この場所で、もう一度。

9ヶ月ぶりに書いていた記事を捨てて、1からやり直す。
久しぶりの挨拶は、後回しにさせてほしい。

この場所に戻ってくる意味を、改めて実感することができた。
俺はこの場所で、陽の当たらない場所で君たちにメッセージを送り続けていきたい。

「いじめ」について取り上げられた番組を見た時、自分の小学生時代を思い出して涙が止まらなかった。
小学2年生の時、俺はいじめにあっていた。
クラス中から無視され、発言すると否定され、校庭を歩いていると後ろから傘で突き飛ばされ、自分のカバンをトイレの便器に流された。
親に相談してもまともに取りあってもらえず、教師も頼りなく、1人で抱え込んでいた。
学校に「行かない」という選択肢すら許されなかった。それを許してくれる親ではなかったし、当時の俺は優等生だったため、周囲の期待を裏切るようなことは許されなかった。

社会人になってからも似たようなことは起きた。言質をとられたくないので詳細に書くようなことはしないが、前回の記事の続きの話はここにたどりつく。いじめに近いようなものを受け(正確に言えば、小学2年生当時と境遇が似ていたためフラッシュバックで悩まされた)、人生で初めて心療内科という所に通い、結果的に職場を追われることになった。これが、今言える範囲での真実だ。

カッコ悪い人生だ。大人としても、男としても、情けない。俺は弱い人間だ。
結婚もしたが(この経緯もまた後日)、正直、世間一般で言われるような華々しい新婚生活ではない。お互いが目をハートにして相手を見つめるような生活とは程遠いということだ。いざこざやトラブルだって絶えない。
真っ直ぐ主流を歩きたくても、路地裏を彷徨い続けている。所詮はUNDERGROUNDな人間なんだ。

「幸せだとは言わないが、不幸ぶるのはガラじゃない。」

そうなんだ。だからといって、ふさぎ込んでいるわけじゃない。
胸に刻んだ「UNDERGROUND FOREVER」。俺はずっと亜流でありながらも、胸を張って生き続ける。そんな「何をやってもうまくいかず、陽の当たらない場所しか歩けない男」の生き様を見て、知って、感じ取ってほしいと思って、ここで言霊を発信し続けていたんだ。
そう思った時、この場所に帰ってきたいって、本気で思えた。

日々の生活に追われて、ブログという場を通じて語ることを怠っていた。せっかくブログを始めて10周年を迎えたというのに、何一つしてこなかった。
ここで何かを語る意味を見失いかけていたのかな、と思う。今さら誰も見ていないだろうし。

だけど、そうじゃない。高校卒業の時にもらった、見知らぬ誰かからのメッセージ。
俺の生き様を見て、いじめられていた自分の励みになったという、嬉しい言葉。
今日、もう一度読み返した。そして、思い出した。今やらなきゃならないことを、必死でやろうって。

俺の素晴らしい優秀な友人たちのように、仕事でもバリバリ成果をあげ、理想の結婚をし、世間一般の憧れとなるような王道を歩ける人間はいい。そんな友人たちを紹介する度に妻は、「なんであなたの友達は、背が高くてイケメンでしっかりした人たちばかりなの?なんであなたと友達になってくれたの??」ってイヤミを言うくらい。その度に俺は彼らにやっかみを感じ、僻み、卑屈になっているわけだが(笑)彼らは称賛される生き方だ。

でも、俺は違う。頭だって良くないし、説明するの下手だし、仕事においても家庭においてもその他のことにおいても器用にこなせるわけじゃない。人とだってうまく付き合えるわけじゃない。立食パーティーみたいなところで、進んで話しかけていくことができないくらい、いわゆる「コミュ障」ってヤツだ。また、王道を歩くのが好きじゃない。ステータスを得ることがいつの日からか嫌いになってしまった。

