「収入で男を選ぶ」最も賢い選び方

Yahooのトップページの下の方に「あなたへのおすすめ」記事が出てくるコーナーがある。女性向けの恋愛・結婚コラムが出てくることがあり興味本位で読むのだが、ほとんど既出のコンテンツで中身が浅すぎる。そして、自己矛盾。ある時は「ガツガツ系の男の人が魅力的」と書いてあり、ある時は「草食系男子の方が魅力的」と書いてある。全文読まなくてもインデックスさえ拾っていけば内容が大体わかる。そんな記事を読んで真に受ける女性がいるのかいないのかわからないが、アンチテーゼとして本気で分析する恋愛・結婚コラムを書いてみようと思った。

「男はカネ」そこまで露骨な表現でなくとも、同年代(20代半ば~30代前半)の女性からは特によく聞かれる言葉だ。できる限り多くの収入がある男性が魅力的だというのは不思議なことではなく、我々男性側にとっても「愛」「優しさ」「性的魅力」といったファジーな建前でごまかされるよりは、目指すべき指標があるというのはわかりやすい話だ。だが、女性陣の話を聞いてみると、おそらく彼女たちが求めているのは額面収入だけで測れるものではないにも関わらず、「年収」だけで見てしまっているような気がする。そこで、究極の「収入で男を選ぶ」最も賢い選び方を伝授したいと思う。

①世間を知る

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https://doda.jp/guide/heikin/age/
「転職サービスDODA」による、男性の年齢別年収を基にデータを算出してみた。
同サイトに登録している「正社員」のホワイトカラー系職種のデータのようである。
http://heikinnenshu.jp/tokushu/tedori.html
こちらには、年収別の手取金額が示されている。扶養や各種控除適用前なので個人差はあるが、大まかな目安として考えていただきたい。これもだまされやすいところだが、年収○○円というのは、あくまで税引前の額面年収であって、実際に使える金額は税金や社会保険控除後の手取り金額なので、実質的な議論をしたければ手取り金額に注目する必要がある。
上記データを基に、表を作成した。額面年収(以下、「年収」)が500万円、700万円、1000万円の人の手取り年収(以下、「手取」)が、各年齢の平均年収よりどれだけ多いか(少ないか)を示している。乖離率(平均より○%かけ離れた数値か)を算出している。よく「年収○○○万円以上ないとダメ」という強気の女性(自分では謙虚だと思っているケースが多い)がいるが、世間の平均はこのくらいのものだと認識していただきたい。加えて、こちらは転職サイトに登録するようなホワイトカラー系の職種を対象としているため、現場作業等ブルーカラー系を含めた全体の平均はこれより更に低いと考えて頂いた方が良いだろう。

②「年齢」を考慮

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では、手取のみ見れば良いのか、と言えばそういう訳ではない。それだけでは、「金の卵」を見逃す可能性がある。日本はまだまだ年功序列的な給与テーブルとなっているため、若い時の年収は低く、年齢が上がるにつれ増えていく。年収金額にばかり気をとられていると、年齢が上の人ばかりが対象となる。
しかしながら、若い人の方がメリットが大きい。同じ年収でも、「これから稼ぐ金額の総額」が多いからだ。つまり、女性側にとって見れば、生涯賃金の多くを自分のために費やせるということ。よって、同じ年収ならば、若い人を狙った方が賢いと思われる。
簡単な計算をお見せしよう。(定年:60歳、定年まで毎年年収が2%ずつ増加として計算)
X:35歳、年収700万円 生涯賃金残額:2億3,570万円
Y:27歳、年収500万円 生涯賃金残額:2億4,017万円
投資の話の時にも書いたが時間は資産だ。このように年収が200万円違う男の人でも、若い人を選べば、自分(女性)と一緒にいる期間の間に稼ぐ金額は多いというわけだ。
そういった観点から、傾斜配点をつけてポイントを出したのが上表だ。このポイントが高ければ高いほど魅力的である。先の例でも、年収700万円35歳のXはCランクだが、年収500万でも27歳のYはBランクとなっている。「年齢が若い割には、たくさん稼いでいる」人が良いと結論づけられる。

③最も大事な指標は「時給

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近頃は「働き方改革」が話題となっているが、残業時間が多いと様々な局面で弊害がある。
・時間に余裕がなくなる
・家事ができない
・気持ちにゆとりがなくなる
・睡眠不足
・自己研鑽ができない
・文化的水準が低くなる 等
女性にとっては、よく働いてよく稼ぐ男性は魅力的かもしれないが、あまりに残業時間が多いと自分と過ごす時間が取れなかったり、余裕が無い対応をされたり、得することはないだろう。

そして、何より、年収が高くとも残業時間の多い労働者は「時給」(その人の労働価値)は低い。
上表を見てみよう。
A:年収500万円、残業一切なし
B:年収1,000万円、残業月80時間(過労死ライン)
2人の時給の手取額を比べてみると、もちろんBの方が高いわけだが、その差はたったの「481円」。額面年収ベースでは2倍の開きがあるが、手取時給に換算すると、こんなものだ。

その時給481円を、高いと見るか、安いと見るか。
月間の残業時間が80時間というのは、1日あたりに直すと4時間。仮に定時が18時の企業なら、退社時間は毎日22時。ここから、通勤時間1時間掛けて家に帰ったら23時。子供は寝ている。家事もほとんどできない。妻と話す時間もロクに無い。そのような生活で果たして幸せだろうか。
家事を時給換算するのはなかなか難しいが、例えば下記の家事代行サービス企業では、労働者を時給1,450円で雇っているらしい。
https://casy.co.jp/staff_entry#merit
(企業利益分を排除するため、あえて従業員の時給を採用した)
時給481円を稼ぐために、時給1,450円の仕事を他人に任せるか。
このように考えると、残業時間が少なく自ら家事をする男の人の方が、相対的に得だと言えるだろう。額面年収が高くとも、残業時間(サービス残業、接待等含む)が多い男の人は、私が女性だったら敬遠したい対象である。

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参考までに、同じ1,000万円稼ぐにしても、夫のみが残業月80時間で稼ぐよりも、夫婦2人で500万円(先程と条件を揃えるために残業時間各40時間とする)稼ぐ方が時給は遥かに良い。

ちなみに、私は「年収○○○万円以上の男じゃないとダメ」と言う女性を少しばかり軽蔑している。
それは、金よりもっと大事なものがあるという意味ももちろんあるが、木を見て森を見ずというか、分析があまりにも甘すぎるからである。

仮に私が29歳女性で「30歳までに結婚したい!」と思ったら、「①残業があまり無い」「②転勤が無い」「③年収500万円以上の20代」を選ぶだろう。おそらくそのあたりのガツガツしていない男性は、「最も美味しいポジション」を知っていると思われるから。

※当記事はあくまで一定の条件に基づくシミュレーション・分析およびその考察であり、特定人物を批評あるいは特定の価値観を推奨するものではありません。


「適齢期」を検証してみる

「あんたもいい歳だから、そろそろ○○しなさい」
そう言われると反発したくなるだろう。ただ、そのセリフには「みんな(周囲)がそうだから」という理由で言われるだけであり、客観的な根拠が含まれているだろうか疑問である。

