもないということ。さらに言うなら、知識を吸収しただけでは、生活のクソの役にも立たないというわけだ。

静高時代、よく見受けられた光景。
「ボクちゃん、この前の日曜日は10時間も勉強しちゃったもんね!」
「オレっち、この前のテスト、上位者表に貼りだされたぜ、スゴくね!?」

それをニコニコしながら、腹の中で「バーカ」と思っていた俺。
まぁ、大学受験という目標があり、そのプロセス上での出来事だと思って大目に見よう。
しかしながら、大学生というのは、財やサービスを生み出さなければ評価されない立場の1つ前のステージである。この期に及んで、「ママ、ボクね、前期の成績A+が5個もあったんだ~!褒めて、褒めて!」の世界にいるというのは、何とも言い難い呆れの境地である。

何が言いたいか。
社会的に意味がある「学び」というのは、知識を吸収するということではない。学んだ知識を、実生活に役立つよう還元してこそ意味があるものであるということだ。

例えば、俺は大学で保険の専攻である。保険学やリスクマネジメント論を学んだ。それ自体には1円の価値もない。
しかし、その知識と現在各社で提供されている保険商品の知識を組み合わせて、各年代・それぞれのニーズに応じた最適の保険商品を提案できるとしたらどうだろうか。有償無償関係なく、それは社会的に価値のあるものである。友達に「○○海上の○○という保険に入ったらいいんじゃない?」などと言えたら、その友達に貢献したことになる。
これこそが、意味のある学びなのだ。

そして、知識を吸収するプロセスにおいても、最近の大学生は「意味のある学び」の要素が欠けている。
インターネットや本(教科書)で得た知識だけを活用して、レポートや論文を書く人間が多い。机上の空論とはまさにこのこと。図書館の中の知識だけでプロダクトする作品は、読む価値はない。ただ単に本の概要を書いただけに過ぎない。

俺は違う。現場主義を徹底している。
ある程度インターネットや本でペーパー上での知識を吸収してから、実際に現場に足を運ぶ。街を歩く。商品やサービスが対象物であるなら、実際に利用してみる。少なくとも、実際に販売されている商品のパンフレットくらいには目を通す。
そして、自分の目と耳で確かめた「知識」を、もう一度ペーパー上の「知識」で確認し、照合してみる。一致する所もあれば、実際とは違う場合もある。レポートに書くかどうかは別にし、感覚として身につける。それこそが、自分の中に蓄積される「知恵」となる。
某友人の論文の手伝いをした時に、論文に必要ないとは思いつつも、あえて交通費を使い現場に足を運んだ。彼がその意味を理解しているか否かはさておき、あれは絶対に必要なことなのだ。文章を書く時の質感・ニュアンスに影響してくる。商品のパンフレットを見ると、いかにも相当魅力的なものであるかのように描かれている。しかし、実際にそれを利用したり現場に行くと、パンフレットには記載されていない問題点や欠点が見えてくる。それらを感覚として、作品にフィードバックできるのだ。

「学び」は大学だけでするものではない。実生活上でも学ぶことはたくさんある。
鉄道の本を10冊読むよりも、1時間ラッシュ時にホームに立っていた方が学ぶことは多い。数字には表れない実情が見えてくる。

1つ例を挙げて説明しよう。
鉄道の混雑率について。朝の通勤通学ラッシュは非常に電車が混雑する。国交省はそれを「混雑率」の形で統計に表している

混雑率データ
http://www.mlit.go.jp/common/000226765.pdf

例えば(実例に沿わない形で申し上げるが)、混雑率160%の路線が複数あるとして、6両編成が主体の路線と、15両編成が主体の路線が存在するとする。時間帯による偏りや本数・種別等を同じ条件とした場合、体感的にどちらの路線の方が「混雑を回避できる可能性」が高いだろうか。
この場合、15両編成が主体の路線の方が混雑を回避できる可能性が高い。各駅の階段(出口)の位置にもよるが、基本的に客は階段付近の車両に集中し、階段から遠い車両に好んで乗る人は少ない。JRや多くの私鉄の場合、1両の長さは20m。15両対応ホームで、ホームの真ん中に電車が停まる場合、そして出口階段がちょうど真ん中1ヶ所にしかない場合、6両編成(3・4号車の間に階段)の電車だと運転席の方まで移動したとしても移動距離は約60mで済む。一方、15両編成(8号車の中心に階段)の電車だと運転席の方まで移動すると約150mも歩かなければならない。これを嫌う客が多いので、主要駅(乗降客が多い駅)の階段から遠い車両は、比較的混雑率が低い場合が多いのだ。