俺ができるのは、そういう俺と似たような境遇、つまり何をやってもうまくいかなかったり落ち込んだりしている連中に、そんなヤツでも人生捨てたもんじゃないってことを伝えることかな。「バカだな」「不器用だな」って俺の事笑いながら、「こんなヤツに比べたらまだまだ自分、やれるよな」って思ってもらえたら最高だ。だから俺は上から語りたくはない。下から変に持ち上げるような語り方もしたくない。同じ目線を気取っていたくもない。勝手に、自分が思ったことだけを、正直に語っていく。俺は俺の生き方で、偽善者としてやらせてもらう。それが俺にとって「生きる」意味だから。このサイトでは、「UNDERGROUND」な連中と、ちょっとしたパーティーを開けたらそれでいい。

決して王道になることなく、UNDERGROUNDな世界で、永遠に。
11年目も一緒に楽しんでいきたい。

この場所で、もう一度。

さようならとは言わせない

過ぎゆく日々は、終焉が見えた時に初めてその尊さが感じられる。
いつだってそうだった。そんな経験を繰り返してきた。だから、ひょっとしたら「終わり」というものに鈍感になっている自分がいたかもしれない。
でも、今回は違うんだ。

大学を卒業し、今の会社に入って2年4ヶ月。入社当初はサラリーマン生活というものに慣れず、「俺は一生つまらない人生のまま終わってしまうんじゃないか」と涙した日もあった。広告関係の部署に配属され、上司や先輩に怒られながら、少しずつ仕事というものを学んでいった。2年目に入り組織が変わった頃からは、周囲に教えることも多くなり、ほんの少しだけ大きな顔して仕事できるようになった。入社当時から興味を持っていた資産クラス「J-REIT(不動産投資信託)」の知識もどんどん身につけ、2年目にして「J-REITならあいつに任せておけばいい」と周囲から認めてもらえるまでになった。人事異動などで頼りになる上司や先輩がいなくなったこともあり、僭越ながら役職はないけど俺自身が部を面倒みることもあった。そうやって、小さな信頼を積み重ねてここまできた。全てが順調かに思え、楽しくリラックスした日々を送っていた。

だが、幸せな日々は長くは続かなかった。
俺自身に人事異動が言い渡されたのだ。

「銀行に行ってこい」

聞いた瞬間、全身の力が抜け、震えが止まらなくなり、吐き気を催すまでに至った。

某メガバンク本社への出向だ。来月から銀行員になれという。
「栄転じゃないか」と言う人もいる。でも、俺はそうは思わない。

とにかく過酷な環境らしい。残業時間が今の3倍近いと聞く。少なくともアフター5を充実させるなどという今みたいな生活は今後一切できなくなる。
また、上意下達の縦社会。ドラマ半沢直樹を見た人ならおわかりかとは思うが、とにかくドロドロした世界だと聞く。過去にはウチからの出向者も何人かいるが、ほとんど疲弊して帰ってきている。恐ろしいことこの上ない。

ましてや、企業再編報道も飛び交う中、任期満了後に帰ってくる場所さえ危うい。帰ってきても浦島太郎状態になりかねない。不安で不安でしょうがない。

何よりも、今まで一緒に仕事してきた仲間を失いたくない。通常の人事異動とは違い会社を離れることになるので、関係者にはご挨拶させていただいたが、改めて自分に関わってくれた人の多さに気付かされた。
俺は仕事をする上で「人を大事にする」ということを重視している。仕事のやり取りを必要最小限だけするのではなく、他愛ないことを雑談したり相談したり、時にはランチや飲みの席をご一緒したり。老若男女立場役職に関わらず、人と仲良くすることを最重視してきた。
自分が知識も能力もないのは俺自身が一番よくわかっている。1人でできることなんかたかが知れている。だから、部署関係なく色んな人と仲良く話せる状況を作り、そういった方々のお力を少しずつ拝借する形でスムーズに仕事を進めてきた。たまに「Davyくんは仕事が早い」なんて褒めてくれるひともいるが、これは俺の力でもなんでもなく関係者が力を貸してくれているからに他ならない。だからこそ、そんな愛情溢れる大事な大事な仲間と離れることがこの上ないくらい辛いんだ。

仕事に厳しく近づきにくいとされている他部署のマネージャーに「あなたがいなくなると本当に困るわね」と言ってもらえた時は、涙が出そうになった。周りの人はその人のことを怖いだの融通がきかないだの言うけれど、俺はその人のことが好きだったし、正確な資料を作る上では誰よりも知識がある人だから、信頼していたし頼りにしていた。その人からそんな温かい言葉を頂けるなんて思ってもいなかったから、「ああ、こんな俺でも彼女に認めてもらえるだけの仕事ができていたんだな」って思えて本当に嬉しかった。