私も24歳で結婚を決めた(入籍日は25歳)が、東京にいると「早くない!?」「なんで!?」と驚かれることは少なくない。だが、地元に戻ってみると、高校の友人は多少の時期の前後はあるが結婚に向けての話を進めており、中学以前の同級生に至っては子供がいることも珍しくない。一方、勤務先に目を向けてみると、30代後半や40近くなって結婚しようとしている人も一定数おり、一体「適齢期」とは何なのか、よくわからなくなってきた。

そこで、今回は周囲の環境や感情によるバイアス等を抜きに、客観的な根拠を持って「適齢期」が本当は何歳なのか、出産(子の誕生)や住宅購入を含め検証したいと思う。
なお、予め断っておくが、本記事では人生観や特定人物の生き様について論評するものではなく、あくまで「何歳くらいまでにそれを行えば金銭的に得なのか」ということを解明する目的で記載するものである。(もちろん我が家においても必ずしも記載のような人生を送れているわけではない)

また、前提条件として、主人公は男性であり、主に主人公の収入によって生計を立てているというもので記載する。

(クリックで拡大)
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【1】出産(子の誕生)
昨今の情勢から言って、子供の大学卒業までが「養育期間」である。つまり、約22歳まで教育費の支出が発生する。今や「役職定年」という言葉は死語であろうが、給料上昇カーブとしては、55歳を過ぎると下落傾向にある企業が多いだろう。したがって、自分が55歳の時までに子供が22歳である必要がある。
 これらを勘案すると、子供の誕生は遅くとも33歳、妻が妊娠する時期が32歳までであればベストである。母体保護の観点から、第一子はそれ以前であればさらに望ましいだろう。複数の子供を予定している場合には、先程の理屈から言えば、誕生は38歳、妊娠は37歳まで。
よって、出産(妊娠)適齢期は、~32歳(第一子)~37歳(末子)という結論に至る。

【2】家の購入
 多くの人が利用している住宅ローン「フラット35」はタイトル通り、35年掛けて返済することとなる。定年退職時(60歳とする)までに完済するように借りるには、25歳から返済を開始する、つまり25歳に住宅を購入することがベスト。しかしながら、25歳といえば、大卒だと社会人3年目。頭金が貯まっていないケースもある。そこで、返済期間を30年に短縮して考えると、30歳から返済を開始するようになれば良い。返済期間をさらに短くすると月々の返済が厳しくなるケースがある。
 よって、住宅購入適齢期は25歳~30歳。家の建築や物件探しの期間を1年間かかるものとすると、24歳~29歳には住宅購入に向けてのアクションを開始しなければならない。

【3】結婚・結婚に伴う交際
 上記を参考にして、逆算してみる。
 妻が妊娠する時期が32歳となれば、それ以前である必要がある。とはいえ、結婚してすぐに妊娠というわけにもいかず、親族への挨拶・役所や金融機関への手続き・職場も含めた周囲の環境への慣れ、何よりも結婚生活の安定までの期間等を勘案すると、妊娠までに3年程度の期間は必要である。すると、結婚(入籍)は29歳までに済ませる必要がある。
 先程の住宅購入に向けてのアクションのことを考えると、結婚してから2人で新居を考えるケースが多いと考えられるため、29歳というのは最終リミットである。29歳での結婚で、結婚と同時に住宅購入するようなイメージだ。
 そこから、相手と出会い交際する時期を逆算してみる。自分や相手の両親への挨拶、結婚に向けての環境整備、何よりも相手と結婚すると意志を固めることができる期間を考えると、出会ってから入籍日までは2年程度の期間は持ちたいところ。もし相手がいなければ探すところからスタートさせる必要があるため、入籍日の少なくとも3年前からは動き始めなくてはならない。
 よって、交際相手を探し始めるのは遅くとも26歳までにする必要があり、27歳までに交際をスタートさせる必要がある。そして、結婚(入籍日)を29歳までに済ませるべきという結論に至る。

【まとめ;期限】
26歳:交際相手検索開始
27歳:交際開始
29歳:結婚、住宅購入決定
30歳:住宅購入(入居)
32歳:第一子妊娠
33歳:第一子誕生
37歳:末子妊娠
38歳:末子誕生
55歳:第一子大学卒業
60歳:定年、住宅ローン完済、末子大学卒業

以上が、金銭的な面だけを考慮した「適齢期(タイムリミット)」の結果である。
もちろん、これ通りに行う人生が素晴らしいとは言い切れず、個々の事情に応じて変動があるものではあるが、論理的に導き出した1つの目安ということでご理解頂ければ幸いである。


「きっかけ」について

4月に入ってからの日曜日は、天気に恵まれない。雨か、晴れの日でも強風で、とてもバイクで遠出をする気にはなれない。一応、自分の中で基準は定めており、風速10m/sを超えた日には出さないようにしている。一般道でも海沿いの幹線道路の走行に若干不安定感が生じるレベル。強風注意報が出るとか出ないとか。レインボーブリッジに関して言えば、風速8m/sの時ですら恐怖を感じたが。意外と平日の夕方が落ち着いた日が多かったので、アフター5にバイクを飛ばすこともあった。

とはいえ、全く外出しないわけにもいかない。今さらながら、1人暮らしというのは、黙って寝ていて食事が運ばれてくるわけではない。初任給が出て初めての週末である日曜日、雨上がりの湿った道を走る憂鬱さを抱えながら、地下から重い鉄馬を引っ張り出してきた。

夕飯は軽く済ますか、とフードコートに入り、おなじみのはなまるうどんに足を運んだ。店頭で「健康保険証提示でサラダうどん50円引」との看板があった。珍しい取り組みに興味を示さずにはいられなかった。就活中、カード会社やその類似会社を受けたので、「カード提示で割引」の仕組みはなんとなくはわかっている。だが、おそらくこの取り組みは、それらとは一線を画すものだろう。各種健康保険組合からいくらかのカネが出ているわけではないということは、容易に想像がつく。

「きっかけ」が欲しいんだ。割引をするためのきっかけ。

人は、「理想の自分」に憧れ、今の自分から変わりたい、変わらなきゃ!って心のどこかでは思っている。誰だって、座して死を待つような生き方はしたくない。子供の頃に憧れたヒーローや青春時代に見たドラマの主人公に少しでも近づきたい。だけど、現実はそうもいかない。校舎の窓ガラス壊して回ったり、盗んだバイクで走りだしたりなんて、できるわけがない。組織の中に澱む見えない空気に支配され、誰も何も言わないのに、勝手な思い込みで自分を縛り付ける。ホントはもっと笑えるはずなのに、氷の仮面を貫くことをなぜか自分に強要してしまう。

学生時代、先生の話なんてロクに聞いてやしなかった。とはいえ、断片的に記憶に残っている話がある。中学時代に聞いた言葉か。
「人は日々成長していくんじゃない。節目節目で成長していくんだ。」
当時はほとんど意味などわからなかったが、今なら少しわかる気がする。「きっかけ」なんだ。俺は戦隊もののヒーローじゃないから、毎日変身することはできない。だけど、何かアクシデントがあった時、周りの環境が一段と変わった時、俺の中の何かがほんの少しだけど変わるような気がする。それを進化と呼ぶか、退化と呼ぶか。判断は皆さんにお任せしよう。とにかく俺は、俺じゃない俺を手に入れる。そして、その俺が本物の俺になる。俺はそうやって生きてきた。

