ヤドカリ理論とDavythm

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Twitterで連続ツイートをしていて思いついた。いや、昔から持っていて、度々書いてきたが、今回それを整理したい。

「ヤドカリ理論」の話だ。

まず、ヤドカリの特徴について書こうと思う。Wikipedia参照。

 ヤドカリ(宿借,寄居虫)とは、ヤドカリ科 の中で、主として巻貝の殻を住みかとし、そこに体を収め、殻を背負って歩く生活をするものを指す名称である。エビやカニに似ているが、貝殻などに体を収めて生活することで知られている。

 ヤドカリ類の腹部はとても柔らかく、防御には適さない。これは、常に巻き貝の殻の中で守られているためである。巻き貝の殻は、殻の主が死んで空になった物の中から、大きさの合うものを選んで利用する。また、ヤドカリが成長した時には、新しい殻に引越しをしなければならない場合もある。殻の大きさは、その入り口に鋏を当てて大きさを測っているという。

人間もヤドカリと同じだと考えている。自分の身体の大きさに応じて、いるべき場所(貝殻)を変えていかなくてはならない。それは、住居であったり、所属するコミュニティーであったり、活動する地域であったり。成長期に、服を買うたびに、より大きいサイズの服を買っていく感覚である。

だから、人間は、自分の大きさに合わせて、自分の貝殻を最適なものにしなければならない。5歳の子供にXLの服を着せても役立たないし、動きにくい。その逆に、身長180cmを超える大男に子供の服は着られない。

では、人間にとって「貝殻」にあたるものは何なのか?

まずは、住居。これは収入に応じて部屋はアップグレードされるだろう。学生時代は1Kの所に住んでいても、収入が上がるにつれ、1LDKになったり、2DKになったり、4LDKになったりするはずだ。広さだけではない。ボロアパートから高層マンションになったり、景色の良い所になったり、キレイな部屋になったりするだろう。むしろ、収入が上がるにつれて、住居はアップグレードされなければならないのだ。高収入の人にはそれなりの支出が求められる。また、それなりのたしなみが求められる。その時に、住居が小さい(広さだけではない)ままでは、人間としても伸び悩む。自分に適した住居に住むべきだ。

次に、コミュニティー。自分の知識レベルや趣味趣向に合わせて、付き合う人間関係も変わっていくだろう。これはむしろ、「変えていく」というより、「変わっていく」といった側面が大きいのだろう。小学校で関わる人間関係と高校で関わる人間関係が違って当然だし、共有する価値観や話なども大きく違うはずだ。また、そういったより良い人間関係を築くことで、自分としても成長できる。魅力的な友人が多い人は、どんどん魅力的になっていく。逆も真なり。日本には「朱に交われば赤くなる」ということわざもある。人間関係は、その人の姿を映す鏡なのである。であるが故に、成長したければ、自分の周囲の人間関係をより良いものにしようと、積極的に構築していく必要がある。

そして、地域。これは、前出のコミュニティーとも密接に絡んでくる。地域によって色々な特性がある。「県民性」などと言われるように。保守的な地域もあれば、革新的な地域もある。ルールに厳格な地域もあれば、あまり何事にも縛られない地域もある。自分の趣味趣向に応じた地域を選んでいかなくてはならない。

また、地域格差の問題。残念ながら、これは存在する。田舎の女子高生と渋谷・原宿の女子高生とファッションを比較してみれば、その差はハッキリわかるだろう。もちろん、これは良い・悪いの問題ではない。だが、後者の方が情報が入ってくるため、流行に敏感であり、人が多い分美容もかなり意識する。よって、後者の方が先進的であることが多い。

人間は環境の動物である。子供のうち、若い時は、もって生まれたもの、つまり先天的要素がその人を大きく左右することが多い。しかし、年齢を重ねるにつれ、後天的なもの、つまりは経験であったり、努力によって身につけた能力であったり、そういったものが人格を形成する。その後天的な要素が育まれる過程においては、環境が大きな構成要因となる。つまり、素晴らしい指導者に巡り合えれば成長する確率は高まるし、良き友人関係が堕落しそうな自分を助けてくれたり、そういった友人から刺激を受けるケースも多いだろう。

であるならば、自分のスタイルを確立させたいと思うのであれば、言い換えればより「自分らしい」人生を送りたいのであれば、環境を整える必要がある。つまり、それが「自分に合った貝殻」を選ぶ作業なのだ。大きすぎても小さすぎてもダメ。だが、貝殻の大きさを自分より少し大きめのものにしていけば、身体が貝殻に合ってくる場合もある。タイトな感じの貝殻を選べば、それに合わせて身体が小さくなる場合もある。だから、貝殻選びは大事なのだ。

それが、俺の「ヤドカリ理論」。

そう考えると、「もう俺は静岡には戻れないんだろうな」とつくづく思う。幼い頃から「何か違う」と思って生きてきた。で、高校の時、それが確信に変わった。「たぶん、静岡は俺のサイズに合わなくなってきている」と。もっと言えば、「周りが俺についてこれなくなっている」と。だから、もっと大きな貝殻を求めて、東京にやってきた。これが正解だった。俺のサイズに合っていた。もっと言えば、上京当時の俺の身体より、少し大きめの貝殻だった。で、東京で生活していくうちに、サイズがピッタリになってきた。最高に居心地の良い空間になってきた。