また、入社時から俺を支えてくれていた1つ上の女性の先輩。1人ぼっちだった俺に声を掛けてくれた先輩。公私共に本当にお世話になった。大好きだった。変な意味でなく、俺を男にしてくれたのはこの先輩だ。詳細はここでは書かないが、本当に可愛がってくれた。俺が泣いた時は一緒に泣いてくれたし、仕事面もそれ以外も心の支えになってくれた大事な人だ。でも、この先輩の仕事は今度行く先と関わりのあるものだから、今度は向こうから支えようと思う。

そして何より。相棒との別れ。
1つ下の女の子。俺が一番大事にしていた後輩だ。
いや、後輩なんかじゃない。俺は対等の友達でいさせてもらった。
いつも一緒だった。仕事に関して言えば、俺が持っているものは全て彼女に伝授したつもりだ。今ではすごく頼もしい存在になり、むしろ俺の方が彼女を頼りにしているくらいだ。
昼休みに関してもほとんど一緒だったし、夜飲みにいくこともあった。周囲からは「付き合っているんじゃないか」と思われるくらい仲良くさせてもらっていた。向こうの方がしっかりしていることから、俺たちの会話は「夫婦漫才」と言われることもあったくらい。
似た者同士なんだ。体育会系嫌いで、心を完全に許さない相手と皆で騒ぐのは好きじゃなく、説明したいことは1から10まで言わないと気が済まなく、キレイ好き。かと言って、面倒くさがり屋で、友達がそんなに多い方でもなく、異性関係に関しても似たような認識を持っている。理想とするところも近く、俺にとって自分の分身がそこにいるんじゃないかと思えるくらい。
一生大事にしたい存在と巡り合えたことは奇跡なんだと思う。俺としては、お互いどんな立場になろうとずっと味方でいたいし、仲間でいたい。
とても素敵な本当に可愛い女の子だ。人としてちゃんとしているし、何より心がピュアだ。(入社してから俺が随分汚してしまったな。。。なんて考えると申し訳ない)
仕事面でも気配りができるし、リーダーシップもある。知識を吸収しようとする貪欲な姿勢は俺にはないものであり、一流のプレーヤーのみならず一流のマネージャーになれる素質がある。
プライベートでも良妻賢母になるだろう。美しくエレガントでありながら、肝っ玉母ちゃんのような頼りになる母性や強さもある。
気がかりなのは、こんなに才能に満ち溢れ真面目な人だから、あれもこれもやろうとして共倒れしないかということだ。それに関しては、俺は仕事を通じて取捨選択の方法を教えてきたつもりだ。あとはそれを実行する勇気を持つことのみ。今後の彼女の活躍に期待したい。

なーんて、偉そうに語ってきたけど、すごく寂しい。
あれからずっと涙が止まらないけど、ちゃんと任期満了してビッグになって帰ってこよう。

別れとはいうけれど、まだ俺たちは始まったばかりじゃないか。
この筋書きのないドラマにこれからどんなシナリオを作っていこうか。それを楽しもうと思う。

楽しめればきっと成功する。

新しい俺たちのストーリー、幕開けだ。

孤独の行方

日常に支配されていると、大事なものが見えなくなってくる。
ベルトコンベア上の流れ作業のような日々を過ごしていると、プライベートにおける愛や情念までおざなりなものになってくる。
1人になる時間が与えられ、時の流れを敏感に感じ取った。久しぶりに読書をした。

文章ならスマートフォンの画面上でいつも読んでいる。情報という意味においては、通信で伝えられるものの方が速達性に優れ、きめ細やかなものかもしれない。情報を得るだけなら、横になってテレビを見ている方がはるかに楽である。
だが、本を読むということは、情報を手に入れること以上に意味があるように思えた。本を読んでいる時は、時がゆっくりながれる。自分がいかに生き急ぎ、いかに現状に甘え、いかにこの瞬間を中身のないものにしようとしていたのか、感じる。