「きっかけ」・・・漢字で書くと「切っ掛け」

語源を調べると、諸説あるようだが、「切る」(やりきる、話しきる)+「掛ける」(やりかける、話しかける)の説が有力のようだ。つまり、これまでやっていたものを断ち切り、新たなスタートに向かう瞬間を表した言葉。それが転じたんだろう。辞書には「物事を始めるための手がかりや機会。また、物事が始まる原因や動機。」と書いてあるが。とにかく、きっかけは、物事を始めることとリンクしているようだ。

きっかけには2種類ある。外的要因と内的要因。外的要因はわかりやすい。入学のタイミング、入社のタイミング、新生活を始めるタイミング・・・。我々が生活していく上での節目で作られやすい。バイトを始めたのをきっかけに早起きしてみようだとか、高校に入学したのをきっかけにサッカーを始めてみるだとか。人が変わるわかりやすいタイミングだ。
もう1つの内的要因。自発的要因と言い換えられる。自ら(内からの)動機づけ。これが難しい。でも、内的要因からのきっかけ作りが上手い人は、充実した人生を送れる。それは間違いない。

なぜ、俺はバイクを買ったか。正直な話、東京のど真ん中にいてバイクなど必要ない。クルマが必要だと言うなら、百歩譲ってまだわかるが。天候に左右されやすく、初期費用も維持費も決して安いとは言えず、危険な乗り物に、誰が喜んで手を出すか。俺だって、もちろん近所のハーレーショップを見た時のあの感動が忘れられないからバイク好きになったのだが、何もバイクそのものが欲しいだけで買ったわけじゃないんだ。

生活を変えたかった。バイクを買ったことをきっかけに、外に出る自分が欲しかった。
大学4年の頃なんて、単位をほぼ取り終えているし、バイト以外で外に出る必要もない。家にいる方が快適だし、身体も心も楽だ。必要な買い物さえ出ればいい。そんな怠惰な毎日に成り下がりそうだった。現に、免許取得からバイク購入まではそんな日々だったかもしれない。

でも、それじゃ何も変わらない。人に会うこともしない、外に出て景色を見ることもしない。心が動かされるわけないじゃないか。アーティストとして一番やってはいけないこととは、「何もしない」ことだ。作品は生まれないし、いい文章だって書けやしない。とにかく、動かなくてはならないのだ。

社会人になり、自分で生計を立てるようになり、普通のサラリーマンと同じく平日週5日朝から会社に通うようになった。夕方まで拘束されるし、冗談じゃない。だけど、今俺はとても充実している。会社から疲れて帰ってきたって、夜バイクで湾岸高速を飛ばす。友達と飲みに行く。ショッピングにだって行く。サビついた歯車が動き出したんだ。すると、どうでしょう。自分の心にまで変化が出てきた。最高に輝いていた時の自分が、帰ってきてくれたかのようだ。カムバックして一躍高支持率をキープするようになった安倍首相のように。彼は本当にどん底に落ちた人間の希望だ。再チャレンジの星だ。

高校時代、失脚してから俺は自分の姿を安倍首相に重ねていた。高い志はありながら、体調と不運と準備不足で失脚してしまうという共通項。前任者が大人気長期政権だったため、自分のカラーを強く打ち出そうとして空回りしてしまった所とか。だから、嬉しかったんだ。昨秋の自民党総裁選で安倍総裁が返り咲いた時。そして、衆院選で大勝して総理大臣の座に舞い戻った時。俺ももしかしたら復活できるかも!って、一筋の光が見えていたんだ。そういう意味でも、俺は安倍首相、安倍政権に「頑張れ!」って心の中でずっとエールを贈っていた。もちろん、今も。そして、俺も、昔の輝きを少しだけかもしれないけど取り戻しつつある。「昔の輝き」と言っても、古いものを戻したわけじゃない。新しい光だ。どっかの会社名のような(笑)

もう1つ回り出した歯車があるけど、今はその話はやめておこう。心に刻んだ「第三の男」のエンブレムは、もう剥がしてもいいんじゃないか。

特に、こういった何かをプロダクトする職業の人間にとって最も必要な能力の1つに、「きっかけ作りの上手さ」すなわち「チャンスメイク能力」というものがある。よく「文章上手いですね」という大変嬉しい言葉を頂くが、実は俺は文章があまり上手くない。引きだしがそれなりにあることと、チャンスメイク能力が少しあっただけだ。言い換えるならば、他の人が気付かないような所で立ち止まり、他の人が気付くような所をスルーしてしまう力というべきだろうか。今日のこの記事だって、題材はうどん屋の1枚の看板。そこからここまで話が派生した。普通の人なら見逃してしまうような所で、色々考えを膨らめていただけの話。もしかしたら、会社には仕事をしに行っているのではなく、ブログのヒントをもらいに行っているのかもしれない。会社に行くようになって、色んな発見がまた1つ増えた。変わった所での好奇心が強いのかもしれない。

俺ら若い連中のほとんどはカネがない。能力もノウハウもない。つまらない。
だけど、大きな大きな資産を持っている。「時間」と「健康」と「好奇心」だ。
時間に関してはたっぷりある。1日1日は短いし、1年もあっという間に感じるようになったけど、平均寿命まで生きるとしたらイヤになるくらい果てしなく長い長い道のりだ。そして、学生時代よりだいぶ衰えてきたとはいえ、病院に通うほどの大きな障害を持った人はそこまでいないだろう。そして、好奇心。わからないからこそ、「知りたい」「興味がある」「面白そう」という気持ちがある。俺だってそう。仕事に関して言えば、証券アナリストを取れと言われるとその知識に関して吸収したいと思えるほどの好奇心は生まれないが、今どこの国が好調だとか、今どの産業が面白いことしているかだとか、そういったことに関してなら興味がある。何もわからないけど。だからこそ、新鮮な気持ちで知ろうと思えるってことは、案外悪くないんじゃないかと思っている。

俺が友人にも将来の恋人にも1番求めている能力かもしれない。好奇心があること。
色んなものに興味が湧けば、それだけで人生が楽しくなるってことを、誰よりも俺自身が1番知っているから。そして、自分や自分の興味を持っているものに興味を持ってもらえるとすごく嬉しい。そして、そんな素敵なヤツのことを知りたいと思って、俺もその人に対して興味を持つ。この連鎖があるから、話が弾む。ありきたりかもしれない毎日をマンネリ化させないための方法は、「好奇心を持つこと」「興味をもつこと」だと思っている。

そういう意味では、都営浅草線は面白い。京急車両、都営車両、京成車両、北総(千葉ニュータウン鉄道)車両、芝山車両・・・それも各社何種類もの車両が来る路線。「あ!C-Flyerだ!」「あ!BLUE SKY TRAINだ!」毎日、そんな発見がある。浅草橋での乗換は面倒だし、そこまで浅草線空いてないし、半蔵門1本に乗り換えようとも思ったけど、そんな毎日を楽しんでいる。

