カッコ悪いも、正義だ。


「闇を愉しむ男」の裏側の話をしよう。
ここ何日か、悪夢を見てうなされている。自室で1人、大声をあげることも珍しくない。前の記事で「夢中とは霧中」と書いたが、霧につつまれた世界は本当に危ない。騒いだってわめいたって、どうにもならないことは自分が一番よくわかっている。それでも、そうでもしないと持たない所まで来ているのかもしれない。華やかな歓楽街の裏路地は汚いものなのさ。

俺はたまに昔の自分に会いに行く。懐かしんでいるわけじゃない。過去の栄光に酔いしれるわけでもない。
相談しに行くんだ。「お前だったら、どうする?」と。俺の原点は間違いなく、15歳の時のあのビッグバンにあるのだから。

かつて学校中に行き渡る学校誌のようなものに寄稿した。高1の時の話だ。
幼馴染も親戚も読んだという恐ろしい文章だ。顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたことを覚えている。カッコ悪い文章なんだ。品も技巧もない、何を言っているのか全くわからない文章。一言で言えば、落ち着きがない。ショッピングセンターで駄々をこねるガキのセリフみたいな文章だ。
だけど、なんかキラキラしているんだよな。なぜかはわからないけれど、輝いてみえる。何度も何度も読み返したくなる文章。当時、読んだ人が他の誰かに「読んでみて」と紹介したなんて話をよく聞いたが、わかるような気がする。

どんな意見でも、言いきっている意見は爽やかだ。キレイなもんじゃない。枯れ葉のようなもんだ。だけどそれは、冬の澄んだ雲一つない青空を舞っている枯れ葉なんだ。削る前のダイヤモンド。傷だらけのダイヤモンド。

 このように、俺も日々「SHINJOY」を探し求めている。ただ、そんなに簡単には見つからない。いつも失敗ばかりである。だからこそ、人生は楽しい。「16の若造が何言ってるんだ」って言われるかもしれないが、これが俺の16年間生きてきた中で発見した答えである。今日、いじめ問題で多くの学生が自殺をしている。俺は、そんな人たちに伝えたい。たとえ、全打席三振でも生きていれば必ず良い事がある。その中で、少しでも自分自身を向上させることができたら、人生はもっと楽しくなる。だから、1日でも長く生きる努力をしようって。そして、俺はいつまでも「自己中」を貫きたい。俺は殺されても絶対に自分の信念を曲げるつもりはない。そのために、俺が俺であるために、勝ち続けなければならないんだ。

「批判覚悟でこうやってズバッと言い切れた時代があったんだよな~」なんて、懐かしむのと同時にうらやましく感じている。今の俺は、金メッキなんだよね。一見キレイで輝いているんだけど、中身はもろいというか、薄っぺらいというか。ファイティングポーズだけとって、実際は何も闘ってはいない。及第点を目指すだけの仕事を、さも必死に何かをつかみにいっているフリだけをしている。たった少しスパイスを加えただけのことを、さも大きなレジスタンスをしたかのように胸を張っている。

ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃ NO NO
救われない これが俺達の明日ならば
尾崎豊「Bow!」

人目も気にせず尾崎豊を熱唱していた時代。何もわかっちゃいなかった。カッコ悪かった。だけど、人を惹きつける何かがあった。
今の俺は、何かを求めにいっていない。求めることはカッコ悪いと言わんばかりの暮らしをしている。それが、今の俺がカッコイイ理由であり、同時にカッコ悪い理由でもある。

もっと汚くていいんじゃないか。そんなにキレイじゃなくてもいいだろう。高校時代、ほとんどの科目で偏差値40に満たなかった俺を頭が悪いヤツだと思っていた人間はいたかい?そうじゃないだろう。偏差値80近い武器がたった1つあっただけで、それだけで輝けただろう。同じじゃないのかな?

中学の時の全科目満点でトップランナーとして生きた時代。高校になって衰えて生きる道を模索して、それでようやく衰えたとしても輝ける道を見つけた。大学時代は、とにかく色んなものに首を突っ込んでみることで、他人とは違う輝きを創りだすことができた。どんな自分になっても、輝ける方法は必ずあるんだって、そう信じてここまでやってきて、それを証明し続けることができたじゃないか。今度だって、できないはずはないんだ。自分の人生、これでいいんだ!って言い切るだけの自信があれば。まだ遅くはないだろう。

そのためには、カッコ悪い自分になることだ。カッコ悪い行動をしてみることだ。恥をかき、泥まみれの格好になり、くだらないことをたくさんしてみることだ。

カッコ悪いも、また正義なんだから。


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