自己分析とは何か


「自己分析とは何か」
こんなタイトルにしておけば「意識の高い学生」は食いつくんじゃない??(笑)

まぁ、クラシックでも聴きながら、リラックスしてお読みください。

Badarzewska: The Maiden’s Prayer
http://davystyle.com/wp-content/uploads/2011/09/maiden.mp3

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久し振りに空気清浄機とコンポを起動して、クラシックとかジャズに浸る今日この頃ですよ。そんな今日(14日・水)@scofield0407氏とお会いした。赤坂を歩き、ミッドタウンで食事をし、ウチで世田谷ベース見ながらジャズやクラシック聴いて、食事をして・・・という感じであるが、改めて面白いな~なんてしみじみと感じたね。俺自身が話のネタを選別しなくなったからかな?昔はね、あれ話したらカタいかな?とか、これはつまんないかな?とか色々考えながらしゃべってたんだけど、もう思ったことを言うだけになったから、楽だし、楽しいし、疲れない。いいことですよ。

対称的な生き方をしてるし、趣味も結構違うんだけど、共通項もそこそこある。そんな状態が面白いんだね。で、結構今日の話は面白かったから、メモ代わりに書いておこうと思う。

まず、俺らに共通すること。「もっと努力をしろ!」と周りに言われること。
努力することがあんまり好きじゃないし、努力が長続きしない。(だから我々はMARCHなんだけど)。だから、ガツガツした努力はしない。いや、ホントはしてるんだよ。本人たちに「努力してる意識」があるかどうかはよくわからないが。ただ、いわゆる「正統派の努力」じゃないんだとは思う。
こんなことを言うと誤解されるかもしれないんだけど、俺は努力なんてする必要はないと思ってる。そこまで苦しい思いをしてまで掴みたいものなのか?って考えてしまう。苦しいと思う努力はしたくない。だから、しない。でも、楽しいこととか熱中できることに対しては、没頭して取り組む。多分、それこそが結果的に努力になっていると思うんだけど、楽しいから努力だとも思わないし、周りからも努力だとは感じられることはない。そんなもんなんだと思う。
要するにね、努力だ根性だとか言うよりも、楽しいことを探して、それに没頭するというのが1番幸せなんですよ。それで結果的に能力が高まっていれば、万々歳じゃないですか。

俺は、掃除をすると決めると、平気で6~8時間くらいしている。部屋の至るところ、部屋の外まで、自分が決めたところをきちんとキレイにしなければ気が済まない。自分が決めたことに関してはいい加減なことはしたくない。中途半端にやるくらいなら、やらない方がいい。めんどくさいだけだから。昨日も、網戸を洗って、窓をずっと拭いていた。指紋とか拭いた跡が残ることすら気に入らなくて、ずっとあれこれ試行錯誤しながらやっていた。でも、それって、努力?義務感?
もちろん、初動は義務感。そこまで掃除が好きなわけじゃない。でも、やりだすと止まらない。結局、掃除が楽しいんだと思う。終わった時の達成感。全部終わって風呂に入った時の爽快感。あれを味わいたくてやってるのかもしれないね。

何が言いたいか。「努力」だなんて思ってるうちは、まだまだってことよ。

では、ここでまた1曲。

俺たちに残された猶予はあと約1ヶ月。就活戦線の始まりを伝えるゴングは、多分10月の後半に鳴るのだと思う。当然、それらしき話もするわけだ。
俺が再三再四申し上げているように、「将来の夢は?」と聞かれて、職業を答えるようなヤツはなんにもわかっちゃいない。夢って、地位とか肩書きじゃないでしょ。やりたいことを実現するとか、理想のライフスタイルを創り上げるとか、もっと抽象的なもの。もちろん、彼はそれをわかっている。「大きい家に住むために、実家の隣の土地を買っちゃおうか」なんてのは、申し合わせたかのようにお互い考えていたことであった。俺に関していえば、「55歳リタイア計画」。なんとか55歳くらいで仕事を辞めて、余生を優雅に過ごして70過ぎくらいにポックリ逝くというのがいいんじゃないかと。今は、「定年」がどんどん伸びて、60歳から65歳になろうとしている。我々の時代には、それが70歳になっているだろう。もちろん、収入を考えるとそうせざるを得ないかもしれない。でも、そんなのは嫌だ。70歳になっていざ自由な時間ができても、楽しめる自信がない。身体は弱っているだろうし、メシもそんなにたくさん食えないだろうし、旅行へ行くにも疲れてそんなに遠くへは行けない。でも、55歳なら、まだまだ現役だ。その頃には、そこそこカネも貯まっているだろう。優雅に余生を送って、仕事をしていた時にはできなかったことや、大学時代までに残してきた宿題をそこで精算する。