思うようにいかないこと、辛いこと、苦しいこと、退屈なこと・・・いっぱいあるけど、最近はこの一言で片付けている。

「まぁ、いいんじゃない?」

ネガティブなことを語っても仕方ない。どうせ語るなら、楽しいこと語った方が楽しいだろ?
明日も、憂鬱な一日を楽しみましょうか。


正義とは何か ~かえぴょん脱退で思うこと~

今週になって、寒さが一段と増してきた。
月曜日の祝日には爆弾低気圧による大雪。火曜日からは晴天が続いているが、早朝の気温は零度近く、街行く人々は白い煙を吐きながら歩いている。

厳しい寒さは、俺たちの心にまで凍てつかせたようだ。
俺の大好きなアイドルグループ、SUPER☆GiRLS(スパガ)のメンバー、稼農楓さんがグループから脱退した。
かえぴょん、KPと呼ばれて親しまれてきた彼女の脱退は衝撃的なものだ。SUPER☆GiRLSには、「マイドル!SUPER☆GiRLS」という携帯・スマートフォンから登録できるファンサイトがある。ライブに行ったり、イベントに参加したり、CD等を買うとキーコードがもらえ、ポイントを貯めていく。いわば、ポイントカードのようなもので、無料であるため、スパガファンはたいていこのサイトに登録している。このサイトに登録する際に、推しメンを1人決めなくてはならないことになっている。ファンは、その時に決めた推しメンのサポートプロデューサー(SP)になり、この人数がいわゆるメンバーのファンの人数である。俺みたいにファン(SP)のランクが上がってくると、推しメンを2人まで設定することができるため、各メンバーのSPの数とグループ全体のファンの人数は一致しないのだが、メンバーの人気を測る指標の1つであり、AKBでいう順位のようなものだ。

かえぴょんの順位はといえば、1位のあみた(前島亜美・約6700人)に次ぐ2位(約5200人)であり、その影響力は大きい。ライブ会場に行けばわかるが、かえぴょんのうちわや自作グッズを持つ人は多く、結構女の子のファンが多かったように思う。まぁ、ここだけの話、KP推しのファンはマナーの悪いのが多いのだが(笑)それも、今となっては思い出となってしまうのが寂しい。

人気だけじゃない。ふんわりとした雰囲気の女子大生で、ピアノも弾けるし、メンバーの中でも女子力が高いと言われていた存在だ。イメージで言うなら、キレイなお姉さん。だけど、食に関してはかなり色々言われていて、よく食べる噂があった。俺の推しメンになったことはないが、SUPER☆GiRLSにとって非常に重要な存在であり、今回脱退するにしても、過去の活躍を消し去ることはできない存在だ。好きだった。シリアスという言葉の対極にあるような笑顔を見るために、俺は足を運んでいたような気がする。だからこそ、守ってやりたかった。正月にあの記事を書いたのも、何としてでも守ってあげたかったからだ。

今、傷ついた天使に伝えたいこと

http://davystyle.com/archives/1802

叶わなかった。気持ちが届いたかは別にして、俺が望まない結末を迎えてしまった。

1年前のえりりん(秋田恵里)の卒業の時は、笑顔で送り出せた。あれも確か日本青年館だったな。2階席の一番後ろから、ファンの皆の緑色のペンライトで照らされたステージを見ていた。あの時もメンバーは泣いていた。涙声のMAX!乙女心。そして、えりりんのセリフも入った唯一の完全バージョンでやった笑顔の羽根。

今回は、見送ってあげることすらできなかった。それが心残りだ。
だけど、この前の青年館。本人は不在だったが、1年前と同じ光景がそこにはあった。
メンバーの泣く姿。それも、通常のライブ成功時ではあり得ないような涙。悔しさが混じっているように思えてならなかった。
きっとこの時、決まっていたのだろう。だとしたら、なぜ最後だけでも本人をステージに上げなかったのか、これに関しては運営側を責めたい気持ちはある。

もう日本青年館ではライブをして欲しくない。それが正直な気持ちだ。

もし、週刊誌報道が事実だとしたら、道徳的には許されないことかもしれない。それを糾弾したくてあの記事を掲載したのであれば、それも1つの正義だろう。
だが、その事によって、1人の女の子がアイドル生命を絶たれる事態にまで発展してしまった。そこまで追い込んだ週刊文春を叩くのもまた正義ではないか。

時はさかのぼり、2001年。9.11、アメリカ同時多発テロ。
旅客機が超高層ビルに突っ込み多数の死傷者を出すという、前代未聞のテロ。こんなことがあっていいはずがない。アメリカはすぐさまアフガニスタンに対し、反撃を仕掛けた。
当時小学生だった俺はこう教わった。アメリカは正義のために、悪であるビンラディンを倒すために戦っている、と。
ところが、高校生になり国際情勢について学んでいると、アメリカが善で、イスラムが悪だと必ずしも言えないことがわかった。イスラム世界の人々も、アメリカに散々やられてきた歴史がある。彼らにとっては、悪であるアメリカを倒すために戦っているのかもしれない。それが、彼らの正義なんだろう。

先日、体罰についての記事を書いた。その時に、暴力についてハッキリとは否定も肯定もしなかった。
俺には、暴力に対して戦った歴史もあれば、暴力を用いて戦った歴史もあるからだ。
8年前の2人掛かりでの暴行事件。あれは、正義のために戦った。俺たちに濡れ衣を着せ、共犯者に仕立て上げようとした人間に対し、殴る蹴る等の暴行を加えた。
暴力を用いること自体は悪かもしれない。だが俺は、やってもいない事件の犯人にされることは正義に反すると思い、自分のためにも、同じく犯人にされ俺より更にヒドイ仕打ちを受けた友人のためにも、戦って制裁を加えることが正義だと信じていた。

人はそれぞれ、自分なりの正義を持っている。生まれ育った環境も違うし、現在置かれている境遇も違う。これまで学んできたこと、教えられてきたことも違う。
正義なんてものは、1つじゃない。世の中、善悪二元論で片付けられるほど単純なものじゃない。
「いいものはいい、悪いものは悪い」なんて、テメーの価値観の中での話であって、普遍的に良いもの、普遍的に悪いものなど存在しない。

また、置かれている状況によっても異なる。
日本がしてきた戦争。戦後に生まれた俺たちは、「もう二度と過ちを犯しませんから・・・」という記念碑の言葉のように、戦争をしてきた先祖が愚かだった、この国は間違ったことをしてきたと教わった。
では、昭和初期の頃に生きていた人間は全て悪だったのだろうか。自国の利益のためなら、他国のことなんて知ったことか!と非人道的な考えのもとにあの戦争をしたのだろうか。
俺は違うと思う。彼らには彼らの正義があった。もちろん、全て正しかったとは言わない。あの戦争で犠牲になって生命を奪われた人、夢や希望を奪われた人がたくさんいたことは忘れてはならないし、二度とそのようなことになってはならないと思う。だが、彼らの正義を聞かずに、まるで臭いものにフタをするように、善悪二元論で片付けてしまっていいものだろうか。