こういったことは、毎朝ホームに立っていれば自然と見えてくる。国交省のデータといくらにらめっこしても、実情は見えてこない。
だから俺は、現場主義を徹底しているのだ。教科書で知識を吸収するよりも、街を歩いて「知恵」を見出すことに注力しているわけだ。

今回の結論。
本や研究室で知識を吸収しただけでは、真に「学んだ」とは言えない。現場を見て実情を把握し、教科書上で得た知識と融合しながら、社会的に意義のある形で実生活に役立つよう還元して初めて「学んだ」と言える。ただ授業に出た、ただテストで高得点を挙げただけの連中が威張るなってことだ。そんなことでデカい面してるのは、ダサいんだよ。生活に役立つ知恵、「情報」を出せと言っているのだ。

こういうと文学部が不利なように聞こえるかもしれない。だが、それは違う。
歴代の東京都知事を見ればわかる。現知事の猪瀬直樹氏、前知事の石原慎太郎氏、その前の青島幸男氏、皆作家だ。
文学で得たことを都政に還元し、都政で得たものを自らの作品に還元している。猪瀬さんは副知事時代、そこで得たものを活かして数々の作品を生み出した。
やり方次第では、机上の空論のような学問でも、机上の空論で終わらせずに済むことはできるのだ。

あの福沢諭吉も「学問のすすめ」の中で、こう述べている。

学問とは、唯むずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云うにあらず。これ等の文学も自ずから人の心を悦ばしめ、随分調法なる者けれども、古来世間の儒者、和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべき者にあらず。[省略]
畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合わぬ証拠なり。されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。(7頁)

文字を読むことのみを知て物事の道理を弁えざる者は、これを学者と云うべからず。所謂論語よみの論語知らずとは即是なり。我邦の古事記は暗礁すれども、今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と云うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費して、洋学は成業したけれども、尚も一個私立の活計を為し得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。是等の人物は唯これを文字の問屋と云うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と云うて可なり。故に世帯も学問なり。帳合も学問なり。時勢を察するも亦学問なり。(17頁)

今、我々は、「学生」の本分を改めて弁えるべきではないか。


俺が決めて何が悪い!?

「皆で話し合って決めましょう」と学校で教えられる。大人の社会でも、○○会議にかけて役員全員で話し合って決めるなんてことはよくある話だ。
一方で、「誰かが責任もって決めるべきだ」という声もある。会社の中には、オーナー社長でワンマン経営の所もある。

日本のリーダーについて。
物事を話し合って決めようとすると、「リーダーシップの欠如」「決断できない政治」と叩かれる。
リーダーが自分で決めようとすると、「議論が足りない、熟議が大事だ」「独裁政治」と叩かれる。

今日のテーマ曲。
BOØWY 「WATCH YOUR BOY」
http://files.davystyle.com/watchyourboy.mp3

watchyourboy.mp3

俺は、幼少時代から、今も変わることなく、「独裁者」だと思われる傾向にある。高校時代には、「独善的」だと某担任に学級通信か通知表か何かに書かれたことはあるし、生徒からも「剛腕」だとバッシングを受けたりもした。「あいつは何でも自分1人で決める」「副会長がかわいそう」というセリフは、耳にタコができるほど噂話として耳にしている。

ルーツなど大袈裟なものを辿らなくても、プロフィールを見ればこういう人間だということはおわかりだろう。
B型=自己中心的、マイペース
一人っ子=わがまま、小皇帝
確かに、幼少時代を考えてみても、人の上に立つことは多かったし、その立場を利用して好き放題主張してきた側面はある。自分のプライベートな生活でもそうだ。要所要所で、事前の徹底したリサーチやそれまでに蓄積してきたデータや勘をもとに、常に自分の最大限コントロールできる環境にして決断を下してきた。自分のことについては、両親にすら決定権を認めない。有名な話で言えば、今の江東ベースを選ぶ所から、受験する学校の選択から、家電製品の決定に至るまで、もちろん特定の制限がある場面もあったが、最大限自分のコントローラーは自分でホールドしていたつもりだ。

