貝殻探しの旅

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体調が復活したので、ブログを書いてみる。Twitterだと話を流されるし、俺も落ち着いて書きたくなった。

初回の宅建講座を終え、捲土重来を誓った。昨年、50点中25点(合格点は36点)という悲惨な点数で落ちているから、今年は何としてでも受からなければならない。初回から・・・というより、これから6月末までは民法の講義だったのだが、やはり独学で本と格闘するより、他人の話を耳で聞いた方が理解が早い。俺が昨年落ちた原因も不合格者の典型的なパターン。「宅建業法は得意だが、民法でやられた」。今年こそは何とかしたいと思った。

宅建講座の前に1つ大学の授業があるのだが、この授業は毎回俺に達成感を与えてくれる。コーポレート・ファイナンス。企業金融(財務)。火曜日ということで受講者がそんなに多くない。ましてや、俺は前の方に座るから、前後左右誰もいない。快適な空間で、授業を受けることができる。そして、無駄な話がない。今日は企業が発行する株式の話だったが、ずっと楽しく聞けた。教授は特に面白い話をしているわけでもないが。きっと好きなんだと思う。

ここ数日、不安との闘いだった。不満との闘いでもあった。
俺はこれからどうしていけばいいのか?
自分のやるべきことは何なのか?
どこで戦えば勝てる見込みがあるのか?

ずっと悩み、苦しんでいた。単なる就活に対する悩みではない。仮に雇用情勢が良くても同じ壁にぶつかっていたのだろう。

それまでが好調すぎた。申し込んだチケットは当たりたいだけ当たり、英会話講座の会話相手はカワイイ女の子に当たり、自由報道協会の書類選考も通過し、友人のピンチ(?)を救うことができ、仕事も順調で・・・。何も言うことがなかった。俺にしてはできすぎた展開だった。もちろん、わかっていた。その幸運キャンペーンには終わりがあることが。そして、調子に乗ると痛い目にあうことが。でも、やっぱり調子に乗ってたみたい。

調子に乗らないようにするためには、単に自分の気持ちにセーブをかけていれば良いと勘違いしていた。でも、そうじゃないことに気付いた。今回、改めて気付かせてもらった。調子に乗るということは、日常の習慣や行動を疎かにしてしまうということだったのだ。やるべきことをやらず、守るべきものを守らず。見落とすことばかり。これがいけなかった。精神面でもそう。心得ておくべき原則をすっかり見失っていた。基礎がしっかりしていないから、少し突風が吹いただけで、バランスを崩してしまう。日常の習慣を疎かにしているから、体調を崩す。思い知った。

話を悩みに戻そう。
俺は勘違いしていたのかもしれない。もうフロンティアは開拓されてしまって、既存の何かにハマって生きていかなければならない、その中で1番を取らなければならないと。でも、そうじゃないんだよね。まだまだフロンティアはいくらでもあるんだ。

田原総一朗さんのPodcastを聴いた。ブログを読んだ。ベトナムの発展についてお話しされていた。
日本はベトナムに新幹線を売り込んだ。そして、一時はベトナムは日本の技術を買おうとした。しかし、議会で否決された。せっかく高速鉄道を2つの大都市の間に結ばせても、途中で都市がないから意味がない、と。それを聞いて田原さんは、「それなら、途中地点に都市を作ればいいじゃないか」とおっしゃった。
中国やインドが派手だから気が付かないが、ベトナムも今や成長国。だが、インフラは揃ってない。この話を聞いた時、フロンティアを感じた。俺は、鉄道や大きな商業施設や立派なマンションを作りたいと思っている。それに携わりたいと思っている。でも、今の日本でそれをやるとしても、スケール小さいよな~と思っていた。今回の東北の復興で少しは必要かもしれないけど、飽和状態かなとも思った。

もし、何も無い所に鉄道を作れるとしたら?考えただけでワクワクする。
幼い頃、トミカのおもちゃで街を作って遊んだあの頃と同じワクワクだ。静岡地下鉄計画を書いた時と同じワクワクだ。こりゃ、面白いぞ!と思った。
300kmという超高速で走っても全く大事故が起きない新幹線。分刻みどころが、秒刻みでダイヤ通り正確に運行し、もし乱れてもわずかな時間で復活させることのできる在来線。日本の鉄道って、やっぱりスゴイ。こんないいもの、使ってないんだったら、ぜひ使ってよ!って気分。

ビジネスとしてでなく、趣味としての興味。

見返りがない!ってよく怒ってるけど、やっぱり放っておけないんだよな。誰か困ってる人がいたら助けてあげたい。
親から譲り受けた会社を何も知識ないまま継いでしまった人もいるだろう。きっと経営に困ってるはず。わからないことだらけだろうし。難しいこと多いし。
そういう人を助けてあげたいな~とも思う。

ある意味、そういう自分が嫌い。「余計なおせっかいだよ。放っておけよ。大きなお世話だと思われるよ。」と思う俺がいる。一方、「こいつにはこれが必要だろう。アイツはこれに困ってるはず。助けてやりたい。」と思う俺もいる。いつもいつもその闘い。キレイな言葉を使えば、親分肌。でも、たいていこれが裏目に出る。

そんなことを考えながら、夜の街を歩いていた。
21時過ぎに宅建講座が終わり、御茶ノ水で電車に乗らず、ほぼ総武線に沿った感じでずっと歩いてきた。夜風は少し冷たかったが、それがまた心地よかった。街灯のない隅田川のほとりを歩いて、ふとため息をついた。このまま時を止めてしまいたかった。
「社会人になっても、こんな風にゆっくり街を歩けるかな・・・?」

何年後かの俺に告ぐ。
ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ歩いてみろ。
お前の周りだけ、時の流れがゆっくりになるはずだ。

水面に映る光を見つめながら、昔を思い出していた。
安倍川の河川敷。自転車を止めて、水の流れる方に歩き、太陽の下で本を読んでいたっけ。
時の流れを操る少年は、大人になっても、やっぱり同じことをしていた。

きっと、俺にしかできないことなんだと思う。俺は普通、生きている上で感じなくても良いことまで感じてしまう。良く言えば繊細、悪く言えば弱い。でも、弱いからこそ、人の痛みがわかるのかもしれない。救ってやれる命があるのかもしれない。
俺は作家でも小説家でもないから、ダイレクトに人の心に響く言葉を紡ぎだすことはできない。だけど、一緒に泣くことはできる。肩を寄せ合って泣くことならできるかもしれない。同情でも、憐みでもない涙を流すことならできるかもしれない。
そう考えると、まだまだ俺にも居場所はありそうだな、と思う。まだまだやるべきことはあるぞ、と。

俺の貝殻探しの旅は、まだまだ続く。

こんな夜には、この曲を。
布袋寅泰 「NOBODY IS PERFECT 」

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