俺が東京を守ってみせる!

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3月11日に発生しました東日本大震災で被災された皆様にお見舞い・ご冥福をお見舞い申し上げます。

あの時、俺は・・・。

あの日、俺は仕事を終え、バイト仲間と明大前のマックで軽い朝食をとった。彼とは明大前の改札で別れた。
3月11日金曜日。この日は、俺が働いている京王電鉄の京王線のダイヤ改定日だった。iPhoneアプリ「駅Locky」の時刻表を編集しなければならなく、「この電車が何両編成か」を知りたくて、駅でもらったポケット時刻表に印をつける作業をした。明大前駅の2番線。俺は駅に掲示してある時刻表とにらめっこして、ひたすら蛍光ペンで印をつけていた。

笹塚に向かった。笹塚駅では新線・都営新宿線に入る方の時刻表を見て印をつけた。そして、新線新宿、京王線新宿と4つの駅の情報をメモした。

明大前(新宿方面)、笹塚(新宿線方面)、新線新宿(橋本方面)、京王線新宿(京王八王子方面)のポケット時刻表をもらい、車両数をメモった。今から橋本へ行ってメモってこよう。 11:43:59, 2011-03-11

かなり良い天気だった。目の前には特急電車が止まっていた。scofield氏やIPPEI氏の使う橋本駅の情報も欲しかった。その日はヒマだったし、急遽その特急に乗り込み、橋本へ向かうことにした。京王線沿線の街並みを見ながら「今日は穏やかな日だな」なんて思いながら、地図で見た街並みを確かめながら、調布で急行に乗り換え、橋本に向かった。橋本駅でも同じようにもらったポケット時刻表にメモした。彼ら2人はこの街にはいなかったし、そのままちょうど来た急行電車に乗って、新線新宿まで帰ることにした。

数分前、調布駅1番線でお客様が線路に転落した模様。京王線・相模原線の一部電車に遅れが生じる見込み。 12:58:56, 2011-03-11

こんなトラブルもあった。京王稲田堤で急停車して。でも、何事もなかったようで、そのまま新線新宿までスムーズだった。

前夜、こんなことを決めていた。

平凡な日常を脱するため、明日は久しぶりに旅に出る。仕事が終わったら、前にブログで紹介した街の行ったことないどこかに足を運ぶ予定。 00:46:34, 2011-03-11

そう、俺は最近紹介した「西新井」に行くことを決めていたのだ。前から紹介しておきながら、通過することはあっても、実際に降りたことはなかったのだ。

  • 東武亀戸線亀戸駅なう。今日はある候補地へ行く。あ、今、総武線快速の線路に古めかしい115系?が通った。 14:04:16, 2011-03-11
  • 西新井なう。駅舎は古めかしい。駅には東武ストアある。古い感じだが、悪くない。3Fにはクリエイト。 14:37:10, 2011-03-11
  • 西口にはバスターミナル。 http://twitpic.com/48d3e5 14:40:21, 2011-03-11
  • パサージオ。ここはオープンで新しい感じ。デパ地下的なものある。 http://twitpic.com/48d4qa 14:45:16, 2011-03-11
  • 再開発地区だけあって歩道がキレイだ。 http://twitpic.com/48d5pp 14:48:57, 2011-03-11
  • こんな感じで、西新井の街を見ていた。朝マック以来何も食べてなかったので、アリオ西新井の店で何か食べようと向かった。
    そして、この地点に来た時・・・

    http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x60188f27d9011a51:0xdc1072f96fbc8679,0&msa=0&msid=201405019751052922186.00049eba53bb133566955&ll=35.775469,139.788698&spn=0.004065,0.009645&z=17