今週、俺は副会長と旅行に出かける。そして、某友人Aも別の友人と一緒に別の旅行に出かける。
共に男友達2人での旅行だが、この旅行の計画には大きな違いがある。
俺と副会長の旅行の場合、行先から宿の確保から交通経路の決定、それらの手続きまで、全て俺が決断し、実行してきた。事前に希望の条件を確認した上での話だが、全て決定権は俺が有していた。俺が全て組んだ上で、プレゼン資料を作り、副会長にYesかNoか問うのみ。(Noという選択は無いも同然だが)おかげでスムーズに決まり、あとは出発日を迎えるのみだ。
一方で、友人Aの旅行の場合、(俺が聞いた情報のみで書くと)2人でよく話し合い、最終的には役割分担して計画を立てることにしたそうだ。ところが、出発間近になっても、「まだ計画ちゃんと立てられてない」と伺った。彼が特別ズボラというわけではないが、なんとなくわかる気がした。
このように、「話し合いで決める」というのは、一見良い方法のように思えるが、実は責任の所在が不明確なため相互依存し、なかなか決まらないことが多いのだ。今の政治や一部上場企業を見ていても同じである。
1人が全てを自分だけで決断することは、一見乱暴のように見えるが、責任の所在が明確なので頼るものがなく、スムーズに決定することにつながる。今の中国の強さはこれだ。共産党一党独裁なので決定がスムーズであり、ドラスティックなことができる。

夫婦関係でもそうだろう。意外と「亭主関白」「かかあ天下」の家庭の方がなんだかんだ言いながらうまく行ってるケースが多いのではないだろうか。責任が一点に集中しているため、権力をもつものがスムーズな決断、ドラスティックな改革を行える。ビジネスの商談に行っても、中小企業相手の方が早く話がまとまるのと同じことで。

そして、先の旅行の話ではもう1つ重要な点がある。実は、1人に決定権を与えるだけでは、スムーズに物事が動いていかないのだ。
「決断慣れ」をしている必要がある。
自分で何でも決めていく人は、決断のプロセスに慣れている。情報収集の手順から判断する上で気を付けるべきポイントまで、感覚で理解している。ただ首を縦振っただけでは「良い決断」とは言えない。自分独りよがりの決断だけしているようでは、周りは信頼してくれなくなり、二度と決断する権利を与えられない。総合的に判断して、自分にも相手にも社会的にもメリットがある最善の方法をとることで、「あいつに任せておけば安心」という信頼感を得ることになり、次もチャンスが与えられるのだ。「自分さえ良ければそれでいい」という考え方は、持続可能な生き方ではない。

最近は、大学生でも親に依存して生きているヤツが多い。経済的には自立していないからやむを得ないとしても(それでもバイト等して依存比率を減らすべきだが)、身の回りの生活に関わることまで親にやってもらわないと何もできない赤ん坊みたいなヤツが多い。特に実家暮らしに多いのだが、家計管理が全くできない(考えていない)。自分が今後いくら稼ぎ、それをどのくらい生活費で消え、どのくらいを貯蓄に回し、その貯蓄をどう生かすのか。また、どのような保険に加入し、どのように老後に備えるのか。そもそも、生活費にいくらかかるのかわかってないヤツが多い。開いた口がふさがらないとはまさにこの事だ。今の家にどのくらい住めるのか、その後は住まいをどうするのか、その住まいを手に入れるにはどのくらい費用がかかるのか、それを助ける制度はあるのか否か。このくらいのことは考えて然るべきだと思うのだが、何とも情けない。

