終戦記念日に思うこと

終戦、いや敗戦から65年経つ。8月15日。正午には玉音放送が流れた。
当然ながら、俺は戦争未経験者だ。話を聞くくらいしかない。俺の祖父母(祖父は既に他界)は経験者であるが、前線で戦ったというわけではなく、そういった意味での被害者はいない。

昨日、TBS系のドラマ「歸國」を見た。戦争で亡くなった兵士たちが、現在の日本を見てどう思うか、といったことをテーマにした作品である。長渕剛さんが出演されると聞いていたので、見ることにした。長渕さんはあの役で正解だったと思う。ピッタリだった。

終戦記念日に今さら、「戦争はよくない。反対だ!」とか叫ぶつもりでこの記事を書くのではない。もちろん、それは大前提。

もし、俺があの時代に生きていて、召集されたらどうだろうか?普段、レジスタンスを叫んでいる俺だ。いくら弾圧を受けても、反戦を叫ぶだろうか?残念ながら、おそらく反戦を叫ばなかったと思う。それどころか、喜び勇んで戦場に向かったと思う。だって、「お国のために死んでくれ」って言われて、「天皇陛下のために戦いぬく!」って思ったら、それだけ嬉しいことはない。それは、戦争をしたいとかそういう話ではなく、誰かのために戦うなんてそんな意気に感じる話はなかなかない。それに、敵が攻めてきて、自分や自分の大切な人の命を奪おうとしている。そういう局面に、「戦争反対!」と言えるだろうか?きっと、そんな風に、自分の大事なものが奪われようとしているならば、きっと自分がどうなろうが、必死で戦うだろう。

これが、日本から攻撃をしかける侵略戦争だということを知っていれば話は別だったかもしれない。それなら、反戦を叫ぶだろう。しかし、鬼畜米英、アジアを守るため、天皇陛下のため、お国のため、大事な人を守るためだと思えば、そんな大事な時に戦わないヤツがいるだろうか?そんなヤツは男じゃない。男気があれば、戦うはずだ。

仮に、「戦争はいけないことだ」という認識が定着している現代において、同じようなことがあったとしても、俺はそうするだろう。戦争というと規模が大き過ぎてリアルに感じられないが、たとえば家族や恋人や親友が誰かによって殺されたとしよう。で、犯人もわかっている。だとしたら、俺は、自分が死刑になっても構わないという覚悟で、その犯人を殺しに行く。法的にはいけないことだということは十分知っている。「目には目を」では、世の中がおかしくなることもわかっている。だから、仮にそれで俺が刑罰を受けても納得できる。それでも、自分の大事なものが奪われたら、その奪った犯人を自分の手で殺すのは当然だ。これなら、リアルに感じられるだろう。

先日の原爆投下日に、駐日大使が広島を訪問したことはニュースになった。俺は素晴らしいと感激したし、世界も変わり始めたと思った。しかし、謝罪がないことに憤慨する人々もいた。俺は、謝罪なんかしなくていいと思っている。あの時代、世界中全ての国が過ちを犯した。もちろん、日本も間違った戦争をした。だから、一方的に「謝罪しろ」という権利はない。だから、過去のことはもうとやかく言わずに、今後同じようなことを起こさないように誓えばいいだけの話。世界平和のために頑張ればいいだけの話。だから、謝罪はいらない。同じように、朝鮮半島や中国にも日本は謝罪する必要はない。ただし、今後同じような過ちは一切しないと宣言すべきだ。過去のことをとやかく言っていたらキリがない。

この時期になると、必ず持ち上がるのは靖国問題。現政権の閣僚は誰も参拝しないらしい。実は、俺はこれに関しては複雑だ。靖国神社の神道の部分があるために、戦没者に対して追悼の意を示したくてもそれができない人がいるのは事実。そこは、どんな宗教の人でも気兼ねなく手を合わせられるような施設を作るのがベストだとは思う。しかしながら、じゃ、国を代表する人間が、「A級戦犯がいるから」「中国や韓国が怒るから」といった理由で、参拝しないのはいかがなものかと思う。国のために命を落とした人たちだ。戦犯だろうが何だろうが、手を合わせるのは当たり前である。しかも、私人としてではなく、公人として行くべきだ。小泉元首相は素晴らしいと思う。「批判を覚悟で」という言葉はこういう時に使う言葉で、決して子ども手当とか郵政国有化を決定する時に使う言葉ではない。