俺はリハビリをしなければいけない。「書く」ことから逃げているような気がする。昨年1年間は軽く出張をしていた。それはそれで良い。だが、本来あるべき姿に戻らなければ、全てを失うことになる。孤独と向き合う時間も、必要かもしれない。

謹賀新年2015

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2015年 元旦

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1年間の開店休業状態を経て、ようやくこの舞台に戻ってきた。
本格復帰するかはともかく、ここでDavyとして自分を表現できることを誇りに思う。

2014年、時代は変わった。
Davyであることから離れた1年だったように思う。
手に入れたものは大きい。俺の心の中での友人ポートフォリオは、その構成比率が様変わりした。
俺は「当たり前」になりつつあることだが、毎日若くてキレイなOLさんたちとランチに行ける!って思うと、スゴイことだなと改めて思う。
その中で心から信頼できる大好きなパートナーができたことは、最高の収穫だった。どんな形であれ、これからも大切にしていきたいことには変わりはない。

「大好きだよ」って言える距離にいつまでもいたい。
「ありがとう」って言える気持ちでいつでも接していたい。
そして彼女の花がいつまでも可憐であるように「キレイだね」「カワイイね」って言っていたい。

さすがに昨年の色んな出来事をここで全て明らかにするわけにはいかないが、皆さまの予想通り、色々ありました。
順調に物事が進まないのがDavyという男です。

でも、全てが順調なんて俺らしくない。
四苦八苦しながら、この手でちゃんと掴み取って、自分なりに咀嚼したものを皆様に還元する。
苦労してないヤツには味わえないよ。

こんな男のドタバタ劇を見守ってください。

24歳を迎えるにあたって

「あのテレビに映ってるの、何だっけ?」
振り向いて尋ねてみると、答えが返ってくる生活。
今までの俺は想像していなかった。

約23年半、俺は1人で荷物を背負い、あてもなく目の前の道をさまよってきた。
真夜中にアクセルを踏み込み、きらびやかに光る夜の街を駆け抜ける日々に酔いしれていた。
幻想の中にきらめく憧れの自分の姿を、目の前の景色に映し出すことで、いつか夢見た自分になれた気がしていた。

だが、パラダイムは自分ですら気付かないうちにシフトしていた。
いつの日か、俺が走る横で一緒に走る人が現れた。

・・・と言えば随分聞こえはいいが、横から「カッコつけの文章はやめろ!」との声が飛んできたので、やめようと思う。
そう、あれから俺は「俺」であることを捨てる瞬間があった。会社でも、家でも。

かつてないほど女性に助けられた1年だった。
後ろで眠る魔女には、随分教育してもらった。夢だけ見ていれば良かった俺に「裸の王様」でいることをやめさせた。
1人で歩いてきた頃の俺は、気に入らないことがあっても目を背ければ良かった。別の道を進めば良かった。
だが、これから長い人生を歩むことになる時に、器を大きくしておかないと自分が辛くなると教えてくれたのが彼女だった。
俺が描いた理想に「偽善者」のレッテルを貼ったのも彼女だ。本当の優しさを考えるきっかけをくれた。
最高の教育者であり、俺が今後素敵な紳士として生きていくためには不可欠な存在だ。

日付が変わる前に書き終わりたいが、時間が足りない。
愛の言葉はここで語るのは控えておくとするか。

とても書ききれないが、今年もたくさんの愛に包まれて無事に歳をとることができた。
愛すべき全てに感謝して、24歳の1年を生きたいと思う。

プロとして何ができるか。自分がプロだったら何をすべきか。
「カッコつけ」の言葉が、自分の芯となる日がいつか訪れますように。

AMラジオのような存在

春の季節の美しさに心を奪われているうちに、5月になってしまった。
サラリーマン生活2年目はそれまでの俺と比べると、艶やかで輝かしいものであることは間違いない。会社の人も見ている手前、詳細について言及するつもりはないが、当初描いていたものとは大きく異なるものになったことは間違いない。

