愛国記念日

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最近は心情ブログが多かったので、たまには社会情勢の話でもしようと思う。ここ数か月、あえて重厚さを消してきたが、以前の俺のそういう部分を求めていた人もいるはずだ。アイドルの話ばかりでなく、社会情勢に触れようじゃないか。

日付は変わってしまったが、昨日8月15日は終戦記念日だった。いや、正しくは「敗戦記念日」だろう。

太平洋戦争の終結を迎えた1945年8月15日の話など、戦後しばらく経ってから生まれた俺にとって、リアリティーを感じられず、人の話を聞いたり、本を読んだりすることでしか、知り得ない。しかし、決してどうでもいいことではなく、俺が生まれ育った国、日本においては、重要なターニングポイントであったことは間違いない。

あの戦争があったから、今の日本は存在する。昭和初期にたまった膿を排除し、戦火を交えるという手段をとらずに、国を発展させていく方向に仕向けることができた。押し付けられた憲法ではあるが、そのおかげで戦火を交える戦争からは逃れられてきた。防衛や国際的な安全保障にはあまり関与せず、自国の経済発展にさえ集中していれば良かった。現在、その地位は低下しつつあるとはいえ、世界有数の経済大国となったのは、間違いなく戦後の経済成長によるものだろう。

当時の日本は、太平洋戦争だけでなく、あらゆる所で戦争をしていた。「○○戦争」とつくものを数多く挙げよ、と言われた時に出てくる名前は、ほとんど20世紀前半に行っていた戦争だ。それらについて、あれは侵略戦争だっただの、そうでなかっただの、様々な見解がある。しかし、俺は侵略だろうが何だろうが、どうでもいいと思っている。やたらと正当化する必要もなければ、やたらと自虐する必要もない。歴史上の出来事の1つとして捉えていればいいと思っている。

俺が言いたいのはそこではない。

日本は今もなお、戦争をしているということだ。イラク戦争に加担したとか、アフガニスタンが・・・とかそういう話ではない。日本独自の問題だ。戦争を仕掛けられ、また戦争を仕掛けている。

確かに、戦火を交えることは、この国ではなくなった。しかしながら、他国との関係を見る上で、戦争をしていないといったら、全くのウソだ。
今、我が国は、侵略されている状態だ。「韓流」と呼ばれる韓国の文化が、必要以上に流入している。特に、フジテレビは、韓国のテレビ局かと思うくらい韓流ドラマを流し、K-POPをプッシュしている。BSにおいては、更にその状態である。いわば、韓国に文化的に侵略されている状態である。
問題は、一般庶民は、この侵略を侵略と気付いていないことである。マスメディアによって、洗脳されているのだ。
俺は、他国の文化が流入してくることを否定しているのではない。日本文化は、様々な諸外国の文化を取り入れることで成り立ってきた経緯がある。親友であるアメリカの文化はもちろん、中国の漢字や食文化、特に文化的に親しみを感じるのはイタリアだろう。特にイタリアの料理と意識することなく我々はイタリアンを食べているし、ブランド品やファッション、クルマやバイクもあの国はカッコイイ。俺も大好きだ。そして、もちろん、韓国の文化の影響も受けている。それはそれで大変に素晴らしいことだ。
だが、それも度が過ぎるとどうだろうか?島国根性の我が国にとって、最も親しみを覚え、最も安全だと信頼し、最も品質が良いと信じられるものは、「国産」である。日本産だ。食事にしても、製品にしても、文化にしても。いくらイタリアのバイクがカッコイイとはいえ、やっぱり主流を占めるのは国内四大メーカー製である。いくらドイツのクルマがカッコイイとはいえ、主流はトヨタ、ホンダであり、ベンツやフォルクスワーゲンが街中至るところを走っているというわけではないだろう。スーパーに行っても、大概は国産だ。中国産と国産を並べられたら、多少高くても国産を買う人は多いはずだ。文化的にもそう。テレビのゲストが日本人なのは当たり前。その中で1人や2人外国人が出てくるから面白いわけであって、そのバランスが崩れたら「?」を投げかけたくなる。