  • かなりデカイ横揺れの地震。 14:51:38, 2011-03-11
  • ちょうどマンションの近くにいた。歩道の真ん中にとりあえず移動した。木々も街灯も色々なものが横に揺れた。
    「えっ!?」俺はこんな感じだった。「あ~デカイな、こりゃそこそこあるよな。」「うわ~っ、マジっすか?」
    不思議と怖いとは思わなかった。街中の人が足を止めていた。近くにベビーカーをひき、小さい子供を1人連れていた30歳前後くらいの女性がいた。彼女は、「怖いよ~」と半泣き状態で怯えていた。子供はキョトンとした顔をしている。
    「大丈夫ですよ!」と声をかけようとした。今は俺はこの親子を守らなきゃ、と。
    しかし、声が出ないのだ。脳は信号を送っているはずなのに。足も動かない。
    地震がおさまって、その親子は立ち去ってしまった。「俺、何やってんだろ・・・」と思った。

    ま、収まったし、とりあえずアリオでメシでも食おうと足を進めた。途中の保育園では先生が一生懸命子供を避難させようとしていた。

  • アリオ前はかなり開けた公園だ。なんてツイートをしている場合じゃない気がする。街は大混乱。 14:59:21, 2011-03-11
  • アリオの前は芝生が美しい公園だった。親子連れが多かったが、スーツを着たサラリーマンらしき人もいた。女子高生もいた。
    「ヤケに公園で憩う人が多いよな。ま、天気も良いし、いいんじゃね?」
    こんなことを思いながらアリオに入った。

    アリオにも人はたくさんいた。警報が鳴り響く。人々はエスカレーター近くのディスプレーに集まっていた。NHKが放映されている。
    その時、初めて、この地震の震源地が宮城だと知ったのだ。俺はてっきり東京湾の地震かと思った。宮城にしては、あの揺れは大き過ぎたのだ。

  • アリオ西新井は避難警報。あ、また余震。 15:12:27, 2011-03-11
  • 食事どころではない。店は営業中止になり、避難するように言われた。
    そんなところで先程の公園に戻った。
    「せっかく来たのにな。でも、今日のところはとりあえず帰ろうか。あ~今日は部屋の掃除だな。粉洗剤とかが散乱してたら嫌だな。」
    こんなことを考えながら、来た道を引き返した。

    そして、最初に地震があったあのマンション前に来た時・・・
    さっきの地震よりも激しく地面が揺れた!先程と同じシチュエーションになった。もう今回はまともに立っているのも困難になった。俺は近くの柵にしがみつき、無事を祈った。

    ただごとではないぞ・・・。急ごう!
    西新井駅に着くと、駅前のロータリーは人であふれていた。あらゆる店の人が外に出ていた。
    改札の方へ向かうと「引き返してください!電車は動きません!」と言われた。
    動かないと言われたって・・・。ま、でも、あれだけの地震だし、線路点検とかするまでは動かせないか。
    ロータリーに戻るとバスが出ていた。バスは動き始めたのだ。
    池袋駅行があったので、乗ろうとした。だが、間に合わず、バスは行ってしまった。
    クソ・・・。しばらく、俺は携帯の地図を見ながら帰るルートを考えた。

  • 伊勢崎線が見合わせなので急遽東武バスで北千住まで行く。 15:32:12, 2011-03-11
  • とりあえず北千住まで行けば何かしら動いてると思った。バスを乗り継いで帰ればいいやと思った。で、バスの中でワンセグで情報をたまに入手しながら、帰るルートを考えていたが、どうやら亀戸や錦糸町に向かうバスがないみたいだ。お隣南千住まで出ればあるが、本数は少ない。でも、電車はどれかは復帰すると考えていた。TXなんて新しいから大丈夫かなとか考えていた。

  • 北千住なう。電車の再開をとりあえず待つ。 15:51:34, 2011-03-11
  • ところが、北千住に着いて驚いた!駅前の人だかり!この街にはペデストリアンデッキもあるのだが、その上も人だかり。警察が誘導している。駅前のビジョンにはNHKが映し出され、多くの人がそれに釘付けだ。

    丸井も閉まっている。店の前のお菓子フェアらしきものでは販売していたが。
    駅ビルに入り、色んな改札に行き、再開したらすぐに乗ろうと思った。
    でも、ダメ。警察は「今から日光街道か荒川に避難してください!」と叫ぶ。