この国では、多くの先進国では、殺人を犯した人にさえ、裁判など弁明する機会を与えられる。もし俺が被害者の立場に立つならば、殺人をしたヤツの話なんか聞くことはない、さっさとそいつを死刑にしろ!と思う。
だが、同じ殺人という行為でも、それを犯した背景も違うし、実際にその行為に及んでしまった理由もある。それは、話を聞いてみないとわからない。
正義なんてものは、人の数と同じだけ、いやそれ以上に存在するものなんだ。

だからこそ、正義と正義がぶつかることもある。その結果、悲惨な事態に発展してしまうこともある。

俺は言いたい。お前の正義は最大限尊重してやる。それを否定する権利は俺にはない。
だが、その正義は俺の正義とは違う。俺には俺の正義がある。だから、俺の人生の邪魔だけはするな。俺の正義を侵すことは許さない、と。

自分の正義を他人に強要しない。自分の正義の実現のために、他人の人生の邪魔をしない。
それが、俺たちが社会の中でお互い気持ちよく穏便に生きていくための、最低限の苦肉の策ではないだろうか。

今回の文春の記者、および編集長は、自らの正義の実現のために、1人のアイドルを殺害した。そして、俺たちの夢や希望を奪った。あいつらの正義を押し付けるためだけに。
俺は許さない。永遠に忘れない。全身全霊をかけて、週刊文春という雑誌を嫌うことくらいしかできないが、最大限自分にできることをしてやる。

悪魔に魂 売り渡し 逃げ通せると思うなよ
神に祈ってももう遅い 喰らいついたら最後 お前はNo Future
貫く痛みに身悶えて 罪の深さを思い知れ
涙流しても許さない 喰らいついたら最後 お前はNo Future

だが、彼らが俺とは違う正義を持つ自由だけは尊重してやる。それを心の中で留めておくだけなら、俺は認めてやる。
今回、俺が出した結論だ。

俺は決めている。自分とは違う正義が、俺のテリトリーを侵す場合には、全力でその排除に向けて戦う。
よそで勝手にやってくれる分には、不快に思いつつも、それには一切関知しない。
例の会長時代の政策も、俺のテリトリーを侵したから、全力で排除しようとした。

SUPER☆GiRLSはこれから10人体制になる。今回の騒動で、しばらく彼女たちには逆風が襲い掛かるだろう。
だけど、SUPER☆GiRLSは10人だけじゃない。バックには、俺たち熱いファンがいる。前からどんなに冷たい寒風が吹き荒れようとも、後ろから暖かい春風を吹かせて温めてやる。
彼女たちが俺たちを見捨てない限り、俺たちも彼女たちを見捨てない。

この男も、筆による暴力に苦しんだ。
20年以上前の曲だが、聴いていただければと思う。

長渕剛 豚


ポジショニングとは何か ~正しい目標を定める~

静岡にいるのも今日で終わりだ。珍しくそこそこ長い帰省で心身ともにリフレッシュできた気がする。
何といっても食事!ちゃんとしたものを食べさせてくれるのが実家にいる醍醐味の1つ。母親の料理は、世間一般に美味しいと言われるかどうかは別として、俺にとって幼少の頃から慣れ親しんできた味であり、落ち着く。誰にとっても「おふくろの味」があると思うが、そういったもんだ。嬉しいことで。
また、外食も美味い。静岡市民はどこだかの統計によれば、そば好きが多いようで。俺もその1人だ。ちなみに、静岡市はマグロの消費量が日本一というデータもあるが。これもあてはまる。

さて、昨夜は友人2人と会ってきた。毎度おなじみYMN氏、そして京の都で自由を謳歌しているmur氏。どちらも静高時代の友人である。
俺が高校時代にテーマソングにしていたうちの1曲をお聞きいただくか。

http://files.davystyle.com/scorpio.mp3

scorpio.mp3

「憂鬱にまみれた反逆者たちよ 共に目指そう魂のエルドラド
 ついてきたいヤツだけついて来い 最高の夢を見せてやるぜ!」

こんな感じだったな~。懐かしい。
俺らは大して優秀じゃなかったな。大して努力もしないし。まぁ、先生方から怒られてばかりの悪ガキどもでしたよ。
でも、やる時はちゃんとやる奴等。受験だってそれなりの大学に一発でキメるし、就職だって世間一般よりはよっぽど稼ぐであろう企業に内定している。履歴書だけ見れば文句ない。もちろん、ズバ抜けて素晴らしくもないんだが、やる時はそこそこやる連中。俺の周りにはそんなヤツが多い。

静高時代の連中は結構仲がいい。俺の周りだけじゃなく、他のグループでも卒業から4年が経とうとしている今でもよく会っているという話を聞く。同窓会のような形でなく、現在進行形の友人として。実際、現役だった頃は静高生を叩いていたが、なんだかんだ言って人間的にはしっかりしている連中。これは俺の評価というよりも、違うジャンルの人々と付き合った某友人の話なんだが。もちろん、能力は高いしそれなりに実績や肩書きもある連中だから、プライドはお高いんだけど。とはいえ、もう同じフィールドで戦わなくても良いので、そのプライドという牙もわざわざ見せる必要はない。

しかしながら、似た者同士が集まる静高という環境は大変だ。東京のように学校が多い地域だと、同じような成績でも行く学校は分散すると思うのだが、田舎は学校の数が少ない上に私立もまともな学校が少ないので、中学の成績で行く学校が決められる。よって、似たような連中が集まる。特に一般の公立中学出身者にとっては、それまでと世界が違う。中学まではトップクラス。チヤホヤされ、とにかく高得点を挙げることが第一。文武両道でスポーツもできるのが当たり前。「出木杉君」ポジションでいれば済むケースが多い。(俺みたいにスポーツが残念な状況なら勉強だけというケースもあるが)。ところが、静高は周りは同じことをしてきた奴等ばかり。また違うポジションを確立しなければならない。そうでなければ、あの学校では埋もれてしまう。

皆さんの学生時代(現役の人は今のクラス)を思い出してほしい。1つのクラスには色んなポジションを守っているヤツがいる。明るくて陽気なヤツ、妙に皆の噂を知っているヤツ、お菓子を配ってくれるヤツ、パシリとして扱われるヤツ、やたら身体が大きい体育会系のヤツ、教室の隅でいつも本を読んでいるヤツ・・・。各ポジションによって華々しさやその役割が違ってくるが、学生生活を送る上で最も大事なことは、自分のポジションをハッキリさせること。それがすなわち、自分のカラーになる。

