アーティスト兼プロデューサー


今日2月5日、3人の女の子がアイドルの世界から去った。
2人は、ネットの報道でもあるからおわかりかもしれない。AKB48のなっちゃんこと平嶋夏海さんと、よねちゃんこと米沢瑠美さんだ。
そして、もう1人。SUPER☆GiRLSのえりりんこと秋田恵里さんだ。

前者は悲しい卒業。後者は寂しいけれど前向きな卒業。
俺は今日、後者の現場に立ち会ってきた。

SUPER☆GiRLSは12人のメンバーがいる。最年長のさおりーぬは22歳、最年少のあみたは14歳。えりりんは今度高校卒業だから18歳かな?
俺の勝手な印象だけど、どちらかと言えば地味な方。フロントに出てくるようなメンバーではない。でも、12人しかいないメンバーの中で、しっかり自分の役割を持っていた。えりりんがいたからMCが盛り上がるということもあった。だから、俺もそれなりに応援している。
メンバーの中には、アイドル一本で行こうとするメンバーもいれば、平日は学校に通いながら週末に上京して活動しているメンバーもいる。どちらがいいとか悪いとかはない。ただ、俺から言わせれば、メンバーの中に何人かは、ちゃんと学校に行ってるメンバーがいた方がいい気がする。MC見てるとわかるんだけど、学校に行ってるメンバーが学校での話とかをすることで、親近感が湧く。実は、ここのところ、もちろん好きでありつつもAKBから心が離れつつある理由は、ここにあるんだと思う。MCが芸能界ネタばかりで、なんだか遠くへ行ってしまったようで寂しいんだな。

俺には妹もいないし、彼女もいない。「女の子としての」友達は皆無の状況。だから、唯一女の子の感覚に触れ合う窓口が、アイドルなのかもしれない。だから、芸能を見に行くというよりは、妹の発表会を見に行く感覚なんだよね。別に兄貴を気取るわけじゃない。「頑張って!」ってエールを贈って、こちらも彼女たちの元気をもらう。それが、明日の活力につながっているんだ。

だから、今日で卒業するえりりんには心から「ありがとう!」って言いたいし、寄せ書きも書いてきた。表向きの卒業理由は「学業に専念するため」だが、色々苦労があったんだろう。でも、それを詮索するようなマネはしない。言葉通りに受け取ろうと思う。

一方の、AKBの2人の脱退。青天の霹靂と表現するしかなかった。特になっちゃんは、あっちゃんやたかみなと同じオリジナルメンバー。表舞台に出ることはなかったが、真面目な性格で地道な努力で固定のファンはいた。そうでなければ、3年連続で同じ順位を取れるわけではない。なっちゃんの苦労を知っているだけに、残念でならない。よねちゃんについても、3期生とかなり古い。メンバーの中でも、かなり「近い」存在だった。詳しくは知らないが、高校に通いながらだったのだろう。少なくとも、なっちゃんについては、高校に通いながらの活動だった。

しかし、それが裏目に出たのかもしれない。普通の女の子なら高校生の時に当然経験するようなことだけど、AKBにおいてはそれは御法度。ましてや、過去の話ではなく、現在進行形の話。みなるんの時は過去の話だったから、擁護の立場だったが、現在進行形となれば話は別だ。脱退が正しいかどうかはわからないが、少なくとも許せない話ではあるとは思う。

アイドルは夢を売る商売なんだ。それを自らぶち壊す人は、アイドルの資格はない。
アイドルだけじゃない。「魅せる」仕事にある者は、イメージを壊さないように生きていかなくてはならない。

俺だって、そう。俺個人としては、何しても自由だ。俺が単なる一般の個人だったら、風俗行こうが、何しようが勝手だ。
でも、俺は私人だけやってるわけじゃない。Davy Fujinamiなんだよ。
Davyやってる間は、そのイメージを壊すようなマネをしてはいけないんだ。

fqtをやってる時、彼女を作らなかった。作れなかった。告白すらしなかった。
彼女を作りたい的な風を吹かせつつも、それは俺にはできなかった。なぜか?fqtは誰か特定の人のものではない。共有財産だったんだ。それは、「みんなのfqt」ということだけではない。「俺のfqt」だったということもある。もちろん、俺の彼女になることで、相手方に危険が及ぶことを想定してということもあったのだが、シーソーの真ん中に立っている必要があったのだ。イメージ戦略として。

Davyにはそんな制約は課していない。それなりの年齢ではあるし、それをやる必要性が見当たらなかったからだ。でも、Davyにだって、やっていいことと悪いことがある。Davyは、俺の理想の男でいなければならない。説明できないようなマネをしてはいけない。だって、俺だけの人生じゃないから。俺の人生は俺のものだ。それは間違いない。でも、Davyは俺だけのものじゃない。少なくとも、Davyをやってるうちは、俺が理想とするイメージを壊すようなマネをしてはいけないのだ。

俺がディスクロージャーにこだわる理由も、単なる私人じゃないから。Facebookやらない(というかmixiを含め、情報をSNSに集約しない)のも、単なる私人じゃないから。Davyに関する情報は、誰でも好きなようにアクセスできる状態にしておきたい。Davyのことを知りたければ、好きなだけ知れるような材料を提供しておきたい。だから、Twitter・ブログ・書籍・小説・Podcastなど、そのニーズに応じて媒体を使い分けていただけるような状態にしてある。就活サイトだって、要請があれば、公開を拒まない。もちろん、あれについては、閲覧者をきちんと把握しておきたいから、会員制という形をとらせていただいているが。

20歳の誕生日に書いた。「もう俺だけの夢じゃない」と。偉そうに、Davyとか言って能書きを語っている以上、その言動には責任を持たなければならない。期待の声がある以上、それに応えなくてはならない。誰も期待してないって?いや、1人だけいる。俺自身だ。Davyの1番のファンは俺なんだ。俺が、Davyという男に惚れこんで、彼のプロデューサーをしている。ある時は俺自身を映す鏡となり、ある時は俺の理想を実現してくれる存在となる。

結局、何が言いたいか。「魅せる」仕事に就く者は、自分が自分のプロデューサーでなければならない。AKBの2人の脱退騒動で、俺はもう一度そのことを認識した。どういう魅せ方をしたいのか、何を評価させたいのか、それによって何を今後生み出せるのか。自分のコントローラーを自分で持つ意味。ここにあると思う。


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