なぜ、韓流の「輸入超過」に批難が集中するのか。それは、日本文化は、「人気店の秘伝のタレ」方式をとってきたからだ。ベースの味は守る。その中で、気付かれないくらいにチョットずつ異なるものを入れて作られる。だからこそ、飽きられることなく、かといって、親しみを失われることなく、ここまでやってこれたのだ。それが故に、見慣れないスパイスが大量に入り込んでくると拒否感を示したくなる。「今までの味と違うよ!」って。その結果、客離れにつながってくる。民間の小さい店なら客離れで閉店しても大して問題ないが、一国の文化ともなると、話は別である。異種スパイスの大量流入が、ベースの味を破壊しかねない。それは、文化も製品も何もかも「国産が1番だ!」と信じてやってきた日本国民にとって、大変過ごしにくい環境となってしまうことになる。また、今回の韓流問題は、自然的な増加ではない。韓国と一部の売国企業による、日本に対する侵略戦略である。だから、タチが悪いのだ。平和ボケしている大多数の国民が、侵略だと気付かないことも、彼らの侵略を容易にしている。

とにかく、俺たちの国は、俺たち自身で守らなくてはならないのだ。

韓国の文化侵略を反面教師にして、日本も他国に何かを輸出したり、他国に進出する際には、十分気を付けなければならない。そのことで相手国を傷つけてはならない。日本企業は、他国の低賃金の国の人をこき使って収益を上げている。金銭的には、現地の雇用に貢献しているのかもしれないが、その国にとっての「国産」企業を産み出す芽を摘んでいるという見方もできる。「安い人材をこき使おう」ではなく、謙虚な姿勢で商売をしなければならない。

輸出や進出が、その国の利益につながるようにするべきなのである。インドの地下鉄のように。定刻通りの運行、安全な走行、清潔で快適な車内や駅施設。こういったものを売り込めば、我々日本人にとっても利益だし、相手国にとっても利益となる。世界はそのようにして発展しなければならない。三方よしの精神でいくべきなのだ。

世界を本当に平和にしたければ、戦火を交える戦争だけに注目していてはいけないのである。国際間取引をする時や、国際交流をする時に、常に相手の立場に立って物事を考えることが重要なのだ。その上で、主張すべきことはきちんと主張する。いつまでも、60年以上前の戦争について謝罪を繰り返していてはいけないのだ。

俺は、震災前は、日本はどうしようもない国に成り下がったと思ってしまった。経済は低下する、政治もダメ、モラルや道徳も地に堕ちたと思っていた。しかし、震災で意識が変わった。他国であれば、ああいった自然災害が起きた時には、暴動や略奪、強姦、デモが起きて収拾がつかなくなる。しかし、この国は違った。電車が動かなくても大きな混乱は起きず、ゆっくり歩いて帰宅した。声を掛けあって、お互い助け合った。Twitterでは、避難先の情報や注意点などの情報が共有され、マスメディアでは伝わりにくい情報を入手することができた。週明けの月曜日、いつ来るかわからない電車をきちんと整列して待ち、車内が窮屈でもお互い譲り合って、大きな混乱は起きなかった。「ふざけるな!」とは言わず、「がんばろう、日本!」と言った。もちろん、細かい所では様々なトラブルが発生している。しかし、全体としては、世界に誇れる秩序ある行動をとることができるのが、我々日本人なのだ。デモをやるにしても、そこまで迷惑を掛けたり、何かを破損したりするようなことはない。震災の時だけではない。海外旅行先でもマナーが良いと言われ、海外に派遣された自衛隊の皆さんも真面目に懸命にその国の発展のために頑張っている。こういう姿勢だからこそ、震災後にすぐ応援してもらえるのだ。タイだったか、自分の国の方が貧しいにも関わらず、ガスタービンの機械を貸して下さったり。日本人は、世界に誇れる「いいヤツ」になったんだな~と思ったら、そんな国をずっと守っていきたいと心から思えるようになった。

もちろん、日本には様々な問題がある。民主主義のレベルはお粗末なものだし、改革はあまり好まないし、ジメジメした空気もある。「それもご愛嬌」とは言っていられない問題だ。だが、そんな問題はあっても「夜中に平気で道を歩ける国」の方がいい。俺は世界に出ていくことはせずに、この国を守る方向で頑張りたいと思う。そうでなかったら、戦争で国のために命を捧げた人々に失礼だ。俺も、この国と共に自分の生涯を全うすることができれば幸いだ。

66回の終戦記念日。リアリティーを感じられない俺らの世代の人間に告ぐ。
終戦記念日ではなく、愛国記念日として考えてみたらどうか。
この国の良さを挙げ、この国に生きる幸せを感じる。そして、感謝する。
一年に一度、そんな日があってもいい。
お国のために命を捧げられた方々と、その犠牲者に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

長渕剛「静かなるアフガン」

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