俺はクラスの中心の人気者も、クラスの隅の暗いヤツも、優等生も、落ちこぼれも、ほとんどのポジションを経験できた人間だ。そして、クラスを俯瞰的に見ていた立場だからよくわかる。明るく華やかなヤツが必ずしも友達が多く楽しい学校生活を送れるわけでもなければ、教室の隅で大人しく本を読んでいるヤツがみじめな学校生活を送っているわけでもない。きちんと自分のポジションが確立されている人間は、どんなポジションであれその時々に応じて周りが必要としてくる。例えば、俺の中学の時の友人に、言葉を発しない男がいた。別に障害があるわけではない。ただしゃべるのが好きではなく、口を開けた所は食べる時以外見たことがない。携帯でメールをするわけでもない。そんなヤツだが、そいつの周りにはいつもたくさんの友達がいた。いじめられてたわけじゃない。むしろ、一緒にいたずらをしていた方だ。いつも周りに楽しく一緒に遊ぶ仲間がいた。言葉を交わさずとも、コミュニケーションがとれていたのである。俺らも、遊ぶ時には彼を本気で必要としていた。そういうポジションでいてくれるヤツは、彼しかいなかったからである。そんな稀有なポジションが新鮮で面白かった。

彼がそこまで計算していたかは別として、自分の居場所は自分で作るべきだということを彼から教わった。そして、静高に入ってから、「ポジション効果」の実験をしてみた。
入学してありがたいことに友達ができ、昼休みはいつも同じメンバーと弁当を食べていた。ある時、いつも弁当を1人で食べているヤツがいることに気付いた。悲壮感は出ていない。むしろ、堂々としている。しかし、彼とコミュニケーションをとろうとする者はいなかった。弁当を食べ終わってから、俺は1人で彼に話しかけにいった。なかなか会話のできる面白いヤツだとわかった。俺、思ったんだ。「ああ、俺と一緒だな」って。長縄(大縄跳び)が苦手なんだ。タイミングがつかめていないだけなんだな、と。だとしたら、もったいない。

そこで、明くる日、俺たちは彼を囲んで弁当を食べたんだ。そしたら、彼はあっという間に話題をかっさらっていく人物になり、クラスで中心格のいじられキャラになった。「俺のポジションとるなよ・・・」なんて思いつつも、嬉しかったね。ちゃんと立ち位置さえハッキリすれば、こんなに活躍ができるものかとわかったから。勘違いして欲しくないが、別に俺が仕掛けたものじゃない。彼が自分で掴み取ったポジションだ。俺も「してやった」なんてこれっぽっちも思っちゃいない。俺は単なる傍観者。

現秘書だってそう。本人読んでるだろうから、あまり言いたくないけど(笑)
中学も一緒だったが、ほとんど関わりがなかった。体育のチーム分けでサッカーやる時同じチームになったくらいで。高校になってほぼ初対面のようなものだが、なんか昔の俺に近いものを感じた。石橋を、叩いて叩いて、結局渡らないタイプ。あの学校では「俺が俺が」のタイプが多い中で、珍しくブレーキタイプ。こりゃ組んだら面白いぞと思った。
それまで高1の時の俺は、例えて言うならピン芸人。ソロ歌手。故に自分でアクセル・ブレーキ・ハンドルを全て操作しなければならなかった。今思えば、精神的に相当キツかった。プレッシャーを一身に背負うから大変。中2・中3の時には秘書と同志がいたから楽だったが、高校に入って俺の後方を守ってくれるヤツが欲しかった。

彼とタッグを組んだことで、俺のポジションにも変化が生じた。今まではおとぼけキャラポジションだったが、重鎮ポジションができた。悪く言えば、横暴なジャイアンポジション(笑)
秘書を「かわいそうな天使」ポジションに置くことで、俺自身が「自分勝手な悪魔」ポジションを守ることができた。これが俺の「デビル」の始まりだ。

俺の話は置いといて、彼は地味な性格ではあったが、濃いキャラになった。当時静高にいた連中で、俺たちのことを知らないヤツはいない。彼が放っていた色は「白」だった。普通なら、人々の記憶に残らず忘れ去られる存在。白のキャンバスに白の絵の具で絵を描いても目立ちはしない。だが、彼は自分で「白色」のポジションを固め、絶えず「黒色」の横に存在した。自らのポジションを理解し、適材適所で動いていたから、黒の前で目立つ、いわば「輝きを放つホワイト」になったのだ。もし彼が、俺の秘書役になることを頑なに拒んでいたら、風景の中で消え去る色で終わったはずなのだ。このように、同じ色を放つにしても、自分のポジションをきちんと選ぶことにより輝くことはいくらでも可能なのだ。俺はそれを彼から教わった。

(口では俺のおかげでテメーは・・・といつも言っておりますが、本当は彼自身の努力の賜物です)

これが、俺らが普段の生活で生かせる「ポジショニング効果」。
経営用語の基礎知識では以下のように書いてある。

ポジショニング Positioning
ターゲットとする市場において、競合から自社を差別化し、優位な地位を占めるための考え方。一般にポジショニングとは、自社の製品やサービスを差別化し、顧客に認知してもらうための考え方です。

1点目は、競合製品との対比で、自社製品の差別化のポイントを顧客にどのように理解させて、購買決定を促すかという観点です。
2点目は、自社の製品ラインにおける当該製品の位置づけを明確にするという観点です。

ポジショニングには、ポジショニングマップを作成するステップと、ポジションを確立するための戦略を実行するステップがあります。
 まず、製品特性や顧客ニーズ、独自性などを考慮しながら、ポジショニングマップの軸を決めます。例えば、自社の強みが低コストなのか、それとも高いブランドイメージなのかといったことを見極めることが重要です。次に、それらの軸の最適な組み合わせを選定します。2つの軸を選んで2次元のマップを描き、そこに自社および他社製品を位置づけることが通常行われます。
 狙うべきポジションが明らかになったら、そのポジションを確立するために、マーケティングの4P(製品、価格、プロモーション、販売チャネル)を駆使したマーケティング・ミックスの戦略を策定する必要があります。ターゲットの特性に合った価格づけやチャネル選択が必要ですし、ターゲットに対して製品のコンセプトを正しく伝達することが重要となります。

position

上の図のビール業界が良い例だ。ビール市場は寡占市場であり、商品によってそんなに価格に差があるものではない。価格としては横並び状態だ。
そこで、いかにして他社の製品ではなく、自社の製品を選んでもらうか。それには差別化が必要なのである。

俺が「大衆迎合」を批判するのは、そもそも万人に受けるポジションなど存在しないからである。甘口が好きな人もいれば、辛口が好きな人もいる。年上の女性が好きな人もいれば、年下の女性が好きな人もいる。好みや需要はその時々に応じて様々なのであって、どの嗜好にも差しさわりがないように・・・とすること自体が間違っている。そういうやり方では、本当のファンは掴めない。

「甘口が好きな人に嫌われてもいいから、辛口の商品を出すんだ!」となれば、辛口好きの人は飛びついてくる。他社が甘口好きの人に避けられることを恐れて辛口市場に手を出さなければ、辛口のファンは全て自分のところに集められる。独占市場だ。「どんな人にも対応します」というものは、たいてい「どんな人にもピッタリとはフィットしない」ので、濃いファンはつかない。また、類似商品も多いゾーンなので、少しの波で一気にさらわれてしまう。

