広報マンのち作家、時々ライダー。

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このブログにもすっかりカビが生えてしまった。それくらい放っておいた。
「書きたい」という気持ちすら起きなかったからね。何かを発信するのが怖かった。
でも、そんな夜とはもうおさらばできそうだ。どちらに転ぶにせよ。

サラリーマンになって半年。今だから書けること。今だからこそ振り返りたいこと。
IPPEIさんがくれたヒントをもとにちょっと書いてみようか。

キャリアデザインという茶番
http://ippeintel.com/archives/1508

俺は彼とは違って、「真面目」にシューカツなるものをした方だ。
プレエントリーだけなら150社、説明会など企業に足を運んだのは70社程度。
これを多いと見るか少ないと見るかは読者の皆様におまかせするが、俺としては頑張ったつもりでいる。

ただ、彼の言うキャリアデザインなどを考えて動いたわけではない。動機は至って「不真面目」そのものだった。
出世みたいなものに興味を失っていた俺は、当面の生活の糧を確保したかった。東京の都心で1人暮らしを続けたかったし、ライブやコンサートに通う生活を捨てたくなかった。ただ都会で暮らせればいいというものではなく、ボロアパートには住みたくなかったし、やがては自分の家を建てたかった。めちゃめちゃ金持ちでなくて構わないから、ちょっとした独身貴族もどきのような生活を送りたかった。転勤やら何やらで東京を離れたくなかったし、ハードワークでプライベートを犠牲にしなければならないような会社はゴメンだった。

結果を言おう。叶いすぎるくらい夢は叶った。
まず、都会のマンションの高層階に住み続けられるほどの住宅手当が出る。会社は日本橋のど真ん中。帰りに丸の内のBARで飲んで帰ることもできるし、六本木までも苦労せずに行ける。給料は決して高いとは言えないが、帰ろうと思えば定時の17時すぎに帰ることのできる環境。有休だって、好きな時期にとることができる。仕事内容だって、1年目から広報チックなことをやらせてもらえるし、大変だけどちゃんと担当させてもらえる。会社の連中も、いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもない。実力さえつければ、外資からお声が掛かって収入アップなんてことも、そう遠くに聞く話ではない。

何も自分が成功したと自慢したいわけではない。成功とはかけ離れている。毎日ミスはするし、思い通りに物事は動かないし。ある程度の水準の生活はできても、相変わらずモテないし。少しずつ使うお金の金額は増え続けているが、一向に成果は上がらない。むしろ、1人で物思いにふけりながらBARで一杯飲むための支出の方が多いんじゃないか。

彼の記事に載っていたような「キャリアデザイン」みたいなものは、同じく俺も好きではない。
ただ、将来の自分に対して、なんとなくの「なりたい像」みたいなものは持っているといいと思う。

俺はカッコイイ50代を目指している。俺が思うカッコイイおじさんは、多趣味かつ奥深い。
色んなことに挑戦してきて、子どものような目をして楽しんでいる。ラジコンでも農業でもボランティアでもいい。仕事以外に熱中できる「何か」を持っていて、周りから少し「変わってる」と言われるくらい何かに対して熱く語れる人。「夢」というほど大げさじゃなくてもいいけど、将来に対して楽しみを持っている人。俺はそんな大人になりたい。

大人になってから何かを始めるというのも十分素敵なことだけれど、若いうちから何かに取り組んでいて50代くらいになったら熟練した腕を持っているというのが望ましい。俺はそのためにアメリカンバイクに乗り、船舶免許を取得し、オーダーメイドスーツを作っている。「若い頃からやっていた何か」が欲しい。その上で、50代になってから新しいことに挑戦したい。なんでもいい。カッコ悪くたっていい。ハーモニカでもいいし、ペン習字だっていい。人生と言う名のフィールドを余すことなく使って楽しめるオヤジがいい。そんなヤツになりたいから、20代前半の今から仕込んでおくんだ。