    避難?冗談じゃない。俺は帰らなきゃならないんだ。
    とりあえず、早く歩いて帰ろうと思った。
    最初は荒川沿いを歩こうと思った。北千住は電車では何回か来たことはあるが、道はまったくわからない。荒川沿いに南へ向かって歩いていけば14号線といつかぶつかるから、それでいけば間違いなし。荒川の方へ歩いた。
    しかし、ここで1つ気がかりなことが。荒川沿いに歩くということはだいぶ遠回りだ。平井よりもさらに東。しかも、途中にコンビニもない。俺は腹が減っていた。
    そこで、北千住駅に引き返し、丸井でバームクーヘンを買って、それを片手に歩き始めた。

    徒歩帰宅 - Google マイマップ
    徒歩帰宅

    これが俺が歩いてきた図だ。
    途中、セブンイレブンで軽食を買ったり、トイレを借りたり。両親の携帯や実家に電話を何回かけてもつながらないので、道路沿いにあった公衆電話でかけたらつながった。とりあえず10円玉は4枚しか持っていなかったが、使い果たした。辺鄙な所にある公衆電話なので、誰も使っている人はいなかった。

    そう、途中、こんなこともあった。牛田駅の周辺の踏切をわたろうとしたが、遮断機が下りたままで、「開かずの踏切」状態になっていた。だから、えらく大回りして、下をくぐれる所をわたった。

  • 現在、堀切周辺。白鬚橋を目的に歩く。 16:45:30, 2011-03-11
  • 足立区脱出、墨田区に突入。墨堤通りを南下している。スカイツリーが目印になってくれてる。 16:52:19, 2011-03-11
  • 公衆電話から家電でやっと通じた。実家には報告。 17:07:30, 2011-03-11
  • スカイツリーを目印に歩いた。スカイツリーからの帰り方はわかっているからだ。しかも、ウチから近いし。

  • 明治通りまできた。明治通り亀戸方面は大渋滞。四ツ目通りを南下し、錦糸町に向かう。現在、東向島3。 17:14:42, 2011-03-11
  • 踏切の封鎖が予想される。車の流れの良い押上方面へのルートは正解だろう。ちなみに、首都高向島も閉鎖。 17:17:33, 2011-03-11
  • 明治通りと交差する所まできた。ここを曲がれば亀戸駅前の通りだ。だが、大渋滞。きっと、また踏切が閉まっているのだろう。
    だから、曲がらずに押上方面に向かって歩いた。錦糸町のクイーンズ伊勢丹で惣菜を買って帰ろうと思ったし。

    歩いている時はつらくなかった。音楽も聞かずに歩いていたけど、穏やかな日差しと心地よい風が散歩気分を醸し出した。だが、「なんとか日が暮れる前には家に着きたい」とは思った。日が暮れて暗くなると、スカイツリーが見えない。目印を失うのだ。ライトアップとかされていないし。

    なんとかスカイツリーまできた。でも、いつもと違う変な所に出てしまったので、地下鉄の駅の中をくぐった。
    この頃になると、足が辛くなった。バスに乗ろうと思った。しかし、いつ来るかわからなかったし、ここまで来て200円を払うのも嫌だったので、歩き続けた。

    途中、逆方面、日暮里行のバスとすれ違った。それも何台も何台も。全て満員!「満員です。ご乗車できません」と。
    錦糸町駅まで来て、事の重大さを知った。ありえないほどの長い行列。惣菜どころではない。クイーンズ伊勢丹も閉まっていた。
    南口の方に行った。さらにありえない光景だった!タクシーを待つのも長い行列。バスターミナルとなっているので、さらに長い行列が何列も!三井住友銀行のATMセンターも人でいっぱい。そこで休む人で。
    錦糸町駅の改札の方に目を向けると、シャッターが閉まっていた。まるで、終電後。
    セブンイレブンに入ると、パンやおにぎりはすっからかん。麺類とサラダは人気ないらしく、それらを複数買った。

    駅前の歩道橋を渡り、14号線を見渡すと、車が大渋滞で動かない。
    マンションの方角に向かって足を進めると、同じように歩く人がたくさん。彼らはきっと、船橋や津田沼まで歩くんだろう。殺伐とはしていなかった。和気藹々としている人のかたまりもあった。「もう暗いし、歩くのは大変だよな~、カワイイ女子高生がいたら、ウチで泊めてやってもいいよな。」なんて、ヨコシマなことを考えたりしたものだ(笑)

