「当たり前」への危機感

「夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれにさまよう
青空に残された 私の心は夏模様」

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8月に入り、最初の週末。これまでずっと「休み」だった8月は、もう来ない。
それでも、井上陽水の「少年時代」を聴くと思い出す。これまで当たり前のように受け取ってきた夏の思い出を。

この曲に出会ったのは小学6年生の頃だったか。俺が「変わろう」と決心した初めての季節。
西伊豆に向かうフェリーの中でこの曲を口ずさんでいた気がする。

夕方、仕事が終わって帰宅する際、徒歩2分の日本橋駅を使わずに、あえて徒歩15分の東京駅まで歩くことがある。
仕事が終わる頃でもまだまだ明るい都会の街並みを楽しむためだ。
そして、時々思う。「ずいぶん遠くまで来たな・・・」と。
日々の業務に忙殺されすっかり忘れていたが、俺は今、旅の途中だったんだ。

ガキの頃の俺は想像できていたのだろうか。東京のど真ん中で1人前の顔をして働いている自分の姿を。
学生時代の俺は、確かに才能はあったかもしれない。でも、自分の将来をきちんとイメージできたかと言えば、そこには疑問だらけだ。
ビッグマウスだった。果てしなく大きな夢を叫ぶことで、自分の存在を維持しようとしていたのかもしれない。
本当は何ができるか全く想像できない恐怖感がどこかにあった。それでも何かやってみたいと思って、真っ白な紙に夢をデザインしそれを破って丸め、またデザインし・・・ということを繰り返してきた。

立ち止まって後ろを振り返れば、今の俺は奇跡の結晶なんだ。
俺の周りには途中で道を踏み外したヤツも少なくない。そのまま行方がわからなくなってしまったヤツさえいる。
だけど俺は、たとえ道を踏み外しそうになっても、そこからちゃんと這い上がり、ここまでやって来れたんだ。

自慢したいわけじゃない。ただ、今の状態を「当たり前」だと思うことに、ものすごく危機感を感じているんだ。
人は「当たり前」だと思うことには感謝しなくなる。感謝しなくなると、幸せを感じられなくなる。
他人のマイナス点ばかりを探すようになり、自分自身ではネガティブなことばかり見つけるようになる。
だからこうして時々、自分の中での「当たり前」を「奇跡」だと思うようにしているんだ。
自分を支えてくれる仲間や境遇、運にすら感謝できる。
その事が俺にとって幸せなことなんだ。

そして、もう1つ。「奇跡」を「当たり前」と思うようになると、努力しなくなる。
「当たり前」に甘えてしまっていた自分に気付いたんだ。動かなくても、このままでいいと思っている自分がいた。
もし、今の状況が奇跡なんだとしたら、それは長く続かない。新たな奇跡を自分でプロダクトしなければ、現状維持すら不可能になってくる。

「当たり前」だと思っていたものは、日々腐っていく。身につけたはずの能力や自分のものにしたはずのフレーズも、メンテナンスを怠ると使えなくなっていってしまう。
最近、本棚にしまいっぱなしだった本を引っ張り出し、片っ端から読むようにしている。
俺はPodcastを毎月録れるくらい「語れる男」だったはずだ。それが最近、その手の話をしなくなったせいか、全く語れなくなってきている。

このブログ、つまり文章力だって衰えてきているのを感じる。大学時代のような作品を生み出せなくなってしまっている。
考えることをやめてしまったからなのか。それとも、考えていたとしてもそれをカタチにしようとしなくなってしまったからなのか。
確かに、人間関係は比べ物にならないくらい活性化している。それはありがたいし素晴らしいことだ。その代わり、孤独だった頃にできていた事ができなくなりつつある。

失ったものは、失った以上に取り返す。それが、俺のやり方だ。
思ったことはちゃんと記事に記録する。そんな俺でいようじゃないか。

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