今でも時々帰静する。帰ったばかりの頃は、サイズ的な違和感には気付かない。でも、1週間を超える頃には窮屈になってくるのがわかる。そして、身体のサイズが小さくなり始める。そんな状況で東京に戻ったら最悪だ。とてつもない絶望感に襲われる。まるで、時差ボケをするかのような反応を起こし始める。

静岡を嫌いになったわけじゃない。だけど、「このままここにいたら俺は終わるな」となんとなく思ってしまう。具体的な話をすれば、「電子マネーを使わない生活になったら、俺どうなるの?」とか「電車を使わない生活になったら、俺の魅力は半減だよな」とか。価値観的な問題もそうだ。より良いものに改革していこうとする気持ちよりも、波風を立てないことを美徳とされている文化では、「異端児」である俺にとってはかなり不都合なものである。また、「個人」として生きていくことができない。周り、知っている人ばかりなんだから。その時の俺は、「藤浪家の長男」であり、「フジナミタカヒロ」であり、「Davy Fujinami」ではない。静岡にいた時代は、限られたコミュニティーの中で、「fqt」の仮面をかぶっていた。でも、それは、外出する時につけるマスクのようなものであって、ひとたび自分が生まれ育ったエリアに入ってくれば、その仮面は外さなくてはならない。その仮面のまま入ったとしたら、それは「仮面」ではなくなり、一生外れなくなる。それは困る。

Davyは違う。日常生活においても、ずっと仮面をつけっぱなしで良いのである。また、着脱可能なので、必要に応じて外すこともできる。どちらかといえば、Davyの仮面をつけた状態の方が生活しやすいし好きなのだが、たまに汗をふくために仮面を外したい時もある。今、俺が幸せだと思っているのは、そういう状況下にあるからである。

しかも、コミュニティーの出入りを自分でコントロールすることができる。普段の居住空間にはコミュニティーが存在しないのだから。だから、好き勝手に色々な所に入ったり出たりできるのだ。四六時中同じ人と関わっていると疲れる。俺には「合宿」は向いていないし、できない。共同生活が向かない人間なのだから。じゃ、ずっと1人でいれば良いのかといえば、そんなこともなく、人に会って刺激を受けたいこともある。刺激を受けるからには、毎日長い時間会っていてはいけない。それは刺激ではない。マンネリ化する。話のネタがなくなる。

俺は、人と会う時は真剣勝負。会うからには、楽しませたい。満足して帰ってもらいたい。エンターテイナー的な要素。だから、飲み会に行く時もネタを用意し、小道具を持参する。だから、頻繁に行きたくない。でも、それは「良く思われたい」んじゃない。「良く思わせたい」んだ。「思われる」というのは結果の話。「思わせる」というのは自分の行為の話。そこに違いがある。

とにかく、俺は俺のやり方でいく。俺はDavythmを常に心の片隅に置き、行動は全てDavyStyleに従う。環境に左右されるのは仕方ない。俺も人の子だ。でも、自分の軸となる基準は忘れない。それがDavy Fujinamiだ。

実をいうと、fqtでいるより、Davyでいる方が心地よい。幸せ率はこちらの方が高い。また、「フジナミタカヒロ」でいるよりも、Davyでいる時の方が数倍楽しい。だって、自分の理想を誰にも縛られることなく、次々と実現できるわけだから。これは二度と捨てることはできないし、二度とfqtには戻れない。二度と静岡のコミュニティーには戻れない。

『自由の味を知ったら 二度とは戻れない~♪』ってヤツだ。

昨日、夜風に吹かれながら眺めた東京タワーを見ながら思ったこと。絶対に忘れない。

  • 『君の見る夢で もう一度会いたいから FLY INTO YOUR DREAM』
    冷たい夜風を浴びながら、俺は赤く光る塔を眺めている。1人で家を飛び出して、見知らぬ街の夜を放浪したあの頃を思い出しながら。fqt、とうとう掴んだぞ。本当の自由ってヤツを。 #
  • 予想通りにはならなかったけど、思い通りになったよな。これなんだよ、俺が本当に欲しかったものは。二度と手放したくない、この暮らし。手放すものか! #
  • 俺がずっと捜し求めていたもの、欲しかったものって、地位でも名声でも金でも女でもなく、誰にも邪魔されず、何の圧力も受けずに、夜の街を好き勝手にうろついたり立ち止まったりする自由だったのかもしれない。 #
  • もし、一生涯、何か1つだけ担保してくれるというのなら、俺はその1つに『自由』を選ぶだろう。そして、もし、他の全ての欲望は満たされるが、自由だけは奪われるとしたら、俺は自殺を図るだろう。 #
  • 「最新のDavyが、最高のDavy!」

    この、幸せなひとときに、乾杯!

     

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