戦犯に関して言えば、確かに戦争を先導したのはこの人たちだ。しかし、別に国民を殺そうと思ったからやったわけではなく、国を守るため、国益のために苦渋の決断をした。今の国益を考えない民主党政権より何倍もマシである。だから、やり方は間違ってはいたが、目的は決して悪いとは言えないと思う。

そして、こういう時に考えなければならないのが、どうやって今後この国の平和を守るか、つまり安全保障である。俺は、アメリカと協力してこの国を守るのがベストだと考える。確かに、基地の場所は見直す必要はある。住宅街のど真ん中にあるのは危険過ぎるし、都心の一等地にあるのも考えものだ。しかし、この国の自衛隊は、「自衛」に関しては優れているが、攻撃能力は持っていない。それは、アメリカに頼まなければ無理な話。俺は親米派なので、アメリカときちんと同盟関係を強固なものにしていくべきだと思う。

しかし、このままで良いとは思わない。急ぐ必要はないが、段階的に自衛隊を軍隊にしていく必要はあると思う。というのは、アメリカが必ず守ってくれるか若干不安だからだ。中東で手いっぱいでそれどころではないと言われたらおしまいだ。そんな時でもきちんと国を守れるように、軍隊化すべきだと思う。場合によっては、核武装すらも検討すべきだ。確かに世界は軍縮の方向に向かっていて核を減らそうということにはなっている。しかし、日本はこれほど危ない所にあるわけだ。核の抑止力というのも大きな武器である。日本は外交能力がないと言われるが、こういった所にも原因があるかもしれない。だって、そうだろう?俺たちだって、弱いヤツの言うことなんて聞かなくても、別に大丈夫だろうと思ってしまう。強いヤツの言うことならしっかり聞かないと、後が怖いので従う。人間は、崇高な理想で動くほど高潔な生き物ではない。今も昔も、人間が動くのは、「恐怖と利益」によってのみだ。日本の国力を上げるには、軍事面の強化が必要だと思う。

勘違いしてほしくないが、これらは戦争をするためのものではない。他国に攻め込まれないための武装だ。むしろ、平和に暮らすための手段だ。北朝鮮がおもちゃみたいなミサイルを作ったらしいが、日本の技術ならばもっとスゴイものを作れるはずだ。北朝鮮が「日本に向けてミサイルを打つ」などと言って来たら、日本は「それならそうなる前に平壌に原爆を落とす」と言えば、怖くてミサイルなど打てないはずだ。こういう抑止論を「古い」と言う人もいるが、それならどう抑止するのか具体策を示して頂きたい。

理想だけを語って平和が訪れるほど、世の中甘くない。「県外、国外に移設しろ」と言ったところで、普天間基地がそのまま残るだけ。具体策も示さずに、無責任なことを言うなという話である。

そして、もっとも問題なのが、若い世代の愛国心の欠如である。日教組教育が浸透したためか、因果関係はわからないが、国のことを本気で考えている若者は多くない。俺の周りは結構愛国心のある人が多いが、一般的には少ないので問題だ。終戦記念日である今日、追悼とは関係ない花火大会を実施するところがあるそうだ。そして、地方によっては成人式をやる所もあるそうだ。成人式の中で、たとえば正午に黙とうの時間があるとか、終戦関連の話があるとか、そういったことであれば有意義であり素晴らしいと思う。しかしながら、そういったことを一切無視して、成人式をただ終戦記念日にぶつけるというのは非常に問題である。祝日を休みにしない学校も問題だ。文化の日とか海の日くらいならまだ許せるにしても、天皇誕生日とか昭和の日とか建国記念日とか、そういった時に通常の生活をしているのはかなり問題がある。国家への冒涜行為である。

そういった愛国心の無さは投票行動にも表れる。気分やマスコミから受けるイメージだけで投票する。自民が嫌なら民主、民主が嫌ならまた自民と。1人1人が国家観をきちんと有していないことが問題である。こういったことも「平和ボケ」の1つの現象である。自らの権利について、それをきちんと守ろうとしない。誰かが保護してくれると思いこんでいる。国民がいい加減だから、政治家もいい加減なのだ。何も政治家だけが悪いのではない。いい加減な投票をするから、いい加減な人が選ばれるのだ。

最後になりましたが、日本国のために命を落とされた方々に深く感謝し、追悼の意を表明します。

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