    マンションについた。ちなみに、プライバシー保護の観点から、マンションの前までは線を引っ張っていない。途中で切ってある。
    マンションのオートロックを解除し、郵便物を受け取ると、次の事態が待ち受けていた。エレベーターが動かない!
    俺の部屋は10Fだ。そこまで階段で上がらないといけない。初めて階段を使った。
    上っても上っても同じ景色。今、自分が何階かパッと見わからないので、確かめながら上がった。
    10km近く歩いた足で上がったため、もう限界にきた。やっと自分の部屋に着いた時は、めちゃくちゃ感動した!

  • 着いた!!帰宅なう!!!
    感動した。エレベーターなしで10Fまで来るのはきつかったが。 18:41:25, 2011-03-11
  • そして、テレビをつけ、やっと全てがわかった。タダ事ではない。津波?飲み込まれ、家がなくなる?
    申し訳ないが、半笑いしてしまった。現実だと思えなかったのだ。
    防災エリート教育の静岡県民なら一度は目にしているであろう、地震防災センターで見た津波のビデオを見ていると思ったのだ。まさか、現実なんかじゃないよな。そう思うしかなかった。

    とりあえず、実家にSkypeした。父親がいて、ずっとテレビを見ながら会話した。

    TwitterのTLは読み切れないほどたくさんのツイートで埋まっていた。情報が一気に押し寄せた。
    ガスが止まっていることをTwitterで知り、マイコンメーターを解除した。

    京王線が動き始めるであろうと思って、下高井戸まで行きたかったが、その手段がない。帰宅難民が一気に押し寄せて混乱している映像が映る。でも、とりあえず、風呂に入り、その日は寝た。

    12日土曜日。
    朝起きて、錦糸町駅に向かった。JRは朝になってやっと動き始めたので、錦糸町駅のホームは人でうまると予想された。多分、ドアが閉まらず電車を動かすことができないだろうと思ったから、手伝いにいこうと思ったのだ。昨日の後悔もあった。狼狽える女性を目前にして何もできなかった自分がいた。何かしたかった。震災で傷ついたり、苦しんだりしている人がいる。家族を思いながら、都会に取り残され、眠れぬ夜を過ごした人がいる。何とか、何かしら貢献したかった。だから、錦糸町駅に向かった。今、俺にできることは、自分のスキルをどこかで生かすことだけだと思ったからだ。

    結論から言うと、行って良かった。急病人が発生し、駅員さんはその対応に追われていた。で、閉まらないドアを俺が全て閉めてまわったのだ。駅員さんに感謝された。だからというわけではないが、1時間近く俺はホームに立ち、何かあったら手伝うようにしていた。

    ある程度混雑が落ち着いたので、俺は食べ物を買いに行った。LIVINではカップヌードルや水のセールをやっていた。まだ品物はたくさんあった。とりあえず、カップヌードルとおかゆとお菓子を買った。ヨドバシカメラでは電池のセールをやっていた。俺のラジオ・目覚まし付の懐中電灯に対応する電池をとりあえず買った。

    この日だったか、電力不足になるということを知った。早めにパソコンを切った。

    13日日曜日。

    この日は鉄道はほとんどもとに戻っていた。でも、まだ復旧していない鉄道がある。しかし、報道もネットも「一部運休」とか出さない。「一部」って何だよ!?これじゃ、わからんよ。だから、俺はその「一部」を解明するために、一働きすることにした。
    東京駅・新宿駅では、高速バスの運行状況を調べツイートし、上野駅では宇都宮線・高崎線・常磐線の、秋葉原駅ではつくばエクスプレスの情報を調べ上げ、ツイートした。貢献したかった。

    災害で電話やメールが死んでも、Twitterは生きていた。だから、Twitterにどんどん情報を流そうと思った。

    scofieldやnontaroたちがアメリカから帰ってくる日でもあった。きっと彼らはアメリカでこの情報を知ったのだろう。きっと心配に違いない。そして、日本に帰ってきたら、いきなり鉄道が走ってない、食料がないという事態に遭遇する。彼らの家も悲惨な事態になっているかもしれない。だから、彼らに情報をたくさん送った。

