各駅停車の人生

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俺は、第三ステージを、静かに走り始めた。
派手に着飾るわけでもなく、堂々と宣言するわけでもなく、ゆっくりゆっくり走り出した。

なぜ「第三ステージ」なのか。その問いを紐解く際に、これまでのステージにタイトルをつけるのが良い気がする。

第一ステージ「他力本願のトップランナー」
第二ステージ「演じられた悪役」

第一ステージは、誕生から中学3年生の12月まで。第二ステージは主に高校入学から先週まで。
そう考えれば、俺が何を言いたいか、勘の鋭い読者ならおわかりだろう。

第三ステージで目指すもの。タイトルはまだ浮かばないが、これまでとはかなり異なる方向性を自分に課していこうと思っている。
もちろん、これまで培った良い部分は引き継いでいく。戦略的に物事を考えるチカラ、ゼロベースで異なるアプローチを求める物の見方など。せっかく身につけたものを全否定しようという気は毛頭ない。いくらゼロからスタートすると言ったって、人間関係はかなり大部分で引き継がせてもらっているわけで、それくらいの過去に築き上げた財産を頼ってもバチは当たらないはずだ。
とはいえ、反省すべき点もある。至らない所、それによって周囲に掛けてしまった迷惑は少なくない。これについては、謙虚に自分を見つめ、感謝の気持ちを言葉やカタチで表しながら、本当の意味で必要としてもらえる人間になりたい。こんな俺でも温かく見守り、支えてくれる人のことを考えると涙が出てくる想いだ。俺自身、「何もできなかった」と後悔したくないし、俺を幸せにしてくれた人は俺以上に幸せになってもらいたい。今までは偽善者と言われるのが怖くて避けていた感謝や愛情表現など、惜しまずに心を開いてできるだけ表していこうと思っている。人間、そんな急には変われないし、心理的抵抗を完全に拭い去るまでには時間が掛かりそうだが、少しでも温かい自分になれるように努力したいと考えている。

これまでの失敗で学んだことがある。変わろうとする時に、「急に」変わろうとしないことだ。
今までカタチから入ることがあった。わざと大きな宣言を出してみたり、急にこれまでとは違う生き方を自分に強制しようとしてみたり、俺なりの言葉で言うと「イベントにする」所があった。何事においても。でも、それは長くは続かない。三日坊主にすらならない。カタチばかりが先行して、中身がついていかないのだ。
これは、バイクで学んだ。発進する時、急にクラッチをつなごうとするとエンストしてしまう。急いで発進しようとする時ほど、こういった傾向にある。スムーズな発進をするためには、半クラ状態を長く保ちながら、ゆっくりゆっくりクラッチをつないでいくのが正しい。見た目は荒々しいが、繊細な生き物なのだ。人間も同じで、急には変われない。また急に何かやろうとしてもうまくいかないし、続かない。ゆっくり静かに、ただし臆することなくスタートしていく。安定走行に入るまで、穏やかな心でいる。今後はそういう人生でありたい。

心に「風邪をひく」という表現があるとするならば、俺は事あるごとに風邪をひいてきた。強がっていても、本当はプレッシャーや衝撃に弱く、人一倍、良く言えば繊細、悪く言えば弱い心の持ち主だ。絶えず壁にぶつかり、悩み、涙を流し、落ち込んでいた。そして、そこから何とかして立ち上がろうともがき苦しみ、何か一つ得て、以前よりもパワーアップした自分になってきた。各駅停車のような人生だと思う。他の人がそこまで悩まないようなこと、他の人が見過ごしてしまうようなことにもいちいち気を留めて、些細なことに喜び、笑い、泣き、苦しみ、心を痛め・・・。「なんでそのくらいで・・・」といつも思われてきたはずだ。皆さんの人生は特急や急行のようなもの。いちいち1つ1つの出来事で立ち止まらない。スルーして過ぎていく。違いがあるとしたら、そこにあると思う。

多分、大人になりきれていないんだ。「流す」ことができない性格なんだと思う。
今では実家から小学校まで歩いて10分もかからない。だけど、小学生の頃は30分以上かかっていた。背が小さいから歩幅が小さいということもあるだろう。でも、それだけじゃない。道端に咲くタンポポや、街路樹の下に隠れるダンゴムシにいちいち心を奪われていたからだ。冬にモノクロだった景色が、春になるとカラーに染まる。綿帽子のようになったタンポポにフーッと息を吹きかけ、種子を遠くへ飛ばす。風に吹かれて、どこまで行くんだろう。罪のない青空を眺めているうちに、青かった空が赤く染まり始める。そんなことを繰り返していれば、学校から家まで、いくら時間があってもたどり着かない。

大人は道端のタンポポにいちいち足を止めない。AからBまでいかに速く行くか、目的地にたどり着くことだけが目的だからだ。だから、特急電車に乗るんだ。余分なものはスルーしていく。

俺は、永遠に大人になれないかもしれない。なりたいとも思わない。
各駅停車の人生は面倒くさい。事あるごとに感情が動かされる。非効率であり、ムダかもしれない。
いいんじゃない?俺は否定しないよ。世の中の人が全員各駅停車に乗るようになったら、社会はちっとも前に進まない。

だけど、1人くらい、いちいち感動しているヤツがいたって、悪くはないんじゃないかな?
俺はプロセスを楽しみたい。プロセスに涙したい。プロセスで得たもの=経験が、他人を理解し、共感できることにつながると思っているから。
愛する者が天国に旅立つことが、どれだけ寂しいものか、やっとわかった。今の俺なら共感できる。一緒になって涙を流せる。
どん底に落ちた時に手を差し伸べてくれることに、どれだけ救われるか、本気でわかった。今の俺なら笑顔で手を差し伸べられる。
俺は、相手の喜びに一緒に笑い、相手の悲しみに一緒に涙できる人間でありたい。
これが俺の「第三ステージ」だ。

正しいことじゃないかもしれない。でも、正しいことだけが全てじゃない。
たとえ間違っていたとしても、俺は誰かが幸せになるのであれば、何も言わず見守ってあげたい。
正義の数は人の数以上にある。逆に言えば、絶対的な正義など、この世に存在しない。
だからこそ、「誰が幸せになるんだ?」を判断基準にしたい。幸せになる者が生まれない正義なら、俺はそんなものクソ喰らえだと思っている。

これまでの俺は、自分の正義を他人に押し付けてきた。自分こそが正しい、何とか相手の間違った正義を正さないと。勝手な善悪二元論を展開してきたところもある。
もちろん、人間だから心では色々思う。「あれはダメだ」「これはマズイんじゃないか」
それでも、俺は相手の正義を尊重できる人間でありたい。たとえ間違っていても、いつかはわかってくれると、優しく見守る人間でありたい。
言葉は凶器であってはならない。祈りであってほしい。

4年前の今日、心が風邪をひいていた。もう終わりだと思っていた。
思いもよらないルート変更。暗黒の断崖絶壁だと思って入った道は、美しい景色に包まれていた。
終わりじゃない、はじまりだったんだ。
そして、密度の濃い「空白ではない」4年間を、あと1ヶ月で終えようとしている。

いつかきっと、悲しみの日々に感謝できる日が来ることを信じて。
何度も転ぶし、その度に落ち込むだろうけど、ゆっくりゆっくり自分のペースで走りだそう。
雨はいつか止んで、また罪のない青空が姿を見せるはずだから。

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