先日、SUPER☆GiRLSのかえぴょんについて書いた記事で、「相手が1人でもいいから、その人の心に「深く刺さる」アーティストでいてほしい。」と書いた。「深く刺さる」ためには、明確なポジショニングが必要。「紅白を目指さなくていい」と書いたのは、大衆に受けたいアーティストなどざらにいるから、そこの市場狙っても濃いファンはつかないよ、ということ。他とは違う所を目指さないと。

今回の「音楽でつながろう! Music Ribbon キャンペーン」は面白い。
http://supergirls.jp/musicribbon/

『「音楽でつながろう!」をテーマに、SUPER☆GiRLSのメンバーが日本全国の様々な場所で、イベントを開催し、『音楽』=『夢・勇気・笑顔・元気』を届けるキャンペーン』で、『イベント開催に伴い、SUPER☆GiRLSが結成するきっかけになった「avexアイドルオーディション2010」の最終審査の審査員でもあった、小室哲哉・作詞作曲による、新曲「Celebration ~Music Ribbon ver.~」のオリジナルCDを無料配布致します。』とのこと。あの小室さんが作詞作曲という最高級の曲を、全国を飛び回り無料で配布するなんて、なかなか斬新な企画。昨今の商業主義的な音楽業界へのアンチテーゼにもとれて、面白いと思う。これだけなら大赤字だと思うが、例のFREEという本に書いてあった手法も活かしてじわりじわりと客を集めるのだろう。

1つ案として面白いのは、「私たちはTVには出ません!ひたすら全国各地を飛び回ります!」というもの。
政治の世界を見ればわかる。「風」が吹いても、絶対に崩せない地域。今回で言えば岩手4区の小沢さんの所、2009年で言えば鳥取や山口の「保守王国」。メディアが起こす風は確かに強力だが一過性で脆弱なものだ。風で受かった人間は、風が吹かない次の選挙ではたいてい落ちる。やっぱり、川上から地元を隈なく回る「どぶ板戦術」。これを徹底して継続している候補者の選挙区は強い。小沢さんなんかもかつてはやっていたんでしょう。地元に強力な支持団体があれば、多少のピンチになっても勝たせてくれる。

スパガもやればいい。きっと各地で濃いファンが定着するはず。だって、俺自身、スパガを好きになったきっかけはメディアじゃないんだよ。たまたま中央線に乗ってた時に目に入った、飯田橋のビルボード。あれがきっかけで存在を知り、初めてライブに足を運んだことでとりこになったんだ。紅白に出なかろうが、少々の問題が起きようが、俺の方をちゃんと向いてくれているから離れない。彼女らのポジションも好きだしね。従来のオタクくさい粘着質な空気がまとわりついているアイドルのイメージではなく、スタイリッシュにアーティストとしてやっていながらも身近な存在でいてくれるアイドルというポジション。最近はそんな粘着質な連中も若干入り込んできてはいるが(笑)他と比べたスパガの魅力は、「スマート」な所だと思う。

昨夜静高の連中と会っていて思ったのは、多分俺たちは3年間できちんと自分のポジションを確立できた連中なんだってこと。だから、どんな時に誰が必要か、なんとなくわかる。だから、卒業から4年経とうとしている今でも、会う意味がある。今も、それぞれの自分だけのポジションを、必死にこなしているからね。俺ももちろん、彼らを必要としている。「ギブ&テイク」などない。それぞれが自分にできる範囲のことをやる。自分のことであろうと他人のことであろうと。アジェンダが一致する範囲において、協力する。

俺のこのDavyStyle.comのポジションもなんとなくだけどわかってるよ。個人ブログでこんなに長文を書く所は他にはない(笑)そして、難しいことをわかりやすく伝えるパイプ役。人気ブロガーじゃないけど、作家という自負を持って一定の水準のものを提供しているつもり。Facebookとかと違って、匿名でも自由に閲覧できるし、俺に直接問い合わせるルートも確保してある。

Mail to Davy
http://davystyle.com/mail
https://mailform.mface.jp/frms/davy/bdnpghftlzlh

こんなメールフォームもできたしね。SSLに対応している(セキュリティが強固)ため、安心してお使いいただける。かなり本格的なものを先日取り入れた。相談事、質問、お仕事依頼、単なる会話でも何でも良いので、お寄せいただければと思います。不人気ブロガーですので、1件1件時間も労力も十分に割いて対応できる環境にありますし、させていただこうと思っております。やっぱり嬉しいんでね、メッセージもらえると。
不人気ブロガーというか、このサイト借りてるサーバーはあまり強くないから、ちょっとアクせス集中するとすぐダウンしてしまう。俺が大規模改修をやろうと思っても、小刻みにやらないとすぐ落ちるくらいだからな。

明日は書かないから、今日はいつも以上に長く。「こんな誰も読まない記事長々と書くヒマあったら、俺の論文を手伝え!」と某友人に怒られそうなので、今日はこの辺にしておきましょうか。

 


「学ぶ」とは何か ~現代版・学問のすすめ~

俺はごく稀に「ブレない男」だと評されることがある。
ミクロな視点で俺を追っている人間にはわかるかもしれないが、細かい部分ではブレが生じることもある。ただ、先のように評する人は強ち間違いではなく、大きな根幹の部分ではブレは生じない。
なぜか。
物事に対する定義づけがきちんとできているからだ。「○○とは何か」「○○はどうであるべきか」こういった自分の中での定義がきちんと決められているからこそ、重要な局面では原理原則に従って行動できる。このコラム内での「何か」シリーズは、DavyStyleの根幹に関わる主義主張を明示するものである。

俺は過去にも、「何か」シリーズを著してきた。

自己分析とは何か (2011.09.15)
http://davystyle.com/archives/1022

さて、本題に移ろう。

IPPEIさんが素晴らしい記事を書かれたので紹介したい。この記事に感化されて、今回筆をとるに至ったのである。

夢と希望の押し売り(大学卒業前に思うこと)
http://ippeintel.com/archives/1338

中でも、この部分について考えさせられた。(以下、引用)

 

さて、こんな話の枕は置いといて、今日のトピックはずばり「文系・理系・体育会系 ― カテゴライズ好きな僕たち」である。

文系って何してるの?
何のために、何を学んでるの?
というか、そもそも学んでるの?


これは僕が実際に耳にした、理系学生が文系学生に対して放った言葉である。このような言葉はあまりにも頻繁に聞くし、もはや「またか」という感じで以前ほどは何かを感じることもなくなったが、それでもやはり、このような言葉の蓄積が文系学生を「文系コンプレックス」に陥れているのかと思うと、ちょっと待てよと一石を投じたくなる。待てよというのは、このようなことを言う理系学生に対してではなくて、文系コンプレックスなるものを抱いている文系学生に対してである。そんなもの抱くことないじゃないかと。

(中略)

そんな背景もあって「何を学んでいるの?」というような問いに対して、曖昧な答えしか出せない文系は僕も含めて多いと思う。だけど、無理もない。曖昧な動機で進学しているから、自分でも一体何を学べばいいのかわからない。

確かに、この4年間このようなシチュエーションは多かった。その度に俺が思っていたことがある。

「学ぶ」だけなら、意味はない。

「勉強する」ことの意義を趣味として捉える、あるいは感情的なもので捉えるとしたら、それは有意義なものだろう。それは、認める。
しかしながら、他者の視点から自らの「学び」を見た時、勉強したことそれ自体が評価されるのだろうか。
言い換えるなら、学んだことそれ自体が何か社会に対して影響を及ぼすものであるのか。