もし、久しぶりに俺に会う旧友がいるとするならば、彼らはこうつぶやくだろう。
「あいつは、変わってしまった・・・。」
俺が立ち回るフィールドは変わった。東京の中心部を「庭」とし、いつもオシャレな飲食店で食事をし、身につけるものも高級百貨店で買ったものが多くなった。都会に「染まってる」。食事だって、以前は1人で入れる店ばかり探していたものの、今は特定の誰かではない女性を連れて雰囲気の良いレストランやBARへ行けるようになった。大学時代の俺とは違う。今まで周りにいた人が離れていくのもある程度は仕方のないことだとは思わなくはない。

だが、それはあまりに一面的な捉え方であり、表面しか見ていないと言わざるを得ない。人間、本質的な部分はなかなか変わる事ができないものである。
話の運び方、ゼロベースで常識度外視で考える発想法、ある種の「鈍くささ」みたいなものはほとんど変わっていない。その証拠に、俺のように古くからブログを書き続けてきた友人の記事と俺の記事を比較すればわかる。彼らの文章は高尚であり、クセがあまりない。飲みやすいワインと例えるべきか、FMラジオと例えるべきか。テレビ番組のような運びではない。読んでいて身近に感じられる部分はあるため、ラジオのような文章なんだろう。とはいえ、FMラジオだ。FMラジオは比較的音質が良いこともあってか、音楽中心の番組構成であることが多い。喫茶店のBGMにでもできそうなくらい、オシャレな音楽を中心に、トークは「添え物」のような形で展開されている。

一方で、Davyの文章・トークはどうだろうか。明らかにAMラジオである。良く言えば親近感に溢れ、悪く言えば品が無い。AMラジオでも音楽は流れるが、あくまでトーク主体の構成。そのトークもFMのようなサラッとしたものではなく、結構踏み込んだ発言の番組が多い。まるで、友人の会話を盗み聞きしているようだ。俺の存在そのものがAMラジオであることは、俺と触れ合う時間が一定以上あれば誰でも気付くことである。会社でも人事部より発言について注意を受けているくらいである。

そもそも俺のトークの構成は、真面目なフレーズとふざけたギャグの緩急がきめ細かく織り交ぜられており、それ故にモノローグが長い時間続いてもそれなりにカタチにはなる。真面目なフレーズの中にも、例え話を多用することが多く、その例えたものについての説明をすることで物事の本質を感覚的にわかってもらおうとしているのだ。そのために、過激な例え話を使うこともあり、そのことが批判の対象になることもある。そこでお叱りを受けてしまうのだが、そもそも話の中で掴むべきなのは俺が何を伝えたいかという「本質」であり、そこで使った話などは枝葉末節にすぎない。多少オーバーな表現や虚偽などが含まれていたからといって、いちいち騒ぎ立てる類のものではなく、そのようなことに目を奪われているようでは話の本質を見失うと強く警告しなければならない。

つまり、この文章で何が言いたいのかと言えば、人は何らかのきっかけにより言動自体は変わるかもしれないが、本質は変わらないということだ。優しくなったように見えて、やっぱり俺は気難しい。それでも俺は、AMラジオのような存在でいようと思う。こうして文章を通じてでも、直接リアルタイムに会う関係においてでも、相手にとって親近感を覚える存在でいたいし、その人の味方であり続けたい。大人になるにしたがって表面的な人間関係になる人が多いように思うが、あえてその逆を行ってやろうじゃないか。ささやかな覚悟である。

大人になった最強暴威

「あ~。もう8年か。ウソだろ!?」
2月26日を迎えた正直な感想だ。9年目に突入するにあたって、コメントを残しておこうと思う。

2006年2月26日20時55分45秒。”アイツ”は誕生した。
初記事「ガッツで挑戦!」がリリースされた。中学3年生。15歳。
経緯は過去の記事を見てくれればいい。とにかく、俺が前身のfqtになってから8年が経過したのだ。

2007年(高校1年生)
fPS誕生から1周年!
http://fqt.davystyle.com/210

2008年(高校2年生)
ブログ誕生2周年!!
http://fqt.davystyle.com/356

2009年(高校3年生)
勝負師 ~ブログ3周年を記念して~
http://fqt.davystyle.com/454

そして、昨年はこんな記事を書いたんだな。

2013年(大学4年生)
弟が託した最期の言葉
http://davystyle.com/archives/1877

このリンクを載せるために過去の記事を読んでいたんだけど、アルバムみたいだよね。イキがってた時代もあった。高3の時は総括に入っていたのかな。当たり前かもしれないけど「ちゃんと生きていたんだな」って温かいものを感じる。