俺がこういう人間になったのは、血液型や一人っ子ということだけではない。周りの人間がアテにならないと感じたからだ。心配性なので、なるべく早い段階で多くの情報をホールドしていないと不安になる性格。それなのに、周りは誰1人対策をとろうとしない。そもそも情報を持っていない。頼りにできないなら、自分でやるしかない。この繰り返しで、こういう人間になったのだと思う。また、こだわりが強い性格なので、自分で100%納得しないと気が済まないし、他人が決めたものをそのまま飲み込むわけにはいかない性格。通常よりも情報収集を多くしないと合わない。これも繰り返しになるが、「両親が頼りにならない」ことが、俺に対する最高の教育だったんだと思う。そして、決断権を与えてくれたことにも感謝したい。

多分、俺が思うに、皆さんの親はしっかりしすぎているんだと思う。何も言わなくても自分の住むマンションを決めてくれ契約してくれて、生活に必要なものは揃えてくれて、クルマで送迎してくれて、何も負担しなくても食事は出してくれて、掃除や洗濯もしてくれて・・・。俺ら「ゆとり世代」だけではなく、今の日本のリーダー層も、御膳立てしてもらって育てられたのだと思う。だから、自分で決断することに慣れていなくて、「皆で話し合って決めましょう」になっているのではないか。誰か1人に責任を負わせるのはいけないことだと思い、また責任を負うのが怖いから。

楽だよね。皆で話し合って決めていれば、自分が叩かれることもないし、突飛な意見を出す必要もない。誰かが出してくれた意見に「そうだそうだ」と合いの手を打っていれば終わる。何か問題が起きても、「私だけのせいじゃない」と言っていれば済む。何も決めなくても、誰かがやってくれる。誰かが1人で決断しようとしていたら、「独裁者だ!」と批判してればいい。俺の会社の内定者が特別おかしいのではなく、これが今の日本の縮図なんです。学校教育も家庭教育も悪いよ。(まぁ、もっとも俺の家庭でも「皆で決めましょう」タイプの教育だったがね、このおじさんが聞かないだけ)

高校生もいいんじゃないの?塾までは親が車で送迎してくれる。受験に行く際にも、親が切符も旅館も手配してくれる。親が志望校まで決めてくれる。親が自分の住む所まで決めてくれて、引越の作業も全部やってくれる。銀行口座も昔子供名義で作ったヤツをそのままくれる。就職の世話までしてくれる。就活塾に通うお金も出してくれる。受ける企業も決めてくれる。社会人になっても、家庭に一銭もカネを入れなくても、住む所もメシも世話してくれる。どんな保険に入ったらいいかも教えてくれる。お見合い相手を紹介してくれて、結婚相手も決めてくれる。黙ってりゃ、遺産が入ってくる・・・。

俺はそういうの、批判しないよ。いいと思う。いいじゃない?親が全部やってくれて、誰かに決断任せておけば全て解決するんだから。何も考えることないよ。自分のことだけ考えて生きてたらいい。自分のことすら、誰かに決断を任せて、流れで生きていればいい。そういう人生、アリだな。

ただ、俺はしないけどね。俺の美学の中ではありえないし、カッコ悪い。俺は自分の人生は全て自分で決断しないと気が済まない性格だし、「うまくやったぜ!」って達成感味わいたい。自分のことだけじゃなく、親や友人のことだって、俺が面倒見てやりたい。俺が世話してやりたい。仲間を守るのが、最低限のプライドだからさ。

君は、どっちの生き方を選ぶのかな?独裁者と話し合って決めるリーダー、どっちがいい??

※旅行の話での友人Aを批判する文章ではありません。あくまで例として挙げただけ。念のため。どちらかというと、日経の就活記事の「面接が連続すると近場でも交通費が大変。親が車で送迎してくれると助かる」(関西大4年の男子学生)への批判です。※


SNSの怖さ

スマートフォンの普及と共に、SNS全盛時代となっている。Twitter、Facebook、LINE、mixi、LinkedIn、Mobage、GREE、Google+・・・人によってはSkypeやYouTubeすらこれに含まれると言われる。

俺の使用状況としては、それなりに使っているサービスとしてはTwitterとSkypeとYouTubeだろう。SkypeとYouTubeに関しては、SNSという認識はないが。アカウントだけ持っているものとしては、mixiとGoogle+。mixiに関してはこのブログやTwitterのツイートを垂れ流すのみ。Google+はAKBファンだった時代に閲覧用として作ったが、今は放置している。その他のサービスに関してはアカウントすら作っていない。