人間、1番差がつくところって「遊び」なんですよ。仕事よりも難しい。教科書が「全く」ないから。真っ白な画用紙に絵を描くのって、総合的な能力が試される。カネだってそう。稼ぎ方はある程度決まったフォーマットがある。だけど、使い方はその人の真価が問われる。浪費じゃダメなんだ。投資的消費でないと。

俺は、遊び方やカネの使い方の上手い、素敵なおじさんになりたい。

就活でされるであろう質問の1つ。「あなたの長所・短所を教えてください。」
最もナンセンスな質問の1つ。俺が人事担当なら、絶対にこんなことは言わない。
腹の中ではこう思ってる。「それはあなたが気付きなさい」と。長所や短所なんてものは、絶対的ではなく相対的な視点。俺に関して言えば、「融通が効き、総合的に状況に応じて判断してくれる」と思う人もいれば、「あいつはルールを守らない」というヤツもいる。「いい加減だ」も評価が分かれる。自分が長所だと思っていても、相手には治して欲しい欠点だと思われているかもしれない。それは、相手が勝手に判断すればいい問題。

俺に言わせりゃ、「俺に短所なんて無いよ」。短所ということは、「直さなくてはいけないな」と感じている部分。そういう所は絶えず治し続けているから、放っておいている短所なんてない。治らないものは「こういう人間だ」と思うだけの話。「リンゴの短所は、赤い色をしていることです」なんて言われたって、困るだろう?それと一緒。だから、俺には短所なんてない。

「友達のために時刻表作ってくれるよね~」なんてあいつは言ってくれたが、感謝してくれるのは本当にありがたいし嬉しいけど、でも俺にとっちゃ「当たり前」なんだよね。「だって、便利な方がいいでしょ」と。それだけの話よ。それを「俺はあいつのために作ってやった。人に優しいところが俺の長所だ。」なんて自分で思うような小さいヤツにはなりたくないし、そういうヤツには魅力を感じないよね。困ってる人、何かを必要としている人がいたら手を差し伸べるのは当たり前のこと。それを長所だなんて誇りたくはないし、誇った所で意味がない。

だから、長所なんて本人に聞いても意味がないんだよ。本人は、当たり前だと思っているんだから。

例えば、俺の待ち合わせ手法。「○○時に集合ね!」じゃなくて、「○○時の電車に乗ってね!」でする。そうすれば、集合時間よりはるかに前に間に合うかどうか連絡くれるから、長い時間待たずに済む。乗り遅れるなら、「それなら家でもう少しゆっくりしてようか」となる。

俺にとっては、こんな待ち合わせ手法は当たり前。何も特殊なことをやってるつもりはない。でも、これをやる人が少ないから、「変わってる」って話になる。

もしかしたら、「自己分析」って「『当たり前』に気付く」ことなのかもしれないね。
だったら、自分で考え込むより、身近な人に聞いた方が早いわけだ。
まぁ、こんなくだらない質問にも付き合わなくちゃいけないのでね。

でも、俺ならそんな質問より「あなたの主義・信条・大切にしていることは何ですか?」と聞くだろうね。それも一言じゃなくて、10分くらい話してもらう。そうすれば、人となりが結構わかる。過去や未来の話をするより、俺は現在(いま)の話をしたい。過去や未来なんてものは、想像の世界のものでしかない。実際に見えているのは、現在だけだ。

ちょっと哲学的な話になってしまったようだ。最後に、このメッセージを見てほしい。


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