昨日ファンの方が「Davyさん追って6年になります!」ってコメントくれた。嬉しさと申し訳なさと、何より「スゴイな~」って心から思えた。カッコ悪い姿ばかり見せてきたと思う。ダメ人間っぷりを発揮していたかもしれない。本当に自分勝手だし、ヒステリックだし、訳のわからないこと言うし、こんな俺によくついてきてくれたな、と思う。彼女の人生において6年という長い期間、俺という男が存在できたということが何よりの誇りです。しかも、ただ6年間ブログ見てました!じゃなく、本当に俺のことを理解して下さって、正しい方向に導いてくださる。多分、一生のうちにこういう人に出逢えずにこの世を去る人も多いだろう中で、そんな人にめぐり会えたというのは本当に幸せなことだ。それはどんなにカネを積んだって手に入らない幸せ。「幸せにランクなんかない」とはいえ、これは非常にレベルの高い幸せ。続けていて良かったと心から思う。

彼女ほどではないが、俺の周りにこういう方がいてくださるというのは心強い。一昨年、俺が判断を誤った時にはすかさずコメントで「それは違うよ、Davy」と言ってくれた人がいた。そうやって、見えない所で俺を支えてくれている人もいる。感謝感激ですよ。

古くからの同志も素敵だが、新しく出会う人もまた素敵だ。今日、会社の同僚に「今日は俺の第二の誕生日なんだ!」って8周年を迎えた話をしたら、非常に温かいコメントが返ってきた。彼女もまた俺のことをよくわかってくれて、適切に叱ってくれる同僚。普段はテキトーな感じでからかっているけど、この人が同じ職場にいるというのは、俺に与えられた最高の幸せなんだと思う。本当に運がいい。本人にはこんなこと絶対言わないけど(笑)

才能もないし、カネもないし、恋には恵まれない。だけど、愛に溢れた人間関係をもっているというのは、俺にとって一番の財産だし、きっとそのことが最も幸せなことなんじゃないかと思う。普段はなかなか気付けないし、「もっと!」を要求してしまうんだけれど。どうやってこの恩を返したらいいかわからない。それでもきっと、第三ステージのテーマの一つでもある「愛の出し惜しみをしない」というのを心掛けていけば、俺が今以上に心を開けばきっとその人たちを幸せにすることができるんじゃないか。

「歳をとる」ってなんだろう?きっとそれは、財産を増やしていくことなのかもしれないね。
社会人になりたての若手の間ではよく「大学時代に戻りたい」とか聞くけど、俺は絶対昔には戻りたくない。歳をとる度に、人生が充実していくような気がしてならないからだ。「できること」が増えたし、「使えるカネ」も増えた。友達の数も増えた。今この瞬間こそが最高なんだ。そう思ったら、もっと先へ進みたくてしょうがない。もっとはるか向こうにある未来を見てみたい。

「弟」は今年の命日の前日にもY氏を通じてメッセージを送ってきた。ここでは書かないけど、俺はちゃんと受け止めた。
迷ってる。そして、後退しているんじゃないかとビビってる。
それでも、少しずつ足を前に出すことで、微々たるものかもしれないけど何かが変わるんじゃないかと信じている。
たとえ結果としては悪いものでも、俺の中での何かが変わってくれるんじゃないかと。

9年目に入るにあたって、心掛けたいことがある。
「カッコ悪さを受け入れよう」
だんだんとヒーローになれない自分に気付いてくる。いつかはヒーローになれると妄想して歩いてきたけれど、自分はヒーローにはなれないんじゃないかと悟る瞬間がある。でも、それでもいいじゃないか。不器用でも前に進むのが俺の長所だったはずだ。これからは、醜態さらして歩くくらいの覚悟でやっていかないと、キレイなものばかり追っているようじゃ大事なものを失う気がする。

9年目もよろしくお願いします。

Podcast更新情報 1月3日号

Davy Fujinamiが送るPodcast 「Punk Rock Style」、更新しました。

「東北爆弾トーク」

[audio:http://podcast.davystyle.com/140103.m4a]