「キャリアデザイン」のダメな所は、「今見たもの」の中から、将来を限定してしまおうとするところ。人は自分が見たもの、触れたことのあるものからしか選べない。それなら、筆をもってデザインしようとするよりも、見たことのない色の絵の具を探しにいった方がいい。サークルとかゼミとかじゃなくてさ。朝めちゃめちゃ早起きして、いつもと違う方向の電車に乗って、1人で勝手に「ぶらり途中下車の旅」をするとか。なぜか手芸用品店に入って材料を揃え、部屋で音楽を聴きながら編み物をするとか。特に興味のないジャンルの裁判の傍聴に行くとか。そうやって、「無駄なこと」を積み重ねていくことで、世界は広がると思うんだ。

これは、俺も自分に対して反省しているんだけど、会社に入ってから「無駄なこと」をあまりしなくなった。「あまり」というからには、他のサラリーマンよりはよっぽどしているんだけど。ただ、以前と比べて格段に減った。

「無駄なこと」をしなくなると、文章が書けなくなる。トークできなくなる。どんどん小さい人間になっていく。
だから、俺は「無駄なこと」を思い切ってしたんだ。8万円もかけて。

小型船舶免許を取りにいったんだ。結果的に取得できた。
船なんか普段乗らないよ。借りることもできるけど、高いからそうそう乗れない。だけど、面白いじゃない?日本橋の金融マンが船舶免許とったなんて。彼女もいないのに、誰を乗せるの?って話だよな。
この感覚だよ。学生時代、なぜかデートコースに詳しいDavyさんだった時のように。「何に使うの?」って言われるこの感覚。これが俺なんだよ。

8万出して飲み食いしてたっていうんじゃ、話にならない。そこにはドラマもストーリーもない。
乗らないのに船舶免許をとったという所に意味があるんだ。使えるポイントとしたら、ただ1つ。話のネタになるだけ。

無駄ついでに、もう1つ。
この前、友人何人かと飲みに行った時、「一緒に劇団始めようぜ!」なんて話になった。
誰も演劇に興味があるわけでもないのに。でも、話は相当盛り上がって、誰が何をやるか、どんなストーリーにしようか、なんてそんな話にまでなった。ちなみに俺は、演出家。
半分本気、半分冗談。

しかしながら、演出家になるのも案外面白いかも、なんてひそかにほくそ笑んだ。日本橋で金融のマーケットの中枢にいた人間が、ある日突然脱サラして一文無しの所から仲間と一緒に劇団を立ち上げる。誰も興味が無いのに。誰も経験がないのに。このキャリアにおける「無駄」が何かくすぐったいような気持ちにさせてくれる。

それに、この話がいいのはもう1つ。会社を辞めてもやっていけるような気にさせてくれるところだ。
会社という所は恐ろしい所で、そこにいる時間が長いだけに、会社の中だけが全てだという気にさせられてしまう。世界が限定されてしまう。そこからドロップアウトしたら、人としてやっていけないんじゃないかなんて、そんな恐怖に駆られるようになる。
でも、ホントはそうじゃない。ただ目の前に見える道は明るく照らされているからわかりやすいだけで、見知らぬ所にごまんと道は存在する。今よりもっといい道かもしれないし、とんでもないぬかるみ道かもしれない。だけど、これだけは言える。生き方は、1つじゃない。
「俺は会社辞めても劇団があるもんね!」なんて思えば、少しは気が大きくなるだろう。少しは楽になるだろう。

社外の友達と酒飲みに行ったら、愚痴じゃなくて、夢を語ろう。
あり得ない話でもいい。でっち上げでもいい。
きっと、道は1つじゃないってわかったら、楽になれるから。

もちろん、会社の仕事は一生懸命にやる。少しでもいいパフォーマンスをあげられるように頑張る。
でも、そこで1番を目指さなくたっていい。会社の出世には、実力や結果だけじゃなく、色んな要素が絡んでいるものだから、気にしたってしょうがない。
それよりも、定時で帰って、仕事以外に熱中できる何かをしよう。会社とは全く関係のない部分で、何か面白いストーリーを描いてみたい。
で、たまには「なりたい像」のための仕込みをしてみよう。50代になった時に、どの分野で熟練した腕を持っていたいか。今から少しずつ極めていけば、まだ25年以上もある。プロ野球選手でも、25年やってきた選手なんてそうそういない。

やりたいこと、やろう。
くだらないこと、やろう。
それが、自分の人生の「キャリアデザイン」につながってくるはずだから。

「ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
楽しい事をたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に
おもしろい事をたくさんしたい」

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