    そして、この日に「計画停電(輪番停電)」なるものを実施すると知った。なかなかちゃんとしたグループが発表されない。幸い、我が江東区はどのグループにも属していなかったので停電をすることはない。しかし、この影響で多くの鉄道が運休に追い込まれるらしかった。しかし、この地点では「JRは自家発電もしているから大丈夫」と聞いていたため、安心して寝た。

    14日月曜日

    ところが、朝起きてTwitterを見て、ひっくり返りそうになった。総武各停も総武快速も動いていない!!
    朝4時の発表だったらしい。この日、俺はたまたまいつもよりも早い時間に起きていた。この日から仕事先に新人が入ってくるらしかったので、指導のために早くいかなければならないと思っていたからだ。

    もちろん、いつもも余裕を持って起きているし、この日も早いながらも余裕を持っていける時間には起きていた。しかし、これではマズい。急いで着替え、錦糸町駅から半蔵門線・都営新宿線を使い下高井戸に向かった。
    上り新宿ホームは人であふれていた。ダイヤも休日ダイヤの採用だが、狂いに狂っていた。

    事務室に入ると、「よく来てくれた!」と喜ばれた。なんと、最も遠いこのDavyさんが1番乗りだったのだ。

    すぐに現場に入った。電車はなかなか来ない。人であふれかえる。
    やっと電車が来ても既に満員状態で来る。押しても押しても入らない。大半のお客様には諦めてもらうしかなかった状態。

    とにかく声を張り上げ、ホームを走り回った。事故だけはあっちゃいけない。とにかく、1人でも多くのお客様を1秒でも早く新宿まで送り届けるんだ!そんな強い気持ちで向かった。
    いつもの時間になってもなかなか上がれず、結局残業をして、10時半前にやっと終わった。

    仕事は終わったが、問題はもう1つ残っていた。俺、帰れない。
    錦糸町駅を走る電車が全く動いてないのだから。
    中央快速は少ないながらも動いていたので、とりあえず新宿まで向かい、そいつに乗った。終点東京まで。
    東京駅から錦糸町行のバスに飛び乗り、終点で降りた。

    あんなに閑散とした錦糸町は初めてだ。店もほとんどが閉まっていた。

    テレビで見てビックリする。調布駅で入場制限!京王線は調布以西は運休だったため、皆なんとか調布まで出て乗ろうとしていた。そりゃ、下高井戸から乗ろうとする方がムリだというわけだ。
    中央線沿線も長蛇の列。千葉なんかひどかった。電車が全く走らない。歩いて東京に向かう人や、羽田空港行のバスに乗って、羽田からモノレールで都心に出る人もいた。
    地震が起きた時をはるかに超える絶望感に襲われた。このままじゃ、東京は終わりだ・・・。
    電車がまともに動かない。店もまともに営業できない。工場も動かせない。会社に行けない・・・
    1億総貧乏国家になって、この国は亡ぶ。生まれて初めて、「国が無くなる」という事態に直面した。
    確かに地震の被害は大きいが、地方が被害を受ける分には復興すればいい。こんな言い方は申し訳ないことは十分承知だが。国がカネを出したらいい。

    でも、今回は、首都機能が全く機能していない。経済がストップしている。これでは税収が入ってこないばかりか、経済がダメになって、亡ぶ。本当に絶望した。

    今も、平日は計画停電が行われている。鉄道には優先的に電気を供給されるようになり、いつもよりは少ないながらも、麻痺しない程度には動いている。店は節電しながら、なんとかやっている。しかし、普段の東京の半分の力も発揮できていない状態だ。