2014謹賀新年

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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今年は申し訳ないが、年賀状をお送りしていない。
昨年2月に愛犬を亡くし半分喪中みたいな所があるというのを言い訳にさせてもらっているが、年末は忙殺されて用意ができなかったというのが本当のところだ。
正式な挨拶はこちらでさせていただく。

この文章は年が変わる前に書いているので、2013年を少し振り返ってみよう。

一言で言えば「激動」の年だった。年初と年末では、まるで違う人生を生きているかのように、全く外部環境が変わった。
もっともわかりやすい所を言えば、「学生」から「社会人」になった。本当の意味で「大人」になったわけだ。
当然、使えるカネの量も質も違う。自由度は増し、今まで手が届かなかったものに手が届くようになった。
それから、周りの人間関係。公私ともに、関わる方々の年齢層の幅は広がり、男女比率も男性偏重から徐々に解放(?)されていった。

サビついていた歯車が少しずつ動き出す瞬間。久しぶりに訪れた春に、俺はこんな決意をした。
「失われた青春を、取り戻す。」
俺は、普通の人が送ってきたであろう「青春」を過ごしてはこなかった。15歳までは静高に行くことだけに、高校時代はfqtとしてのビッグバンに、大学時代は自分の好奇心の赴くままに、全てを懸けてきた。胸がときめくような経験は、そんなにしてこなかった。大学4年の時には、自分はそういうものがない星の下に生まれたのだと思い、1人で生きていく決意すらした。

だけど、俺だってもう「普通の人」に成り下がった今、普通の人が掴めるであろう幸せを掴みたい。そう思った俺は、「今からでも青春、できるよな?」と自分に問いかけ、まるで高齢になってから定時制高校に通う人みたいに、恥を忍んで歩き出すことにしたんだ。某アニメの主人公とは逆の「身体は大人、頭脳は子供」みたいな状態で、右も左もわからない中、経験豊富な友人にアドバイスを求めながら、ゆっくりゆっくり歩いてきた。懐かしかった。キラキラした眼をして、「あの娘に振り向いてほしい」と必死になっていたあの頃を思い出した。と同時に、物事を始めるのに早い遅いなんてない、青春時代とは年齢が決められているものではなく、自分で決めて走り始めた時がスタートなんだと思えるようになった。不安だったんだ。「いい歳して、世間知らずもいいところだ。こんな俺で大丈夫なのか?」と自信を失っていた。かつて「俺についてこい!」と肩で風切って歩いていた男が、周囲に弱音しか漏らさなくなった。身につけた優しさは弱さにすり替わり、1人でBARに行く頻度は次第に増えていった。

その後の話は割愛する。現在進行形の中で、まだ語りたくはない。ただ、1つ言えることがあるとすれば、「失われた青春」は取り戻すどころか、かつてないほど良い形で新たな1ページを築くことができた気がする。最高の記念日を過ごすことができた。俺が勝手に大切な人だと思っている人とともに。心から感謝したい。俺の人生にまた1つ、可憐な花が咲いた。

2013年は本当に素敵な出会いがたくさんあった。俺の宝物が、また1つ、また1つ、どんどん増えた。人付き合いは下手くそな俺だけど、本当は大好きなんだ。人と関わるのが。だけど、不器用だしプライドが高いから素直に心を開けない。時には意図しないところで傷つけてしまう。もっと素直になっていいのかな?自問自答しながら歩き続けている。

2014年は、カッコ悪い俺ももっと知って欲しい。プライドに負けない素直さが欲しい。
ロジックだとか体裁だとかそんなんじゃなく、自分に正直でいたい。
それが俺の2014年の目標であり、夢です。

本年もよろしくお願いいたします。

カッコ悪いも、正義だ。

「闇を愉しむ男」の裏側の話をしよう。
ここ何日か、悪夢を見てうなされている。自室で1人、大声をあげることも珍しくない。前の記事で「夢中とは霧中」と書いたが、霧につつまれた世界は本当に危ない。騒いだってわめいたって、どうにもならないことは自分が一番よくわかっている。それでも、そうでもしないと持たない所まで来ているのかもしれない。華やかな歓楽街の裏路地は汚いものなのさ。