私の周りの友人の中では、FacebookとLINEが人気のようだ。何度か「アカウント作らないか?」と言われたことはあるが、断固として拒否している。特にこの2つのサービスに関しては、個人情報漏洩の話をよく耳にすることもあり、怖くて手を出す気になれないということがある。

フェイスブック、「電話番号の不正な大量取得」対策に苦慮
(Computerworld、2012年10月17日)
http://www.computerworld.jp/topics/585/205187

フェイスブック、プライバシーに関する3つの抜け穴
(WSJ日本版、2012年10月15日)
http://jp.wsj.com/IT/node_529850

大人気LINEの落とし穴〜私がLINEを使わない理由
(I believe in technology、2012.07.28)
http://reynotch.blog.fc2.com/blog-entry-228.html

Facebook情報がLINEに流れて情報流出? iOSユーザーは注意しましょう
(ライフハッカー[日本版]、2012.09.26)
http://www.lifehacker.jp/2012/09/120926ios6fl_top.html

LINEの個人情報の扱いはちょっと危ないのでは?の話
(Togetter、2012/01/26)
http://togetter.com/li/247754

もちろん、アプリ内の「設定」でいくらでも制御できるという反論はあるだろう。
だが、その「設定」は本当に完全なものなのか?「設定」もコードを書いて人間が作る以上、別のコードに置き換えられれば簡単に壁は崩壊する。最近でも、第三者による犯行メール等の問題で話題になっているように、サイバー犯罪は今や日常のものとなっている。銀行強盗ならその場で犯人を物理的に確保することも可能かもしれないが、サイバー上の犯罪の場合、犯人の割り出しにも苦労するのだ。よって、一番の対策は、大事な個人情報をネットワーク上に「置かない」ということなのだ。クラウドの流れと逆行するような話かもしれないが。

確かに、全く「置かない」というのも無理がある。俺も少しは置いている。Gmailを使う際、アドレス帳はネットワーク上に置いてあるものを使う。だが、SNSの場合、電話番号やメールアドレスなどにとどまらず、個人の私生活や顔写真まで晒されるリスクがある。ここが、メールサービスとSNSの違いだ。

俺は、自分の情報については最大限、自分でコントロールできる状況下に置いておきたい。俺がネット上で本名を使わない理由はそこにある。一時期は違う考えも持っていたが、今は旧友やかつての知人などに、私人としての俺の姿を捉えられたくない。Davyとしては関わりたい気持ちはあるが、私人としての俺との間には一線を引いておきたい。よく俺が言う「門戸は広いが、敷居は高い」状態にしておきたいのだ。

では、なぜTwitterだけは許したのか。他のSNSに比べ、提供すべき個人情報が圧倒的に少なくて済むからだ。本名でないハンドルネーム1つあればいい。メールアドレスも最初の認証くらいしか使わないから捨てアドレスでいいし、非常に賞味期限の早い、すぐ消え去られる140文字だけ提供すれば済むからだ。それに、鍵付きアカウントもいくつか持っているが、その鍵が壊れても被害が軽微で済むくらいの情報しか置いていない。また、全く赤の他人から見れば、個人を特定されないようにしてある。本当に触れられたくない秘密を友人と共有する際は、なるべく対面で、外部に漏れないように気を配った上で話す。それ以上の触れられると非常に困る秘密については、そもそも誰にも言わない。家族にすら。

とはいえ、情報を秘匿しているだけではない。むしろ、SNSをやっている連中より、よっぽど多くの情報を公開している。それがこのサイトだ。本名や住所・電話番号以外のことについては、最大限公開しているつもりだ。個人情報漏洩を心配する俺が、なぜそんなことができるのか?

