「慣習」って何なのさ?


東国原宮崎県知事は、12月の行われる次回の宮崎県知事選挙に出馬しないことを表明したようである。要するに、2期目には突入しないということだ。

マスコミや世間は、あたかもそれを知事の職を「辞める」だとか「投げ出す」かのように報道している。だが、それは違うんじゃないか?制度的には、任期は4年である。ということは、とりあえず4年間を全うすれば良いわけである。次の選挙に出馬して再選を目指すかどうかは、自身の考えで自由である。

それをあたかも、1期だけしか務めないとは投げ出しだ!みたいな感じで受け取られるのはおかしいと思う。長けりゃ長いで多選批判をするくせに。別に、任期さえ全うすれば、次の選挙に出るも出ないも自由。出た所で、そこは有権者の判断。必ずしも再選されるとは限らない。

「任期」に対する世間の考え方には、高校時代から疑問を感じてきた。自治会長の任期。任期は半年である。7月選挙で選ばれた人は翌年1月末日まで。1月選挙で選ばれた人は7月末日まで。俺以前の会長が1年務めたのは、あくまで「慣習」として2期務めたからである。だから、半年の任期さえ全うすれば、次の選挙に出るも出ないも自由。2期務める義務はない。

それを当時の顧問は真っ向から否定した。最初の確執はそこである。「半年で辞められたら困る」と。契約のイロハをわかっていない。あの契約は期間が定められていたものであり、更新するかしないかは双方に自由に選ぶ権利が与えられている。だから、半年で終わろうが、文句を言われる筋合いはない。

ちなみに、俺の選挙は10月15日。本来なら7月選挙の任期であるのだが、7月は誰もいないため、空白のままここまで延びたのだ。だから、任期は1月31日まで。そこで、そのような主張をしたのだ。別に俺は1年続ける気はなかったし。やるべき改革をさっさとやって少しでも早く辞めて隠居生活をしようと考えていたからだ。あの騒動が起きる前、もっといえば選挙に出る前からそれは思っていた。

「慣習」はあくまでも慣習であり、制度はまた別にある。優先されるべきは制度であって、慣習を守らないからといって、非難することはおかしい。また、非難される筋合いもない。このことを我々はしっかり再認識するべきだ。

慣習についてさらにいうならば、学校を卒業し、「就職」するのはあくまで慣習であって、そんな決まりはない。ある程度の年齢になったら結婚するのも、あくまで慣習であり、そんな決まりはない。別に食べていけるなら、必ずしも就職して正社員になる必要もない。昨日聞いた話でも、定時社員として鉄道会社に勤務して生活している人もいるそうだ。別に必ずしも結婚する必要もない。

勝手に慣習を決まりごとのように捉えるから、勝手に負い目を感じることになる。全て決定権は自分にある状態、常に自分のコントローラーは自分で持て!という話だ。他人に決められたり、論評されるために生きているわけではないのだ。

俺が公人になりたくないのはそういう理由。自分の生き様を他人に論評されたくないし、また、論評される筋合いもない。「1人で映画に行った」と言って、「友達いないの?」なんて言われるのは、大きなお世話だ。彼女がいないことを負けだと言われるのも、大きなお世話だ。単位落としたことをとやかく言われるのも、大きなお世話。自分の評価は自分で下す。


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