俺はたまに昔の自分に会いに行く。懐かしんでいるわけじゃない。過去の栄光に酔いしれるわけでもない。
相談しに行くんだ。「お前だったら、どうする?」と。俺の原点は間違いなく、15歳の時のあのビッグバンにあるのだから。

かつて学校中に行き渡る学校誌のようなものに寄稿した。高1の時の話だ。
幼馴染も親戚も読んだという恐ろしい文章だ。顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたことを覚えている。カッコ悪い文章なんだ。品も技巧もない、何を言っているのか全くわからない文章。一言で言えば、落ち着きがない。ショッピングセンターで駄々をこねるガキのセリフみたいな文章だ。
だけど、なんかキラキラしているんだよな。なぜかはわからないけれど、輝いてみえる。何度も何度も読み返したくなる文章。当時、読んだ人が他の誰かに「読んでみて」と紹介したなんて話をよく聞いたが、わかるような気がする。

どんな意見でも、言いきっている意見は爽やかだ。キレイなもんじゃない。枯れ葉のようなもんだ。だけどそれは、冬の澄んだ雲一つない青空を舞っている枯れ葉なんだ。削る前のダイヤモンド。傷だらけのダイヤモンド。

 このように、俺も日々「SHINJOY」を探し求めている。ただ、そんなに簡単には見つからない。いつも失敗ばかりである。だからこそ、人生は楽しい。「16の若造が何言ってるんだ」って言われるかもしれないが、これが俺の16年間生きてきた中で発見した答えである。今日、いじめ問題で多くの学生が自殺をしている。俺は、そんな人たちに伝えたい。たとえ、全打席三振でも生きていれば必ず良い事がある。その中で、少しでも自分自身を向上させることができたら、人生はもっと楽しくなる。だから、1日でも長く生きる努力をしようって。そして、俺はいつまでも「自己中」を貫きたい。俺は殺されても絶対に自分の信念を曲げるつもりはない。そのために、俺が俺であるために、勝ち続けなければならないんだ。

「批判覚悟でこうやってズバッと言い切れた時代があったんだよな~」なんて、懐かしむのと同時にうらやましく感じている。今の俺は、金メッキなんだよね。一見キレイで輝いているんだけど、中身はもろいというか、薄っぺらいというか。ファイティングポーズだけとって、実際は何も闘ってはいない。及第点を目指すだけの仕事を、さも必死に何かをつかみにいっているフリだけをしている。たった少しスパイスを加えただけのことを、さも大きなレジスタンスをしたかのように胸を張っている。

ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃ NO NO
救われない これが俺達の明日ならば
尾崎豊「Bow!」

人目も気にせず尾崎豊を熱唱していた時代。何もわかっちゃいなかった。カッコ悪かった。だけど、人を惹きつける何かがあった。
今の俺は、何かを求めにいっていない。求めることはカッコ悪いと言わんばかりの暮らしをしている。それが、今の俺がカッコイイ理由であり、同時にカッコ悪い理由でもある。

もっと汚くていいんじゃないか。そんなにキレイじゃなくてもいいだろう。高校時代、ほとんどの科目で偏差値40に満たなかった俺を頭が悪いヤツだと思っていた人間はいたかい?そうじゃないだろう。偏差値80近い武器がたった1つあっただけで、それだけで輝けただろう。同じじゃないのかな?

中学の時の全科目満点でトップランナーとして生きた時代。高校になって衰えて生きる道を模索して、それでようやく衰えたとしても輝ける道を見つけた。大学時代は、とにかく色んなものに首を突っ込んでみることで、他人とは違う輝きを創りだすことができた。どんな自分になっても、輝ける方法は必ずあるんだって、そう信じてここまでやってきて、それを証明し続けることができたじゃないか。今度だって、できないはずはないんだ。自分の人生、これでいいんだ!って言い切るだけの自信があれば。まだ遅くはないだろう。

そのためには、カッコ悪い自分になることだ。カッコ悪い行動をしてみることだ。恥をかき、泥まみれの格好になり、くだらないことをたくさんしてみることだ。

カッコ悪いも、また正義なんだから。