これについては、確率論だ。例えば、この記事についても共通のプラットフォームを使うSNS上で書いた方が閲覧してもらえる確率は高い。「友達」となった人に更新情報は届くし、SNSグループ内での強固なつながりにより、いわゆる「アクティブユーザー」が多い状況で公開することができるからだ。ファンクラブ限定コンサートのような状態だ。
一方、このサイトについては、俺個人しか使わない(あくまでこのドメイン、サーバー上の話だが)プラットフォームであり、賞味期限の早いTwitterで告知が流れる程度だから、見落とされる確率も高い。また、検索エンジンを極力排除するように設定しているため、「流れ」で来る人も少ないし、来たとしても完全な赤の他人である確率が高い。よって「見られにくい」状況で公開することが可能なのだ。外国の田舎の駅前でギター一本で歌っているような状況だ。

つまり、俺は「本気のヤツ」しか歓迎しない。本気でDavyについて、Davyの考えについて知りたいと考えていて、違うプラットフォーム上でも見たいと思う人間以外は寄せ付けない。同じプラットフォーム上で「なんとなくクリックした」ような人には来てほしくない。そう考えているからこそ、密度の濃い記事を書くことが可能なのだ。Twitterやmixiで告知することにより「知る機会」は与えるが、それ以上は読者の気持ち次第。政治家として選挙に出るわけではないから、多くの人に知ってほしいとも思わない。「いいね!」ボタンなどつける気もない。クリック1つで評価した気になられても迷惑だ。

Facebookなどを利用しないのは、俺の人間関係に関する考え方も大きく影響している。友達は大事な存在だし無くてはならないものだが、「数」を必要としない。「質」を必要とする。クオリティーの高い本気のプロ集団が10人程度周りにいてくれればいい。それが理想だ。俺の若者らしからぬ「重い発言」を逃げずに真正面から受け止めてくれる連中。これが、俺が思う、「人間としてのプロ」なのだ。昨年までは自分の方向性をなかなか見出せずに迷い、苦しみ、多くの人を傷つけ、裏切り、失った友人も少なくない。だが、今考えれば、あれも「摘果」のような大事なプロセスだったのかもしれない。おかげで、今では俺の周りに本気で信頼できる「本物のプロ」が集まってくれた。数は多くはないが、皆それぞれのポジションを極めた最高の連中だ。俺が持たせていただいている、最大の財産であり誇りである。

よって、彼らにアクセス手段だけ持っていれば問題ないわけで、それ以上に無駄な拡大はしようと思わない。あとはTwitterなどでじわりじわりと広がってくれればいい。Twitter見て興味を持ってくれた人が、少しのハードルを越えてDavyStyle.comにアクセスし、さらに興味が湧けば高いハードルを越えてPodcastを聴いていただく。そこまで来れば、俺がその方の名前や顔を把握しているか否かは関係なしに、俺の大事な仲間であり同志であるということになる。本名なんかどうでもいい。一度も顔を合わせたことがなくてもいい。今後会う気がなくてもいい。本物の俺の仲間だ。Davyファミリーの一員だ。俺が全力で、生命を投げ打ってでも守る対象だ。いくら金を掛けてでも、駆けつけるべき対象だ。

俺はこういう「仲間観」があるからいい。
だが、余計なお世話かもしれないが、SNSから抜け出せない人の中には「『友達』の多い、孤独な人」も多いのではないかと思ってしまう。SNSでの「友達」の人数が数値化されることにより、友達が多い気になっているけど、実はいざという時に助け合える人は周りには誰もいなかった、という状況にはなっていないだろうか。修学旅行の班決めの際に最後に余るのは、実は友達が多いと思われているヤツだった、なんてこともよくある話で。大事なのは一緒に遊ぶだけの連中じゃなくて、自分が間違った道に進みそうになった時に身体を張って止めてくれるヤツなのにね。

SNSの本当の怖さは、個人情報漏洩の問題よりも、中身のない「友達」だけが周りに増えてしまう危険性があるという現象にあるのかもしれない。

儲け合ったやつらとも 今じゃ遠い縁になってさ
色々覚えたよ 上手くはめられたのは誰
ヤキが回ったぜ おまえも俺も
どうなって行くのか どうすりゃいいのか
ああ 用心にこした事はねぇ
もう誰も信じやしないと よくある事さ
あんたも同じ傷みを背負ってたってね 結局はビジネスさ
あるところじゃ子供騙し 嘘だけの言葉に
誠実に答えても 互いに疲れちまうのさ
なぁ 俺の置き忘れてきたギターはまだあるかい
返してくれねぇかい もう貸し借りはねぇぜ

尾崎 豊 「RED SHOES STORY」