    だから、西日本にいるヤツに告ぐ。お前らは経済ガンガン回して、とにかく稼げ!特に大阪。ちゃんとしてくれ。
    俺は大阪や福岡でも節電していると聞いて、いや、静岡市でも節電していると聞いて、本気で腹がたった。東京の人間をバカにするにも程がある!!
    自粛?心は1つ?バカ言ってんじゃねーぞ!テメーらまで「節電ごっこ」してどうするんだ!
    同情なんていらない。被災地への配慮なんていらない。
    お前らがちゃんと経済活動して稼いでくれないと、この日本はおしまいなんだよ!
    俺は戦争を経験していない。話で聞いたくらいしかわからない。
    でも、この国は、また終戦後、敗戦後の状態に戻ってしまった。全てを失った。
    東北や茨城は視覚に訴えてくるからわかりやすいが、もっとも大きなものを失ったのは東京だ。

    経済的に焼け野原だ。放射性物質は飛び、電気はきちんと供給されず、食料品も日用品も満足に手に入らない。
    「第2の敗戦」と言っても、過言ではない。東日本は死んだ。東京は死んだ。
    今こそ、西日本が立ち上がり、日本を引っ張っていく時なんだ。だから、頼むよ。俺らみたいな節電とか言ってないで、イベントの自粛とか言ってないで、どんどん経済回してよ。どんどん生産活動してよ。

    今、東日本から多くの人が逃げ出している。家を失った人はわかるが、まだ家もあり家族も健在の東京近郊の人が逃げ出している。外国人が逃げ出している。
    彼らを責めるつもりはない。逃げたきゃ逃げればいい。

    でも、俺は逃げない。たとえ、放射性物質が規定値以上飛んでこようと、自宅が停電しようと、余震がいくら続こうと、俺は東京からは逃げないよ。
    今俺がやるべきこと。それは、東京を守ることだ。京王線を守ることだ。
    少なくとも、京王線沿線住民には、ちゃんと会社に行けるように、俺が何とかしてやる。いくらでも電車に詰めてやる。いくらでも早く電車を出してやる。今の俺にできることはこれくらいしかないけど。それでも、何かできることが残っている限り、俺は東京から逃げない。

    もういいよ。放射性物質で死んでも。がんになっても。
    それなら、それが俺の寿命ってことだ。長生きしようなんて思わない。
    だけど、この街を死なせるわけにはいかない。東京を死なせるわけにはいかない。
    だって、高校生の時から何回も通い詰めるほど、そして、高いカネ払って都心に住むほど、俺が愛している街だから。
    俺が死んでも、東京はずっとずっと発展していかなければならない。

    もし、俺が技術とか熟知していて東京電力の社員だったら、真っ先に志願して福島へ飛んでいるはず。俺の命と引き換えにあの街を守れるんだったら。その保証があるなら、絶対に行っている。
    でも、今の俺のポジションはそこじゃない。今の俺に課せられた使命は京王線を守ること。だから、俺は自分の仕事を精一杯やっている。

    この1週間、そんなに寝ていない。鉄道の情報を流し、ダイヤ改定でもお客様が困らないようにアプリを書き換え、少しでも役に立てればと思って、勤務時間外も首都圏の鉄道網を守るために必死でやっている。倒れても良かった。とにかく、1日でも早く、大好きなこの街の本来の姿を取り戻したかったのだ。

    今のこの3連休は静岡の実家に帰っている。これは当初からの予定だった。北陸旅行の土産を持って帰るためだ。だから、俺は月曜日にまた東京に戻る。父親に言った。「どんなに放射性物質が東京に押し寄せようと、そういう理由じゃ帰るつもりはない!」って。

    静岡や西日本にいる人には、多分俺の言葉が響いていないと思う。事の重大さを知らないからだ。テレビで見て「大変だな」って思うだけだろう。でも、俺たちは、あの光景が、生活なのだ。もちろん、避難生活している人よりは何百倍もマシな生活を送らせてもらっているが。でも、だからこそ、彼らのために、いち早く東京を復活させたい。東京でちゃんと経済回して、そこで得た利益を東北なり茨城に送ってやる。それで、彼らの復興を助けたい。

    今はまだこの地震について総括する時期じゃない。色々思うことはあるが、ここではそれは差し控えさせていただく。しかし、これだけは言いたい。俺は何があっても、東京の街を守って見せる。覚えておけ。

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