難しい話になってしまったが、つまりは「学ぶ」という事実(経験)は威張れるものでも何でもないというわけだ。ただ知識を吸収しただけに過ぎず、それ自体が財やサービスを生み出すわけでもなく、社会的貢献にあたるものでもないということ。さらに言うなら、知識を吸収しただけでは、生活のクソの役にも立たないというわけだ。

静高時代、よく見受けられた光景。
「ボクちゃん、この前の日曜日は10時間も勉強しちゃったもんね!」
「オレっち、この前のテスト、上位者表に貼りだされたぜ、スゴくね!?」

それをニコニコしながら、腹の中で「バーカ」と思っていた俺。
まぁ、大学受験という目標があり、そのプロセス上での出来事だと思って大目に見よう。
しかしながら、大学生というのは、財やサービスを生み出さなければ評価されない立場の1つ前のステージである。この期に及んで、「ママ、ボクね、前期の成績A+が5個もあったんだ~!褒めて、褒めて!」の世界にいるというのは、何とも言い難い呆れの境地である。

何が言いたいか。
社会的に意味がある「学び」というのは、知識を吸収するということではない。学んだ知識を、実生活に役立つよう還元してこそ意味があるものであるということだ。

例えば、俺は大学で保険の専攻である。保険学やリスクマネジメント論を学んだ。それ自体には1円の価値もない。
しかし、その知識と現在各社で提供されている保険商品の知識を組み合わせて、各年代・それぞれのニーズに応じた最適の保険商品を提案できるとしたらどうだろうか。有償無償関係なく、それは社会的に価値のあるものである。友達に「○○海上の○○という保険に入ったらいいんじゃない?」などと言えたら、その友達に貢献したことになる。
これこそが、意味のある学びなのだ。

そして、知識を吸収するプロセスにおいても、最近の大学生は「意味のある学び」の要素が欠けている。
インターネットや本(教科書)で得た知識だけを活用して、レポートや論文を書く人間が多い。机上の空論とはまさにこのこと。図書館の中の知識だけでプロダクトする作品は、読む価値はない。ただ単に本の概要を書いただけに過ぎない。

俺は違う。現場主義を徹底している。
ある程度インターネットや本でペーパー上での知識を吸収してから、実際に現場に足を運ぶ。街を歩く。商品やサービスが対象物であるなら、実際に利用してみる。少なくとも、実際に販売されている商品のパンフレットくらいには目を通す。
そして、自分の目と耳で確かめた「知識」を、もう一度ペーパー上の「知識」で確認し、照合してみる。一致する所もあれば、実際とは違う場合もある。レポートに書くかどうかは別にし、感覚として身につける。それこそが、自分の中に蓄積される「知恵」となる。
某友人の論文の手伝いをした時に、論文に必要ないとは思いつつも、あえて交通費を使い現場に足を運んだ。彼がその意味を理解しているか否かはさておき、あれは絶対に必要なことなのだ。文章を書く時の質感・ニュアンスに影響してくる。商品のパンフレットを見ると、いかにも相当魅力的なものであるかのように描かれている。しかし、実際にそれを利用したり現場に行くと、パンフレットには記載されていない問題点や欠点が見えてくる。それらを感覚として、作品にフィードバックできるのだ。

「学び」は大学だけでするものではない。実生活上でも学ぶことはたくさんある。
鉄道の本を10冊読むよりも、1時間ラッシュ時にホームに立っていた方が学ぶことは多い。数字には表れない実情が見えてくる。

1つ例を挙げて説明しよう。
鉄道の混雑率について。朝の通勤通学ラッシュは非常に電車が混雑する。国交省はそれを「混雑率」の形で統計に表している

混雑率データ
http://www.mlit.go.jp/common/000226765.pdf

例えば(実例に沿わない形で申し上げるが)、混雑率160%の路線が複数あるとして、6両編成が主体の路線と、15両編成が主体の路線が存在するとする。時間帯による偏りや本数・種別等を同じ条件とした場合、体感的にどちらの路線の方が「混雑を回避できる可能性」が高いだろうか。
この場合、15両編成が主体の路線の方が混雑を回避できる可能性が高い。各駅の階段(出口)の位置にもよるが、基本的に客は階段付近の車両に集中し、階段から遠い車両に好んで乗る人は少ない。JRや多くの私鉄の場合、1両の長さは20m。15両対応ホームで、ホームの真ん中に電車が停まる場合、そして出口階段がちょうど真ん中1ヶ所にしかない場合、6両編成(3・4号車の間に階段)の電車だと運転席の方まで移動したとしても移動距離は約60mで済む。一方、15両編成(8号車の中心に階段)の電車だと運転席の方まで移動すると約150mも歩かなければならない。これを嫌う客が多いので、主要駅(乗降客が多い駅)の階段から遠い車両は、比較的混雑率が低い場合が多いのだ。

こういったことは、毎朝ホームに立っていれば自然と見えてくる。国交省のデータといくらにらめっこしても、実情は見えてこない。
だから俺は、現場主義を徹底しているのだ。教科書で知識を吸収するよりも、街を歩いて「知恵」を見出すことに注力しているわけだ。

今回の結論。
本や研究室で知識を吸収しただけでは、真に「学んだ」とは言えない。現場を見て実情を把握し、教科書上で得た知識と融合しながら、社会的に意義のある形で実生活に役立つよう還元して初めて「学んだ」と言える。ただ授業に出た、ただテストで高得点を挙げただけの連中が威張るなってことだ。そんなことでデカい面してるのは、ダサいんだよ。生活に役立つ知恵、「情報」を出せと言っているのだ。

こういうと文学部が不利なように聞こえるかもしれない。だが、それは違う。
歴代の東京都知事を見ればわかる。現知事の猪瀬直樹氏、前知事の石原慎太郎氏、その前の青島幸男氏、皆作家だ。
文学で得たことを都政に還元し、都政で得たものを自らの作品に還元している。猪瀬さんは副知事時代、そこで得たものを活かして数々の作品を生み出した。
やり方次第では、机上の空論のような学問でも、机上の空論で終わらせずに済むことはできるのだ。

あの福沢諭吉も「学問のすすめ」の中で、こう述べている。

学問とは、唯むずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云うにあらず。これ等の文学も自ずから人の心を悦ばしめ、随分調法なる者けれども、古来世間の儒者、和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべき者にあらず。[省略]
畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合わぬ証拠なり。されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。(7頁)

文字を読むことのみを知て物事の道理を弁えざる者は、これを学者と云うべからず。所謂論語よみの論語知らずとは即是なり。我邦の古事記は暗礁すれども、今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と云うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費して、洋学は成業したけれども、尚も一個私立の活計を為し得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。是等の人物は唯これを文字の問屋と云うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と云うて可なり。故に世帯も学問なり。帳合も学問なり。時勢を察するも亦学問なり。(17頁)

今、我々は、「学生」の本分を改めて弁えるべきではないか。